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総裁選に意欲を持つ女性政治家
野田聖子さんの学歴と出身校についてご案内します。野田聖子さんは自民党の衆議院議員で総裁選に意欲を持つと言われる女性政治家。安倍内閣では2017年に総務大臣を務めました。
出身は北九州市ですが、都内の田園調布雙葉高校に内部進学したあと、中退してジョーンヴィル・ハイスクールに行き、帰国して上智大学に入学。
田園調布雙葉高校 ⇒ ジョーンヴィル・ハイスクール(アメリカ)⇒上智大学
田園調布雙葉高校は私立の女子校で、小学校から高校まで内部進学でしたが、中退してアメリカのハイスクールにーー。
ハイスクールを早々に卒業して17歳の秋に9月入学で上智大学に進学しました。
上智大学では外国語学部の比較文化学科を卒業。現在は国際学部となっている学科です。
野田聖子さんは史上最年少で県議会議員に当選したり、小渕内閣で閣僚史上最年少で郵政大臣に抜擢されたり、自民党を離党・復党など、さらにお子さんの誕生を巡っても、たいへん話題の多い方です。
それだけ支持者も、一方で敵(?)も多いのかもしれませんが、公式サイトのプロフィールによると、こう語っているのがたいへん印象的でした。
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よく食べよく呑み!?、大いなる鈍感力が欠点の私は、いたって健康なのがとりえです。
その前に、こんな日常だそうです。・
私の一日は毎朝5時、早起き息子の真輝(まさき)にたたき起こされることから始まる。おむつを替え、朝食をとらせながら、あたふたと出勤の準備をして職場へ。
仕事と育児の両立が始まって以来、好きな読書が入浴中にしかできなくなったのが少々辛い。他方、夫が日々の息子の世話を全面的に担当してくれるのが大きな救い。
野田聖子(のだせいこ 旧姓:島聖子)
生まれ:1960年9月3日
出身:福岡県北九州市
1967年:(推定)田園調布雙葉小学校入学、7歳
1973年:(推定)田園調布雙葉中学入学、13歳
1976年:(推定)田園調布雙葉高校入学、16歳(ジョーンヴィル・ハイスクールへ)
1978年:秋入学で17歳で上智大学入学
1983年:上智大学卒業、23歳
1984年:祖父の野田卯一氏の養子となり野田姓を継ぐ
1987年:岐阜県議会議員選挙、史上最年少で当選、27歳
1998年:小渕内閣で閣僚史上最年少37歳10か月で郵政大臣
2001年:鶴保庸介氏と事実婚を発表(2007年まで)、41歳
2005年:第44回衆議院議員総選挙で自民党の公認を得られず。当選。自民党離党
2006年:復党(郵政造反組の復党)
2010年:アメリカで体外受精により妊娠と『週刊新潮』に手記
2011年:男児誕生。事実婚だった男性と婚姻、51歳
2015年:総裁選挙に意欲を見せたが推薦人が集まらず断念
2017年:総務大臣並びにマイナンバー制度担当の内閣府特命担当大臣
2020年:自民党幹事長代行、60歳
2021年:総裁選挙に意欲
2023年:夫が元暴力団員という週刊文春記事の漏洩元は警察庁として夫が東京地裁に提訴
2024年:64歳
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
野田卯一氏(故人 1903〜1997年 )の跡を継いだことは有名。
時代が遡りますが、聖子さんの祖父である野田卯一氏は池田勇人氏や福田赳夫氏と並ぶ政治家として期待され、閣僚を何度も経験された人物。
また、今となっては古い話題ながら、郵政民営化については反対派の急先鋒と見られていました。また、お子さんの真輝くんが生まれるまで、生まれてからについても、多々物語があるようです。
『不器用』 (野田聖子著 Amazonへのリンクとなっています)
出身高校は田園調布雙葉高等学校(中退)、復学の可能性もあった?
野田聖子さんの出身校は、まずは田園調布雙葉高校です。同校を中退後にアメリカのハイスクールに転校し、短期間でしっかり卒業しているところが、やはりエネルギッシュです。
下記の項にありますように、同校は小学校と中学校からの内部進学になります。
田園調布雙葉高等学校
所在地:世田谷区玉川田園調布1丁目20−9
ところで野田聖子さんが田園調布雙葉高校を中退した経緯については、複数のページで、バイクの教習所に通っていたのが学校にバレてというような記述を見ました。
しかし、この中退原因について弊サイトでは疑問に思っています。その理由は一つは、その種の本人のコメントを発見できないから。(ご本人が言わないだろう等のツッコミは別として、笑)。
もう一つは、次項のJonesville High Schoolに留学して日本に帰ったあと、田園調布雙葉高校に復学することも、可能性としてあったという内容のご本人のコメントを見たからです。
私はそのままアメリカの小さい大学に行くつもりだったの。そのSATで行ける、そんなに有名校じゃなくて、小さな学校に行くつもりで。そしたら親が寂しがっちゃって、帰ってこいと。でも雙葉に戻ると1年遅れるじゃない。それは嫌だと言ったら、留学したアメリカの高校卒業証書とSATで受け入れてくれる大学が4校くらいあったんです。
(http://ewoman.jp/winwin/149/3/02 より)
これは次項の話になりますが、ジョーンズヴィル・ハイスクールを卒業したあとにSAT (*大学進学適性試験)でアメリカの大学に進学しようとしていたけれど、日本に帰ることになったという話ーー。
もし校則違反で中退していたら、その後に「雙葉に戻る」ということは、考えられないように思えるから、というのが二つ目の理由です。
では、なぜ雙葉を中退してアメリカに留学したのか・・・
知的なお嬢様学校だったから、若干、飽きちゃったのね。うちの両親も変わり者だったけど、発散できない娘がいて、高校をやめたいと言ったときに、やめるなら、もっと上を目指せ、プラスアルファーを目指せと。
(同上)
そのプラスアルファーとして、留学案内をみているうちに、ジョーンズヴィル・ハイスクールへの留学となったもようです。
厳密なことは分かりません。・
出身高校はジョーンズヴィル・ハイスクール(米国ミシガン州)
野田聖子さんが高校を中退して留学した先は、アメリカのミシガン州にあるジョーンズヴィル・ハイスクールでした。
このとき、利用した制度がYFU(ワイ・エフ・ユー日本国際交流財団)という高校生などの交換留学を支援する公益法人の仕組みです。
ところで、日本の高校の概念でアメリカのハイスクールを想像すると、的外れになりそうです。
(前略)私が留学した田舎の学校は日本と違って教科ごとに移動する。ロッカーは廊下にあって、数学だったら、この教室、美術だったら、この教室って、遊牧民のように教室を移動する。
だから1クラス、日本のような集団で、1年一緒にいるみたいなコミュニティーじゃないのね。だからそこには中1の子もいれば、高3の子もいるみたいな。そうすると、いじめが起きない。
(http://ewoman.jp/winwin/149/3/03/ より)
このような環境で単位取得の証明をとり、比較的短期間で、日本の大学への進学が可能となったということ。
ジョーンズヴィル・ハイスクール
所在地:460 Adrian St, Jonesville, MI 49250 アメリカ合衆国
上記のコメントの「大学が4校くらいあったんです」の続きによると、ICUと早稲田の国際学部と上智大学などがあったそうです。結果的にアットホームな上智へ。
SATを受けているので、面接で入学が決まったとのこと。
秋入学で、いわゆる日本の同級生よりも半年ほど早く大学生になった、ことになります。
八幡から東京へ移り田園調布雙葉へ(出身小学校と出身中学校)
大学の前に、子どものころに話に戻ります。
田園調布雙葉中学校・高等学校は上記のように中高一貫の私立女子校。いわゆるお嬢様学校と見られています。
中学への進学時点でも田園調布雙葉小学校からの内部進学のみとなります。
つまり野田聖子さんは出身小学校も出身中学校も田園調布雙葉となります。
出身者には皇太子妃(現・皇后)の雅子さまなどがいます。
川上弘美さんは、出身校ではなく(出身校は千代田区の雙葉高校)、同校で生物教師を務めた時期があります。また、牧島かれんさんは横浜の雙葉(横浜雙葉小学校〜横浜雙葉高校)の出身となります。
田園調布雙葉小学校
所在地:世田谷区玉川田園調布1丁目20−9
田園調布雙葉小学校は一学年3クラスで、給食はないとのこと。道路を挟んで反対側に田園調布雙葉小学校附属幼稚園があります。
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なお、野田聖子さんは生まれが北九州となっているのは、父親が八幡製鐵の社員だった時に生まれたから。
八幡製鐵と富士製鐵が合併して新日本製鐵になるのですが、聖子さんは北九州の八幡で生まれ、父親の転勤で東京に来て、田園調布雙葉学園小学校に入学したということです。
お嬢さん学校と言われますが、ご本人の言葉では、『お嬢様学校ということで活性化されていないから、当時の理事長が、レアも入れようと、変な子をね。その1人だったの』とのことです。
実際、どうだったかーー。煙に巻かれている気がしないでもないですが、いずれ優秀だったのでしょう。
女子サッカー部を作ったとか、ロックバンドを結成したとか逸話に困らない感じの、子どものころの聖子さんです。
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野田聖子さんの出身大学は上智大学
上記のように、野田聖子さんはアメリカのハイスクールを経てSATで上智大学に進学しました。
大学の卒業が1983年、という年代から逆算するとふつうなら入学は1979年になりそうですが、野田聖子さんは実際は1978年秋に入学しました。
上智大学
所在地:東京都千代田区紀尾井町7−1
上智大学には、他にも市谷キャンパスや石神井キャンパスなどもあります。
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1983年に上智大学外国語学部比較文化学科を卒業した後に、聖子さんは帝国ホテルでの勤務を経て、上記のように翌年、祖父・野田卯一氏の養子となって野田姓を継ぎました。
帝国ホテル勤務が固い印象を持たれることもあるそうですが、実際は一旦はJALに決まっていたようです。
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私は9月に入って、1年遅らせて22歳で出たんだけど。JALで内定が出ていて。そうしたら、飛行機事故がおきて、自粛ということで、そのときの地上職がなしになったの。
(同上)
さらに・・
私は面倒臭いから自暴自棄になっていて、友達についていって、いろいろな会社を受けた。サントリーも、ソニーも、日本テレビも落ちたし、住友商事も。(中略)
最後に帝国ホテルの二次試験にだめもとで行ったら、今の社長の小林さんが面接官で。小林さんと面接の際、とても気が合って、小林さんの強引な引きで、何もできない私が入った。
(同上)
ということで、長い引用になりましたが、就職一つも、自由奔放かつどこかに向けて意欲にあふれる人物ということが、よく分かりました。
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このようにして、野田姓を継いだあと1987年には政界入りしています。
史上最年少で当選とか史上最年少で入閣など、華々しい活躍が続きました。
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政治家としての細かい経歴はここでは省略します。しかし「内閣府特命担当大臣」、「自由民主党総務会長」等々、諸々の役職をこなしている野田聖子さんです。
今後の動きも注目されます。
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2021年の肩書は「自民党幹事長代行」でした。
同じく女性議員で、総裁選でも注目の高市早苗さんは、神戸大学の出身で生年月日をみると同じ学年ということのようです。
幹事長記者会見。
緊急事態宣言の今後の取り扱いについて、本日午後、専門家の評価をいただいて、了承されれば、夕方の対策本部で正式に決定。党としても引き続き、感染収束に力を尽くしてまいりたい旨会見されました。#自由民主党 #二階俊博幹事長 #野田聖子 pic.twitter.com/nJ0ZHvcbN0— 野田聖子(衆議院議員 / 岐阜1区) (@noda_seiko93) February 2, 2021
*当サイトでは、政治家の方について、支持・不支持等の意図はありません。
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以上簡単ですが、野田聖子さんの出身校についてでした。