田中哲司さんは専門学校を止めて大学へ
田中哲司さんの学歴と出身校についてご案内します。
田中哲司さんは1966年生まれ。近頃は50代なかばでの演技となりました。
仲間由紀恵さんと結婚された当時は一部で格差婚のような言葉も見られましたが、昨今では田中さんをテレビで見かけない日はないような活躍です。
田中さんは三重の出身で、三重の地元の私立校、海星高等学校を経て、一旦は専門学校に進みました。
しかし大学生の生活が楽しそうに見えたということで(それは表面の言葉ですが)、大学進学を決意して日大芸術学部に進学しました。
海星高等学校(三重) ⇒ 日本大学芸術学部
日大では「藝術学部演劇学科」で、演劇を志したのは小林薫さんに憧れたとされます。
大学を出てからは蜷川カンパニーなどを経て映画でも舞台でも、テレビも多岐にわたって活躍中。海星高等学校にとってはOB(32回生)ということで代表的な卒業生と言えるでしょう。
田中哲司(たなか てつし)
生まれ:1966年2月18日
出身:三重県鈴鹿市
1972年:(推定)小学校入学、6歳
1978年:(推定)中学入学、12歳
1981年:(推定)海星高等学校入学、15歳
1984年:(推定)海星高等学校卒業、専門学校へ、18歳。
1986年:(推定)日大入学、20歳。
1990年:日大卒業、24歳。
1995年:『ハムレット』
2011年:『ラストマネー -愛の値段』横村一樹
2014年:『軍師官兵衛』荒木村重役、『緊急取調室』梶山勝利
2014年:仲間由紀恵さんと結婚、48歳
2015年:『ゴーストライター』神崎雄司 、『ビリギャル』工藤徹
2016年:『ラヴソング』増村泰造、50歳
2017年:『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』吉永光成役
2018年:『東野圭吾 手紙』 緒方忠夫
2019年:『あなたの番です -反撃編』南雅和
2020年:『35歳の少女』今村進次、『スマホを落としただけなのに』 牧田英俊、54歳
2021年:『星とレモンの部屋』、『劇場版シグナル 長期未解決事件捜査班』、『彼女』『真犯人フラグ』河村俊夫
2022年:『余命10年』平田先生 、『とんび』島野昭之 、
2023年:『エヴァンゲリオン ビヨンド』 菅生マサツグ、『 ゆりあ先生の赤い糸』 伊沢吾良
2024年:『ボイラーマン』、ユーミンストーリーズ「春よ、来い」衣笠充流、58歳
その他、出演等多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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仲間さんとの間に2018年に、双子のお子さんが生まれました。
仲間由紀恵、一卵性の双子男児を出産 田中哲司がパパにhttps://t.co/2426fYm2Ll
【仲間由紀恵のコメント】「授かった生命を大事に大事に育てていきたいと思います」#仲間由紀恵 #田中哲司 #出産 pic.twitter.com/NilmUThg71
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) July 5, 2018
田中哲司さんの出身高校は海星高等学校
海星高等学校は、同じ名前の正式名「海星中学校・高等学校 」が長崎県にもありますが、田中哲司さんが卒業した海星高校は、三重県の四日市市にあり、両者に直接の関係はありません。
両校が甲子園で対決したこともあるそうです。
ミッション系の方には今さらかもしれませんが、「海星」とは聖母マリアさまの別名だそうです。
中・高一貫校ですが高校からの入学者もあり田中さんは、同校に高校からの入学と思われます(根拠などは下記に)。田中哲司さんが中学から海星だったという情報もありますが、違うようです。
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海星高等学校
所在地:三重県四日市市追分1丁目9−34
設立は学校法人エスコラピオス学園で、地図中にエスコラピオス修道院が見えています。男子校。
以前の名称が「南山大学附属四日市南山高等学校」だったこともミッション系であることを物語っています。
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田中哲司さんの高校時代は、物理を丁寧に教えてくださった先生がいたけれど、物理は嫌いだったそうです。好きだったのは現代国語・・
ああいう、なんか、法則的なこととか…。高校って勉強が一気に高度になったっていう印象がある。数学、物理、化学っていう数字系がほんとに苦手というか大っ嫌いで。
(海星高校同窓会インタビュー「俳優田中哲司さん」より)
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また、キリスト教精神でルールの厳しかった同校において、当時は窮屈だった様子。たとえば自転車の二人乗りがみつかって、先生に「坊主になれ」と迫られたそうです。
けれど、それゆえに『自由になりたい』という思いが育ったとのこと。
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おまけに男子校だったわけで。で、キリスト教系の、なんかちょっと押さえつけられた雰囲気で。・・(中略)・・
刑務所にいたような気分(笑)。でも、それが逆に良かったんだと思うんですよね。
(同上)
高校時代の終わりころ、田中さんは推薦入学で大学に進む道もあったけれど、そこは不本意だったようです。そこでともかくも都心に行き、音響系の専門学校に進むことにしました。
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田中哲司さんの出身地鈴鹿市と出身の小・中学校
田中哲司さんは三重県の鈴鹿市の出身で、上記のインタビューによると、具体的には「椿一宮町」あたりだったそうです。
細かいことですが、鈴鹿市の椿一宮町はこのあたりに位置しています。
直線距離が鈴鹿市と四日市市のちょうど中間くらいの位置ーー。
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そこで出身中学校の話に戻りますが、田中哲司さんが「海星中学校・高等学校」の中学校には、入学していなかったと思われる理由は、以下の点です。
自宅から近くはなかった海星高校に、どうして入学したかを聞かれた田中さんはこう答えています。
「受かったから(笑)。
ほんとは四日市工業の機械科に行きたかったの。・・(中略)・
・・けど工業科は偏差値がちょっと…。それで、鈴鹿、海星、そのへんを滑り止めで受けるよね、みんな。で、先に海星に受かったから、じゃあもうそこにしとこうっていう。もう四日市工業も受けないで。
(同上)
ということで、受けなかったけれど四日市工業高校に行きたかったということで、すでに私立中学にいて高校へ内部進学なら、そんな事はなさそうです。
また、引用しているこの取材は「田中さんの3年間」に対する取材という前提でした。
ということで、田中哲司さんの出身中学は海星ではなく、地元の公立中学ではないかと推定されます。
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とはいえ、出身中学について田中さんから言及などはないので、具体的には不明ーー。
地図から勝手に推測すれば・・・の話ですが、鈴鹿市立鈴鹿中学校や鈴鹿市立鈴西小学校などが見えていますが、あくまでも推測の話でした。
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田中哲司さんの出身大学は日本大学
上記のように田中哲司さんは一度は専門学校に入りましたが、一年で辞め、さらに一年受験勉強してから日大の藝術学部演劇学科に進学しました。
実家が造園業などを経営していたようで、相応のゆとりはあったのではないでしょうか。
日大での授業で演技の発表をしたときに「華がある」と褒められて、役者に向いているのかなと思ったと、後のインタビューで答えていました。
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大学2年の時、「中退して役者になる」と伝えようと実家に帰ったことがあった。
「でも、両親が地道に働いている姿を改めて見た時に、これ以上わがままは言えないなと思って、結局そのまま東京へ戻りました。
音楽をやりたいとか大学へ行きたいとか言って、金銭面で必要以上に両親に迷惑をかけていたことに気づいたんです。
だから大学はちゃんと卒業しました」
(マイナビ転職VOL82 から)
ということで、役者を志しながら、田中さんはきっちり日本大学を卒業しました。もし俳優になっていなかったら、造園業の家を継いでいただろうという話もあります。
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日本大学の芸術学部には8部門の学科があり、写真・映画・美術・音楽・文芸、演劇、放送、デザインとなっています。
演劇学科のなかにはさらに劇作コース、演出コース、演技コース、装置コース、照明コース、日舞コース、洋舞コース、企画制作コースの8コースがあります。
私のファースト田中哲司は軍師官兵衛の前半MVP荒木村重だったんだけど、あの時からそんなに時間経ってないのに(といっても5年)、あの時の彼は見るからに猛々しい荒武者〜って感じで、こんなタヌキじゃなかったな(笑) pic.twitter.com/IS6fWdgLRD
— ルルフ (@hervorruf) February 23, 2019
日本大学の芸術学部
所在地:東京都練馬区旭丘2丁目42−1
こちらは日大の江古田キャンパスになります。
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芸能人には「ニチゲイ」出身者が多いと言われています。
日大芸術学部の演劇学科の卒業生は、その名の通りで、じつに多数の活躍中の役者さんたちがいます。本仮屋ユイカさん、高畑こと美さん、藤竜也さん、太田光さんなど。
また映画学科から俳優になった人物も多く、船越英一郎さん、池松壮亮さん、竜雷太さんなど。放送学科の出身者には宮藤官九郎さんもいます。
日大はさすがに大きいので、柴田恭兵さん(経済学部)とさくらまやさん(法学部)は、都心の三崎町駅からすぐのキャンパスでした。
田中哲司さんといえば結婚直後のころは、失礼ながら「仲間由紀恵さんの旦那さん」というイメージも多かったようです。しかし今や押しも押されぬベテラン俳優さんの一人です。
視聴者が先を読んで盛り上がった2019年の『あなたの番です』でも、思いっきりテンションの高い、しかし闇を抱えた男性を演じました。『35歳の少女』のときも身勝手そうでしかし悲哀をかかえた父親でした。
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(2024年の「ボクらの時代」にて、)
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以上、さらに注目されるベテランの一人となった田中哲司さんの出身校について、でした。