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原日出子さんは渡辺裕之さんと夫婦役も二度・・
原日出子さんの学歴と出身校についてご案内します。
ベテラン女優の一人、原日出子さんは東京都の出身で本名は法子(のりこ)さんでした。
小学校時代は転校もあったようですが、小学生の後半からはずっと吉祥寺で育ち、地元の新設されたばかりの都立高校に進学しました。
東京都立久留米西高等学校 ⇒ 日本工学院専門学校
さらに演技コースのある専門学校として、日本工学院専門学校を親に内緒で受験して進学。
ただし1年のうちに中退して『劇団四季研究所』にーー。
さらに『劇団四季研究所』も、歌の試験で1点の差で落とされたことから後には辞めますが、独自に映画の主演等の道を開いていきます。
その後、朝ドラのヒロインを務め、さらに挙げきれないほどの映画・ドラマに出演してきたことは周知のとおりです。
原日出子(本名・渡辺 法子わたなべ のりこ)
生まれ:1959年〈昭和34年〉11月10日
出身:東京都
1966年:(推定)小平第三小学校入学、7歳
1972年:(推定)第四中学校入学、13歳
1975年:(推定)久留米西高校入学、16歳
1978年:(推定)日本工学院専門学校入学、19歳
1979年:『夕焼けのマイウェイ』主演、20歳
1980年:『元気です!』伊野山くみ、
1981年:連続テレビ小説『本日も晴天なり』主演、「約束 」と「青い手紙」で歌手デビュー
1983年:同級生と結婚(〜1987年)、『徳川家康 』亀姫、24歳
1990年:『終着駅シリーズ1終列車』塩沼弘子
1994年:渡辺裕之さんと再婚、35歳
1999年:『3年B組金八先生』乾英子
2001年:『森村誠一サスペンスシリーズ 灯』-白井美恵、42歳
2004年:『天国への応援歌 チアーズ〜チアリーディングに懸けた青春』保坂由紀代
2009年:『雪の花』
2010年:『横山秀夫サスペンス 自伝』小山春代、『育子からの手紙』主演、51歳
2014年:『Nのために』高野夏恵
2018年:『越路吹雪物語』岩谷秋子 、59歳
2022年:『余命10年』高林百合子、『ポプラン』田上真知子、63歳
2023年:『リバーサルオーケストラ』高階藍子
2025年:『クジャクのダンス、誰が見た?』木村夏美、『あなたを奪ったその日から』小石川雪子、66歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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原日出子さんの出身高校は東京都立久留米西高等学校
原日出子さんの出身高校は公立高校の久留米西高校だったことが知られています。
出身高校:東京都立久留米西高等学校
所在地:東京都東久留米市野火止2丁目1−44
創立:1973年
原さんが入学した年が1975年と考えられますから、1973年に設立された同校に早々に入学したということになります。
子供の頃から歌ったり踊ったりするのは好きでしたが、演技には特に関心もなく、高校生になってもサッカー部のマネジャーやギター部などいろいろと掛け持ちをしていました。
(2020年『サンスポ』 【朝ドラのころ】「本日も晴天なり」原日出子(1)反骨精神生んだ劇団四季落第 道拓けて…トントン拍子びっくり合格 より )
さらに後述のように演劇部にも関わるようになり、好きなことを思いっきり実行する充実した高校生活だったようです。
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【久留米西高校の進路状況】は、同校の公式サイトによりますと、令和7年の例として「57.8%が4年制大学に進学しています」とのこと。
令和7年の卒業生は6クラス
大学・・129名
短大・・6名
専門学校・・70名
就職・・10名 など
原日出子さんの場合は、高校の卒業が1978年のことで、さらに創立から2年目という状況でしたから現在とはかなり異なると思われます。
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しかし、いずれにしても当時の「法子 のりこ」さんは、日本工学院専門学校の演劇科に進みました。
きっかけは高1の文化祭で演劇部の人数が足りずに、照明などの手伝いを頼まれて楽しそうと思ったそうです。
そこから演劇部にも顔を出すようになり、親に内緒で演技コースのある専門学校を受験してそちらに進みました。ただ、周りは「なんとなく」と入学してきた人が多く、プロを目指す自分には物足りない環境で…。
(同上 )
ということで、その後日本工学院専門学校を中退した話に続きます。
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原日出子さんの出身地東京都と出身小学校、出身中学校
ここで話は一旦、お子さんの頃に戻ります。
原日出子さんは芸歴も長いためか、子どもの頃について口コミ情報も多く、出身中学は武蔵野市立第四中学校とされています。
武蔵野市立第四中学校は1953年の創立で、同校の出身者には原日出子さんの他に、岸谷五朗さん、桐野夏生さん、ハリセンボンの箕輪はるかさん、共産党の小池晃さんなどがいます。
出身中学校:武蔵野市立第四中学校
所在地:東京都武蔵野市吉祥寺北町5丁目11−41
住所の通り吉祥寺にあり、地図で見ると成蹊大学や成蹊の系列校が並ぶキャンパスの北側にあり、落ち着いて環境の良い中学校であったことが分かります。
住むに良い地域ということと、著名出身者が知られていることとも関連性がありそうです。
原日出子さんは、2013年の『産経ニュース』によると、吉祥寺のことを「小5から23歳でお嫁に行くまで生活圏内でした。」と語りました。
つまり、小5のころに引っ越しされたようです。また「23歳でお嫁に行く」とは、同級生と結婚した1983年のことでしょう。
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一方で、小学校については直接的なソースは不明ながら「PANASONICA JPN」さんのサイトによると出身が「小平第三小学校」とされます。
小5で吉祥寺に方面転校したとして、おそらく入学した小学校が小平第三小学校だったということでしょう。
小平、荻窪、吉祥寺など複数の転居があったことが知られています。
出身小学校:小平市立小平第三小学校(入学時?)
所在地:東京都小平市回田町118
なお、「PANASONICA JPN」さんのサイトによるとご両親は、父親が不動産業に勤務し、母親は元看護師さんとのこと。
子どものころは新宿区に小さな借家に家族5人で住んでいたこと・・等が知られています。
ご家族は姉、日出子さん、弟という3人兄妹の5人家族だったけれど、早くにお姉さんは逝去されました。
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原日出子さんの出身学校は日本工学院専門学校
日本工学院専門学校の中退
原さんが進学した日本工学院専門学校は、名前からも連想されるように『東京工科大学』の系列校でもあり、東京工科大学への編入制度もあります。
また姉妹校として現在は「日本工学院八王子専門学校」もあり、元からある下記の校舎は蒲田校舎と呼ばれることもあります。
出身校:日本工学院専門学校(もと創美学園)
出身地:東京都大田区西蒲田5丁目23−22
創立:1947年
創立時は「創美学園」であり当時の設置学科は「絵画科」と「洋裁科」でした。
その後、1976年に日本工学院専門学校と改称・・ということで、原日出子さんが入学したのが1975年と考えられるため、当時の名称は「創美学園」ではないものの、何度か改称されたという当時の学校名だったと推定されます。
現在は商業、放送、芸術、芸能、工学分野の学科があり、出身者の一覧で原日出子さんは、同校の「演劇科3期」とされています。
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(還暦のころ)
工学院というと工学系のイメージですが、この学校からじつは俳優、声優をたくさん輩出してきました。
学校名や「科」の名称はたびたび変更された様子。
しかし概して「声優俳優科」を卒業した声優さんが多いといえます。
(木部ショータさんや、本多真梨子さん、吉岡さくらさんなど多数)
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ただし原日出子さんは中退しています。
同校の中退というより原さんの女優人生で大きな転換期は、1年生のうちに『劇団四季研究所』の試験を受けたことでした。
上記のように、進学した専門学校は、原さんにとっては「プロを目指す自分には物足りない環境」と感じたようです。
先生にわがままをいって、劇団四季研究所の試験を2年生に混じって受けさせてもらったら、1年生の私だけ合格して、その時点で専門学校は中退することになりました。
(同上)
劇団四季も辞めて、朝ドラヒロインに
しかし・・・
研究所では頻繁にテストがあるのですが、私は歌のテストの点が1点足りなかっただけで落第。歌を失敗した自覚がなかったので、「納得がいかない」と言いにいったら、「君は四季には向かない。辞めてほかで頑張りなさい」と先生に言われました。
(同上)
これはなかなかショックな事態でしょう。
しかし、一方で納得がいかないと言いに行ける芯の強さも際立っているようです。
ちなみに劇団四季にとっては、原日出子さんは結果的に研究生だったということになります。
たまたま研究所の近くの喫茶店の方のご主人が映画監督で、自主制作の映画のヒロインを探しているということで1979年の『夕焼けのマイウェイ』でデビューすることになりました。
さらに1980年の『元気です!』のオーディションで最終選考を宮崎美子さんと争う形となり、ヒロインは宮崎さんに決まりましたが新人訓練をともに受けて、レギュラー出演しました。
そういえば宮崎美子さんは1958年生まれ、原さんは1959年生まれですからほぼ同世代なのでした。
その後、ついに1981年の連続テレビ小説『本日も晴天なり』にてヒロインに選ばれました。
ディレクターとデスクから「これからご自宅に伺います」と連絡があり、急いで母の職場に電話し「帰って家を掃除して!」とお願いしました(笑)。
お二人がいらして、両親に「朝ドラのキャストに決まりました。これからお嬢さんを預からせていただきます」と伝えられ、家族は「そうなんだ。よかったね」という雰囲気。(同上)
このとき、後から「ところで何の役ですか?」と聞いて、ヒロインと知って皆で驚き、その日は御赤飯を炊いてくれて皆でお祝いしたそうです。
#子供時代にテンションが上がったもの#原日出子💖
本日も晴天なり、この朝ドラで俺の女優好き第一号原日出子さんに衝撃した💖 pic.twitter.com/LU7KGyxYpp— さみー (@o7TKrSSOcBN3OWK) June 2, 2024
『本日も晴天なり』は、ヒロインの桂木元子が戦時下でNHKアナウンサーとなり、さらに戦後にはルポライターや作家へと転身して活躍する物語でした。
平均視聴率は36.6%ということで、色んな意味で隔世の感があります。
なお朝ドラヒロインを務めた1981年ころに、原さんは歌手デビューも果たしています。
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略歴に戻るとその後の、長い芸歴が続いています。
ちなみに芸名の日出子さんは劇団四季の研究生時代に、『夕焼けのマイウェイ』を制作した『若い根っこの会』の加藤日出男氏にちなんでいただいた名前。
2010年に『育子からの手紙』で主演したときの、ご家庭についてのインタビューです。
「笑いの絶えない家庭なんですよ。笑うことは健康に良いと聞き、『我が家は病気にならないね』と言って、また皆で笑うんですよ(笑)。・・中略・・子どもに助けられている部分もありますね」
(https://www.hi-carat.co.jp/column/interview/201004/entry22842.html)
この時点で長女は成人、次女は高校生、末っ子の長男は中学生ということでした。
(その次女さんは、その後ボーカリストの渡辺磨裕美さんとなっています。)
更にこの2010年で、おしどり夫婦として有名で俳優の渡辺裕之さんと結婚して16年でした。
渡辺裕之さんは拓殖大学の出身。
ただし、2022年に映画『ポプラン』にて渡辺裕之さんと夫婦役で共演のあと、渡辺さんと死別という悲しい別れもありました。
#いい夫婦の日
渡辺裕之・原日出子いい夫婦“だった”って言いか
いい夫婦“でした”って言いか原日出子さん、お元気で💖 pic.twitter.com/IW56zEs0Mh
— さみー (@o7TKrSSOcBN3OWK) November 22, 2024
その後の2025年でいうと、『クジャクのダンス、誰が見た?』にて広瀬すずさんに対して冷酷な叔母を演じたり、『あなたを奪ったその日から』にて、北川景子さんを優しく支えようとする園長先生を演じたり、さすがの貫禄を見せてくれています。
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以上、簡単ですが原日出子さんの出身校についてでした。