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対馬で育ち「歌手になる」と宣言していたMISIA(ミーシャ)さん
MISIA(ミーシャ)さんの学歴と出身校についてご案内します。
MISIA(ミーシャ)さんは今や日本を代表する女性歌手と言えます。
(MISIAさんは逸話もファンも多いため情報が豊かで、このページでご案内する出身校についてすべて、当該校の出身者として周知されており、根拠は省略しています)
MISIAというアーティスト名にはASIAの方々に音楽を届けたいという想いが込められています。本名をネット上で見かけますが、ご本人は公開していません。
ただし小児科医である母親が「伊藤瑞子さん」として報道されました。ご本人いわくMISIAは本名と似ているそうです。
長崎県の出身で、大村市で生まれたあと医師である父親の「離島に新しい医療を」という意向でご家族で対馬に移りました。
そこでMISIAさんは小・中学校の大半を対馬の地元の公立校で過ごし、福岡に移ったあと、高校は福岡市にある公立の香住丘高校に進学しました。
福岡県立香住丘高校 ⇒ 西南学院大学
高校時代には黒人のボイストレーナーに師事しており、オーディションにも応募し、福岡市の私立大学、西南学院大学に進学後まもなく上京し、活動を続けました。
上京の翌年にあたる1998年にシングル『つつみ込むように…』でデビュー。
人気は草の根的に盛り上がったとされ、同年のアルバム『Mother Father Brother Sister』がメガ・セールスを記録しました。
その後もソロ・アーティストとして活動し、テレビへの出演はほとんどありませんでしたが、『めざましテレビ』でロングインタビューを受けたり、ご本人も憧れていたという『徹子の部屋』への出演もあり、しだいに幅広く知られるようになりました。
近年はNHK紅白歌合戦にも連続出演し、大トリを務めるスターとなっています。
MISIA(ミーシャ) 本名非公開
生まれ: 1978年7月7日
出身:長崎県対馬市
1983年ころ:家族で対馬に移住、5歳
1985年:(推定)厳原小学校入学、7歳
1991年:(推定)厳原中学校入学、13歳
1993年:(推定)福岡市の吉塚中学校に転校
1994年:(推定)香住丘高校入学、16歳
1997年:(推定)西南学院大学入学、19歳、上京
1998年:『つつみ込むように…』でデビュー、『Mother Father Brother Sister』、20歳
1999年:初ツアー「THE TOUR OF MISIA」開催、21歳
2005年:『愛・地球博』に出演、27歳
2008年:「Child AFRICA」立ち上げ、『めざましテレビ』で地上波初出演、30歳
2012年:NHK紅白歌合戦、出場、34歳
2013年:第5回アフリカ開発会議・名誉大使
2015年:NHK紅白歌合戦、長崎から中継、37歳
2018年:『徹子の部屋』、 澄和Futurist賞受賞、40歳
2019年:NHK紅白歌合戦、紅組トリ(レインボーフラッグを掲げる)
2020年:「LOVE RAINBOW TRAIN」ラジオ番組
2021年:東京オリンピックの開会式「君が代」独唱、43歳
2023年:『徹子の部屋』
2024年:NHK紅白歌合戦、大トリ、46歳
(ここではMISIAさんのシングル、アルバム等の詳細は省略しています。紅白歌合戦出場も一部のみ抜粋しています)
その他、発表、公演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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(2025年5月)
MISIA(ミーシャ)さんの出身高校は福岡県立香住丘(かすみがおか)高校
MISIA(ミーシャ)さんは、福岡市にある県立高校の香住丘高校に進学したことが知られています。
出身高校:福岡県立香住丘(かすみがおか)高等学校
所在地:福岡市東区香住ヶ丘1丁目26−1
同校は福岡市の中でも東区で、「夫婦の宮、香椎宮」にも近く、近隣に九州産業大学や福岡女子大学などがあるという一帯です。
設立が1984年という比較的新しい公立高校。
普通科と英語科があります。
MISIAさんは、同校の代表的な出身者となっています。
ところで福岡県の高校には私立・公立ともにいわゆる偏差値ランキングのトップ校が多数あります。
公立だけに絞っても、次のような高校が挙げられています。
修猷館高校
福岡高校
筑紫丘高校
明善高校
東筑高校
明善高校
城南高校
春日高校・・
これらに続いて、小倉高校 、城南高校等とともに香住丘高校も進学校とされます。
【香住丘高校の大学合格実績】は、「みんなの高校情報」から一部を抜粋すると、2023年の例で以下となっていました。
国公立大学
北九州市立大学 54名
九州工業大学 43名
九州大学 42名
佐賀大学 41名
長崎大学 28名 など多数
私立大学
福岡大学 662名
西南学院大学 550名
九州産業大学 107名
福岡工業大学 90名
中村学園大学 58名
立命館大学 39名 など多数
福岡大学662名という数には驚きますが、延べ人数なのでしょう。
進学先という意味では、同校において多数の生徒が進学している西南学院大学にMISIAさんは進みました。
ただし高校時代にMISIAさんは、ひたすら音楽を目指して応募していたと考えられ、また大学も後に辞めていることから、一般的な意味での選択とは微妙に違っていたかもしれません。
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(2023年)
MISIAさんの出身地長崎県「対馬」と出身小学校、出身中学校(厳原・いづはら地区)
対馬は、歴史的にも意味ある立場を通過してきた独特の地域。
俯瞰すれば、韓半島と日本のちょうど中間くらいに位置しており、江戸時代には出島とは別の立場で物流の一つの基点だったことも伝わっています。
周知のように対馬は福岡県に近いようで長崎県に属します。
城巡りファンにとっては人気の隠れた名城、金田城跡もあります。
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島として対馬の市は対馬市のみ。
地理的に対馬はかなりの部分が山地であり、厳原(いづはら)地区が最大の市街地となっています。また小・中学校は、2022年の確認によると中学校が11校、小学校が15校。
***
対馬でのミーシャさんの出身校は、以下の小・中学校であることが知られています。
出身小学校:対馬市立厳原(いづはら)小学校
所在地:長崎県対馬市厳原町天道茂446
同校の歴史は古く1600年代から学校が作られていました。1874年に「第五大学区第四中学区厳原小学校」として開校。
その後のたくさんの名称変更を経て、2004年からは市町村合併によって現在の「対馬市立厳原小学校」となりました。
出身中学校:対馬市立厳原(いづはら)中学校
所在地:長崎県対馬市厳原町桟原27
両校は、名前も共通するように1キロくらいの間にあります。
MISIA(ミーシャ)さんはこちらから、中学3年の途中で福岡市へ転校したことが知られています。
家族で対馬に移ったことについて母親の伊藤瑞子さんは、取材で以下のように語りました。
家族で長崎県の対馬に渡ったのは、長男が中学2年、長女が中学1年、次女が5歳のときです。長崎は離島の多い県ですから、緊急時には、
・・中略・・
それでも、現地で最新の治療をしたほうがいい。離島医療や地域医療の中核となる病院に勤めて、夫はそう考えるようになったのでしょう。
(https://fujinkoron.jp/articles/-/5582 より)
離島の対馬にて、まさに夫婦は地域医療に貢献したのでした。
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(2021年3月11日 航空自衛隊 松島基地 でのスペシャルライヴ )
対馬から福岡へ、転校先は福岡市の吉塚(よしづか)中学校
MISIA(ミーシャ)さんが中学時代に転校した先は、福岡市博多区にある吉塚中学校でした。
福岡市立吉塚中学校
所在地:福岡市博多区吉塚5丁目10−6
同校は、開校が1960年で比較的遅いのですが、開校当初は1270人という生徒数も、現在では四分の一以下となっているそうです。
博多区ながら、東区にある上記の県立香住丘高校に比較的近く、MISIA(ミーシャ)さんにとって、香住丘高校が、地理的にも自然な進学先だったようです。
MISIAさんが同校の代表的な卒業生となっています。
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先述のように、医師としての使命を持って対馬に行ったご一家でした。
MISIAさんにとっては14歳までが対馬だったことになります。
家族は、よく知られるように、ご両親が医師である他に・・
兄・・医師
姉・・歯科医
ということでお医者さん一家と言えます。
また、3人兄妹の末っ子ということになります。
ところで余計なお世話的な発想ながら、医者一家の家庭でミーシャさんは、医師にならなければ(?)というプレッシャーはなかったのでしょうか?
じつはむしろ、ミーシャさんはその資質を見抜いていたご家族から守られて、後押しされて育っていたようです。
上記の母、伊藤瑞子さんの取材記事から、ミーシャさんの様子ーー。
子どもが大好きで、対馬にいたころも、夏休みの間などによく病院の保育所を手伝いにきていました。幼いころから音楽に興味を持ち、対馬では合唱団にも入って。発表会を一緒に観に行ったら、知らないうちに一人で入団申し込みに行っていたんです。(笑)
小学6年のときには、もう「歌手になる」と宣言していたので、家族も彼女の歌を楽しんだり、レッスン先を探したりして応援しました。
(同上)
また、この記事の中で、次女(ミーシャさん)の語ったこととして、次の言葉がありました。
「私は子どものままで死にたくない。だから私が大人になるまで戦争をしないで。戦争をさせない大人になるから」
単に死にたくないのでなく、戦争をさせない大人になるという・・
子どもの頃からこんな発想をしていたMISIAさんだからこそ、後年の、Child AFRICA(チャイルド・アフリカ)の立ち上げや、JICAから「JICA-TICADオフィシャルサポーター」に任命されるという・・諸々の活動につながっているのでしょう。
ちなみに母親の伊藤瑞子さんは71歳で大学院へ進み「育児の共有」をテーマに研究を進めました。
母子ともに並々ならぬパワーがあるようです。
***
ところでNHKの【ドキュメント72時間】の2022年2月に放送された「福岡 あの日の遊園地は永遠に」において、ミーシャさんは、ナレーションを務めました。
その遊園地とは、2021年末に閉園した『かしいかえん』のことで、ミーシャさんは同番組で「遊園地 近くの高校出身」と紹介されていました。
余談ながら【ドキュメント72時間】は、個人的にもたいへん面白いです。
偶然(?)そこにやってきた方々のエピソードをカメラが捉えているだけですが、どんな場所にもどんな人にもドラマがある・・とあらためて思わされます。
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(2023年)
MISIA(ミーシャ)さんの出身大学は西南学院大学
MISIA(ミーシャ)さんは、1997年に上京して音楽活動に向かうわけですが、その前に西南学院大学に入学したことが知られています。
のちに退学したとはいえ、MISIAさんは財津和夫さんや米倉斉加年さんらとともに、西南学院大学の代表的な出身者の一人とされています。
旧制の時代には小説家の川上宗薫もこちらの卒業生でした。
西南学院大学は名前が示すようにキリスト教関連の大学で、当初は1916年に男子の私立中学校として創立されました。
戦後に新制大学としてスタートし、学部は以下の通り。
神学部
外国語学部
商学部
経済学部
法学部
人間科学部
国際文化部
文学部(現在は募集停止)
出身大学:西南学院大学
所在地:福岡市早良区西新6丁目2−92
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略歴のように、MISIA(ミーシャ)さんは、1997年のうちに東京で活動するようになり、翌年にはシングルの『つつみ込むように…』でデビュー。
しかも同年のアルバムの『Mother Father Brother Sister』は250万枚を超えるメガ・セールス・・という目覚ましい活躍が始まります。
ところで『西日本新聞』の「福岡スタア倶楽部」という過去の記事を掘り起こして紹介するコーナーで、たいへん興味深い1998年7月9日の記事がありました。
これによると、当時、MISIAさんは「西南学院大在籍」となっています。
つまり細かいことですが、上京といっても退学して東京へ行ったわけではなさそうです。
97年春、福岡市で開かれたオーディションがきっかけでスカウトされ、上京。今年2月のデビュー・シングル「つつみ込むように…」は60万枚のヒット、2枚目「陽のあたる場所」も順調だ。アメリカの黒人音楽・リズム&ブルース(R&B)の歌姫は西南学院大在籍のシンデレラガールだ。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/981628/ より)
記事の続きによると、R&Bとの出合いは、対馬の厳原町の少年少女合唱団にいたころだそうです。
「歌を習いたくなって、中学3年の時に一人で福岡に来て、ボイススクールに行ったんですよ。サントラの中の曲を練習していたら、黒人の先生が気に入ってくださって、先生が辞められた後も個人レッスンについてたんです」
ということで、福岡に移ったのは当時一人だった様子。
上記の母親、伊藤瑞子さんの記事でも長男、長女さんの受験に関連して、お二人は瑞子さんの実家から通学する時期もあったようです。
このように伊藤さんご一家は、微妙に調節しながら医師の仕事とお子さんの教育を完遂したということでしょう。
―スカウトされておよそ1年。デビューして、CDがヒットして、驚いているのでは?
徐々にやっていけたらと思ってたんで、びっくりしますね。でも、音楽に関しては運が強い方だと思います。だから、何があっても歌い続ける、音楽に対する強い気持ちを持ち続けていられたらいいなって思います。(同上)
この取材のときに、まだ20歳のミーシャさんです。
その後、27年くらい経った2025年最近の記事・・
福岡へ移住した中学3年生からはオーディションを受けるが、「落とされまくる」日々。「書類だけで落ちる」こともあれば、「20歳までにデビューしたい」と考えていたことから、「20歳までにデビューできるっていう確約はできません。今回はなしにしましょう」と告げられたこともあったそうだ。
当時、MISIAは「何にもやりたくない」と沈んでいたそうだが、そんな折、「父が駅で、オーディションのビラが電信柱に貼ってあったみたいで、それをベリってはがして『あったぞ!』」と持ってきたとのこと。
(2025年5月『ENCOUNT編集部』 両親は医者、兄は医学部、姉は歯学部…“異端”MISIAの意外過ぎるデビューのきっかけに共演者「すごいなぁ」 より)
当時、このようにご家族に応援されていたことがよく分かります。
翌1999年以降の活動とディスコグラフィは、ここに挙げきれないものとなっています。
略歴にあるように、これまで『徹子の部屋』には2回出演しており、2018年に出演したときは、ことさら注目されました。
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19歳でデビューし今年で20年。これまでテレビに滅多に出なかったため、その素顔はほとんど知られていないが、実は子どもの頃から黒柳徹子の大ファンで、デビューの頃からの夢はこの『徹子の部屋』に出ること。以前、コンサートに清水ミチコを招き、『徹子の部屋』に出たことを想定した予行演習までしていたという。
(『Tverプラス』2018.01.18 歌姫・MISIAが念願の『徹子の部屋』に初出演!意外な素顔も披露 より)
『徹子の部屋』の予行演習というのは・・清水ミチコさんの顔が浮かんできて、ちょっと笑ってしまいました。
黒柳徹子さんもユニセフで活動を続けており、ミーシャさんもアフリカを訪問し援助活動行っており、そこには黒柳さんの影響もあったそうです。
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NHK紅白歌合戦でいうと、2018年以降毎年出演しており、紅白の形態が微妙に変わる中ですが、実質の『トリ』をずっと続けています。
1年遅れて開催された「東京オリンピック」の開会式にて堂々と「君が代」を独唱した姿も、多くの視聴者にとって記念碑的なものでした。
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年齢不詳のようにも見えますが、まだ40代。
まだまだこれからが楽しみです。
まもなく!夕方5時から#MISIA星空のラジオSundaySunset
🌟\ひさしぶりの生放送/🌟#DJWATARAI さんによる
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— Misia.jp (@MISIA) June 1, 2025
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以上、簡単ですがMISIA(ミーシャ)さんの出身校についてでした。