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増田明美さんは成田高校出身で後に法政大学にも・・

      2019/10/04

増田明美さんは、元マラソンの選手で、現在、スポーツジャーナリストとして、解説者として幅広い活躍をしています。

「細かすぎる」解説と話題になるほど、解説する対象者(アスリート)への情報量は半端ないものがあります。そこには増田さんの性格もあるでしょうけれど、対象への深い愛情を感じる人物です。

千葉県のいすみ市(当時:夷隅郡岬町)の出身で、地元の小中学校を経て、中学時代にスカウトされて私立の成田高校に進学します。

高校卒業後に実業団のマラソンランナーとして活躍した後に、法政大学に入学しますが、一年ほどで退学しています。

 

成田高校 ⇒(社会人)⇒法政大学

増田明美さんの進学経緯は、いかにマラソンを走るかで選択したと言えそうなので、高校も大学もいわゆる一般的な「進路」の決め方とは異なります。オリンピック等を経て入学した法政大学では、経済学部でした。

 

現在は、大阪芸術大学で教授も務めるという多彩な活動をしています。

増田明美(ますだあけみ・本名:木脇明美) 

生まれ:1964年1月1日
出身:千葉県いすみ市
1979年:(推定)成田高校入学
1981年:アジア陸上競技選手権大会3000m優勝
1982年:千葉県選手権光町マラソンで日本最高記録で優勝
1982年:成田高校卒業、川崎製鉄千葉に所属
1983年:大阪女子マラソン、途中棄権
1984年:大阪女子マラソン2位、ロサンゼルス五輪女子マラソン途中棄権
1985年:法政大学入学
1986年:法政大学中退、オレゴン大学へ陸上留学
1988年:大阪国際女子マラソン30位
1992年:大阪国際女子マラソン途中棄権、ラストラン
1994年:『ブスでゴメンね!』に出演、原真紀役
1998年:『課外授業 ようこそ先輩』
2005年:結婚
2008年〜プラン・ジャパンで評議員
2013年:『マツコ&有吉の怒り新党』で解説の細かさが話題に
2017年:NHK連続テレビ小説『ひよっこ』ナレーション
その他の活動多数

 

増田明美さんの師は、成田高校にスカウトした瀧田詔生さんでした。増田さんは著書の中で瀧田氏を唯一の師と呼んでいます。

また私生活ではファイナンシャル・プランナーの一般男性、木脇さんと結婚しています。「増田明美の夫」というゼッケンをつけて走るなど、ユニークなご主人という話題にもなりました。

増田明美さんの解説は、たしかに「面白い」ことで有名。

細かいエピソードは、競技と関係ないと批判されたこともあるでしょう。しかしその動機には、選手は「選手である前に人」だという増田さんの信念があるそうです。

 

 

角田光代さん

 

 

 

出身大学は法政大学、出身高校は成田高等学校

 

増田明美さんが千葉県の私立の成田高校に進学したのは、上記のように、成田高校の陸上部監督だった瀧田詔生さんが、中学の卒業間際の増田明美さんをスカウトしたことがきっかけです。

中学校で最初はテニスをやっていた増田さんは、学校の先生になることを希望していたため、当初、高校で陸上競技をやるとは思わなかったそうです。

 

成田高等学校はシンプルな名前で甲子園出場校としても耳にしますが、私立で、たいへん歴史のある高校です。付属中学も小学校もあり、財団名は『成田山教育財団』となっています。

 

設立は1898年まで遡り、建学の理念として「成田山の宗教的使命の達成」と明記されています。

野球部と陸上部の活躍が特に目立っています。出身者には、増田明美さんの他に、陸上では、室伏広治さんや花岡麻帆さんらもいます。

 

また複数のプロ野球選手を輩出しています。長い歴史のなかで元教員として鈴木三重吉さんや中野好夫さんの名前があるのは、なんとも説得力がありますね。

 

所在地は、千葉県成田市成田27

いすみ市成田市は遠く、増田さんは監督の家の離れに下宿して暮らすことになりました。

一度は、マネージャー転向を監督から言われたことで反発し、葛藤した時期があったようす。しかし1981年から、地道な努力が実り、驚異的な記録を次々と打ち立ててきました。

 

余談ですが千葉県の北部にある成田市と、外房線の九十九里浜方面の夷隅(いすみ)市とは、車でも2時間近く所要する遠い関係です。増田さんが下宿生活になったのも納得。

その後、18歳(高校3年)でマラソン参加資格を獲得し、卒業して実業団でマラソンを続けます。 早稲田に入ってほしいという声もあったそうですが、高校卒業時には、マラソンを続けるには迷わず、実業団がベストと判断し、練習環境なども変わらない川崎製鉄を選びました。

1984年のロサンゼルスオリンピックに出場した時は、無念な途中棄権となり、その後、引退会見を開いて川崎製鉄も退社しました。

法政大学に進学したのはそんな後の、1985年のことでした。学部は経済学部。

しかしそこで4年間の学生生活ではなく、比較的早くに、マラソンへの情熱が湧いてきて小掛照二さん(日本陸連の強化委員長)に相談したところから、アメリカのオレゴン大学へマラソン留学が決定。

その時点で法政大学は中退しています。

その後もまだマラソンの試練は続いたというところでしょう。

帰国後の1988年の大阪国際女子マラソンを、ヤジを浴びながら走った時の様子を語っていたのを『課外授業 ようこそ先輩』で観たことがあります。

法政大学は、このような経緯で、増田さんの人生の中の一時的な通過点だったかもしれません。

 

このページは増田さんの「細かすぎる解説」(笑)のように、詳しくありませんが、増田明美さんは大好きです。

先日たまたまお聞きした講演ではジョーク交じりに熟年結婚アドバイサー云々も言っていました。ますますのご活躍を期待しています。

 

 

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