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増田明美さんの「細かすぎる」解説は絶賛の証し
増田明美さんの学歴と出身校について。
増田明美さんは、元マラソンの選手で、現在、スポーツジャーナリストとして、解説者として幅広い活躍をしています。
「細かすぎる」解説と話題になるほど、解説する対象者(アスリート)への情報量は半端ないものがあります。そこには増田さんの性格もあるでしょうけれど、対象への深い愛情を感じる人物です。
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千葉県のいすみ市(当時:夷隅郡岬町・いすみぐんみさきまち)の出身で、地元の小・中学校を経て、中学時代にスカウトされて私立の成田高校に進学します。
高校卒業後に実業団のマラソンランナーとして活躍した後に、法政大学に入学しますが、一年ほどで退学しました。
成田高校 ⇒(社会人)⇒法政大学 ⇒ (オレゴン大学)
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増田明美さんの進学経緯は「いかにマラソンを走るか」で選択したと言えそうです。したがって高校も大学もいわゆる一般的な「進路」の決め方とは異なります。
オリンピック等を経て入学した法政大学では、経済学部でした。現在は、大阪芸術大学で教授も務めるという多彩な活動をしています。
増田明美(ますだあけみ・本名:木脇明美)
生まれ:1964年1月1日
出身:千葉県いすみ市
1970年:(推定)小学校入学、6歳
1976年:(推定)中学入学、12歳
1979年:(推定)成田高校入学、15歳
1981年:アジア陸上競技選手権大会3000m優勝
1982年:千葉県選手権光町マラソンで日本最高記録で優勝
1982年:成田高校卒業、「川崎製鉄千葉」に所属、18歳
1983年:大阪女子マラソン、途中棄権
1984年:大阪女子マラソン2位、ロサンゼルス五輪女子マラソン途中棄権
1985年:法政大学入学、21歳
1986年:法政大学中退、オレゴン大学へ陸上留学
1988年:大阪国際女子マラソン30位
1992年:大阪国際女子マラソン途中棄権、ラストラン、28歳
1994年:『ブスでゴメンね!』に出演、原真紀
1998年:『課外授業 ようこそ先輩』
2005年:結婚、41歳
2008年〜プラン・ジャパンで評議員
2013年:『マツコ&有吉の怒り新党』で解説の細かさが話題に
2017年:NHK連続テレビ小説『ひよっこ』ナレーション、53歳
2018年:日本パラ陸上競技連盟会長、54歳
2020年:『サタデープラス』ナレーション、56歳
2021年:日本知的障がい者陸上競技連盟会長、公益財団法人東京陸上競技協会会長、57歳
2022年:『卒業タイムリミット』本人役、『警視庁・捜査一課長 season6』甲斐節子、『オールドルーキー』本人役
2023年:日本陸上競技連盟の理事に再就任、59歳
2024年:「パリ五輪女子マラソン」のテレビ解説、60歳
その他の活動多数
*略歴は当サイト独自のまとめです。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
増田明美さんの師は、成田高校にスカウトした瀧田詔生さんでした。増田さんは著書の中で瀧田氏を唯一の師と呼んでいます。(滝田栄さんの兄でもあります。)
また私生活ではファイナンシャル・プランナーの一般男性、木脇さんと結婚しています。「増田明美の夫」というゼッケンをつけて走るなど、ユニークなご主人という話題にもなりました。
増田明美さんの解説は、たしかに「面白い」ことで有名。
細かいエピソードは、競技と関係ないと批判されたこともあるようです。しかしその動機には、選手は「選手である前に人」だという増田さんの信念があるそうです。
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増田明美さんの出身高校は成田高等学校
増田明美さんが千葉県の私立の成田高校に進学したのは、上記のように、成田高校の陸上部監督だった瀧田詔生さんが、中学の卒業間際の増田明美さんをスカウトしたことがきっかけ。
中学校で最初はテニスをやっていた増田さんは、学校の先生になることを希望していたため、当初、高校で陸上競技をやるとは思わなかったそうです。
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成田高等学校はシンプルな名前で甲子園出場校としても耳にします。
私立校で、たいへん歴史のある高校です。付属中学も小学校もあり、財団名は『成田山教育財団』となっています。
設立は1898年まで遡り、建学の理念として「成田山の宗教的使命の達成」と明記されています。
関東の方には今さらながら、「成田山新勝寺」には多くの参拝客が訪れます。「ぶらタモリ」でもやっていましたが、江戸時代にも船などで団体客が観光にやってきた名所。
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大きくいえば成田山ですが、成田山新勝寺と成田高校は、成田山公園を挟むような位置関係で傍らにあります。
さらに現代の「成田」は成田国際空港があることで、海外から日本を目指す時のNRTの成田でもあります。
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さて成田高校では、野球部と陸上部の活躍が特に目立っています。出身者には、増田明美さんの他に、陸上では、スポーツ庁長官となった室伏広治さんや花岡麻帆さんらもいます。
また複数のプロ野球選手を輩出しています。長い歴史のなかで元教員として鈴木三重吉さんや中野好夫さんの名前があるのは、なんとも説得力がありますね。
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成田高校
所在地:千葉県成田市成田27
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いすみ市(当時の岬町)と成田市は遠く、増田さんは監督の家の離れに下宿して暮らすことになりました。
一度は、マネージャー転向を監督から言われたことで反発し、葛藤した時期があったようす。しかし1981年から、地道な努力が実り、驚異的な記録を次々と打ち立ててきました。
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千葉県の北部にある成田市と、外房線の九十九里浜方面の夷隅(いすみ)市とは、車でも2時間近く所要する遠い関係です。増田さんが下宿生活になったのも納得ーー。
その後、18歳(高校3年)でマラソン参加資格を獲得し、卒業して実業団でマラソンを続けます。
【成田高校 大学合格実績】は「みんなの高校情報」から抜粋すると2023年の例で以下となっています。
概略
国公立大学 37名
早慶上理 52名
GMARCH 115名 など(分類はみんなの高校情報によります)
国立大学
埼玉大学 3名
新潟大学 3名
筑波大学 2名 など
私立大学
日本大学 93名
千葉工業大学 70名
東洋大学 54名
明治大学 27名
立教大学 25名
法政大学 23名 など多数
増田明美さんの場合は、当時、早稲田に入ってほしいという声もあったそうです。
しかし、高校卒業時にはマラソンを続けるには迷わず、実業団がベストと判断し、練習環境なども変わらない川崎製鉄を選びました。
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1984年のロサンゼルスオリンピックに出場した時は、無念な途中棄権となり、その後、引退会見を開いて川崎製鉄も退社しました。この辺は有名なエピソードで、増田さんの当時の心境は・・等々キリがないテーマですが、ここでは省略します。
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増田明美さんの出身地岬町(現いすみ市)と出身中学校
先述のように増田さんはいすみ市の出身。
ただし「いすみ市」となったのは2005年のことですから、増田さんにとって故郷は「夷隅郡岬町 いすみぐんみさきちょう」だったことでしょう。いすみ市は夷隅郡の夷隅町と大原町と岬町が合併したということで、岬町だった一帯は市の北部となっています。
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明美さんの出身中学はいすみ市立岬中学校(当時は岬町立岬中学校)だったことが分かっています。同じ中学を卒業して、NHKのアナウンサーになったのが、森花子さん。
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いすみ市立岬中学校
所在地:千葉県いすみ市岬町椎木1370
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そもそも、いすみ市を広域で見ると、東京湾アクアブリッジに向かう木更津市にも、県庁所在地千葉市にも、直線距離ではおよそ同じくらいに遠いのですが、さらに成田市は、ずっと北部で、通学は不可と考えられます。
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増田明美さんは、農家である実家から小学校に通うにも、およそ2.5キロの道を歩いたり走ったりで、健脚を鍛えていたそうです。ただし、運動が得意とは特に思っていなかった様子。
なお、増田明美さんの出身小学校は、いま分からないのですが、いすみ市の岬地区にある小学校は「太東小学校」「長者小学校」「中根小学校」「古沢小学校」なので、そのいずれかと考えられます。
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現在、いすみ市では『いすみ健康マラソン(増田明美杯)』が行われています。13回目にあたる2020年には、コロナ禍で中止となりましたが、地元に密着した愛されるイベントとなっているもようです。
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いすみ健康マラソン(増田明美杯)
会場入口では笑顔で増田明美さんのご主人がお出迎え。
会場に向かう途中ではねこさんのお出迎え。
ボランティアの皆さんも町の皆さんもとても温かい。
ただ自分の走りがどいひ~っ😭 pic.twitter.com/dctGCdzYQY— リンジー(有言実行) (@tokichan1961) December 6, 2015
たまたま木脇さんのお写真も・・
なお、木脇祐二氏は、2023年11月に嵐の二宮和也さんが設立した「株式会社オフィスにの」の運営に参加することも話題となりました。
増田明美さんの出身大学は法政大学、オレゴン大学へも
法政大学に進学したのはそんな後の、1985年のことでした。学部は経済学部。
法政大学 経済学部
所在地:東京都町田市相原町4342
法政大学の出身者はあまりに多数に上ります。
増田さんはスポーツ選手であったともに、現在はジャーナリストの一人。スポーツ選手としては多数のプロ野球選手、サッカー選手、などを生み出しました。
重量挙げ48キロ級代表の三宅宏実選手も、水泳の末永雄太選手も法政大の出身です。近ごろは俳優の高畑充希さん、杉野遥亮さんらが注目されています。
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しかし法政大学で4年間の学生生活ではなく、明美さんは比較的早くに、マラソンへの情熱が湧いてきて小掛照二さん(日本陸連の強化委員長)に相談しました。
そこから、アメリカのオレゴン大学へマラソン留学が決定。
その時点で法政大学は中退しています。その後もまだマラソンの試練は続いたというところでしょう。上記略歴の1986年のあたりです。
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オレゴン大学
所在地:1585 E 13th Ave, Eugene, OR 97403 USA
アメリカの西海岸側で、大雑把に言うとシアトルに近い、またはバンクーバーに近い方面となります。
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帰国後の1988年の大阪国際女子マラソンを、ヤジを浴びながら走った時の様子を語っていたのを『課外授業 ようこそ先輩』で観たことがあります。
NHKでの放送は1998年でした。
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法政大学は、このような経緯で、増田さんの人生の中の一時的な通過点だったかもしれません。
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このページは増田さんの「細かすぎる解説」(笑)のように、詳しくはありませんが、増田明美さんのことは大好きです。
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先日、たまたまリアルな講演をお聞きする機会がありました。
ジョーク交じりに「熟年結婚アドバイサー」云々も言っていました。明るくてパワフルな増田明美さん。ますますのご活躍を期待しています。
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【解説・増田明美】
創価大学は嶋津雄大さんが4区にエントリーされましたね。去年の10区で区間新記録をマークしてね、大学史上初めてのシード権を手繰り寄せる走りをしましたよね。一時は休部の期間があった嶋津さん、しっかりと復調してきました。そして現在2位、トップはもうすぐですね。— 増田明美@小ネタ (@masudaakemi3) January 2, 2021
(↑もちろんご本人ではありません、ファンからの記録一例)
2024年のパリオリンピックでも「女子マラソン」の解説に登場し、話題となりました。
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以上、簡単ですが増田明美さんの出身校について、でした。