梶山弘志(かじやまひろし)大臣は、茨城県の常陸太田市出身で、事務所は地元の常陸太田市にあります。
梶山静六氏の息子、梶山弘志大臣は常陸太田の出身
小・中学校は地元常陸太田市のの太田小学校、太田中学校を経て、さらに地元の茨城県立太田第一高等学校から日大の法学部に進学しました。
茨城県立太田第一高等学校 ⇒ 日本大学
父親は梶山静六氏で、清六氏は自民党幹事長などを務め、田中眞紀子さんから他の大臣と比較しながら「凡人(小渕)、軍人(梶山)、変人(小泉)の争い」と言われたのは有名。
梶山弘志氏が大臣になったのは2017年8月のこと。第3次安倍第3次改造内閣で、内閣府特命担当大臣に、また国務大臣にも任命されました。
今回2019年10月25日、菅原一秀氏の後任として、経済産業相に就任しました。菅原一秀経済産業相は寄付行為を禁じる公選法違反の疑いから、9月に第4次安倍再改造内閣で初入閣したばかりながら、事実上の更迭状態に・・
ちなみに梶山弘志大臣の事務所は茨城県常陸太田市山下町1189-2になります。
梶山弘志(かじやまひろし)
生まれ:1955年10月18日
出身:茨城県常陸太田市
1971年:(推定)県立太田第一高等学校入学
1974年?:(推定)日大法学部入学
1979年:動力炉核燃料開発事業団に入社
1985年:退職して梶山静六代議士の秘書となる
2000年:静六の死去を受け衆議院議員総選挙で初当選
2009年:茨城県の自民党議員で唯一小選挙区の議席確保
2017年:内閣府特命担当大臣、衆議院議員総選挙で7選
2019年:10月、経済産業大臣
*略歴は当サイト独自のまとめです。
“新”経済産業相
梶山弘志 (63)茨城4区 当選7回
昭54 日大法学部 卒
日本原子力研究開発機構 入社
昭60 同事業団 退職
昭63 自社設立 代表取締役
平12 衆議
平18 国交政務官
平29 内閣府特命担当大臣(地方創生/規制改革)
行革担当大臣
令元 経済産業大臣 pic.twitter.com/TIH2YDHcIp— 饗 (55) (@MPU74bmEGLMVSRJ) October 25, 2019
辞表提出した菅原経済産業相
の後任に自民党の梶山弘志
元地方創生担当大臣を起用する
方針を固めました。
・・・長続きするかなー?!🤗😡 pic.twitter.com/z0WZhvtzwh
— 横浜の人(愛称エル) (@YokohamaNoHito) October 24, 2019
梶山弘志氏の出身高校は太田第一高等学校
梶山弘志氏は、地元の常陸太田市で小学校から高校までを過ごし、高校は太田第一高等学校に進学しました。太田一高は、梶山静六氏の母校でもあります。
茨城県立太田第一高等学校は、1900年に茨城県立水戸中学校(現在の水戸第一高校)の太田分校として設立され、翌々年には茨城県立太田中学校となった歴史ある学校です。
旧茨城県立太田中学校講堂は国指定の重要文化財となっています。
旧茨城県立太田中学校講堂
現在の太田一高にある国指定重要文化財 非常に美しい状態で残っています。毎年見に来てしまう^^;#集中曝涼 pic.twitter.com/lL0dlRYOKI
— まっちゃん (@takahagikijin) October 20, 2019
横山大観「笹に蛙」や、小川芋銭の作品が所蔵されるという、なんと贅沢な高校でしょうか。
出身者には、梶山氏の親子をはじめ、日本画家の加倉井和夫さんらがいます。
出身大学は日本大学、マンモス組織を卒業の梶山弘志氏
日本大学法学部は、言うまでもなく沢山の卒業生を生み出し、日本の経営者(社長)に日大出身者が多いことも知られています。
大学としてはスポーツ関係者も多いため、時に体質を批判されることもありましたが、良し悪しはともかくあらゆる方面でマンモス大学の威力があると評価されています。
日本法律学校時代の出身政治家も多く、また著名政治家には小泉純也さん(小泉純一郎氏の父)や世耕弘一さん、鴨下一郎さんらがいました。
芸術学部出身の群ようこさんなど、芸術学部出身者は目立っていますが、日本大学法学部出身でアナウンサーになった人物も多数。
梶山氏は、辞任した経済産業大臣の後任ということで、耳目も集めるし、重圧もあるかもしれませんが、ご活躍を期待します。
*当サイトでは、政治家の方について、支持・不支持等の意図はありません。