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アルバム首位獲得最年長アーティストの小田和正!
小田和正さんの学歴と出身大学についてご案内します。
小田和正さんはご存知のシンガソングライターで音楽プロデューサーなど多彩な活動をされています。
2016年4月に発売された『あの日 あの時』がオリコン週間1位となることで、矢沢永吉を越してアルバム首位獲得最年長アーティストにーーー。達成時は68歳7ヶ月でした。
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よく知られているように小田和正氏の出身校は、
聖光学院中学校・高等学校⇒ 東北大学 ⇒早稲田大学大学院
ということで、学業でも大変優秀な成績を収めてきました。
しかし、大学院時代に、活動も意欲も音楽にことさら傾いていき、大学院修了時は音楽を選択することを決定していました。ちなみに修士論文「建築との訣別」は担当教授によって「私的建築論」と変更させられたそうです。
小田和正(おだかずまさ)
生まれ:1947年9月20日
出身地:神奈川県横浜市金沢区
1954年:(推定)関東学院六浦小学校入学、7歳
1960年:(推定)聖光学院中学入学、13歳
1963年:(推定)聖光学院高校入学、16歳(内部進学)
1965年:高校3年時に聖光祭で4人のメンバーで演奏する
1966年:(推定)東北大学工学部入学、19歳
1969年:オフコース結成 ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場し2位。1位は赤い鳥
1970年:東北大学工学部建築学科卒業、23歳
1971年:早稲田大学大学院入学、24歳
1976年:早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻(建築学)修士課程修了。29歳
1989年:オフコースを解散しソロ活動に
1991年:『東京ラブストーリー』の主題歌「ラブ・ストーリーは突然に」が大ヒット
1998年:東北自動車道で自損事故
2005年:『そうかな』オリコンチャート週間1位、
2007年:「こころ」オリコンチャート週間1位、「東北大学100周年記念文化貢献賞」受賞
2011年:31会場全59公演の全国ツアー「どーもどーも その日が来るまで」(〜2012年)
2016年:ベストアルバム「あの日 あの時」週間1位となる
2017年:「今日は一日“小田和正”三昧」で鈴木康博と共演(メッセージ参加)
2019年:「小田和正 Tour 2018〜2019 ENCORE!! ENCORE!!」NHK BSプレミアムで放映
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。音楽活動の詳細は省略しています。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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小田和正さんの出身高校は神奈川の聖光学院(出身中学も)
出身高校は上記のように、中高一貫校だった聖光学院です。聖光学院で小田和正さんは、オフコースの仲間である鈴木康博氏と、中高時代をともに過ごしています。
聖光学院は、ご存知の神奈川県でも屈指の進学校。
正式名は聖光学院中学校高等学校。
ちなみに高校野球で福島代表校として有名な聖光学院高等学校は福島県伊達市にある私立高校で、こちらの聖光学院とは関連しません。
また、静岡の静岡聖光学院中学校・高等学校は、こちら神奈川の聖光学院中学校高等学校同校と姉妹校となります。
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聖光学院中学校高等学校 http://www.seiko.ac.jp/
所在地:神奈川県横浜市中区滝之上100
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聖光学院はその後も中高一貫の男子校として、首都圏でも現在、圧倒的に人気が上昇しているそうです。小田氏と鈴木氏はともに。元来は栄光学園中学を目指していたと言われますが、聖光学院でのメンバーの出会いがオフコースの結成に繋がりました。
近ごろ「開成や麻布を蹴っていくって本当?聖光学院が・・」などのタイトルで記事になったこともあります。というより、むしろ進学校としての位置を確立しています。
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小田和正さん出身大学は東北大学、建築を専攻
小田和正さんの進学したのは東北大学工学部。
いうまでもなく旧帝大の一つ。工学部の所在地は 仙台市青葉区の荒巻字青葉で、この一帯に工学系の棟が並びます。
かつては青葉山と呼ばれ山の上でしたが、今では地下鉄が走って便利。
ちなみに小田和正さんは、高校時代に千葉大学の医学部受験も候補として考えていたようですが、大学見学時にその道を止めたそうです。
そこで東北大学の工学部に入り、建築学を専攻しました。
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東北大学工学部
工学部建築科の所在地:仙台市青葉区荒巻 字青葉6-6-06
独自の図書館も、もちろん書店売店等も備えられた気持ちのよい空間です。
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東北大学工学部の時代にオフコースを結成。オフコースというのは建築から離れる、という意味という説がありますが、そうなのでしょうか。
上記のように1969年にヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出て2位となっています。しかもきちんと4年で卒業・・・。どうなっているのでしょうと思う時系列ですがーー。
小田和正と里見進前東北大学総長のツーショット#お前よくぞそんなもん撮ってたな選手権 pic.twitter.com/PfmdvPZEyA
— 金沢に移ったドラえもん (@Kingyopapaiya) January 13, 2021
東北大学混声合唱団同窓会「秋の子」@konsei_akinoko
今ちょうどTBSで「クリスマスの約束」が放送されていますね。
小田和正さんは東北大学のOBです。記念演奏会では小田和正さん作曲の東北大学校友歌「緑の丘」も歌います。
2019年12月26日
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東北大学の公式サイトによると、小田和正氏は東北大生のころ、混声合唱団のテノールとして活躍していたそうです。
作詞作曲の「緑の丘」の楽譜はhttp://www.tohoku.ac.jp/japanese/midori/ でDLできます。
曲はこちら・・東北大学校友歌「緑の丘」
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さらに早稲田大学大学院へ
さらに小田和正さんは東北大学卒業後に1年を経て、早稲田の大学院で池原研究室に・・・
早稲田大学
所在地: 東京都新宿区大久保3丁目4−1
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ご存知にように大学院進学ではどの教授に師事するかが鍵につき、池原教授へ関わる意向があったということでしょう。東北大学大学院の受験には落ちて、早稲田に進んだとも伝わっています。
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理工キャンパスは高田馬場駅に近い西早稲田キャンパス(住所では大久保)になります。
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出身校を見ると、輝かしいばかりにハイレベルの学校名が並ぶ小田和正さんですが、ご本人はそんな部分へのこだわりもなく、オフコースを解散後のソロ活動もことさら目覚ましいものがあります。
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小田和正さんの育った横浜の金沢区と出身小学校
小田和正さんの実家は金沢区の「小田薬局」であることが知られています。
小田薬局は和正さんの兄、小田兵馬氏が継いでおり、父親も地元の「すずらん通り商店街」の発展に寄与して藍綬褒章受章という地元の名士の家庭。
小田薬局
個人情報になりかねない?という気もしますが、いずれ「小田薬局」さんは、今も金沢文庫駅前で営業されている模様です。
まさに金沢文庫駅前であるように、こちら周辺で小田和正さんは育った少年時代でした。
また、小田和正さんの出身の小学校ですが、和正さんが入学したのは関東学院六浦小学校、卒業したのは横浜市立八景小学校、さらに入学したのが上記の聖光学院中学となります。
横浜市立八景小学校
所在地: 横浜市金沢区泥亀1丁目21−2
同校も、金沢文庫駅からほどない距離にあります。
ちなみに後にオフコースを結成する鈴木康博氏とは、小学校時代に、中学受験のために通学した塾の関係(具体的には通学のための電車の中)で知り合ったという関係。鈴木康博氏は東京工業大学に進学しました。
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小田氏と鈴木氏はともに中学で聖光学院に進学。聖光学院ではさらにオフコースのメンバーとなった地主道夫氏らとも知り合っています。地主道夫氏は東北大学に進学。
小田和正さんの息の長いアーティスト活動
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今週のカレンダー、大型犬と一緒に写ってますね。
40代の頃にも、こんな写真が💓#小田和正 pic.twitter.com/jsc5ZqWonS— 風@aozora_tuki_umi (@TukiAozora) May 4, 2021
小田和正氏に憧れて脚本家の北川悦吏子さんが早稲田を目指したのは、やはり有名なのでしょうか。
さらに、1992年に監督作品として『いつか どこかで』を制作しています。
2020年代は小田和正氏は70代を過ごしておられます。ますますの活躍中で、応援しているような、されているような、そんなファン心理になる素敵な方です。
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以上、簡単ですが小田和正さんの出身校についてでした。