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北村有起哉さんは北村和夫さんの長男
北村有起哉さんの学歴と出身校についてご案内します。
北村和夫さんの息子、北村有起哉(きたむら ゆきや)さんは、子どものころは演劇に進むことはまったく考えていなかった模様。
しかし高校時代に文化祭での体験から、次第に俳優になることを意識したとのこと。
地元の公立小・中学校を出たと考えられ、高校は都立の富士高等学校に進学。
東京都立富士高等学校 ⇒ 日本映画学校
大学受験に一度は失敗したそうですが、その後の準備をしているころに俳優になることを決心し、大学受験をやめて当時の日本映画学校に進学しました。
同校は現在では日本映画大学。
ただしご本人にとっては俳優になることが目標なので、日本映画学校と同時に俳優養成所にも入り、映画学校は1年で中退しました。
当初はどこかに所属することを避けて一人で活動し、徐々に出演の機会を得て、映画の『カンゾー先生』などでデビューしました。
その後は数え切れない出演作を重ねており、脇役でもインパクトのある俳優となり、主演作も増えています。
女優の高野志穂さんと結婚しお子さんが二人いることも知られています。
北村有起哉(きたむらゆきや)
生まれ:1974年4月29日
出身:東京都
1981年:(推定)小学校入学、7歳
1987年:(推定)中学校入学、13歳
1990年:(推定)富士高校入学、16歳
1991年:高2の文化祭でジャッキー・チェン映画の名場面、17歳
1992年:高3の文化祭で『仁義なき戦い』、18歳
1993年:(推定)高校卒業、19歳
この頃に日本映画学校に入学
1998年:『春のめざめ』、『カンゾー先生』でデビュー
2002年:舞台『幽霊はここにいる』、28歳
2005年:大河ドラマ『義経』五足
2010年:『君たちに明日はない』山下隆志、36歳
2011年:大河ドラマ『江〜姫たちの戦国』豊臣秀次、37歳
2013年:高野志穂さんと結婚、39歳
2014年:『水球ヤンキース』桑原半蔵
2016年:『太陽の蓋』初主演、42歳
2017年:連続テレビ小説『わろてんか』月の井団真、43歳
2018年:大河ドラマ『西郷どん』大山格之助
2019年:舞台『怪談 牡丹燈籠』主演、45歳
2020年:舞台『願いがかなうぐつぐつカクテル』主演、連続テレビ小説『エール』池田二郎
2021年:『ムショぼけ』主演、47歳
2022年:『終末の探偵』主演
2023年:『たそがれ優作』主演、49歳
2024年:連続テレビ小説『おむすび』米田聖人、50歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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北村有起哉さんの出身高校は東京都立富士高等学校、文化祭で父親の存在を意識する
都立の名門校、富士高等学校
北村有起哉さんは都立高校の中でも進学校の一つとして知られる富士高等学校、通称「富士高」の出身者であることが、広く知られています。
現在は、正式名も「東京都立富士高等学校・附属中学校」となり中高一貫校。2021年に高校募集を停止していますから、かつての卒業生たちが見ても、かなり様子の異なる母校となりました。
同校の創立時は「東京府立第五高等女学校」という歴史を感じさせる名称でした。
著名な「都立西高」と同校で「西・富士」と群を組み、受験生は合格するとどちらかに振り分けられるという時期もありました。東大合格者が40名を超えていた時期もあるという名門校です。
東京都立富士高等学校
所在地:東京都中野区弥生町5丁目21−1
創立:1919年
地下鉄丸ノ内線の「中野富士見町駅」が目の前というより、同校と背中合わせにそのメトロ駅があるような、中野区の街なかとなります。
女子美術大学も近隣に・・
***
歴史ある都立富士高校の出身者には、元参議院議員の安西愛子さんや、小説家の有吉佐和子さんや池澤夏樹さん、漫画家のよしながふみさんなど、多彩な人材を輩出してきました。
ベテラン女優で朝ドラにもよく出演していた佐々木すみ江さんも同校の卒業生です。
【都立富士高校の大学合格実績】は「みんなの高校情報」によると2023年の例で以下となります。
私立大学
明治大学 53名
早稲田大学 52名
芝浦工業大学 37名
立教大学 31 人
東京理科大学 25名 など多数
国立大学
東京工業大学 8名
東京都立大学 4名
横浜国立大学 3名
東大2名、京大1名 など多数
北村さんが在学したのは1990年代の初頭とみられますので、統計は現在と異なったかもしれません。東大合格者ももっと多かったかもしれません。
しかし、いずれにしても進学を前提とした名門校であることは確かでしょう。
文化祭の芝居から俳優になることを決意した北村有起哉さん
富士高校時代の北村さんのエピソードとして、文化祭で芝居をした件は有名になっています。
2021年の『ムショぼけ』で主演するときの取材によるとーー
高校2年と3年の時の文化祭の出し物で、まずはジャッキー・チェン映画の名場面をリミックスした娯楽作などを行ったと語りました。
高2では脚本・配役・演出を担当して、自分はジャッキーの師匠の役で出演もしたそうーー。
文化祭の演劇後、女子4人に告白され 北村有起哉さん – http://t.co/CH8e9A7eq2 http://t.co/moWLIjARhZ pic.twitter.com/niHODodRQf
— 告白ヒカル (@nakahika25) May 11, 2015
(中央に立っているのが北村さん)
さらに翌年(高3時)は・・
高3のときにやった『仁義なき戦い』も、主役の菅原文太さん役はちょっとかっこいいやつにやらせて、ぼくは金子信雄さんが演じていた、だらしない組長役で。それがすごく評判がよくて、(舞台の上には)『何かある』という手応えを感じたんです。クラスメートの女の子から4人も言い寄られたんです。
(https://news.yahoo.co.jp/articles/341e5180ea6b8c24f050f6785abc9e7c54b73fca? より)
単に出演するのでなく、全体をマネージメントする北村有起哉さんの手腕が伝わってくるようです。
ちなみに「言い寄られた」なかの一人と付き合って、1週間で振られたとかーー。文化祭効果はすぐなくなったと、分析しているのが冷静です。
そこで有起哉さんは俳優になることを決意するのですが、今さらながら・・
「その文化祭で、『これってもしかして、おやじもやっている仕事なのかな』と気づくんです」
(同上)
おやじとは名優、北村和夫さんのことでした。
昭和の名優、北村和夫さんと息子の有起哉さん
北村和夫さん(1927年〜2007年)は、1953年の映画『にごりえ』などから始まって、数え切れない舞台、ドラマ、映画等々で活躍してきた大俳優です。
リアルタイムで和夫さんの映画を観た世代・・は現在、少ないかもしれません。
【あの人の戦争体験 #北村和夫 さん】
きょうが命日の北村さん。勤労動員先で予科練の生徒に学生が殴られたことに憤りを覚えます。
「大講堂で工場長に向かって『純真な学生が一生懸命働いているのに、ぶん殴るとは何事だ!』って怒鳴っちゃった」。#戦争証言アーカイブスhttps://t.co/IwRaOfxKB5 pic.twitter.com/YCJeAWqDE0
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) May 5, 2024
北村和夫さんは大河ドラマにも、1963年の『花の生涯』から2006年の『功名が辻』まで14回も出演しています。
NHKの連続テレビ小説にも、これまで4回出ていますが、分かり易いのは2024年に再放送の『ちゅらさん』の「一風館」の住人の一人、島田さんとして登場・・・
こんな偉大な方が、父親でした。
しかし、先ほどのインタビューの続きによると・・
うちは放任主義だったので、『お前も何か出てみるか?』と誘われたことは一切なかった。学校でも(父のことは)話題にならなかったですね。友だちに『お前の父ちゃん俳優なんだって?』と聞かれて仕方なく名前を言っても、『知らねえな』という反応でした。(同上)
そういうものなのか分かりませんが、ともかく息子としては「父に関する話はあまりしたくなかった。それはおやじの話であって、ぼくのじゃないですから」と、いたって淡白。
しかし、上記のように俳優になろうと決意してから、父のことを調べるとその存在がのしかかってきたそうです。
よって、父親のいる所を外して所属先を探して、結果的にどこにも所属せずに渡り歩くことになりました。
その当初に日本映画学校にも入って(後述)、一年で辞めました。
多忙だったお父さんとの思い出はあまりない、とも、2019年の『スマートFLASH』で語っています。
「僕は高校生くらいでした。新宿・紀伊國屋書店の地下だったかな。2人でざるそばを食べていたら、親父が『そば湯ちょうだい』って大声で叫んだんです。当時は、そば湯なんて知らなかったから、妙に粋に見えたんですよね」
(https://smart-flash.jp/entame/80287/1/1/)
2世として注目されることを嫌った、北村さんらしいコメントです。
一方で、2015年の「マイナビ転職」の記事では次のようにも述べています。
役者を志し、父に頼らずにそれなりの努力はしてきました。でも常に、父は隣にある『そこそこ高い山』的な存在でした。比べてもしょうがないし、何をもって父を超えたかどうかという基準もないのですが、ずっと意識していたのは確か。
(https://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/heroes_file/138/ より)
このときは、2014年に有起哉さんにお子さんが生まれた後の取材なので、父親となった自分という位置からも、父のことを振り返っていました。
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追記:2024年11月8日の「あさイチ」出演時には、お子さんたちが10歳4歳くらいであること、お子さんたちをできるだけキャンプなど外に連れ出すよう務めていること、などが語られました。
お子さんたちに、自分の職業をあまり知られたくないとか、子どもには俳優の仕事をしてほしくないことなど・・充実したお話を聞ける時間でした。
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北村有起哉さんの出身地東京都と出身小学校、出身中学校
ここで子どものころに時間は遡ります。
北村和夫さんが東京都出身で早稲田大学を出て活動してきたことから、有起哉さんが都内で育ったことは確かなようです。
ちなみに北村さんのお姉さんの北村由里さんも女優となっています。お姉さんが二人おられて有起哉さんは末っ子。
出身校については「思い出こみゅ」で小学校は「杉並区立杉並第二小学校」とされています。
また中学校は、「杉並区立東田中学校」という説がありますが、こちらは情報元がよく分かりません。よってどちらもまだ確定はできません。
出身小学校:杉並区立杉並第二小学校?
所在地:東京都杉並区成田西3丁目4−1
杉並第二小学校は先述の都立富士高等学校とは3〜4キロ程度の距離です。
また、杉並第二小学校のすぐ東、善福寺川を挟んで対岸のほうには、上記の東田中学校が見えています。
したがって北村さんが子どものころに特に転校などなく、この地域で育ったとしたら、杉並第二小 ⇒ 東田中学 という流れは信憑性が高いように見えます。
出身中学校:杉並区立東田中学校?
所在地:東京都杉並区成田東3丁目19−17
ということで、お子さんのころの北村さんはこの地域で過ごしており、かつ高校時代も同じ家だとすると、高校も車や自転車で20分もかからないような生活圏で暮らしていた・・と想像できます。
ちなみに上記コメントでは「中学、高校とバスケ漬けで、演劇なんてカッコ悪いくらいに思っていた」ともありますから、中学時代はバスケットに熱中していたことでしょう。
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北村有起哉さんの出身大学はなし、日本映画学校に入学
北村さんの高校卒業後については各所の記事で述べているように、端的には以下となるようです。
「大学受験に失敗し、日本映画学校に入学。同時に、俳優養成所にも通いはじめる。」
(https://smart-flash.jp/entame/80287/1/1/ より)
日本映画学校は進学先でもあったけれど、進んだ先は複数あり、日本映画学校と俳優養成所が、ご本人にとっては同列だったと言えそうです。
◯俳優養成所の詳細は不明
◯日本映画学校は、内村光良さんのページにありますように、時代により名前が変わってきました。
横浜放送映画専門学院
↓
日本映画学校(1985年)
↓
日本映画大学(2011年)
ということで、1993年に高校を卒業した北村さんが、その年か翌年かは分かりませんが、その前後に入学した時点では、「日本映画学校」でした。
日本映画大学
所在地:神奈川県川崎市麻生区万福寺1丁目16−30
ここでは「日本映画大学」とともに、「今川昌平記念スタジオ」の文字が光っています。今川昌平氏は、北村和夫さんにとっても仕事の同士でした。
出川哲朗さんも同校の卒業生で、当時はまだ横浜放送映画専門学院でした。なお、上記のように北村さんは日本映画大学を一年ほどでやめています。
「地方から上京してきた同級生は、入学できただけで舞い上がっていましたが、僕は冷ややかでした。父親が役者の家で育っているから、そんなに簡単に俳優になれるなんて思っていなかったんです」
(https://smart-flash.jp/entame/80287/1/1/)
また、「養成所でも『北村和夫の二世が入った』とあっという間に広まって、本当にイヤだった」と述べています。
この辺りが、北村さんの冷静なところ。かつ、複雑なこだわりや、陰影を背負った人物を演じることのできる実力、につながっているような気がします。
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なお北村有起哉さんというと関連用語のように「京都大学」という語句が出てくるのは、何らかの契機があったことでしょう。間違いであり、そうなった理由は分かりません。
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デビュー作は、略歴にあるように1998年の『春のめざめ』と『カンゾー先生』でした。
『カンゾー先生』と言えば、麻生久美子さんが、新人から一気に有名になった出世作でもあります。
この麻生さんと、北村さんは、2024年の連続テレビ小説『おむすび』で夫婦役を演じるわけで、26年を隔てて、互いに芸歴を重ねてきた同士の貫禄が感じられます。
(追記:麻生さんによるとその時、北村さんは撮影の雑用と役者とを両方やっていたそうで、その理由は北村和夫さんと幼馴染だった今川昌平監督が、この世界を厳しさを北村有起哉さんに指導していた・・という背景があるそうです。 上記の2024年11月8日の「あさイチ」出演時の話)
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個人的には2011年の『江〜姫たちの戦国』で豊臣秀次を演じた北村さんの姿がたいへん印象に残っています。
豊臣秀次という人物には、描き甲斐もあるでしょうけれど、やはり危うい闇の部分を感じます。
北村有起哉 | NHK人物録 https://t.co/KlsotrqJmv
>『#真田丸 』で同じ秀次を演じた新納慎也くんが、脚本の三谷幸喜さんから「(演じる前に)北村くんの秀次だけは見ておいてくれ」と言われたようで。『真田丸』で描かれた秀次は『江』の秀次と同じ方向性だった
😭 pic.twitter.com/LaeybPyObx— ルルフ (@hervorruf) December 21, 2017
ここにもあるように、『真田丸』で豊臣秀次を演じたのが、新納慎也さんでした。
一方で2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公は豊臣秀長で、こちらは優秀な人物。仲野太賀さんの主演となります。
秀長と秀次では陽と陰とシンプルに言っては語弊があるけれど、ともかく歴史の表と裏のような側面があります。
個人的にはその仄暗い感じの秀次を演じた時に初めて北村有起哉さんを知ったため、そもそも印象深かった記憶があります。
なお、「PASONICA JPN」さんの記事によると、大森南朋さんと北村有起哉さんは、子どものころに遊んだことがあるそうです。北村さんは覚えていないとか・・
しかし、1972年生まれの大森さんは学年で3つほど、北村さんの年上で、どちらも親が芸能人ということで、子どものころに接点があったことは充分考えられます。
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ところで奥さんの高野志穂さんは2002年の連続テレビ小説『さくら』で主演しており、ピチピチに眩しいようなヒロイン「さくら」でした。
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朝ドラのヒロインを務めた後の女優さんたちは、活動の様子はそれぞれ異なります。しかし高野志穂さんの場合、比較的のびやかに活動してきたように見えます。
(北村さんは密かに朝ドラのヒロインの、相手役は難しくともヒロインの父親役をやりたいとずっと願ってきたそうです。しかし、よく考えると、「ヒロインの相手」を高野さんとの間にリアルに実現していたのでした)
2013年に、北村さんの公園でのプロポーズを受けて結婚した後、子育て等で活動を控えていた時期もあるようです。
しかし2021年に、Amazonプライムのコマーシャルで有起哉さんと夫婦役で出演したときは、あらためて注目されました。
北村有起哉さんは、主演に限らず脇役としても存在感の半端ない人物だと感じており、ますます期待しています。
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以上、簡単ですが北村有起哉さんの出身校についてでした。