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知的な空気が漂う女優、紺野美沙子さん
紺野美沙子さんの学歴と出身校についてご案内します。
紺野美沙子さんは1960年生まれ。慶応女子、慶応大学の出身で、国連開発計画親善大使としてアジア・アフリカを回るという活躍でも知られています。
知名度のわりに近ごろあまりドラマ等でお見かけしない印象もありますが、演技以外の幅広い活動で知られます。相撲ファンとしても有名。
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東京都内の出身で、カリタス女子中学を経て慶應義塾女子高等学校に入学。大学は慶應の文学部で国文学科を卒業しました。
慶應義塾女子高等学校 ⇒ 慶應大学
哲学者の池田晶子さん(2007年逝去)は紺野美沙子さんと高校・大学の同期になります。
慶応に座学中に、朝ドラのヒロインとしてデビューし、大河ドラマはその他のドラマで活躍してきました。
紺野美沙子(こんのみさこ 本名:美佐子)
生まれ:1960年9月8日
出身:東京都狛江市
1967年:(推定)小学校入学、7歳
1972年:(推定)カリタス女子中学入学、13歳
1976年:(推定)慶応女子高校に入学、16歳
1977年:少年ドラマシリーズ「未来からの挑戦」
1979年:(推定)慶應義塾大学に入学、19歳
1980年:NHK連続テレビ小説『虹を織る』ヒロイン、20歳
1981年:木曜ゴールデンドラマ『氷点』
1983年:大河ドラマ『徳川家康』 木の実
1988年:『武田信玄』三条の方
1990年:『白い巨塔』、30歳
1992年:篠田伸二さんと結婚
1999年:NHK連続テレビ小説『あすか』
2003年:『母のいる場所』
2004年:『アイ’ム ホーム』
2005年:『赤い運命 』大竹由美子、45歳
2009年:『僕らのワンダフルデイズ』
2010年:「紺野美沙子の朗読座」主宰
2011年:『ヤング ブラック・ジャック』
2017年:『悦ちゃん』 日下部絹、57歳
2019年:「大相撲の継承発展を考える有識者会議」委員
2022年:「横綱審議委員会」の委員、62歳
その他出演多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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紺野美沙子さんの出身高校は慶應義塾女子高等学校
上記のようにカリタス女子中学校から、慶応女子に進んでいます。
カリタス女子中学校・高等学校は中高一貫女子校ですが、紺野美沙子さんは高校で他校を受験したということ。
慶應義塾女子高等学校はご存知のように高校からの受験もあります。
中学受験の御三家と言われる「桜蔭」「女子学院」「雙葉」では中高一貫のみですが、慶応女子ではおよそ90名の一般枠、20名の自己推薦枠があります(ただし現在の状況であり、紺野美沙子さんが受験した1970年代の詳細は微妙に異なるか不明です)。
いずれにしても、全国でもトップクラスの高校。
慶應義塾女子高等学校は、慶応の三田キャンパスの直ぐ側・・
慶應義塾女子高等学校
所在地:東京都港区三田2丁目17−23
慶応女子の出身者には、宇宙飛行士の向井千秋さんや、ヴァイオリンの千住真理子さんなどがいます。
若い世代では芦田愛菜さんが慶応女子から慶應義塾大学法学部に進むことが話題となりました。
慶応女子の多くの場合、慶應大学の出身者ということでもあります。
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紺野美沙子さんの出身小学校、出身中学校はカリタス
高校の前に紺野さんの小学校・中学校時代について。
紺野さんは小学校の途中で、ご両親の離婚・再婚の事情から、カリタス学園の運営するカリタス小学校に転校しました。引き続き、中学もカリタス女子中学校に進学。
どちらも学校法人カリタス学園が運営しており、フランス語教育も取り入れられています。
創立は戦後に「ケベック・カリタス修道女会」からシスターが来日したことに始まりました。
当初は世田谷区若林に修道院が設立され、1961年に中学校が、1963年に小学校が、現在の場所に設立されました。
カリタス女子中学校
所在地:川崎市多摩区中野島4丁目6−1
同じ敷地内に幼稚園、小学校、女子中学校がともに設けられています。狛江市出身の美沙子さんにとって、多摩川を挟んで対岸の位置にあるこちらは、比較的近隣の学校だったことでしょう。
出身者には紺野さんの他に、女優の堀田茜さん、アナウンサーの下平さやかさん等がいます。
狛江市の狛江高校の出身者に門脇麦さんがいます。
紺野美沙子さんの出身大学は慶應義塾大学
紺野美沙子さんの、慶応女子高校からの進学先、慶應義塾大学文学部は現在、一年時のみ日吉キャンパスで以後は三田キャンパス。
紺野美沙子さんは、文学部の国文学科を卒業しました。
慶應義塾大学
所在地:東京都港区三田2丁目15−45
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紺野さんが、なぜ女優を志し、なぜ国連開発計画(UNDP)の活動をするようになったかーー国際連合広報の記事があります。
小学校5年生のときに入っていた演劇クラブがきっかけです。
顧問の女性の先生がとても熱心に指導して下さる方で、厳しい指導を経て迎えた晴れ舞台が、とても思い出に残っているんですね。そのときに、お芝居って面白いんだなと初めて思いました。
― ボランティアや国際協力などは、以前からされていたのですか。
幼稚園から中学校までカトリック系の学校で、奉仕活動の時間というのがありました。
(中略)
みんなで近くの高齢者の施設を訪ねたんですね。(中略)
そこで、訪れただけで喜んで下さる方がいらして、特別なことは何もしていないのだけれど、それだけでこんなに喜んで下さるんだ、ということは自分にとって大きな発見でした。(https://www.unic.or.jp/activities/un_japan/un_interview/misako_konno/ より)
紺野美沙子さんは2020年現在も、女優活動はわりと控えているようです。むしろ環境問題や災害復興などに熱心であるとされています。
元来、出演数なども多くない方ですが、どこか達観した人物像が感じられます。
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紺野美沙子さん、聖火リレーで実家の近くを走っていきました! pic.twitter.com/1d7kAhHnyJ
— T.Hだう部 (@BeccamBot) April 3, 2021
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以上簡単ですが、慶応女子、慶應義塾と進んだ紺野美沙子さんの出身校について、でした。