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電通勤めから作家となった大宮エリーさん
大宮エリーさんの学歴、出身校について。大宮エリーさんは脚本家、作家として活躍中です
本名は大宮恵里子さんで、東大の薬学部を卒業し電通に入ったという異色経歴とも言える方です。桐蔭学園を卒業し、浪人してから東大に入っています。
桐蔭学園高等学校 ⇒ 東京大学
東大では薬学部に進んでいますが、薬剤師の国家試験を受けず薬剤師の資格はとらなかった(試験日にあえて海外に・・)とのこと。
その後の就活で苦労した末に株式会社電通に入り、広告代理店の業務で活躍し、その後、独立することになりました。
大宮エリー
生まれ:1975年11月21日
出身:大阪府
1982年:(推定)小学校入学、7歳
1989年:(推定)中学入学、13歳
1991年:(推定)桐蔭学園高校入学、16歳
1995年:(推定)浪人後東大に入学20歳
2004〜2012年: 「サラリーマンNEO」脚本参加
2006年:大宮エリー事務所を開く。初監督作品『海でのはなし。』
2010年:「ソロモン流」「船越英一郎とデート」制作
2011年:オールナイトニッポン月曜枠、36歳
2012年:大宮エリー「思いを伝えるということ」展
2014年:『なんとか生きてますッ』発行
2019年:個展『Beautiful Days 〜美しい日々』
2021年:マセキ芸能社と業務提携
その他制作等多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
電通という会社は好きでしたし、ずっと居たかった。いろいろ恵まれていたと思います。でも、私、事務的なことがすごく苦手だったんです。(中略)・・「どうしてみんなができることがお前はできないんだ」って部長に言われて・・・(中略)
で、ここにいちゃいけないんだなって。迷惑かかるなって。組織には向いていないんだとあきらめて、会社を辞めたんです。当時よく「フリーになったんですね」と言われましたが、そういうんじゃなかった。
(就職ジャーナルの記事から。
http://journal.rikunabi.com/work/job/job_vol75.html)
電通さんのこと、色眼鏡で見てはいけないけれど、やはりなかなかプレッシャーのある世界なのでしょうか。(でも文脈の続きがあるので、よろしかったら続きも読んでみてください)
大宮エリー 「7/11(火)スナックエリー」https://t.co/AGIZAUfUeE#LINELIVE で配信中 pic.twitter.com/K0LVr24Ajf
— 大宮エリー (@tsubu_ellie) 2017年7月11日
大宮エリーさんの出身高校は桐蔭学園高校
桐蔭学園(桐蔭学園中学校・高等学校)はマンモス校としても、また甲子園出場校としても、進学校としても知られます。
女子部が作られたのは1981年です。大宮エリーさんが卒業したと計算される1994年ころは「高校2年まで男子部と女子部に別れ高3で男女共学となる」その当時と思われます。
桐蔭学園は、東大合格者がピークだったのは1992年の114名とのこと。
つまり大宮エリーさんはまさに桐蔭学園のピーク時に在学した優秀な生徒の一人だったということでしょう。
桐蔭学園
所在地:神奈川県横浜市青葉区鉄町(くろがねまち)1614
広大な敷地としても知られる桐蔭学園です。敷地内にある系列の大学は桐蔭横浜大学という名称に代わりました。
地図上で眺めるだけでも、惚れ惚れするようなキャンパスでした。
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桐蔭学園高等学校では当然ながら優れた卒業生が多く、水嶋ヒロさん、デーモン閣下、西川史子さん、やくみつるさんなどがいます。アナウンサーの中村仁美さんも。
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細かいことをいうと、大宮エリーさんの出身中学も桐蔭学園だったか、確認できていません。⇐追記
大宮エリーさんの出身中学はやはり桐蔭学園中学校だったと考えられます。一つは、あるインタビュー(次項に)では高校で理数科、を受験したのではなく「理数系のコースを選びました」と語っていたこと。
さらに、もう一つの根拠は、朝日新聞の「関西スクエア」(2017年9月)で元大阪大学総長の鷲田清一との対談で、「中学は女子校でしたが、どのグループにも所属できなかったんです。」と語っていることです。
中学で仮に他の私立にいて、桐蔭学園高等学校に進むとは考えにくいこと、から大宮エリーさんの出身中学は、桐蔭学園中学校とこちらでは推定します(公式ではありません)。追記ここまで。
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大宮エリーさんの出身地、大阪と小学校時代
エリーさんは大阪の出身で、上記の「関西スクエア」でも「哲学者の鷲田清一さんが関西ゆかりの女性と語り合う朝日21関西スクエアの年間企画、言葉ほぐし」というテーマでした。
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大宮エリーさんは「翻訳者だった父の仕事の都合」で東京に引越したそうです。子どものころ、いじめ体験があったことは複数の取材で知られています。
お母さんは、いじめられたことを聞いて「あなたに問題があるわけではない」と断言してくれたとのこと。
小学4年生のころの話です。
関西弁で話すと「何を言ってるか分からない」と言われ、服装もけなされました。自分に落ち度があると思っていましたが・・(後略)
(https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/ijime/1382/ より)
これは2018年の取材。
また、2022年の婦人画報の取材では、以下のように答えています。
子どものころはいじめられっ子でした。両親も共働きで、一人遊びが多かったように思います。だから本はよき友人で、本の世界にエスケープして救われていました。(https://news.yahoo.co.jp/articles/176fc8a3deb4e332161062d91865dba3093dc677 より)
本好きだったことは顕著。
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上記の鷲田氏との対談でも「教科書の端に想像で将来の親友の絵を描いて話しかけたり。孤独でした」ともあります。
大宮さんの言葉は飾らず率直に過去を吐露しているためか、そして笑いに転化できる才能のゆえか、グサリと人の気持に入ってくるようです。
【関東】#大宮エリー × #JAL サステナブルな空への想いを寄せた、「#たびするきもち」作品展示をJAL SKY MUSEUMにて開催します❗
→https://t.co/Uxe7yFIdIY展示期間:2022年11月1日(火)~2023年1月31日(火)(予定)
✈️[エリアニュース]#JALAreaNews pic.twitter.com/xV7XWwSK9v
— JAL’s now【公式】 (@JALs_now) October 18, 2022
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ということで、出身の小学校などは分かりませんが、大阪の小学校から、小学校時代のやや前半くらいに転校し、関東の小学校を卒業して、桐蔭学園中学に進んだと考えられます。
(この項目は2022年の追記でした)
大宮エリーさんの出身大学は東京大学
大宮エリーさんの進学したのは東京大学の薬学部。
当時入学時は教養学部。
薬学部は2006年度の入学者からは6年制の薬学科が設けられました。大宮さんが卒業した当時は、従来の4年制だったはず。
大宮エリーさんは理系が苦手だったけれど「数学0点でも受かるところ」として東大と言われたという話があります。・・そこは、ふつうはあまり得心がいかないのですがーー。
ともかく見事、東大に合格して、しかし薬剤師の資格を取らなかったというユニークな大宮エリーさんです。
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以下は、漢検のページでのインタビューです。
有名な私大は全教科ある程度の高い点数を取らないと合格できなかったんですが、私の時代、例えば数学が0点でも国語など他の教科で高得点を取り全体でならせば合格できると聞き、東京大学を目指すことにしました。
とはいえ、東大の国語の過去問は難しいものばかりでした。(後略)
(https://www.kanken.or.jp/kanken/kanjitokanken/3/2.html より)
そして・・・
浪人することになったんですが、予備校にも通わず宙ブラリンな状況。東大受験を諦めて他の私大も受けてみようと一度は思いました。
でも、もう1回東大を受けないとそこから逃げた感じがするって強く思ったんです。それだったらもう一度受けてみようって、粛々と受験勉強を進めていきました。
(同上)
この話の主旨は「言葉を扱う」ことについてなので、よろしかったら引用元を御覧ください。
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追記となりますが、その後の2022年のインタビューによると、本当に0点だったとのこと。
要は、東大の2次試験(一般選抜)の数学は難しすぎるから、得意な人との点数差が開きにくいのです。そこで私は中間点を狙い、その分、国語や英語で満点を取ろうと思ったんです。 1浪を経て、理科II類に合格。のちに教授から「数学は0点だったぞ」と言われました。
(https://dot.asahi.com/aera/2022012100013.htmlより)
この話から、誤解する方はいないと思いますが・・。
大宮エリーさんは中学でも高校でも、数学の授業のスピードには付いていけなかったけれど、参考書を買って自分のペースで理解したそうです。文字通りの知識ゼロではありません。
それにしても、並外れたパワーです。この取材では最後に「できなくても、面白いと思うなら理系に行ったほうがいいと思います。」と語っていました。
薬学部だったけれど、薬剤師国家試験の日にあえてブラジルに行っていたことは、今では有名になっているようです。
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画家でもある大宮エリーさん
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ところでご本人が名前の由来をこうツイートしています。
ちなみに本名は大宮恵里子です。エリちゃん、と言われていたので大宮エリーになりました。あ、ちなみに、駅名はひととおり、やってみました。鴬谷エリーとか、荻窪エリーとか 御徒町エリーとかね。
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さらに画家でもあるので大宮エリーさんの絵はどんな絵?という素朴な疑問について。
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個展『Beautiful Days 〜美しい日々』が、2019年に開催されました。場所は、代官山のヒルサイドフォーラム。
大宮エリー
“Beautiful Days 〜美しい日々”今日まで
大きく2つのセクションに分かれている
1つは六甲ミーツ・アートで発表した”未亡人の館”架空の未亡人の住む館を模した会場に
夫との思い出の品である家具や、日用品が切り取られた様に作品になっている#ellieomiya#beautifuldays pic.twitter.com/hGGhjC10RQ— 柵木 頼人/masegi yorito (@sander_inazuma) January 27, 2019
最初の2部屋の展示空間に広がるのは、2018年のイベント「六甲ミーツ・アート 美術散歩」で発表した『未亡人の館』。
27歳で未亡人となったひとりの女性の、最愛の夫との思い出が詰まった部屋を、41点の絵画で表現した作品です。ベッドやソファなどの家具、観葉植物、ワインのボトルにコーヒーカップなど、愛する夫と暮らした部屋にある当たり前の物たち。
(https://www.pen-online.jp/news/art/beutifuldays/1 より)
パワフルで優しい作品・・
未見ですが、観たかったと思いました。
エリー学園で大宮エリーさんと話しました。彼女の絵を見て、絵の話を聞いて、彼女の天才ぶりを目の当たりに。🔴感動した。無限の才能をみんなのために惜しみなく、毎日働く、エリー学長 えらいなあ。すごいわ。 pic.twitter.com/J3tcmBpjXw
— 土井善晴 (@doiyoshiharu) August 9, 2020
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以上、簡単ですが大宮エリーさんの出身校について、でした。