椿鬼奴さんは「代官山育ち」のお嬢さま
椿鬼奴(つばき おにやっこ)さんの学歴と出身校についてご案内します。
椿鬼奴さんはお笑いタレントで、女優としても活躍しています。
東京都渋谷区の出身で、地元の公立小学校を卒業したあと、横浜市にある私立の名門校で中学、高校時代を過ごしました。
その「桐蔭学園」は、スポーツでも進学面でも秀逸であると知られています。特に椿鬼奴さんが在学した当時は、現在よりも生徒数も多く、東大合格者数なども特に目立っていた時代のようです(後述)。
しかし当時の鬼奴さんは、あまり勉学には意識が向かなかったようで、現役の受験では多数の大学に落ちて一狼し、翌年、清泉女子大学に入学しました。
桐蔭学園中学校・高等学校 ⇒ 清泉女子大学
大学入学の時期と、家庭の事情で経済的に苦しくなったときが微妙に重なっています。
教育実習には行っても教員になる手続きもせず、将来のことは未定のまま大学を卒業したっようす。
卒業後はアルバイトやOL生活を経て、東京NSC4期生となり、26歳でデビューしました。
その後、20数年の活躍となっています。
椿鬼奴(つばき おにやっこ・本名:宮崎雅代)
生まれ:1972年4月15日
出身:東京都渋谷区
1979年:(推定)猿楽小学校入学、7歳
1985年:(推定)桐蔭学園中学校入学、13歳
1988年:(推定)桐蔭学園高校入学(内部進学)、16歳
1991年:(推定)桐蔭学園高校卒業、19歳
1992年:(推定)清泉女子大学入学、20歳 横浜に3人で転居
1996年:(推定)大学卒業(就職はせず)、24歳
1998年:(推定)アルバイトを経てOLになる、東京NSC4期生に入学、26歳
2002年:キュートン(kyuton)が結成され5名の一人となる、30歳
2005年:M-1グランプリ出場(増谷キートンとのコンビ『BODY』)、33歳
2006年:M-1グランプリで準決勝(2007年も)
2010年:『週刊ポスト』でグラビア、38歳
2013年:『ビッチ』主演
2014年:「椿鬼奴15周年リサイタル」
2015年:佐藤大さんと婚姻届、43歳
2018年:『家政夫のミタゾノ』平野らむ 、46歳
2020年:『シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う』加賀佳恵、48歳
2022年:『スロパチTV』、50歳
2023年:『日曜の夜ぐらいは…』」宝くじ売り場の店員
2024年:『ミス・ターゲット』司会者 、52歳
その他、出演など多数 (本名は「CDジャーナル」にて公開されています)
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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椿鬼奴さんの出身高校は桐蔭学園高等学校
椿鬼奴さんは桐蔭学園中学校・高等学校に入学したことが分っています。つまり、出身高校と出身中学がともに桐蔭学園となります。
桐蔭学園高校は、創立は1964年でかつては男女別学でしたが、2018年から男女共学となっています。
椿鬼奴さんの当時は別学で、かつピーク時の1992年には東大合格者が114名というデータと照らし合わせると、椿さんの高校時代(1988〜1991年)は、まさに超絶な進学校でした。
桐蔭学園高等学校
所在地:横浜市青葉区鉄(くろがね)町1614
同じキャンパスに、登録上は同じ住所となる小学校も中学校もあります。
また、桐蔭横浜大学も同じ敷地となっています。
最近の状況としては・・
【桐蔭学園高等学校の大学合格実績】は「みんなの高校情報」から抜粋すると、2022年の場合で、以下となっています。
国立大学
横浜国立大学 46名
東京都立大学 28名
東大3名はじめ旧帝大 12名
その他の国立 91名 など多数
私立大学
日本大学 426名
明治大学 338名
中央大学 286名
法政大学 268名
青山学院 240名
早稲田大学 169名
慶応大学 162名 など多数
東大に100名以上進学していた時代とは多少異なるようですが、そうは言っても同校が進学に力を入れている様子が分かります。
***
椿鬼奴さんの高校時代はひたすら弓道部で、弓道で神奈川県大会優勝という実績を挙げました。
一方で、よく知られているようにあまり勉強しなかった様子。
中1の勉強の基礎も分からなかった・・的なことが伝説的に言われています。しかし、その中学に入るためには中学受験を勝ち抜いたことは確かでしょう。
世の中でバブル崩壊が始まったとされる1990年、1991年ころと椿鬼奴さんの高校時代の後半が重なるようです。
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(ご本人に寄る公開)
椿鬼奴さんの出身地東京都渋谷と出身小学校、出身中学校
上記のように、椿鬼奴さんは中学は桐蔭学園中学校に入学し、そのまま内部進学で桐蔭学園高校に進んでいます。
その前に出身小学校はというと「思い出こみゅ」サイトなどで、渋谷区立猿楽(さるがく)小学校とされています。
また、個人の方のブログなど(https://ameblo.jp/fab-hawaii2/entry-12752689746.html)で、同校の卒業生に元総理の福田康夫氏、石黒賢さんなどと並んで、椿鬼奴さんがいることが記されています。
出身小学校:渋谷区立猿楽(さるがく)小学校
所在地:東京都渋谷区猿楽町12番35号
こちらは住所では猿楽町ながら、地図で明らかなように近隣は八幡通りを挟んでほぼ代官山。
俯瞰すると渋谷駅よりも恵比寿駅に近いくらいで、山種美術館にも近いたいへん落ち着いた地域であることがうかがえます。
渋谷区立猿楽小学校同校は創立が1916年という歴史を持ち、都心のゆえか(?)児童総数が2011年の場合で200名という規模となっています。
なお椿さんは、「生まれてすぐに埼玉から東京に転居。最初は中目黒。小学校のときに代官山に」と、2024年9月の『鬼越トマホークのYoutubeチャンネル』にて語りました。
たしかに小学校は「代官山」です。
また2024年8月の『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』に出演したときは、以下の紹介もあり、子どもの頃の椿鬼奴さんを端的に表しています。
東京・代官山生まれのお嬢様と紹介され、「すみません、私、幼少期に代官山で育ちまして」と照れ笑い。
スタジオに「ええーっ!?」と驚きの声があがる中、「親が凄く食道楽だったので、六本木や銀座に食べに行ったりで、給食がちょっと食べれなかった」と語った。
(https://www.daily.co.jp/gossip/2024/08/24/0018041870.shtml より)
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中学は、上記のように高校まで一貫の桐蔭学園に進学しました。
父が「良い学校に行かせたい」と中学受験をさせ、神奈川の進学校、桐蔭学園に合格したという。
「当時、あんまり塾に行っている子供がいなくて、クラスで1人か2人で。友達が放課後遊ぶのに、私は塾があるからっていうのが嫌で。
(『デイリー新潮』椿鬼奴 セレブ街育ちで名門進学校を卒業してた!実名告白 デーモン閣下ややくみつる氏もOB より)
しかし父親から「2年頑張れば、一生勉強しなくていい」といった言葉でなだめられ、受験勉強に取り組んだそうです。
上記のように桐蔭学園が進学実績も特に輝いていた時代でしたから、中学受験を突破したのは、小学生としてかなり勉強に頑張ったことが分かります。
出身中学校:桐蔭学園中学校
所在地:神奈川県横浜市青葉区鉄町1614
桐蔭学園は全体として広い敷地に、立派な建物が並んでいます。
なお、「桐蔭学園中学校女子部中等教育学校」というのは、現在は共学のため「桐蔭学園中等教育学校」が正式名となっています。
さらに桐蔭学園公式サイトの説明に寄ると、「桐蔭学園中等教育学校」は男女共学の完全一貫校で6年間同じメンバー。
一方で、「桐蔭学園高校」は公立中学からの入学者で構成されるとのこと。
ちょっと複雑。
よって過去の卒業生について、当時はどんな様子だったかを想像するのは、微妙に難しいという印象を受けました。
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(パチンコ好き、お酒好きもよく知られています)
椿鬼奴さんの出身大学は清泉女子大学
このように、中学・高校で6年間を過ごしその間、あまり勉強に熱心でなかったという椿鬼奴さんです。
一説では現役のときは、20校以上の大学を不合格・・という話もあります。ただし細かい点については伝説的な情報も混じっているかもしれません。
いずれ、一浪を経て清泉女子大学に入学しました。
清泉女子大学
所在地:東京都品川区東五反田3丁目16−21
清泉女子大学のキャンパスは、品川にあり「城南五山」である「島津山」に建物が建ちます。
「旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館(清泉女子大学本館)」として東京都指定有形文化財の一つに指定されています。
地図をレイヤで見ると明らかなように、清泉女子大学周辺のみが周囲から丘として盛り上がっており、閑静な住宅街の近隣に建つ洋館が、たいへんお洒落な様子です。
清泉女子大学は戦前も清泉寮学院という教育機関を設けていましたが、大学として設立したのは1950年のこと。
設立母体が聖心侍女修道会、ということで、気になって確認しましたが名前の似ている聖心女子大学は当然ながら別の設立母体でした。
母体
清泉女子大学・・・聖心侍女修道会
聖心女子大学・・・女子修道会「聖心会」
清泉女子大学の出身者には小川糸さん、女優の范文雀さんらがいます。(聖心女子大学の出身が緒方貞子さん、曽野綾子さん、水野真紀さんなどとなります。)
清泉女子大学ではこれまで学部は「文学部」のみで、日本語日本文学科など5個の科に分かれていました。
ただし、2025年度の入学者からは、「総合文化学部」と「地球市民学部」に分かれます。こんな実例にも時代の流れを感じます。
また、清泉女子大学には姉妹校として清泉女学院大学と清泉女学院短期大学がありますが、この2校はいずれも長野市にあります。
***
学生時代には、椿鬼奴さんは日本語日本文学科にいたと見られ、教員免許取得に必要な国語の教育実習も受けました。ただし、教員免許は取らなかったそうです。
学生時代、教育実習も経験した椿だが、「教員免許の取得の仕方が分からない」とそのまま放置し取得に至っていないというから驚きである。
(https://japan.techinsight.jp/2014/02/23tomoko107.html より)
またこの記事では、「肉まん1つを買い食いしたところ地元の住人に通報され、お店に先生が車で乗り付けて捕まえられた」というエピソードも紹介されています。
こちらは2014年2月の【エンタがビタミン♪】での話で、当時、「今年こそ結婚しようかな」とも語っていました。そして実際2014年の末には佐藤大さんとの交際が報道され、2015年5月には婚姻届を出しました。
佐藤大さんはお笑いトリオ「グランジ」の一人で、1980年生まれ、秋田県立金足農業高等学校を卒業しました。
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椿さんの略歴に戻ると、高校の途中までかなり裕福な家庭だったようです。ことにバブル時代は父親の株の利益が膨大でしたが、バブルが崩壊し父親が株で大損した結果、自宅マンションを売却したり、ご両親が離婚したりで、20歳ころは変動機だったもよう。
大学入学の年に、母と弟との3人で日吉に移転し、学生時代はアルバイトをしていました。
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(「徹子の部屋」は昔から大好き・・)
卒業後には、アルバイトをしたりOLになったり・・・
そんな時に、『ケイコとマナブ』掲載の吉本興業の芸人養成所を発見(友人が)。結局、東京NSC4期生になりました。
「友達が“ケイコとマナブ”でNSC(吉本総合芸能学院)を見つけて、お笑いの学校があるよと教えてくれたんです。それで、とりあえずお稽古ごと感覚で応募して、週に2回3回、会社を早退させてもらって通っていました」
(2014年『ルーフトップ』椿鬼奴、15周年記念リサイタルに乾杯!! より)
東京NSCに入ってから、やがて仕事も止めてお笑いの道でデビューし、今日までずっと活躍しています。
音楽好きは知られており、「大学に入ってから遊ぶ友達の影響で洋楽を沢山聴くようになった」とも。
椿鬼奴samaが寄せてるのか、明菜さんが寄せてるのかわからないくらい似てる
ファンとして愛のあるモノマネで嬉しい pic.twitter.com/ykZZC0TdsX— なお (@kikkntmy5172) September 16, 2024
少なくとも2014年のインタビューでは、女優業については・・
「いや、あれは全然。オファーがあったらやりますけど、自分からやろうとは思わないですかね。どちらかといえば歌の方がやりたいです。
(https://rooftop1976.com/interview/140401163101.php)
と言っていましたが、その後の長い活動の中では、各種のドラマにも出演し、多様な表情を見せてくれています。
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以上、簡単ですが椿鬼奴さんの出身校についてでした。