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片岡愛之助さんは子役から活躍し、歌舞伎界の養子となって六代目に・・
片岡愛之助さんの学歴と出身校についてご案内します。
片岡愛之助さんは大阪の堺出身の歌舞伎役者で俳優。
もともと歌舞伎とは無縁の、スクリュー製造工場経営の家庭に生まれました。
しかし小学校に入る前にたまたま松竹芸能の子役オーディションに応募したことから、役者人生が始まることになりました。
歌舞伎の才能を見込まれて、小学生時代に片岡一門の部屋子となり、高校を卒業したあとに、二代目片岡秀太郎さんの養子となり、やがて六代目片岡愛之助を襲名することになりました。
大阪府立信太高校 ⇒ 進学せず
地元堺市の誇れる出身者でもあり、市の公式サイトで片岡さんの経歴等が詳しく公開されています。
小・中学校は地元の公立校で、すでに歌舞伎役者だったわけですが、高校だけはというご両親の希望もあり、地元の公立高校に進学しました。
その後の歌舞伎の活動は長く、次第にドラマや映画でも貴重な存在となってきました。私生活では2016年に藤原紀香さんと結婚して話題となりました。
二度の『半沢直樹』でさらに広く知られるようになり、時代劇や大河ドラマでも重要な役を担う俳優となっています。
片岡愛之助 (かたおかあいのすけ 本名・片岡 寛之)
生まれ: 1972年3月4日
出身:大阪府堺市
1977年:松竹芸能の子役オーディション合格、5歳
1978年:(推定)茨木市の小学校入学、6歳
1979年:三宝小学校に転校、『欲しがりません勝つまでは』子役、7歳
1981年:片岡一門の部屋子となる、 片岡千代丸襲名、10歳
1984年:(推定)浜寺中学校入学、12歳
1987年:(推定)信太高校入学、15歳
1990年:(推定)高校卒業、18歳
1992年:二代目片岡秀太郎の養子となる、
1993年:『勧進帳』駿河次郎、六代目片岡愛之助を襲名、21歳
2003年:『夜桜お染』音次 、31歳
2007年:『蝉しぐれ』主演
2008年:「永楽館歌舞伎」
2010年:「システィーナ歌舞伎」、『花の武将 前田慶次』 主演、38歳
2013年:『半沢直樹』黒崎駿一、「ブレイク俳優ランキング」3位、41歳
2014年:『劇場版 仮面ライダー鎧武 サッカー大決戦!黄金の果実争奪杯!』仮面ライダーマルス
2015年:『刑事7人』山下巧
2016年:大河ドラマ『真田丸』大谷吉継 、藤原紀香さんと結婚、44歳
2018年:『NARUTO -ナルト』うちはマダラ 、連続テレビ小説『まんぷく』 加地谷圭介
2020年:『半沢直樹』続編、黒崎駿一、大河ドラマ『麒麟がくる』今川義元 、48歳
2022年:大河ドラマ『鎌倉殿の13人』北条宗時、50歳
2023年:『大奥8代徳川吉宗×水野祐之進編』藤波、『キングダム 運命の炎』馮忌
2024年:『はたらく細胞』肺炎球菌
2025年:大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺』鱗形屋孫兵衛、53歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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片岡愛之助さんの出身高校は大阪府立信太(しのだ)高等学校
片岡愛之助さんの出身校、大阪府立信太(しのだ)高校は和泉市にあります。
片岡さん(当時・山元さん)は堺市出身ですが、信太高校は堺市にも近く、かつ泉大津市とも高石市とも境となるような場所に位置しています。
小学校時代に片岡一門の「部屋子」となっていたため、本人としては高校にいかなくても・・という思いもあったようです。
しかし、ご両親の強い勧めで高校だけはーーと、同校に進学しました。
出身高校:大阪府立信太高等学校
所在地:大阪府和泉市葛の葉町387-2
創立:1983年
名前の通り、大阪府の公立高校となります。
image
【大阪府立信太高校の進学状況】は同校の公式サイトから抜粋すると、2022年の卒業生のデータとして以下となっています。
大学進学 44名
短大進学 6名
専門学校 104名
就職 48名 など
このような状況の高校で、当時の片岡愛之助さんは進学せずに歌舞伎役者の道を選びました。
***
信太(しのだ)高校の「信太」は、高校名でもありますが、愛之助さんにとっては、「信太山」の霊園にご両親のお墓があって、たびたびお参りに行くそうです。
また同校に進んだ理由として引っ越しの関係で・・とも語っています。
引っ越しの関係で、知り合いが一人もいない高校に進学したが、荒れていたという。
「友達とヤンチャしてました(笑)。1学年16クラスあって、日本で一番多かったんじゃないかな。誰も知らないところに16クラスで、全員他人。そのなかで生き抜いていくのは大変なことでしたね。16クラスもあると、不良も多くて7人の番長がいました」
(https://smart-flash.jp/entame/117437/)
・・これは気になって、現在の信太高等学校の定員を確認してみると240人でした。
上記の進学状況の数とも合っています。当時の16クラスというと、おそらく600人はいたでしょうから、想像するだけでなかなかカオスのような人数です。
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(「出石お城まつり」にて)
地域から愛される出身地・堺市と出身小学校、出身中学校
上記のように片岡さんの出身校はすべて明らかになっています。
というのは、2023年の8月に、堺市の公式サイトに『堺をおもえば…片岡愛之助さん 堺の記憶』という記事が掲載されました。
「今も、本籍も実家もお墓も堺です」というタイトルで綴られた、片岡さんのプロフィールには以下のように記されます。
「堺市立三宝小学校、寺浜中学校、大阪府立信太高校卒」
同記事によると生まれたのは堺市堺区神南辺町で、父親は船のスクリュープロペラを作る工場を経営していたとのこと。
最初は、出入りのダンプカーが危なくて子役として芸能界に入った・・という片岡さんのエピソードが、ちょっとピンとこなかったのですが、
実家は工場と同じ敷地にあって、南海本線の線路から国道26号線まで全部うちだったんですよ。
その広い敷地で、会社のみんなが入るお風呂が銭湯より広かったそうです。
ーーということで敷地の中を飛び回っている少年が、工場に出入りするトラックなどに轢かれないように・・という配慮は分かる気がします。
結局、家の外で遊べないのは可愛そうだと、5歳にして松竹芸能の子役オーディションを受けることになりました。
「小学校1年生のときは茨木にいて、2年生で堺市立三宝小学校に転校しました。」
ということで2年で転校し、卒業した小学校が三宝小学校。
さらに、中学入学直前に諏訪神社の近くに引っ越したことで、浜寺中学校に入学しました。
今でもご実家はそこにある・・とも記事では語っていました。
出身小学校:堺市立三宝小学校
所在地: 大阪府堺市堺区三宝町5丁286
地元の方には今さらながら、堺市は大阪市と大和川を挟んで南にあり、さらに和泉市や、岸和田市へと繋がります。
三宝小学校は堺市の中では北端。「旧三宝村」に由来した校名となります。
当時の実家は南海本線の「堺駅」の近くでした。踏切を通らないという区切りのため、小学校まで40分歩いたとのこと。
出身中学校:堺市立浜寺中学校
所在地:大阪府堺市西区浜寺船尾町西5丁60
引っ越したという言葉にあるように、浜寺中学校は三宝小学校の児童が進む中学校ではなく、少々南の方になります。
堺市の地図を見ると、勝手にノリノリ気分になってしまうのですが、近隣に見える仁徳天皇陵や、大仙公園などが歴史の名所として、どうしても気になります。
祖父が創業されたという船のスクリュープロペラの工場は、船づくりの盛んだった堺の歴史とも、しっかり組み込まれているように感じます。
***
このように愛之助さんの幼児期は、のびのび育つ一方で、5歳から芸能活動が始まっていました。
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略歴のように、片岡さんは7歳くらいで『欲しがりません勝つまでは』に子役として出演したり、やがて歌舞伎の舞台にも子役で出演するようになっていました。
最初は本名でしたが、やがて片岡千代丸を襲名し、歌舞伎役者として舞台に立つようになります。
歌舞伎と出会った印象は、のちにこう語っています。
「顔を白く塗る人が面白くて。テーマパークに来た印象でした。歌舞伎が面白いから歌舞伎役者になりたいと思えた」
(https://smart-flash.jp/entame/117437/ より)
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(2024年の立川立飛歌舞伎)
ところで、歌舞伎はひと月興行ですから、子役といえども一ヶ月は学校を休むことになります。それでは勉強に支障が出るし、ご両親と話し合って、やめさせていただくことにしたとのこと。
しかし・・
ある朝、楽屋にあいさつに回ったとき、後に父となる(片岡)秀太郎に、「お芝居好きか」と声をかけていただいた。「今月、終わったらうちに遊びにおいで」と言われ、当時の豊中のご自宅に両親と伺ったら、「この子、役者にしないんですか」と。
実家の父は好きで会社を継いだわけではなかったので、僕には好きなことをさせたかったみたいでした。「やりたかったらやりなさい」と。
(https://www.sankei.com/article/20151013-JEGSSADJYROSVMO4V2YAJPF734/2/ より)
これは2015年当時の記事です。
なるほど、歌舞伎に進むことにはご両親の温かく見守ってくださる力添えがあったようです。
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堺出身の片岡愛之助さんにちなんで、堺市の公式サイトでは大浜公園、ザビエル公園、おおとりウイングス、さかい利晶の杜、などを紹介していました。
さらに、小学校時代の同級生が経営する[六兵衛]とか、[フレッシュケーキ愛之助]とか、かなり地域密着型の情報ーー。
そういえば、沢口靖子さんも堺の出身なのでした。
片岡愛之助さんの出身大学はなし
片岡愛之助さんは、信太高校を卒業後は大学等へ進まずに歌舞伎の道を究めてきました。
養子になった時の経緯は、愛之助さんが『突然ですが占ってもいいですか?』に出演し、星ひとみさんに占われたときにこう語りました。
「その時に今の父の片岡秀太郎から声をかけられて、『養子に来ないか』というお誘いを受けて。『実家の両親に聞いてきなさい』と言われ、“さすがに養子はダメだろうな”と思って両親に聞きましたら、親父が1〜2分考えて『よし!行ってこい!』と。
(https://mezamashi.media/article/15157703 より)
あっさり許可されたことに片岡さんは驚きましたが、心置きなく歌舞伎役者になれると、思ったそうです。
しかし先述のように「今も、本籍も実家もお墓も堺です」というように、生まれた実家とのご縁はしっかりつながっています。
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その後、歌舞伎はもちろんのうえ、ドラマにも出演してきましたが、片岡さんが一気に有名になったのはやはり2013年の『半沢直樹』。
オネエがかった黒崎駿一役でしたが、『突然ですが占ってもいいですか?』での判断は、
「オネエの星は入ってないです。なんなら女を守るとか、母性の気。愛情の塊の星が出ています」
ということで、片岡さん本人も納得していまた。
また2016年には藤原紀香さんと結婚。
藤原紀香さんについて、上記の占いで「めちゃくちゃピュアで、ちょっと人見知りっぽい感じ」と言われると愛之助さんは、
「当たっています。世間の人が思っているイメージと全然違うんです。じゃなかったら僕、結婚できない。大正解ですね」
と言っていたのが印象的でした。
片岡愛之助さん(鹿児島県・徳之島観光大使)ルーツの地に初来島 先祖への墓参、ほのぼの交流も(奄美新聞) https://t.co/Dey9qPdDw3 pic.twitter.com/6iyr6xsZQQ
— スプラトゥーン2 ギア·ステージ返信BOT (@Aimai_takumi_) May 3, 2023
山元家が鹿児島の徳之島の出身ということで、2021年から「徳之島観光大使」も務めています。
2024年11月には、「吉例顔見世興行」の稽古中に舞台装置と接触し怪我したことが報道されました。回復が祈念されています。
2025年の『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺』では鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)役のすでに収録された部分が放映。
ところで大河ドラマへの出演はべらぼうで、すでに4作目。
【片岡愛之助大河ドラマ史】
🔹2016年『真田丸』
…関ヶ原で自害
🔹2020年『麒麟がくる』
…桶狭間で討死
🔹2022年『鎌倉殿の13人』
…河原で刺殺
🔹2025年『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
…???今回こそ、片岡愛之助さんに幸あれ!#大河べらぼう pic.twitter.com/QgQx4q13fo
— 弾正 (@naoejou) January 12, 2025
大河ドラマでの片岡さんは、「真田丸」の大谷吉継も「麒麟がくる」の今川義元も「鎌倉殿の13人」の北条宗時も、みな末路は悲惨だったと言えます。
『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺』の鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)は、蔦屋重三郎より先に『吉原細見(よしわらさいけん)』を手がけた人物。
しかし没年不詳なくらい、人生の最後は恵まれていなかったようです。今後どう描かれるか、楽しみです。
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歌舞伎の世界者に疎い者から見ると、片岡愛之助さんは、大阪に生まれ現在も大阪在住という珍しい役者さんと言えそうーー。
もはやドラマにも映画にも不欠の存在となっています。さらに50代前半ということは今後、さらに重みのある役どころが予想されます。
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以上、簡単ですが片岡愛之助さんの出身校についてでした。