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堀部圭亮(ほりべけいすけ)さんは俳優で放送作家、お笑いコンビを組んだ時期も・・
堀部圭亮さんの学歴と出身校についてご案内します。
若いころの活動を知らない視聴者にとって、堀部さんは「ベテラン俳優」さんかもしれません。
それも正しいのですが、じつは放送作家でもあり、監督でもあり、若い頃はお笑いコンビも組んでいたという多彩な顔を持ちます。
台東区の出身で、地名にちなんでペンネームに「竜泉(りゅうせん)」も用いています。
一方で自身の「X」で小・中学校時代は練馬で育ったとしています。練馬の公立中学(後述)から、高校は北区にある私立高校の成立高等学校に進学しました。
成立高等学校 ⇒ 進学せず
しかし、成立高校(現在名・成立学園高等学校)は中退し俳優の道に進みました。その経緯では中学の同級生とされる須間一弥さんとコンビを組んだり、勝俣州和さんと「K2」を組んだりして、各種のバラエティ番組にも出演していました。
その後映画やドラマへの出演数も多数に上り、朝ドラの『カムカムエヴリバディ』では、時代を超えて二人の役を演じました。
現在は、刑事や重役、執事等々の味のある役に欠かせないようなベテランさんの一人となっています。
(堀部さんは俳優・放送作家・監督・若い頃はお笑いコンビの一人・・という多彩な活動のゆえに下記の経歴も、少々分かりにくいかもしれません。)
堀部圭亮(ほりべ けいすけ)
生まれ:1966年3月25日
出身:東京都
1972年:(推定)小学校入学、6歳
1978年:(推定)豊玉中学校入学、12歳
1981年:(推定)成立高校入学、15歳
1982年:16歳で高校中退
1986年:お笑いコンビ「パワーズ」(須間一弥さんと1991年まで)、20歳
1987年:『桃色学園都市宣言!!』
1988年:『欽きらリン530!!』、火野玉男を名乗る
1989年:『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』放送作家として「竜泉」名義
1991年:本名で活動
1992年:「K2」(勝俣州和さんと)、『森田一義アワー 笑っていいとも!』
1994年:『とられてたまるか!?』
1996年:『弾丸ランナー』、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』、30歳
1997年:『人気者でいこう!』
2001年:『HAMADA COMPANY弾丸!ヒーローズ』
2004年:大河ドラマ『新選組!』秋月悌次郎
2005年:『12人の優しい日本人』
2007年:『やさぐれぱんだ 白盤・黒盤』*監督兼脚本、41歳
2008年:『BABIN』
2009年:『悪夢のエレベーター』*監督、43歳
2012年:大河ドラマ『平清盛』藤原忠通 、『スプラウト』池之内剛
2014年:連続テレビ小説『花子とアン』 有馬次郎
2015年:大河ドラマ『花燃ゆ』間部詮勝
2017年:『アキラとあきら』階堂崇 、51歳
2020年:『共演NG』小松慎吾 役
2021年:連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』一人二役
2024年:連続テレビ小説『虎に翼』日和田
2025年:『フォレスト』葉山修 、『光る川』、59歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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堀部圭亮さんの出身高校は成立学園高等学校(16歳で中退)
情報の少ない堀部圭亮さんが、松田優作さんに憧れて高校を中退して俳優を目指したことはよく知られているようです。
その高校というのが成立学園高等学校で、当時の名前は「成立高等学校」でした。
こちらの学校名が記憶に残っているのは、今野浩喜さんの出身校だったから。ただし今野浩喜さんは1978年生まれですから、一回りくらい堀部さんが年長となります。
同校に中学(成立学園中学校)が新設されたのは2010年で、男子校から男女共学になったのは2004年ですから、堀部さんの当時(1981年ころ)は高校だけ、かつ男子だけでした。
成立(せいりつ)学園高等学校
所在地:東京都北区東十条六丁目9番13号
成立学園中学・高等学校では「特進コース」のなかに、【アスリートクラス】(男女サッカー部、硬式野球部)があるくらいですから、プロのサッカー選手と野球選手を多数、輩出してきました。
一方で2012年度からコース・クラス編成が変更され、特に「スーパー特選コース」では進学に力を入れている様子です。
【成立学園高等学校の大学合格実績】は、2024年の実例で、「みんなの高校情報」から一部を抜粋すると以下となっています。
日本大学 150名
東洋大学 78名
中央大学 66名
法政大学 38名
駒澤大学 20名
青山学院大学 18名
明治大学 14名 など多数
同校では10年くらい前のデータよりも、近年のほうが圧倒的に進学実績が高くなっているそうです。
***
しかし、堀部さんにとっては成立高等学校は16歳で中退した高校でもありました。
そのへんの経緯について、2022年の『文春オンライン』の記事【〈カムカム・堀部圭亮が56歳に〉高校中退の“意外な理由”、勝俣州和とのコンビ解散…朝ドラ名脇役の「知られざる履歴書」】のなかで、次のように記されています。
・・・16歳で高校を中退後、アウトローの世界に入ろうと思っていたと、驚きの告白をしている。そこでまず入れ墨を彫ってもらおうとしたところ、彫師に「二十歳をすぎるまでは、おまえは親のもんだ。人様のものに俺は彫れん」と断られたという。
それでアウトローの世界には入れず、「代わって目指したのが俳優だった。」とのこと。
アウトローの世界に入ろうと思っていた理由は分かりませんが、ともかく、
「中学時代の同級生・須間一也の父親が芸人だったので相談に」
行ったそうです。
その経緯には、松田優作さんに憧れていたけれど、松田さんを輩出した文学座の研究所は応募資格が高卒以上で断念・・等々の事情があったもよう。
参加させて頂いていた #爆上戦隊 #ブンブンジャー 。
先日9日の放送でファイナルとなりました。
本当に念願の #東映特撮シリーズ への参加。
ブンブンジャーを倒すことができず心残りではありますが、とても幸せな半年間でした。
欲を言えば、最後は #爆死 したかったなぁ…なんて(〃ω〃)♪… pic.twitter.com/dBm6HKK2XM— 堀部圭亮 (@keisukehoribe) February 12, 2025
堀部圭亮さんの出身地練馬区と豊玉の出身小学校、出身中学校
ここで時間を遡ります。
堀部圭亮さんは、自ら「練馬」を地元と語っています。
すなわち台東区に生まれ、小・中学校を過ごしたのは練馬区でした。
堀部圭亮@keisukehoribe
昨日の稽古終了後、小中学校時代を過ごした〝地元〟練馬へ。懐かしい同級生の皆に会ってきました♪一番会ってない友人は中学卒業以来…なんと33年振り!そらもう、ちょっとした「タイムスリップ」ですわ(^◇^;)みんな外見はすっかり変わったけど、声や喋り方は全然変わらない。話す内容も(笑) 2013年7月23日
こちらは、2013年のツイートでしたが、さらに2024年に堀部さんはある方への返信に次のように答えています。
堀部圭亮@keisukehoribe
理子さん♪小中学校時代を豊玉(練馬区)で過ごしたので、中野はちょっと足を伸ばした隣町みたいな所でした。昨日は天気もギリギリもって、楽しかったす(*’▽’*)✨2024年7月15日
このように子どもの頃に過ごした地域は練馬区の「豊玉」でした。
image
また「思い出こみゅ」によると堀部圭亮さんの出身中学は練馬区立豊玉中学校とされています。
出身中学校:練馬区立豊玉中学校
所在地:東京都練馬区豊玉南2丁目1−20
なお、豊玉中学校に進むことになる児童の多くは豊玉小学校か、豊玉南小学校ということで、いずれも豊玉中学校の近隣にあります。
よって、堀部さんの出身小学校は、推測ながら豊玉小学校、または豊玉南小学校ということになりそうです。
(参考までに練馬区立豊玉小学校)
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上記にあるように、堀部さんの中学時代は須間一也さんが同級生でした。
そして『 #フェルマーの料理 』先週(20日)放送の第1話をご覧頂きました皆さま、ありがとうございました♪劇中でご一緒したのは、中学校の同級生で「 #パワーズ 」時代の相方、 #須間一也 くんです。お互い同じ業界におりますので、現場でご一緒する機会もあるだろうと思っていましたが、→続く pic.twitter.com/MFdJge8KC0
— 堀部圭亮 (@keisukehoribe) October 28, 2023
(須間一也さんと・・)
須間一也さんは1982年に小田進也さんと「パワーズ」を結成しており、さらに1986年に2代目パートナーとして堀部圭亮さんが、「火野玉男」さんとして須間一也さんと組んだということになります。
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(2024年の『筋トレサラリーマン』にて)
細かいことながら、1882年に高校を中退して、1986年に「パワーズ」の一員になるまで堀部さんは何をしていたでしょうか。
上記の『文春オンライン』の記事によると、堀部さんは須間一也さんの父親が芸人だったので相談に行って劇場を紹介されました。
行ってみるとそこはストリップ劇場で、須間と2人で幕間にコントをやることになった。・・中略・・まったくヒットしない。それならばと自分でネタを書き始める。そのうちに劇場の人たちや観客からの反応に面白みを見つけ自信がつき出した。・・中略・・
しばらく芸人を休業して運送屋でバイトしていたところ、テレビに須間が別の相方と「パワーズ」というコンビで出ているのを見て、ショックを受ける。これを機に芸能界に戻ると決めると・・(後略)
(https://bunshun.jp/articles/-/52974 より)
ということで、堀部さんはデビューの当初から、ネタを自分で書くという作業をしていたことも分かります。
私生活では既婚。
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(ベテランの光石研さんと)
堀部圭亮さんの出身大学はなし
このような経緯で堀部圭亮さんは、大学等へは進学していません。
略歴のように、須間一弥さんと「パワーズ」、勝俣州和さんと「K2」を組んで活動していた時期もあります。
しかし上記『文春オンライン』の記事によると、本来は俳優を志望しているのでお笑いの仕事をすることには、当時、葛藤があったそうです。
自分が面白いとも思ってないことを無理やりやらされて、それがウケなくて怒られてっていう悪循環の中にいて。つまらないというよりは悔しかったです。
こうしてもろもろの試行錯誤の末、1996年に映画『弾丸ランナー』にて俳優デビュー。
『弾丸ランナー』の主演は堤真一さんで、田口トモロヲさん、麿赤児さん、大杉漣さんらが出演していました。
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このように俳優としての経歴を重ねる一方で、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』や、『タモリ倶楽部』などでも、出演するだけでなく放送作家との兼ね合いで活躍ーー
そのような経緯を知らないファンからすると、連続テレビ小説『花子とアン』 や、 大河ドラマ『花燃ゆ』などを経て、次第に認知度が高まってきたとも言えそうです。
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たいへん濃い顔といいますか、出てくるだけで一種の圧とか品格というか、役の上だけでなくこの俳優さんはどんな人? と見ている人が連想してしまうような存在感を感じます。
***
映画監督としての活躍は、2009年に公開された『悪夢のエレベーター』があります。『悪夢のエレベーター』はドラマにも舞台にもなった作品で、堀部監督のもとで内野聖陽さんや、斎藤工さんらが出演。
監督にあたっては原田眞人監督から学んだことが活かされました。
特に『クライマーズ・ハイ』でご一緒させていただいた原田眞人監督は、画面の中に映っている人でいらない人はいないんだという考え方でした。あの新聞社の広いフロアの一番奥で、いるかいないかわからないくらいの人にも役割を与えるし、あだ名まで考えていましたからね。
(http://www.cinemajournal.net/special/2009/akumu11/ より)
なおこの取材時に松田優作さんのことも聞かれており・・
「松田優作さんの何に憧れていたんだって聞かれると、何て言っていいかわからないんですけれど、ただ松田優作さんが関わっていらした作品のあの空間がいいなぁ、なんか楽しそうだなぁと思ったんですよ。」
とのこと。何かワクワクする憧れが伝わってくるようでした。
映画・ドラマ1CH
『悪夢のエレベーター』何だかワケあり気な男女4人。
助けを呼ぶこともママならない非常事態が!?Rチャンネルはすべて無料
【映画・ドラマ1CH】で見放題配信中🔽https://t.co/ruDf7R5qua#Rチャンネル #斎藤工 #内野聖陽 #悪夢のエレベーター pic.twitter.com/ZK6BHit50M— Rチャンネル<全チャンネル無料> (@rchannel_japan) March 1, 2025
なお、この取材においても、
「子どもの頃にIQ180あったというのは本当だそうで、大人になった今も論理立ててきちんと考えるタイプとお見受けします。」
とのこと。
たいへん聡明で、しかし冒険的でエネルギーを感じる俳優さんです。
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以上、簡単ですが堀部圭亮さんの出身校についてでした。