高校生で短編小説を書いていた原田宗典さん
原田宗典さんは、東京出身で、高校は岡山でした。大学は早稲田に進学したため、再び都内へ。
岡山県立岡山操山高等学校 ⇒ 早稲田大学
高校時代に書いた短編小説が学研コース文学賞に入り、学生時代にも修行を積んで大学卒業後はコピーライターとして仕事をしてきました。
早稲田には指定校推薦で第一文学部に入学しています。
エッセイも小冊も幅広く、人柄が否応なく染み込んでいるような作品を多数残してきました。
原田宗典(はらだむねのり)
生まれ:1959年3月25日
出身:東京都
1974年:(推定)岡山操山高等学校入学
1977年:早稲田大学入学
1984年:『おまえと暮らせない』すばる文学賞の佳作
1987年:フリーになる
1993年:『十七歳だった!』
2002年:『劇場の神様』
2004年:『私は好奇心の強いゴッドファーザー』
2008年:『たまげた録』
2013年:覚せい剤取締法違反等で現行犯逮捕
2015年:『メメント・モリ』
2018年:『〆太よ』
その他作品等多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。
兄と旅を巡る対談をした。本書は驚きと学びと示唆に満ちている。旅とは本来、そういうものだ。旅する人も旅できない人も、ぜひ本書を読んでください。>>原田宗典×原田マハ、初の兄妹対談!!世界の紛争地帯を回って記した『やや黄色い熱を帯びた旅人』を語る | ほんのひきだし https://t.co/eMFbAAaGVg
— 原田マハ (@haradamaha) 2018年9月11日
原田マハさんは原田宗典さんの妹です。
今日は何故か上田にきてます。穴があれば顔を出す!観光の基本です。 pic.twitter.com/2mdWmb5f9b
— 原田宗典 (@haradamunenori) August 17, 2017
出身高校は岡山操山高等学校
東京で生まれ育った原田宗典さんですが、岡山に移り高校は、岡山県立岡山操山(そうざん)高等学校に進学します。
現在の正式名は岡山県立岡山操山中学校・高等学校で、創立は1900年まで遡ります。当初は「岡山県高等女学校」でした。現在の校名が始まったのは1949年のこと。
歴史ある高校で、出身者には小説家の柴田錬三郎さんがいます。ユーモアあふれる哲学書を多々表したお茶の水女子大学名誉教授の土屋賢二さんも、こちらの出身。
政治学者の山口二郎さんは、原田宗典さんの高校時代の同級生でもあります。 アートディレクターの原研哉さんもこちらの出身で、原田さんの同期になります。
他には、ミュージシャンの甲本ヒロトさんらがいます。
所在地:岡山県岡山市中区浜412番地
妹の原田マハさんは山陽女子高等学校の出身。
原田宗典さんの出身大学は早稲田大学
上記のように、原田宗典さんは指定校推薦で早稲田大学へ進学しました。大学在学中に岩永嘉弘氏と出会って後に岩永氏の主宰する事務所で働きました。
十一月に上京して面接を受けるべし、という通知が大学から届いた。ぼくは小躍りして上京し、早大文学部の一室で簡単な面接を受けた。将来は何になるつもりか、という質問に対して、「早稲田の特別講師として招かれるような小説家になるぜ」と臆面も無く答えた記憶がある。うう恥ずかしい。
— 原田宗典bot (@bot_munenori) February 8, 2021
すばる文学賞受賞後の園遊会にアロハシャツとコットンパンツで出たことは有名なのでしょうか。
また躁うつ病であると公言しているとのことです。
早稲田の第一文学部出身者は、もちろん多数に上ります。
文筆活動等に限っても、五木寛之さん、阿刀田高さん、小和田哲男さん、角田光代さん、北村薫さん、高橋三千綱さん、俵万智さん、西川美和さん、藤田宜永さん、村上春樹さん、李恢成さんらがいます。