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小野田紀美さんは身長も姉妹も実家も注目される
小野田紀美さんの学歴と出身校についてご案内します。
小野田紀美さんの出身校については、2025年10月現在で参議院の公式サイトですべて明らかとなっています。
【邑久町立裳掛小学校、清心中学校、清心女子高等学校、拓殖大学政経学部政治学科卒業。】
よってこのページではその都度根拠を示しませんが、すべて確定事項と言えます。
「邑久町立裳掛小学校」の「邑久町(おくちょう)」とは、岡山県の現在の瀬戸内市となった町のこと。竹久夢二の出身地でもあります。
その邑久町の小学校に通い、中学と高校は岡山県倉敷市にある「清心中学校、清心女子高等学校」を経て、大学は東京の拓殖大学に進学しました。
清心中学校・清心女子高等学校 ⇒ 拓殖大学
拓殖大学では政経学部の政治学科でした。
多様な職業を経験した後に、2011年に東京都北区議会の区議となり、2016年に参議院議員となりました。
その後、いくつかの要職を経て2025年の高市内閣で内閣府特命担当大臣となりました。
父親がアメリカ人で日本人の母に育てられたことや、アニメ好きのオタクであることなど、諸々の話題を持つ人物でもあり、期待されています。
小野田紀美さんの身長については、公式サイトでの記述は見ていませんが、2016年の「東スポ」では記事タイトルで【身長170センチのハーフ美女議員・小野田紀美氏の熱血すぎる素顔】とされています。
結婚はしておらず、その予定はないという発言も見られました。
小野田紀美(おのだ きみ)
生まれ:1982年12月7日
出身:シカゴ生まれ、現在の瀬戸内市で育つ
1989年:(推定)裳掛小学校入学、7歳
1995年:(推定)清心中学校入学、13歳
1998年:(推定)清心女子高校入学、16歳
2001年:(推定)拓殖大学入学、19歳
2005年:大学卒業
2005年〜2007年:ソニー銀座プレイステーションアテンダント、塾講師、モデル等
2008〜2010年:アスガルドにて広報プロモーション、制作、ブッキング
2010年:TOKYO自民党政経塾5期生
2011年:東京都北区議会議員選挙、初当選
2015年:北区議再選
2016年:第24回参議院議員選挙当選
2020年:法務大臣政務官に就任
2022年:参院選岡山選挙区で2回目の当選、防衛大臣政務官
2023年:子宮筋腫により子宮全摘出手術
2024年:参議院外交防衛委員長
2025年:参議院内閣委員長、内閣府特命担当大臣
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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小野田紀美さんの出身高校は清心女子高等学校、倉敷市にある私立高校
小野田さんは、中学と高校を清心中学校・清心女子高等学校で過ごしました。
同校は「学校法人ノートルダム清心学園」が運営し、岡山市にある「ノートルダム清心女子大学」の系列校です。
名前の通り長いこと女子校でしたが、2027年度以降は共学化されることが決まっています。
出身高校:清心女子高等学校
所在地:岡山県倉敷市二子1200
創立:1886年
同校は、倉敷市でもやや岡山市よりとなり、JRの駅でいうと近い駅は「中庄」駅となります。
【清心女子高等学校の大学合格実績】は、「みんなの高校情報」から一部を抜粋すると、2025年の例で以下となっています。
国立大学
岡山大学 5名
愛媛大学 3名
香川大学 1名
お茶の水女子大学 1名 など多数
私立大学
ノートルダム清心女子大学 53名
川崎医療福祉大学 7名
関西学院大学 6名
上智大学 6名
近畿大学 4名 など多数
系列校のノートルダム清心女子大学はやはり多いのですが、圧倒的ということでもなさそう。
関東の大学へは多いとは言えません。しかし小野田さんは政治学部のある拓殖大学に進学しました。

***
なお、同校の系列校である「ノートルダム清心中学校・高等学校」が広島市の西区にあり、「ノートルダム清心中学校・高等学校」から東大に進んだのが、NHKアナウンサーの中山果奈さんです。
また、同じ清心女子中学の出身者にシンガー・ソングライターのアンジェラ・アキさんがいます。アンジェラ・アキさんは中学のみで高校はハワイに移りました。
年齢の比較が想像できなかったのですが、アンジェラ・アキさんは1977年生まれで、小野田さんより5歳ほど年長になります。
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(2022年 吉備中央町にて)
小野田紀美さんの出身地岡山県邑久町(おくちょう)虫明と出身小学校(裳掛もかけ小)、出身中学校(清心中)
小野田紀美さんは、アメリカのシカゴで生まれた後、現在の瀬戸内市にあたる岡山県の邑久町の虫明(むしあげ)というところで育ちました。
日本に来たのが1歳、アメリカ人の父がいなくなったのが2歳ころとされます。

(画像引用元 https://onodakimi.com/profile/)
写真に1984の表記があり、2歳ころと見られます。
なおご家族はお母さんと、妹さんが一人。
今日は行事が多く重なっていて秘書さんと手分けしても厳しかったので、急遽妹が高梁のイベント会場まで送迎してくれました。そのうえ帰りに誕生日だからとスタバをご馳走してくれました…なんだよ…お姉ちゃん妹のそういう優しさに弱いんだよ…有難う(´;ω;`) pic.twitter.com/c28IWF2Kh6
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) December 7, 2019
妹さんは小野田紀美さんによく似ているようです。
小野田紀美@岡山@onoda_kimi
妹がお腹の中にいる時に父親が蒸発したんですがなにか?そもそも共同親権反対派ではなく「親権」という親の強い権利自体に疑問を持っています。権利は子供にあるべきで、親は「監護責任」であるべきという派です。 午後2:49 · 2022年5月6日
(小野田さんのツイートはご本人が非公式というくらいですから、コメントは前後の会話の流れがあるという前提での引用となります。)
また2019年のツイートではお母さんとお墓掃除に行かれたときの様子がありました。
今年は実家の墓掃除に参加できました!またしてもフル装備。母と2人で家からとことこ歩く事5分。近くの山の奥にお墓があるのですが、昔ながらのお墓もあるので、敷地が…広いんですよね…なんとか全部綺麗にできました!吹き出る汗がとまらない…皆様熱中症には十分お気をつけ下さいませ。 pic.twitter.com/c9LuHtH4Vh
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) August 13, 2019
「母」については別のツイートで「安倍総理と私の母は同じ歳です。」ということで、1954年生まれと考えられます。
なお、ツイートのアカウントには上記のように下記の但し書き・・
「本人だけど非公式。Twitterでは個人的な趣味や日常話も多いのでご注意下さい。 オフィシャルはFBにて。」
***
出身小学校と中学校は以下となります。
出身小学校:瀬戸内市立裳掛(もかけ)小学校
所在地:岡山県瀬戸内市邑久町虫明2
上記のように、中学は高校と同じ系列の清心中学校でした。
出身中学校:清心中学校
所在地:岡山県倉敷市二子1200
なお、小野田紀美さんの公式サイトでは、「60秒で分かる小野田紀美」というタイトルで、以下の概略が記されています。(03〜07は2行くらいのテキスト省略)
01 アメリカに生まれる
わんぱくで冒険を好み、いつも危険な場所に行こうとしては母を困らせる子供だった
02 岡山に育てられた幼少期
1歳から岡山に。ドラゴンボールや戦隊モノに憧れ、私もいつか正義の味方になるんだ!という夢を持つ。
03 政治家になると決意
04 民間で働く
05 地方議員時代
06 参議院議員として
07 法務大臣政務官に
子ども時代の小野田紀美さんは、「私もいつか正義の味方になるんだ!」という、将来の政治家としてあまりに真っ当な希望をいだいていたと言えそうです。
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(2019年の誕生日にて)
小野田紀美さんの出身大学は拓殖大学、文字通りの「政治学科」卒業
小野田紀美さんは拓殖大学に進みました。
上記の「03 政治家になると決意」の部分には紀美さんの少女のころの写真とセットになっており、まさ子どもの頃から政治家を目指していたと考えられます。
そして、文字通りの【政経学部政治学科】を卒業していますから、じつにストレートにその道を進んでいます。
出身大学:拓殖大学 (文教キャンパス)
所在地:東京都文京区小日向3丁目4−14
拓殖大学は、1900年の設立当初は「台湾協会学校」でした。
つまり、台湾の開拓のための人材を育成する教育機関でした。
そもそも「拓殖」とは殖民地を開拓しそこに移り住むという意味から来ています。大学名の変遷はありましたが、1952年以降は「拓殖大学」となりました。
学部は以下の学部を持つ総合大学となっています。
商学部
政経学部
外国語学部
国際学部
工学部
キャンパスは商学部、政経学部のある「文教キャンパス」の他に、「八王子国際キャンパス」があり、外国語学部、工学部、国際学部は八王子となります。
小野田さんは政経学部でしたから、文京キャンパスに通ったと考えられます。
拓殖大学の初代総長は桂太郎氏で、歴代総長のなかには中曽根康弘氏も、森本敏氏もいました。森山未來さんは拓殖大学を中退しました。
出身者には、プロのスポーツ選手も多いのですが、国会議員も多数輩出してきました。井脇ノブ子さんや新党大地を作った鈴木宗男氏も須藤元気氏も出身者となります。
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卒業後の民間時代を経て政治家に
小野田さんは2005年に大学を卒業し、その後は上記の公式サイトによると以下の経緯となります。
2005年〜2007年
ソニー銀座プレイステーションアテンダント、塾講師、雑誌編集、モデル等
2008〜2010年
株式会社アスガルド(honeybee)にて広報プロモーション、制作、ブッキング
大学卒業から2011年に地方議員になるまで、6年くらいの「民間で働く」期間だったと言えます。
この時期について上記公式サイトの「詳しいプロフィール」では次のように述べていました。
「25歳までは被選挙権がないから、それまでは色々な職種や業務形態で仕事をして社会を知ろう」と、塾講師、雑誌編集、ショールームアテンダント等々、バイトや契約社員や派遣で働いた後、せっかくなら好きな事を仕事にしようとCDゲーム制作会社で制作や広報PRとして働く。
その前の部分では、
「地盤・看板・鞄」何一つ持たない自分がどうやって現代の世で政治家を目指せばいいのか」
答えが出なかったとーー
それは素人にも充分に想像がつくことです。
さらに
「・・もはやタレント議員しか道はないのでは?とモデルなどのバイトをするも迷走。」
ということで、モデル等も議員になるための努力の一環だったことが分かります。

(画像引用元 https://onodakimi.com/profile/)
なお、国会議員に初当選した2016年に、国籍について、
【国籍について、一部マスコミから取材がありましたので、経緯をご説明させて頂きます。】
というFacebookのページがあります。
それによると
「戸籍謄本にも国籍選択が完了している旨が記載されております。」とのこと。
日米の手続き上の違い等があったようですが、詳細は、【https://www.facebook.com/OnodaKimi.Okayama/posts/国籍について、一部マスコミから取材がありましたので、経緯をご説明させて頂きます私は出生がアメリカ合衆国ですので生まれた時から米国籍を有しておりました成/735048703301347/ 】
のページにあります。
蓮舫さんの二重国籍問題もあり、良し悪しはともかく小野田さんが注目され、しかしきちんと説明したということ。
***
2016年の初当選のときの記事です。
「底抜けに明るい元気印の新人がいるらしい」「とんでもない経歴の持ち主」と謎のベールに包まれていた小野田氏がついに国会デビューした。国会議事堂をバックにした第一声は「東京に来て、大学に入った時から、国会の前を通るたびに『今、会いに行きます』とずっと言い続けていたんです。」
(https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/153958 より)
この記事では小野田さんのこちらのコメントも・・
「私は小さいころから国と結婚するつもりだったんです。卑弥呼になりたかった(笑い)。正義の味方になるには、理不尽なことが起きない世の中をつくるのが一番だと」
政治家のなってからの所属等細かいことは、このページでは省略します。
いずれ2025年10月の高市内閣(高市早苗さん)の誕生において「内閣府特命担当大臣」となったことで、たいへん注目される存在となりました。
小野田議員の地元、瀬戸内市邑久町虫明の住民からは期待の声が上がります。・・中略・・
「そりゃ嬉しいですよ。僕らも一生懸命応援して国会まで出ていただいているから。もうそりゃ裳掛地区の誇りです」
「小さい時から紀美は『私は検事か政治家になる』と言っていた。小学校のころから。ゆくゆくはもっと上(の立場)になってくれれば」(地元の人の声)
(『RKS山陽放送』 2025年10月21日 より)
美貌が目立つとかキャラクターがユニークとか・・
諸々の、ときにマスコミ特有の過剰な表現も含めていずれ目立つ存在であることは、ご本人はとうに覚悟のことと思われます。
経済安全保障担当大臣に就任したばかりの小野田紀美氏(42)の発言が、SNS上で大きな反響を呼んでいる。閣議後会見で「最近好きなアニメや漫画は?」と問われた際、小野田氏は静かにこう答えた。
「私だいぶ嫌われている人間でもありますので、その作品を好きな人が嫌な思いをされるのを防ぐため、公の場では控えます」
この一言が“オタクの鑑”として称賛され、X(旧Twitter)では瞬く間に拡散した。
(https://coki.jp/article/column/61965/ より)
控えますというのは、
「政治的立場や個人の評価が、作品やファンに影響を及ぼすことを懸念しての回答」
ということで、
「推しを公言しないのはオタク特有の配慮」「この感覚が信頼できる」
という共感の声が相次いだそうです。
これからも政治家ゆえに、称賛もある一方批判も受けていくかもしれませんが、バイタリティーを失わずに活躍されることを願っています。
逸話の多い人物ですが、ひとことでいうと率直、飾らない・・といった印象があります。
たとえば、旧X時代のつぶやきでは、言語学習について、
「日本人の母は英語もドイツ語も出来るのに…なぜこの能力が継げなかったのか」
という部分もありました。
2025年10月末のコメント・・
古い友人から「英語喋れるようになったん!?」とメールきたんですが、残念ながらそんなわけもなく。なんか動画とかあるみたいですが私は英語全然喋れません。英語でスピーチしなきゃいけなくなった時は全部原稿にカタカナふってそれを読んでるだけです…。私が話せるのは岡山弁と標準語だけです…。
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) October 30, 2025
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*当サイトでは、政治家の方について、支持・不支持等の意図はありません。
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以上、簡単ですが小野田紀美さんの出身校についてでした。ご高覧ありがとうございました。