名門の「檀」家に生まれた檀ふみさん
檀ふみさんの学歴、出身校について。
檀ふみさんは、檀一雄さんが父、檀太郎さんが兄という名門家庭に育った品の良い女優さん。清純派女優という名がぴったりです。
阿川佐和子さんとの共著『ああ言えばこう食う 往復エッセイ』でも有名。
出身校も名門で、東京学芸大附属大泉中学校、東京教育大学附属高校を経て慶応大学を6年で卒業しています。
東京学芸大学附属大泉中学校 ⇒ 東京教育大学附属高等学校(現在の筑波大学附属高校)⇒慶應大学
高校を卒業して慶応に入るまでに、駿台予備校に通いました。
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2017年の5月17日には阿川佐和子さんの結婚が報道されました。父が作家、本人が慶応大学という共通点の2人で、共著もあるためどうしても檀ふみさんを連想してしまう・・という声も聞かれました。
檀ふみ(だんふみ)
生まれ:1954年6月5日
出身: 東京都練馬区
1961年:(推定)光和小学校入学、7歳
1967年:(推定)学芸大学付属大泉中学入学、13歳
1970年:(推定)東京教育大附属高校入学、16歳
1972年:『昭和残侠伝 破れ傘』お雪
1973〜1988年:『連想ゲーム』レギュラー解答者
1974年:慶應大学入学、20歳。『青春の蹉跌』
1975年:『陽のあたる坂道』、21歳
1976年:『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』柳生雅子、22歳
1980年:『天皇の料理番』
1984年:『日本の面影』小泉セツ、30歳
1986年:『火宅の人』桂一雄の母
1994年:『わが愛の譜・滝廉太郎物語』日本アカデミー賞助演女優賞
1999年:『ああ言えばこう食う』講談社エッセイ賞受賞
2004年:『どうもいたしません』発行、50歳
2006〜2009年:『新日曜美術館』
2015年:『花燃ゆ』杉滝 61歳
2016年:『とと姉ちゃん』ナレーション
2017年:『陸王』宮沢美枝子
2019年:『セミオトコ』庄野くぎこ、『轢き逃げ 最高の最悪な日』時山千鶴子、65歳
2022年:『土を喰らう十二ヵ月』文子、『太陽とボレロ』花村頼子
2023年:『クラシック音楽館 特集・池辺晋一郎80歳!帰ってきたN響アワー』
2024年:『広重ぶるう』 語り、70歳
その他、出演・著書など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
今日は檀ふみさん誕生日。作家檀一雄の長女。いかにもお嬢様育ちの清楚かつ知的な雰囲気を持った美人です。左はおそらく「青春の蹉跌」の時の水着写真。「火宅の人」はちょい役で自身の祖母を演じました。まだ独身ですからチャンスがあるかも。ないね。「連続ゲーム」の解答者としてもおなじみです。 pic.twitter.com/WhCr1Eacvq
— 阿乱隅氏 (@yoiinago417) June 4, 2019
檀ふみさんの出身地練馬区と出身小学校、出身中学校
出身地は東京都の練馬区になります。小学校は地元の公立校、練馬区立光和小学校へ通っていました。
出身小学校:練馬区立光和小学校
所在地:東京都練馬区石神井町2丁目16−34
練馬区の、西武池袋線でいえば「石神井公園駅」に近いあたりに同校はあります。都心のゆえ、というのでしょうか、同校の出身者に檀ふみさんの他に、池上彰さんと假屋崎省吾さんがいます。
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さらに上記の通り、檀ふみさんは中学は国立の、東京学芸大学附属大泉中学校へ進学しました。
1967年当時のことで、公立の小学校へ通う児童のうち一部は地元に近い「付属校」を受験するというのが、比較的ふつうのパターンだったと考えられます。
東京都内でも、まだまだ「中学受験」が今のように盛んではなかった時代。
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東京学芸大学附属大泉中学校は、併設の「東京学芸大学附属高等学校大泉校舎」が段階的に統合する形で「東京学芸大学附属国際中等教育学校」が開校したために、附属の大泉中学校は、現在は閉校されています。
と言っても、位置としては檀ふみさんが通学していた当時の東京学芸大学附属大泉中学校の場所に、東京学芸大学附属国際中等教育学校が作られた、ということになります。
卒業生としては、学校名が変わったという実感ではないでしょうか。
東京学芸大学附属国際中等教育学校(出身校は東京学芸大学附属大泉中学校)
所在地:東京都練馬区東大泉5丁目22−1
(中学校の校舎は付属の大泉小学校の奥になります)
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檀ふみさんは練馬区出身なので、中学校としてはちょうどよい位置だったのかもしれません。上記の光和小学校と直線距離は2キロくらいです。
もともと1947年の「東京第三師範学校附属中学校」を前身とする歴史ある中学校でした。国会議員だった山尾志桜里さんも同じ中学の出身になります。
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檀ふみさんの出身高校は東京教育大附属高校
さらに高校では同じ国立でも別の大学の付属となる、東京教育大学附属高等学校へ進学しました。
ところで東京教育大学は現在の筑波大学ですから、今は名称も変わっており「筑波大学附属中学校・高等学校」に1978年に改称されました。
筑波付属(つくふ)は偏差値の高い、言わずと知れた名門高校です。付け加えると2022年に悠仁さまの進学した高校でもあります。
筑波大附属としてはもう一つ「筑波大学附属駒場中学校・高等学校」もあり、こちらは男子校になります。
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筑波大附属高校は、道路を挟んでお茶の水女子大学+その附属高等学校(お茶高)とも向かい合っています。
また同校は附属という名称ながら筑波大学への内部進学枠は通常はありません。むしろ周知の通り、東大受験などで上位を占める公立高校となっています。
筑波大附属高校
所在地:東京都文京区大塚1丁目9−1
なお付属の小学校・中学校があり、付属高校では生徒数の3分の1くらいが附属小学校からの内部進学者となっています。
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年譜のとおり檀ふみさんは、高校時代にすでに女優業も始まっており、『連想ゲーム』のレギューラーも務めていました。
その前に何がきっかけで女優業が始まったかというと、1970年、高校一年の時に大阪万博がありました。そこを訪ねた時に叔父の高岩淡氏を介して俊藤浩滋さんによって、ふみさんがスカウトされました。
当時、父の一雄氏が海外にいて不在だったため、結論が出るのに時間がかかったそうです。しかし、いずれ1972年から、女優としての道が始まりました。
その背景には『ポスト藤純子』を探さなければならないという、業界の事情もあった模様。
藤純子さんは後に富司純子さん(寺島しのぶさんの母)として、活動を再会するのですがーー。
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いずれにしても女子高校生の立場で、一生を左右する決断に迫られ、すごいプレッシャーを受けたはず。
一方で進学校の生徒でもありました。
結果的に筑波大付属高校から一年間の浪人時代に「駿台予備学校」に通い、慶應義塾大学経済学部に進学しました。
檀ふみさんさんの出身大学は慶應義塾大学
慶應義塾大学はいうまでもない難関校です。
檀さんは浪人を経て、いわゆる推薦入試などでない一般の受験で慶応大学に入学しました。
慶応大学三田キャンパス
所在地:東京都港区三田2丁目15−45
1974年の6月公開の『青春の蹉跌』でふみさんの人気が高まったとされます。しかし、6月公開ということは、おそらく撮影準備は1973年とか、その当時は予備校通いだったはずで、檀ふみさんのスケジュールがどうなっていたかーー 予想するのも難しいことです。
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ちなみに檀ふみさんは独身。
『新日曜美術館』の司会などをされている時は、まさに品のよい持ち味がピッタリという空気でした。
2000年発行の『ああ言えばこう嫁行く』という本はどんな内容か、やはり気になりました。
余談ですが檀ふみさん(本名)と、女優の檀れいさんとは血縁等はありません。姉妹かと勘違いされることもありますが無関係ーー。
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『花燃ゆ』に出演された時、なにかのインタビューで、(テレビやドラマ等に)あまり出ませんから・・とさらっと言っていた感じが印象的でした。どこか達観している空気に、品性を感じさせてくれる女優さんです。
檀一雄さんと開業医の娘だった妻の律子さんとの間に生まれたのが兄の檀太郎さん。檀ふみさんは後妻に入られたヨソ子さんとの間に生まれました。
徹子の部屋 檀 ふみ | 2019年5月10日 – 19.05.10https://t.co/otxprY3Pfi#徹子の部屋 #檀ふみ #2019年5月10日 pic.twitter.com/dyfGBWnV57
— Tetsuko’s Room (@TalkshowTetsuko) May 10, 2019
2016年5月30日に『徹子の部屋』に出演したときには、母のヨソ子さんを看取ったときの思い出を語られました。ヨソ子さんは自分のことをふみさんより、美人だと思っていたとか・・・
いずれ逸話の多い家系の方です。
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以上、簡単ですが檀ふみさんの出身校についてでした。