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正名僕蔵さんは「名脇役」で「名バイプレーヤー」
正名僕蔵さんの学歴と出身校についてご案内します。
ありとあらゆる(?)場面でお見かけする俳優さんの一人、正名僕蔵(まさなぼくぞう)さん。
『大人計画』の一人で、諸々のドラマ等で広く用いられています。
川崎市の出身と言われ、小・中学校についてはよく分かりませんが、地元の公立高校の光陵高校から青山学院に進み、学生の間に『大人計画』のオーディションに合格し芸能活動をはじめました。
神奈川県立光陵高等学校 ⇒ 青山学院大学
青山学院では、仏文学を専攻。
卒業後は『大人計画』の一員として継続的に劇団活動をしてきました。
その演技はやがて「名脇役」と言われ、昨今ではさらに「名バイプレーヤー」とされています。出演作はあまりに多く、挙げきれません。
正名僕蔵(まさな ぼくぞう 本名・正名文夫)
生まれ: 1970年8月11日
出身:神奈川県川崎市
1977年:(推定)小学校入学、7歳
1983年:(推定)中学校入学、13歳
1986年:(推定)光陵高校入学、16歳
1989年:(推定)青山学院大学入学、19歳
1992年:大人計画に入団、22歳
1993年:(推定)大学卒業、23歳
1996年:『金田一少年の事件簿』米村
1999年:『恋愛詐欺師』塚本
2000年:『ショムニ』岡野玄蔵、30歳
2001年:『HERO』(第1シリーズ、その後も)井戸秀二
2007年:『それでもボクはやってない』大森光明裁判官、『生徒諸君!』 野村信二
2009年:『ジェネラル・ルージュの凱旋』磯部信也
2011年:『DOCTORS〜最強の名医〜』(その後も)佐々井圭、41歳
2012年:『遺留捜査』(その後も)仙堂卓巳、『梅ちゃん先生』
2017年:『嫌われる勇気』梶準之助、『アシガール』
2019年:『おっさんずラブ-in the sky』烏丸孫三郎
2020年:『エール』三隅忠人
2021年:『真犯人フラグ』太田黒芳、51歳
2022年:『PICU 小児集中治療室』浮田彰
2023年:『ブラックポストマン』江口道夫
2024年:『彩の国シェイクスピア・シリーズ』ポローニアス
2025年:大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 松葉屋 、55歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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正名僕蔵さんの出身高校は神奈川県立光陵高等学校
活動歴の長い正名僕蔵さんは、神奈川県の公立高校である光陵高等学校の出身が広く知られています。
出身高校:神奈川県立光陵高等学校
所在地:横浜市保土ケ谷区権太坂一丁目7番1号
創立:1966年
同校の名前は、近ごろ名付けられた高校のような新しい印象もあります。
しかし設立の細かい経緯のなかで学校名が検討された時に、地名にちなんで、「権太坂(ごんたさか)高校」も候補だったけれど、女子生徒が猛反対したとか・・
ちょっと分かる気がしました。ちなみに権太坂は、東海道の名所だそうです。
しかし同校の大きな特徴は、横浜国立大学教育学部にやがて附属高等学校を設置するという計画があり、その前提で作られたこと。
よって特に当初は「横浜国立大学附属中学」からの進学者が大半を占めていました。ただし実際は、同校は国立に移管することなく神奈川県立となっています。
一方で2009年以降は、横浜国立大学教育学部附属横浜中学校との中・高一貫教育が実施されています。
いずれにしても、正名さんの時代は設立当初でもなく、また中高一貫教育でもなくいわばふつうの高校と言える時代だったと言えそうです。
【光陵高等学校の大学合格実績】は、「みんなの高校情報」から抜粋すると、2024年の実例として以下となります。
国立大学
横浜国立大学 21名
横浜市立大学 19名
東京海洋大学 4名
筑波大学 3名 など多数
私立大学
明治大学 119名
法政大学 105名
神奈川大学 78名
明治学院大学 74名
青山学院大学 67名
日本大学 53名 など多数
正名さんの場合、高校受験は40年近く前のことですが現在と大きく変わらないと推定すると、青山学院大学は同校の卒業生にとって代表的な進学先の大学と言えます。
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話は逸れますが、国立大学の付属高校の生徒は、付属校というだけでその大学に進めるわけではありません。
昨今、悠仁さまの進学問題が、過剰ともいえるほどマスコミを賑わせています。
しかし一般論の原則に戻って考えると、筑波大学附属高校の生徒が筑波大学に進学する(進学できる)わけでも、お茶の水女子大学附属高校の生徒がお茶の水女子大学に進学する(進学できる)わけでもありません。(一部の高大連携の特別なパターンを除く)
ということで、光陵高等学校は横浜国立大学の附属高校ではありませんが・・・、事実としては、かなりの数の生徒が横浜国大に進学しているーーという現状も分かります。
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高校時代の「正名文夫」さんは、中学まで100点しか取らないような優等生だったものが、高校では勉強することの意味を感じなくなり、ご本人いわく「急にガラガラと崩れて」いった時期のようです。
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(2024年の舞台『う蝕』)
とはいえ現役で青山学院に進学していますから、よほど優等生的な蓄えがあったと言えそうです。
・・ところが、県立の進学校入学後は勉強する意味を見失い、反抗期に突入。一転、家電量販店にわざわざ足を運び、売り物のテレビで多数のアイドルを輩出した「夕やけニャンニャン」を見るという、独特な青春時代を過ごす。
(https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/07/23/kiji/K20150723010784790.html より)
また、「高校思い出クリック」という朝日新聞の記事では、かつての同級生が正名さんのことを、次のように語っていました。
「黒縁の牛乳瓶の底のようなメガネでおしゃれとは言えなかったけど、飾らない人柄で誰とでも気軽に話せるやつでした」
・・中略・・
「敷かれたレールの上を歩むタイプではなかったけど、まさか演劇とは……」
(https://www.asahi.com/articles/ASR6N5JFMR27ULOB01B.html)
この記事によると、ドラマの『ショムニ』や『それでもボクはやってない』などで知名度が高まり、かつての同級生が、テレビに正名さんの姿をみつけて驚いたとのこと。
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正名僕蔵さんの出身地川崎市と出身小学校、出身中学校
正名僕蔵さんについて、子どもの頃の学校関係はほとんど分かっていません。
1992年から活躍しているため、むしろ、かつての資料は現在確認できないという傾向もあります。
よって小学校名、中学校名は今のところ不明。
出身が神奈川県、また詳しくは川崎市ということで、ふつうに考えると地元の川崎市立の小学校や中学校に通っていたと想像されます。
高校が上記のように保土ケ谷区の権太坂で、そこに通学することは、川崎市内からごくふつうの範囲に見えますから、川崎市のどこに住んでいたということも・・特に根拠はありません。
しかし、正名さんに関してかつてから言われてきた確かなことは「神童と呼ばれた」こと。
つまり、たいへん真面目に勉強して、成績のよいお子さんでした。
・・しかしそのストイックな生活が奏功してか、中学生時代は神童と呼ばれるくらいお勉強ができた。主要五科目はいつも満点が当たり前のオール5(音楽や体育は意外やそうでもなかったらしい)だった。
(『ぴあニュース』正名僕蔵、中産階級的演技の味わい より)
ここのストイックな生活というのは、テレビの故障をきっかけに、家庭では10年くらいテレビなしの生活を送っていたという話ーー。
上記は2019年のインタビューですが、その前に2007年に『生徒諸君!』にて先生役を演じたときの取材でも同様のコメントがあります。
実は、中学校時代のわたしは、神童と呼ばれてまして。あの、怒ってもらっていいんですよ(笑)。・・中略・・
テストで百点取るのが当たり前で、98点とか取ると先生が教室に来て、「正名、なんかあったのか」なんて心配される中学生でした。
(『生徒諸君』職員室 正名僕蔵さんインタビュー より)
そんな優秀な正名さんですから、おそらく近隣の公立高校のなかでも高いランキングを保持している光陵高等学校に進学した、ということでしょう。
ところで、「正名さん」の苗字は、やはり珍しいのでしょうか。「名字由来ネット」のページによると、「正名さん」は全国に50人くらい・・とのことでした。(どうやって統計をとるのでしょう?)
かなり少数です。
一方で「僕蔵さん」のほうは芸名で、松尾スズキさんらと相談して決めたとのこと。画数が多く、古いイメージの名前を付けたようです。
また、私生活では既婚となっています。
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正名僕蔵さんの出身大学は青山学院大学
正名さんは、このように青山学院大学の文学部に進学しました。
仏文という、文学部の典型のような専攻。
青山学院大学
所在地:東京都渋谷区渋谷4丁目4−25
青山学院は文字通りの都心で、「渋谷ヒカリエ」から数百メートルに瀟洒なキャンパスが広がります
名前の通り地域の名前「青山」にあるミッション系の大学。
学部は以下の通りの文系・理系を備える総合大学となります
文学部
教育人間科学部
経済学部
法学部
経営学部
国際政治経済学部
総合文化政策学部
理工学部
社会情報学部
地球社会共生学部
コミュニティ人間科学部
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学生時代の正名さんは、当時のエピソードを振り返るとひたすら勉強というより、かなり自由な感覚で楽しんでいた模様ーー。
学園祭のパフォーマンスで、着物を着て包丁を持って踊ったり、白塗りに着物で唐十郎さんの舞台を観に行ったり・・
そして卒業の前年に、結果として『大人計画』のオーディションに受かったことがその後の道を決めることになりました。
「大学3年の頃に友人がたまたま連れて行ってくれたのが、大人計画の舞台でした。そこで客演されていた女優さんがとても可愛くて……一目ぼれですね。そのタイミングで劇団員募集のチラシを見まして、オーディションに受かったら、あの方とお会いできるのでは?と考えたんです」
(『スポニチ』転機は「HERO」 正名僕蔵 “一目ぼれ女優”に会いたくて俳優に より)
その女優さんというのは「大人計画」に客演していた戸村由香さんだそうです。
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こうして大人計画の一員となった正名さんにとって90年代は、様々なドラマに出演して「あれは誰?」と気づかれ始めた時期でした。
さらに2000年代になると、『ショムニ』と『HERO』などで知名度が格段と高まりました。
『HERO』では2002年版では正名さんは庁舎の守衛役でした。しかし2014年の第2シリーズでは、その後資格を取って、検察事務官になっていたーーという物語性までありました。
正名僕蔵さん、
・2001年 検察庁警備員(HERO1期)
・2014年 検察事務官(HERO2期)
・2022年 裁判長この20年でずいぶん出世したね#元彼の遺言状 pic.twitter.com/cUMf0CaZyn
— いいとこどり (@iitokodori) June 13, 2022
「居酒屋で一人飲んでいた時に隣のお客さんに声をかけられたり、街中で喧嘩していたカップルがたまたま私に気付いて“HEROの人ですよね!?”と、喧嘩が収まったり。認知度というものを初めて肌で感じて“HEROってすげえ!”と思いました」
(同上)
また、2007年の『それでもボクはやってない』において演じた裁判官の演技も、理知的で落ち着いた空気を醸し出しており、さらに正名さんの評価を高めたようです。
先述の「中産階級的演技の味わい」の記事で著者は「小津映画で求められるような中産階級的演技が似合う俳優はなかなかいないので、ぜひそのラインを掘り下げてほしい」と述べており・・
まさに的を射た期待感だと思いました。
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その後も朝ドラなどにも、ごく自然に出演してきました。
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2025年には大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』にも出演しており、ベテランとはいえまだ50代なかばですから、さらに活躍されることでしょう。
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以上、簡単ですが正名僕蔵さんの出身校についてでした。