はじめは歌手だった寝屋川出身の中村ゆりさん
中村ゆりさんの学歴と出身校についてご案内します。
大阪府寝屋川市出身の中村ゆりさんは、14歳の中学生のとき、当時の人気番組『ASAYAN』の歌手オーディションに合格しました。
同じ歳の伊澤真理さんと「YURIMARI」を結成し、高校で上京したあとに歌手デビュー。
小・中学校は地元の公立校と見られ、高校では歌手デビューのために上京しました。
高校は定時制だった都立の代々木高校を卒業したと見られます。ただし、代々木高校の前に、私立の女子校に入学した可能性もありそうです(後述)。
都立代々木高校 ⇒ 進学せず
高校時代は歌手としてシングル6枚アルバム1枚を発表しましたが、翌年にデュオは解散し、少しの間を置いて女優としてデビュー。
その間には自身の無力さを感じる時期もあった様子ながら次第に映画やドラマ、舞台と広い分野で活躍を続けてきました。
出演作が多いことはよく知られています。
中村ゆり (なかむらゆり)
生まれ: 1982年3月15日
出身:大阪府寝屋川市
1988年:(推定)小学校入学、6歳
1994年:(推定)第三中学校入学、12歳
1996年:『ASAYAN』オーディションに合格、デュオ「YURIMARI」結成、14歳
1997年:(推定)都内で高校入学、15歳
1998年:歌手デビュー
1999年:YURIMARI解散、17歳
2001年?:高校卒業
2003年:女優活動開始、『偶然にも最悪な少年』アオイ、21歳
2007年:『パッチギ! LOVE&PEACE』キョンジャ、『天国からのラブレター』主演
2008年:『音女 025 「そばだてるオトメ』怜奈
2009年:『めおん』主演、『セレぶり3』ミチコマン、27歳
2011年:連続テレビ小説『おひさま』野中タエ
2013年:『そして父になる』宮崎祥子 、31歳
2014年:『医龍4〜Team Medical Dragon〜』 樋口美雪
2015年:『ディアーディアー』主演 、『探偵の探偵』織田彩音 、33歳
2017年:連続テレビ小説『わろてんか』 お夕、35歳
2018年:『平成細雪』蒔岡妙子
2020年:『今夜はコの字で』浅香航大さんとW主演、『エール』永田ユリカ 、38歳
2021年:『DIVOC-12 海にそらごと』主演、『SUPER RICH』今吉零子
2023年:『市子』川辺なつみ、「嘘八百 なにわ夢の陣」、41歳
2024年:『マイダイアリー』富田緑 、42歳
2025年:『119エマージェンシーコール』高千穂一葉、43歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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中村ゆりさんの出身高校は都立代々木高校
中村ゆりさんは上京したのちに都立代々木高校を卒業したとされ、卒業生の一人に挙げられています。
都立代々木高等学校は、三部制課程(午前、午後、夜間)からなる定時制高校でした。三部のいずれも4年制で、校則や制服がない自由な校風として、また芸能人の出身校としてもよく知られていました。
原田美枝子さん、中谷美紀さん、仙道敦子さん、中居正広さん、木村拓哉さん、山本耕史さん、・・といった、ベテラン世代の芸能人が通っていたことでも知られます。
同校は2001年に統合されて世田谷泉高等学校となりました。
中村ゆりさんは、定時制で仮に4年で卒業したとすると2001年のことで、まだ代々木高校が存続していた時期です。
さらに最後の最後あたりに卒業したとみられるのが松山ケンイチさんです。
東京都立代々木高等学校(現在は別の法人の所在地)
所在地:東京都渋谷区上原二丁目2番地20号
創立:1957年
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なお、中村ゆりさんは東京で女子校に通っていたという説もあるようです。
ただし情報ソースが不明で、テレビ出演時にそういうことを語っていた話があるのかもしれません。
いずれにしても、確かなことが分かれば追記させていただきます。
代々木高校が間違いないとして、その前に芸能活動が可能な環境で女子校に通ってから転校した、という可能性もあるということ。
現在は共学になったけれど2017年以前は女子校だった八雲学園(高畑充希さん、満島ひかりさんらの出身校)や、2005年以前は女子校だった日出高校などに入学したーーそんな可能性も考えられます。
都立代々木高校では、卒業生の面々を見ても、著名人が元の高校から芸能生活上の理由で同校に転校(定時制を選んだ)したという例が多々あります。
***
高校時代は中村ゆりさんにとって、歌手としての活動時期でした。
YURIMARI(ユリマリ)とは、構成員のYURI(ゆり)が中村友理さんこと中村ゆりさん。
もう一人のMARI(まり)が伊澤真理さんで、後に内田真理さんとなりました。
この二人の1stシングルは1998年2月の発売で1998年に4回、1999年に2回シングルを出しています。
しかしYURIMARI(ユリマリ)は1999年に解散していますから、この時期はたいへん慌ただしい時期だったと考えられます。
中村さんがYURIMARI(ユリマリ)を結成したのは、「ASAYAN」という番組の音楽オーディションで合格した14歳の、まだ中学生でした。そしていわゆるアイドルだったのは14歳から17歳の時期でした。
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(こちらは2014年)
当時の葛藤をこのように語ったことがあります。
一つのことを継続していくためには努力が必要なんだと身につまされた3年半でした。最初は、『自分はラッキーだ!』と思って、大人の方から言われたことをきちんとやればよいぐらいに思っていましたが、レッスンをした期間も短く、テレビに出演しても、努力と実力が伴っていない、みたいな違和感が、徐々に大きくなっていったんです。
(https://dot.asahi.com/articles/-/41607 より)
高1くらいの少女にとって最初は順調でも、もろもろの課題が生まれるのは当然だったかもしれません。
少しの期間を開けて、女優を始めるのは2003年のことになります。
中村ゆりさんの出身地寝屋川市と出身小学校、出身中学校
子どものころは「寝屋川市出身」ということは有名。
2022年には「大阪城夢祭」のオープニングセレモニーにも出席し「関西出身の人に『寝屋川です』と言うと急に距離感縮まるんです」と語ったこともあります。
ちなみにその「大阪城夢祭」では中村さんも出演した映画『嘘八百 なにわ夢の陣』が大阪城に纏わる話として紹介されました。
同じく2024年に『劇場版 鬼平犯科帳 血闘』での舞台挨拶でも「大阪府寝屋川市香里園出身です」と語っています。
出身小学校の前に、では寝屋川市とはどこかというと・・
寝屋川市
大阪から京都方向に向かって、守口市、寝屋川市、枚方市と続くなかの市の一つ。大阪府の中心部との距離は、逆方向の堺市などと同じくらいと言っていいでしょうか。
その寝屋川市でも「香里園」が中村ゆりさんの出身地となっており、香里園は寝屋川市でも北のほうの枚方市との境になります。
出身小学校は今のところ分かりません。
ネット上には埼玉の某小学校の名前も出ていますが、流石にそれは間違いでしょう。
出身中学は公式に明らかにされたわけではありませんが、個人の方のツイートでこんな情報もあります。
taka G.I.@96kampf
中村ゆりさんは中学の後輩です。寝屋川市立第三中学校。いや会った事は無いんです。15歳も離れてるし。いい女優さんですよね。
2019年8月31日
寝屋川市立第三中学校は、住所は田井町ながら、京阪本線の香里園駅にも近く一帯が香里園の地名が付いていることから、信憑性が高いと思われます。
出身中学校:寝屋川市立第三中学校
所在地:大阪府寝屋川市田井町17−3
第三中学校の最も近くには寝屋川市立田井小学校などがあり、これらの近辺の小学校が中村さんの出身小学校だった可能性はあるでしょう。
***
小・中学校時代の中村ゆりさんにとって、高校受験を前にして『ASAYAN』のオーディションで選出され、「YURIMARI」を結成したことは大転換期でした。
ゆりさんがたまたまテレビをつけると、大阪でオーディションが開かれるという情報がありました。
子供だった私は、『こんな魅力的なお話があるんだ!』と思いました(笑)。私でも知っている大きな事務所がバックアップしてくれて、受かったら東京に出られる。しかも、とくに書類を送ることもなく、会場に行って書類を提出しさえすればその日に公開オーディションに参加できるか結果が出たんです。
(https://dot.asahi.com/articles/-/41607 より)
それはワクワクしたことでしょう。
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(その頃?)
一方で
「早く仕事をして、自立しなければ という思いだけはあったんです」
とも語っており、しっかりした中学生でした。
学校でもこのオークションは話題になっており、他に受けると宣言している子もいたそうです。
私は恥ずかしかったので、家族にだけ伝え、一人で会場に向かいました。歌もダンスも何も真剣にやったことのない私が、本当に運良く選んでいただき、中学の卒業後すぐに上京しました。 (同上)
ここから高校以降の上京につながります。
中村ゆりさんの出身大学はなし
このように中学生の時にチャンスがあり、高校で音楽活動をしてきた中村さんです。
大学等へは進学していません。
上京して芸能界に入ったころは「無理しているな」と感じる部分はあったそうです。
1999年にYURIMARIを解散したころの話ーー。
・・でも、うまくいかずユニットは解散して一人になりました。それから何年かは、それまでの人生で一番、自分の無力さに恐怖を感じた時期でした。なぜかというと、自分にできることが何もないんです。
(https://www.asahi.com/and/article/20200110/8870111/)
これは、2020年に『今夜はコの字で』で主演するときのインタビュー。
「アルバイトをしてもレジ打ち一つできない」
ということで、社会に適応できていないことを身にしみて感じたそうです。しかしその体験はよかったと・・・
もしアイドルとしてそこそこうまくいっていたとしたら芸能界しか知らない人生を送っていただろうし、何百円かの時給をもらうことがどれだけ大変かを知ることができたことは、今の仕事にとても生きていると思います。(同上)
この取材のなかで「地元の友人たちがわざわざチケットを買って、私の舞台を見に来てくれる」ことを感謝していたのが印象的です。
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(2024年)
ユニット解散後には積極的に舞台を観に行ったとのことーー。
社会に対してメッセージのあるものが好きなんだと自覚したころに、映画のオーディションを受けることになり、やがて2007年の『パッチギ! LOVE&PEACE』が出世作となります。
井筒和幸監督は彼女のことを、「沢尻エリカを蹴落とすことができる演技力を持つ逸材」と評した。
(https://dot.asahi.com/articles/-/41607)
この作品では沢尻エリカさんが前編で演じた役を中村さんが引き継いだ形ーー。
パッチギ! LOVE&PEACE(2007)
舞台を74年の東京へ移した、井筒和幸監督の大ヒット青春ドラマ「パッチギ!」の続編。親子三代に渡り苦難を乗り越えて生き抜く一家を清々しく描く。主演の2人には2200人のオーディションから選ばれた井坂俊哉と中村ゆり。前作同様俳優の瑞々しい演技が光っています。 pic.twitter.com/UhNDS2pPPS— 放送作家ジュン おすすめ映画 (@2eJbSBx8Y6aAfab) July 28, 2020
この『パッチギ! LOVE&PEACE』では、在日女優である李慶子を演じ、ストーリー上で「芸能界ってなぜ『在日』を隠すの?」というセリフも反響があったようです。
しかし、
「出身を隠すつもりはないけど、わざわざ『在日です』と主張することもない」
という(https://www.j-cast.com/2007/05/29008004.html)まさに、その言葉通りと思われます。韓国籍で、ご家庭では父が在日3世、母が韓国生まれとのこと。
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2015年に『探偵の探偵』に出演したときは、『ASAYAN』出身女優・中村ゆり「美しすぎる脇役」としてネット上で話題に・・(Aolニュース)という記事もありました。
だが、脇役やゲストが続くのは出演作が途切れなくても毎回新鮮で、飽きられないメリットもある。そういう意味では”美しすぎる脇役”は良いポジションではある。
ーーというのは書いた方の主観的な言葉ですが、その状況は絶妙なバランスでその後も続いているようにも見えます。
***
メインキャストが多いとは言えないながら、やはり中村ゆりさんの出演作の多さには感嘆します。
その後も周知の通り、舞台に映画に活躍を続けることになりました。
朝ドラも『おひさま』から始まって『エール』で5回目。
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たくさんの役を演じてきた中村さんが40歳を迎えるころのインタビューです。
お芝居には正解がないので、一生勉強だろうなという覚悟をしています。子供の頃は勉強が大嫌いだった私が、お芝居の勉強は、楽しくて仕方がないんです。・・・中略・・映画や舞台、ドラマでも、せっかくやるからには、どこかで社会的な弱者に寄り添っていたい気持ちもあります。
(https://dot.asahi.com/articles/-/41578)
そんな中村さんには、まだまだ主演をはじめ多くの舞台が待っているようです。
2024年でいえば、『マイダイアリー』で清原果耶のさんに不思議な存在として寄り添い、その正体を問い詰められたときは「私、よくある顔だから・・」のようにさり気なく振る舞っている様子が、さすがでした。
マイダイアリーで主人公の隣人役で出てる中村ゆりさんのこの感じが好きすぎる pic.twitter.com/zBOxE8aQtZ
— 最寄りのPEACE🕊️ (@nearestpeace) November 10, 2024
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以上、簡単ですが今後の幅広い演技を特に期待している中村ゆりさんの出身校についてでした。ご高覧ありがとうございます。