雀士としても強者の風間杜夫さん
風間杜夫さんの学歴、出身校について。
風間杜夫さんは2020年代は70代で、円熟した演技を見せてくれています。8歳から子役で活躍してきたベテラン俳優。落語家でもあります。
マキノ雅弘監督や加藤泰監督らの名監督の作品にたくさん出演してきました。小3の時に「内気な性格を直すため」と母親に勧められ、東映演技研究所児童部に入ったそうです。
世田谷区立旭小学校を卒業したあとは、玉川学園中学部・高等部に通い、中・高を玉川学園で過ごしました。
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早稲田大学では第二文学部の演劇専修でした。
玉川学園高等部 ⇒ 早稲田大学
早稲田はその後、退学しています。
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落語家役を演じたことから、風間杜夫さんは落語に取り組み、2003年には新宿末廣亭での寄席出演も実現しました。
芸能界きっての雀士と言われるほど、麻雀に強いことでも知られ、諸々の場でその能力を発揮してきました。
風間杜夫(かざまもりお・本名:住田知仁)
生まれ:1949年4月26日
出身:東京都世田谷区三軒茶屋
1956年:(推定)小学校入学、7歳
1957年:児童劇団『東童』に入団
1958年:東映演技研究所児童部に入り、子役として活躍
1962年:(推定)玉川学園中等部入学、13歳。劇団を退団
1965年:(推定)玉川学園高等部入学、16歳。(内部進学)
1968年:(推定)早稲田大学入学、19歳
1971年:劇団『表現劇場』結成。
1972年:日活ロマンポルノで風間杜夫名でデビュー
1977年:『戦争で死ねなかったお父さんのために』
1983年:『スチュワーデス物語』村沢浩役
1996年:『官僚たちの夏』片山泰介
2001年:『千年の恋 ひかる源氏物語』
2007年:東京六大学麻雀リーグで早大チームの監督
2010年:『ゲゲゲの女房』村井修平、61歳
2013年:『八重の桜』林権助
2015年:『マッサン』森野熊虎
2017年:『本能寺ホテル』支配人役、『先に生まれただけの僕』柏木文夫役
2018年:『西郷どん』西郷吉兵衛
2021年:『黒革の手帖~拐帯行~』、72歳
その他出演等多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
風間杜夫「初日が良い形で迎えられてほっとしています」~長塚圭史演出の『セールスマンの死』が開幕 舞台写真&コメントが到着 #セールスマンの死 #長塚圭史 #風間杜夫 | https://t.co/2b49493PFr pic.twitter.com/QkOpBfQESs
— SPICE[舞台情報メディア]/e+ (@spice_stage) January 11, 2021
今夜10時からの『先に生まれただけの僕』のおさらい
我らが風間杜夫は学校の事務長で役名は「柏木文夫」です
訓練生憧れの教官である「村沢浩」ではありません#先僕 #先に生まれただけの僕 #風間杜夫 #スチュワーデス物語 pic.twitter.com/KEVzxLKAML— ディック (@denkihitsuji777) 2017年10月28日
風間杜夫さんの出身高校は玉川学園高等部(出身中学も)
玉川学園中学部・高等部は学校法人玉川学園が運営しています。
小原國芳氏が創立。広いキャンパスに幼稚部から大学院まで1万人ほどが集まる総合学園となっています。
シシド・カフカさんもこちらの出身でした。
玉川学園中学部・高等部
所在地: 神奈川県横浜市青葉区奈良町2713
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細かい話、学園の高等部は横浜市の青葉区になり、
一方、大学(学園はつかず、玉川大学)の所在地は町田市玉川学園6丁目1で、住所が玉川学園になっています。小田急線の駅名も「玉川学園前」で次が「町田市」。
同じキャンパスのなかで住所が入り組んでいるという(だけの)話でした。
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個人的な感覚かもしれませんが、黒柳さんのトットちゃんのトモエ学園と、戦後も発展した玉川学園は、対のように思い浮かべることがあります。
風間杜夫さんはこちらの玉川学園で中学校・高校時代を過ごしました。
子役として活躍してきた風間杜夫さんは、あえて中・高時代は役者活動をしていません。しかし、内心は大きくなったら役者になろうと思っていたそうです。
また、中・高時代は、周りの同級生たちがほぼ「金持ちのおぼっちゃま」的な少年で、クラスメイトにあまり馴染めなかったそうです。それで悩みすぎて失語症に近いような状態だった体験もあるとーー。
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さらに、風間さんの実家は雀荘を経営していたとのこと。
高校時代には実家の雀荘でアルバイトをしたり・・。また、人数が足りないお客さんのために、一緒に卓を囲むうちに、麻雀のウデも上がった様子です。
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風間さんの子ども時代の世田谷と出身小学校
時系列がさかのぼります。風間さんの出生地は世田谷区の三軒茶屋。
9歳のころ、先述のように母親の勧めで東映演技研究所児童部に入った、それまで内気な少年だったというのは、今や大御所の風間さんを考えると意外です。
しかし「売れすぎ」を避けて、13歳で退団。
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風間杜夫さんの小学校時代は、世田谷区立旭小学校に通っていたことが明らかになっています。
世田谷区立旭小学校
所在地:東京都世田谷区野沢1丁目4−3
こちらの小学校は、敢えて駅で言えば「三軒茶屋」と「駒沢大学前」の中間くらいの位置ーー。風間さんは出身が世田谷区三軒茶屋であり、まさに都会の只中でずっと育ってきたということでしょう。
小学校時代の、特に小5の頃は、京都の撮影所に行っており、あまり学校に通えなかったそう。
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一方で小学校時代の友人とは仲がよく、風間さんが大スターになってからも旅行に行ったり、飲みに行ったりということが知られています。
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風間杜夫さんの出身大学は早稲田大学
上記のように風間杜夫さんは早稲田大学第二文学部に進学しました。
早稲田にはご存知のように以前は、第一文学部、第二文学部がありました。この、早稲田大学第二文学部、通称「二文」は2006年度を最後に受験は修了し、2007年4月からは文化構想学部とあらたに「文学部」が発足しました。
早稲田に限らず、かつての大学に「第二○○学部」や夜間部が多々、存在しました。現在は、多くの場合廃止されているのは、ご存知の通りです。
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「早稲田の二文」には、13専修時代とされる(1949〜1969年)と8専修時代とされる(1970〜1996年)には、「演劇専攻」がありました。1996年以降にはありません。
風間杜夫さんは、1968年頃に入学なのでもちろん、演劇専攻のあった時代。早稲田をいつ退学されたか等は分かりませんが、退学と前後して1971年に劇団の『表現劇場』結成しました。
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早稲田大学
写真は「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館」
キャンパス所在地:東京都新宿区戸塚町1丁目104
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演劇を目指した人たちが、早稲田を目指した理由には、この「演劇専攻」があったことでしょう。
『表現劇場』を結成したころの仲間に大竹まことさんがいて、大竹さんとは同居していた時期もあるそうです。大竹氏が、撮影現場で余った弁当を持ち帰ってくれたり・・
なんとも昭和を感じさせてくれます。
がん公表の堀ちえみへ“教官”風間杜夫が激励「今は、貴女が人生の教官」「必ず克服してほしい」|BIGLOBEニュース https://t.co/pigsTUuZUA pic.twitter.com/tQGdI2BWIo
— BIGLOBEニュース (@shunkannews) February 19, 2019
風間杜夫さんは、連続テレビ小説『マッサン』での森野熊虎役も味がありました。2018年の西郷どんでもさすがの貫禄で活躍されました。
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以上簡単ですが、風間杜夫さんの出身校についてでした。