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穏やかに活躍するバイプレーヤー、池谷のぶえさん
池谷のぶえさんの学歴と出身校についてご案内します。
池谷のぶえさんは、今や各種のドラマ等でお見かけするベテラン女優さんです。
しかしご本人は、女優に向いていると思わなかったとか・・
「バイプレーヤー」という言葉には畏れ多い感じ、脇役と呼ばれるほうが落ちつくと答えていました。
茨城県取手市の出身で、地元の小学校・中学校を経て高校は東洋大付属の一つである東洋大学牛久高校に進みました。大学も東洋大学を卒業。
東洋大学牛久高等学校 ⇒ 東洋大学
東洋大学では社会学部でした。
演劇は小学校からたまたま始めた様子。中学も高校も演劇部で、東洋大学でも演劇サークルで活動し、卒業した年に劇団「猫ニャー」を旗揚げし、看板女優として活躍してきました。
現在では劇団は解散し、しかし諸々の舞台で活躍し、テレビでも多様な演技を見せています。
池谷のぶえ(本名:池谷 伸枝)
生まれ:1971年5月22日
出身:茨城県取手市
1978年:(推定)小学校入学、7歳
1984年:(推定)中学校入学、13歳
1987年:(推定)東洋大学牛久高校入学、16歳
1990年:(推定)東洋大学入学、19歳
1994年:東洋大学卒業、劇団「猫ニャー」旗揚げ、23歳
1996年:『ポセイドンのララバイ』
2004年:『たびだち』園長
2008年:連続テレビ小説『瞳』、37歳
2012年:『ふがいない僕は空を見た』桜田幸子
2013年:『高梨さん』主演
2015年:『ソロモンの偽証 前篇・事件 / 後篇・裁判』浅井敏江、『民王』闇雲郁代
2017年:『DESTINY 鎌倉ものがたり』『ひよっこ』優子の義母 、『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』
2018年:『半分、青い。』木田原幸子 、『中学聖日記』粕谷真弓 役、47歳
2020年:『浅田家!』 姫野希美
2021年:『バイプレイヤーズ 〜もしも100人の名脇役が映画を作ったら〜』本人役
2022年:『妖怪シェアハウス-白馬の王子様じゃないん怪』和良部詩子 / 座敷童子、51歳
2023年:『銀河鉄道の父』、『こむぎの満腹記』茶々店主、『コタツがない家』浅田町子
2024年:『52ヘルツのクジラたち』藤江 、『不適切にもほどがある!』九品仏人事部長、53歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
居酒屋のびえ🏮パリ支店では、1日だけランチ営業で鶏粥を提供。初めて勤めた会社で教えてもらった鶏粥を、25年後にパリで作るなんてロマンティックでした。フランスで出会った一番気に入った言葉「C’est la vie.(セ・ラヴィ=それが人生)」を、パリ支店の名前にしたいです。居酒屋セ・ラヴィ🕯 pic.twitter.com/U86WhuzOJv
— 池谷のぶえ (@iketaninobue) November 29, 2022
池谷のぶえさんの出身高校は東洋大学付属牛久高等学校
池谷のぶえさんはご本人のFacebookページによりますと出身地は茨城県の取手市。出身高校は東洋大学付属牛久高等学校であるとしています。
東洋大学付属牛久高等学校
所在地:茨城県牛久市柏田町1360−2
創立:1964年
茨城県の牛久市は県の南部にあり、たとえばJRの牛久駅からJR上野駅まで乗車すると56分というくらいの距離になります。
都内に通勤する市民もいますが、もともとの牛久沼などで知られる町で、つくば市よりは南部に位置します。
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近隣で「東洋大牛久 とうようだいうしく」と呼ばれるこちらの高校は、2015年に「東洋大学附属牛久中学校」が開かれたばかり。池谷さんの当時は高校だけでした。
池谷さんは回想のなかで中学と高校と、演劇部だったことを語っていますが、中学からの持ち上がりではなく、高校に入って新たに演劇部を選んでいます。
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【東洋大学牛久高校の大学進学実績】は、同校の公式サイトによりますと、以下となっています。2022年度入試(2021年度卒業生)の例となります。
国公立大学 22名
私立大学 861名
北海道大学 1名
筑波大学 2名
茨城大学 5名
防衛大学校 3名
早稲田大学 3名
東京理科大学 8名
立教大学 8名
法政大学 13名
東洋大学 270名 など多数(一部抜粋)
東洋大学が圧倒的に多いのは当然でしょうか。進学に力を入れる生徒は「特別進学コース」を選ぶことが多いようです。
同校はスポーツにも力を入れており、フリークライマーの野口啓代さんなど、諸々の分野のスポーツ選手を輩出しています。
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ご本人の姿勢が万事に控えめだからかもしれませんが、池谷のぶえさんが東洋大牛久高校の出身者であることは意外と知られていないように見えます。
東洋大学の付属高校としては、東洋大学のメインキャンパスのある白山に「東洋大学京北中学高等学校」があり、また兵庫県には「東洋大学附属姫路中学校・高等学校」があります。
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高校時代の池谷さんについて、2013年、もう10年以上前に池谷さんが書いたエッセイによると、こんな感じだったようです。
そう、高校受験不合格を親に告げた日、地獄と化した池谷家。
(http://blog.livedoor.jp/nikkann2-iketani/ より)
その夜、こんな地獄の中で、そこから先の人生を生きていくことにまるで希望を持てなくなった私は、この世から去ろうと思ったのである。
この部分だけ引用すると、ちょっとシリアスな場面ですが・・・
しかし前後を読むとそのころ、ご家族には深刻なトラブルがあったようですから「受験不合格」が、「こんな地獄」とイコールでもないようです。ご両親の不和や経済問題などもろもろ関連していた様子。
ともかく当時、中3の少女だった池谷さんは、「風邪を恐ろしいくらいにこじらせて」この世を去ろうと計画したようですが、妹さんへの思いもあり成し遂げなかった様子。(もちろん成し遂げられていたら、後年のファンが困ります)
前後が色々、ちょっと笑いと涙の交じるようなテキストでした。
(その後も池谷さんの、気負わずさらっと書いているテキストを数カ所、読ませていただいて、池谷さんの人柄が感じられてたいへん好感を持ちました)
そして、詮索するようで申し訳ないのですが、ともかく高校受験において近隣の公立高校は不合格で、東洋大学牛久高校に進んだということではないでしょうか
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関連してそのころ、卒業する中学校の演劇部のお別れ会を開き、みんなバラバラの高校生活になることが離れがたく、「劇団をつくって、時々公演をやろう!」と、いう話に。
これがのぶえさんの言葉を借りると「逃げ場所がひとつ、キープ」されたということ。 演劇が、子どものころから池谷さんの居場所だったことが分かります。
高校に入学してから、上記のページによると
さて、私立とはいいながらも、その当時の学校の雰囲気は質素ともいえるほど落ち着いており、地味な私にも異質感はなく溶け込めた。しかし、クラスの雰囲気がどうにもなじめなかった。
(同上)
その雰囲気とは、「あの先輩ってかっこいいよね」のような恋愛トークで盛り上がること。
そして「恋愛したとて、あんな地獄のような結婚生活が現実にあるかと思うと、夢も希望も持てないし・・」ということで、池谷さんは、一種のシェルター探しとして演劇部に入ることにしました。
東洋大学牛久高校の演劇部には当時、「夢の遊眠社」(野田秀樹氏主宰)が大好きな部長がいて、池谷さんは、夢の遊眠社「彗星の使者(ジークフリート)」のノストラダムス役を演じることになりました。
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つまり高校時代、池谷さんは東洋大牛久高校演劇部のでの活動と、中学の時の演劇部メンバーで作った「劇団29」というグループの活動との2つを兼ねながら、精力的に活動してきた模様です。
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池谷のぶえさんの出身地、茨城県取手市と出身小学校、出身中学校
池谷のぶえさんは、上記のようにFacebookに寄りますと茨城県の取手市出身ということです。
ただし出身小学校や出身中学校については今のところ、不明。
取手市内では近年、小・中学校の統合が多いそうなので、卒業した学校の名前が、現在は変わっている場合もありそうです。
取手市は、俳優の中川大志さんの出身地(育ったところ)でもあり、現在、さくらまやさんの居住地でもあります。
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ところで上記の、高校時代について引用したテキストのタイトルは、「連載小説 / 贋作 女優 池谷のぶえ〜涙の数だけ愛を知る〜」でした。生まれたときから高校時代までの項目がありました。
幼稚園のころ、子ども同士のトラブルから、のぶえさんという自分の名前が嫌いになり、「自分とは別のものになりたい」という気持ちが湧いたという話は、なるほど・・でした。
女優さんにはそんな気持ちもあるのでしょうか。
小学校時代、「お姉ちゃんかお兄ちゃんがほしい」と思った池谷さんは、小2のころ、お母さんに赤ちゃんができたということに、躁状態というくらいに喜びました。しかし、生まれてきたのはお姉ちゃんでもお兄ちゃんでもなく妹だった、ということにショックを受けたようです。
そんなこんなを超え、小4から演劇クラブに入り、小学校の高学年のときは割と元気になっていた様子。
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しかし父親がいよいよギャンブルにハマり、ご両親の喧嘩が絶えず、あるときは首を絞められた母親が助けを求める壮絶な姿を見て・・もう、自分を助けてくれる存在はこの世にいない、という不安に襲われ、抜けきれなかったとのことです。
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さらに中学に入り、仲の良い友だちに誘われて演劇部に入るものの、その友人はすぐ演劇部を辞めてしまいました。そこで池谷さんは、誘っておきながら取り残された部活を3年間全うしてやる、というばかりの意地で3年間、まったく休まずに部活を続けたそうです。
中2になる新入生歓迎公演にて、部活内のオーディションで、自分でも驚くくらいの怒鳴り声を出した池谷さんは「バイバイ!なっきー」という劇の主演に選ばれ、ますます演劇にハマっていきました。
(このあたり、すべて「連載小説 / 贋作 女優 池谷のぶえ〜涙の数だけ愛を知る〜」を参照させていただいています。そのままではありません)
ということで、学校名は分かりませんが、小学生、中学生のときの池谷のぶえさんは、ご家庭内の不穏から来る不安な気持ちを「演劇」という世界に、自分の居場所を見つけていたと言えそうです。
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ここまでほとんど、上記の「連載小説/・・」を参照していますが、『とうもろこしとひよこと私ー池谷のぶえの 気づいたことを気づいたときに気づいただけ書くブログ』にても、のぶえさんのサラッとした文章を楽しめました。
大人になって帰省してお母さんがポテトサラダを大量に作っていてくれたり・・と、ほっこりしました。
池谷のぶえさんの出身大学は東洋大学
池谷のぶえさんは、東洋大学社会学部の応用社会学科を卒業しました。マスコミ学専攻。現在で言うと、社会学部のメディアコミュニケーション学科に該当。
略歴を振り返ると、現役の1990年に入学し、4年後の1994年に卒業したことが、東洋大学によるインタビュー記事にありました。
その略歴に以下の内容があります。
1994年に演劇サークル『昏々睡々』のメンバーとともに、劇団「猫ニャー」(のちに「演劇弁当猫ニャー」)を旗揚げ、2004年の最後の10周年解散公演まで看板俳優としてすべての公演に参加。
(https://www.toyo.ac.jp/link-toyo/culture/iketani_nobue/ より)
すなわち母校のメンバーと劇団を作って、その看板女優として活躍してきました。
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東洋大学が「東洋大学」という名称になったのは1906年のことですが、創設時は、井上円了氏による「哲学館」でした。
おもな機能が都心の白山キャンパスに集まっています。学部の数は多く、また「食環境科学部」のような新しい名称の学部も目立ちます。
文学部
経済学部
経営学部
法学部
社会学部
理工学部
国際学部
国際観光学部
生命科学部
ライフデザイン学部
総合情報学部
食環境科学部
情報連携学部
近年の私立大学の傾向として第二部(夜間)を廃止・縮小の流れがありますが、東洋大学では現在もおもな学部に第二部が設置されています。
なお、東洋大学はキャンパスの都心回帰をいちはやく行ったとされています。しかし池谷さんが学生であった1990年〜1994年ころは、「社会学部」の学生は、最初の2年くらいは、埼玉県朝霞市の「朝霞キャンパス」に通学したと考えられます。
東洋大学
(井上円了記念館が映っています)
所在地:東京都文京区白山5-28-20
この地図の位置で記憶が重なる・・・と思ったら、東京03の角田晃広さんの小学校、「文京区立駒本小学校」でした。 都会ですから当然ながら・・
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なお上記の東洋大学によるインタビューで、池谷のぶえさんが「『俳優になりたい!』と思ったこともなかったですし。流れにまかせていたら、ここまで来ていました」と語っているのは、やはり驚きました。
視聴者から見たら、もはやベテランの女優さんだからです。
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大学に進んだことも「将来のイメージが漠然としていたから、もう少し考える時間がほしくて大学に進学しました」と、やはり控えめ。
そして卒業後に一旦は会社づとめをしていたとのこと。
都市計画を作る会社に就職しました。いろいろな町や村に行って住民アンケートをとって報告書にする仕事でしたが、これが私の大好きな集計作業で!学生時代に学んだ統計を活かせることもあって、すごく楽しかったです。
(同上)
なるほどです。そして・・・
そんな中で、演劇は私にとって慣れ親しんだ場所。今思えば、初めて社会に出て緊張していたので、ほっとできる場所を求めていたのかもしれません。会社と演劇の両方をやることで気持ちのバランスをとっていたのでしょう。
(同上)
やがて会社を辞め、演劇一本になっていった池谷さん。
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舞台での活躍を知らずに、ついついテレビで見かける女優さんと思ってしまったのですが、やはり舞台がホームということで「舞台に上がると、細胞が活性化するのがわかるんです。」とのこと。
このインタビュー(2019年)をたくさん引用させていただきましたが、取材した方の感想の「どんな質問にも一度ふわりと受け止める池谷さん。この懐の広さと柔軟性が、舞台でも活かされている気がします」というのが、とてもしっくりきました。
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個人的には『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』の常連さんだと思っていました。事実そうなのですが、さらに幅広い活躍をされてます。
『ソロモンの偽証 』で、富田望生さんの母親役もふんわりしていて切なくて、印象深いものでした。
#ソロモンの偽証
— 富田望生ファン (@tomitamiufan) July 28, 2020
(父)浅井洋平役 #塚地武雅 #ドランクドラゴン
(母)浅井敏江役 #池谷のぶえ
さんツイッター2020/7/24より
浅井松子役 #富田望生 さんへメッセージhttps://t.co/FND2LTFBUihttps://t.co/G9LTwCeiuj#nhk_life @nhk_life_comedy #LIFE人生に捧げるコント pic.twitter.com/qOp1BULqQ9
【池谷のぶえの「人生相談の館」】というページがあるのですが「むしろこっちが人生相談したい気持ち満々のコラム、「池谷のぶえの人生相談の館」です。」で始まるのが、たいへん微笑ましいです。お人柄が好きになりました。
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池谷のぶえさんと峯村リエさんが似ていると、たびたび言われます。お二人は共演したりお友達のようす。
以上、簡単ですが池谷のぶえさんの出身校についてでした。