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伊勢谷友介さんは芸大現役合格のうえで俳優!
伊勢谷友介さんは東京藝大出身の俳優としてユニークな存在感を放っています。
映画を中心に活躍し、2009年の『白洲次郎』では一躍、ドラマでも知られるようになりました。東京都の出身で幼少期は北海道育ち。
高校は日本大学豊山高等学校の出身で、現役で東京芸大のデザイン科に合格しました。
日本大学豊山高等学校 ⇒ 東京藝術大学
東京藝大では美術学部のデザイン科を卒業し、さらに大学院美術研究科修士課程も修了ーー。
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2017年にはNHKでないという意味でも珍しく連続ドラマ『監獄のお姫さま』に出演し、謎の多いドラマで社長を演じました。
伊勢谷友介さんは腹違いの兄が山本寛斎さんということでも知られます。
山本さんと年齢が大きく離れているため、山本さんの娘である女優の山本未來さんは、歳上ながら伊勢谷さんの姪に当たるそうです。
伊勢谷友介(いせやゆうすけ)
生まれ:1976年5月29日
出身:東京都
1983年:(推定)小学校入学、7歳
1989年:(推定)中学校入学、13歳
1992年:(推定)日大豊山高校入学、16歳
1995年:(推定)東京芸大入学、19歳
1996年:モデル活動開始、『地球に落ちてきた天使』出演
1997年:藝大生のグループ「カクト」
1999年:『ワンダフルライフ』
2006年:『パッセンジャー』主演、30歳
2009年:スペシャルドラマ『白洲次郎』、33歳
2010年:『龍馬伝』高杉晋作
2015年:『花燃ゆ』吉田松陰、39歳
2017年:『監獄のお姫さま』板橋吾郎
2018年:『サバイバル・ウェディング』宇佐美博人
2019年:『翔んで埼玉』阿久津翔 41歳
その他出演等多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
俳優だけでなく、2003年には監督として「カクト」を公開しています。東京芸大ではデザインに入った後に、専攻を映像に変え、映画監督になるために学びました。
俳優が監督もしていると言うよりは、監督志望の伊勢谷さんが、道を究める中で俳優として著名になったというべきかもしれません。
伊勢谷友介氏は「白州次郎」を観て瞠目し「あしたのジョー」での力石徹役の見事なまでの実現ぶりと壮絶なまでの役者魂の凄味に圧倒された。
まァ「ジョジョ」や「翔んで埼玉」もいいんですが…
そろそろ「男の中の男」になりきって男の色香を体現し、世の男性諸氏を陶酔させ憧憬を掻き立てて欲しい。 pic.twitter.com/aB6LN3hXy2— 武蔵屋 (@nannzannsu) 2019年5月5日
伊勢谷友介さんの出身高校は日本大学豊山高等学校
伊勢谷友介さんの出身高校、日本大学豊山中学校・高等学校はメトロの「護国寺」駅から直通のようにすぐで、もちろん護国寺にも近いわけです。
日大豊山(ぶざん)の「豊山」はもともと護国寺に設置された真言宗「宗学林」が前身だったことに由来ーー。
現在は日大の正規の付属校ですが、同窓生は旧制豊山中学からの卒業生から長い歴史に連なっています。
日大豊山は男子校で、中学時からの生徒と高校入学の生徒がいます。日大へは基本的に推薦で入学できるとのこと。
日本大学豊山中学校・高等学校
所在地:東京都文京区大塚5丁目40−10
伊勢谷さんは高校からの入学で、上記のように望めば日大に進学できたはずですが、あえての東京芸大受験。
勉強すれば受かるという受験でなく特に「東京芸大のデザイン」の受験は、並大抵のことではありません。
伊勢谷さんの函館時代
時間はさかのぼって、伊勢谷友介さんは生まれは東京ながら、育ったのは北海道の函館であることが知られています。
ご本人アカウントのツイート(2016年)に拠ると、まず、小学校は北海道の函館市立千代田小学校だったことが分かっています。
伊勢谷友介 《座右の銘☞挫折禁止》@Iseya_Yusuke
2016年5月3日
函館市、うなぎ処 高はしにて、同窓会中!!!
千代田小学校卒の1976生まれ(昭和51年生まれ)
集まって!!!
楽しい〜〜〜!!!
(ツイートでは皆さんの写真付き)
そして千代田小学校はあの、五稜郭のすぐそば・・となります。
函館市立千代田小学校
所在地:北海道函館市梁川町24−2
坂が多いことでも知られる函館市。
湯川線というのでしょうか、昔、行って路面電車に乗ってみたことがあります。情緒ある街並みでした。
伊勢谷さんは小中学校を函館にて過ごしたので、出身の中学も近隣の同学区の函館市立中学と考えられます。
「子育て」を楽しんだ母の尤子さん
函館に行った直接の要因は分かりません。しかし母と息子二人のご家庭の何らかの事情だったことでしょう。3歳くらいから、二人となった模様。
伊勢谷尤子さんは40歳で伊勢谷友介さんを産み、当時、友介さんの父は60歳だったそうです。また父親については、腹違いの兄、山本寛斎さんと年齢が大きく開いていることも一例のように複雑な家庭事情があったようです。
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伊勢谷友介さんのお母さん、伊勢谷尤子さんについて、2015年のインタビュー記事があります。
尤子さんはもともと、小中高から短大まで一貫教育の教師をしており、その教師としての体験と、既成の枠に収まってくれない個性的な息子、友介さんには、母親ながら驚かされる毎日だったそうです。
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幼いころの息子は、道を歩いていても、穴があったら必ず覗かないと気がすまないし、池に魚が泳いでいるのが気になったら、そのままじゃぶじゃぶと入ってしまう……とにかく興味が先行してしまう子どもでした。
近所のお母さんたちからも「興味の人」と言われるくらいでしたから。
(https://conobie.jp/article/2069 息子のあだ名は「興味の人」だった。伊勢谷友介の母が振り返る より)
なにか腕白少年というには収まらない少年ぶりです。
しかし、それを見つめる母親は、余裕ある教育者の姿ーー
英会話教室には、ベビーの時から通わせていたのですが、本人も面白がってやってたみたいです。でも、その他は音楽も美術も習わせていなかったですし、中学や高校生になっても、クラブにさえ入ってなかったですね。
(同上)
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そういえば、東京芸大に進んだ伊勢谷さんへの美術教育みたいなものが、どうだったか、個人的にもたいへん気になるテーマでした。
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習わせていなくても、友介さんには湧いてきて止まらない情熱があったようです。4歳のころ、自分が見た公園の氷像が翌日壊されているのを見て、ショックで5〜60枚の絵を書き続けていたとか・・
伊勢谷友介さんの出身大学は東京芸術大学
伊勢谷さんは高校時代にどのように実技を磨いていたか、詳しいことは分かりません。
しかしいずれ当時の藝大は現役合格の学生のほうが少なかったはずです。芸大デザイン科に現役合格とは、美大受験を目指す多くの受験生にとって憧れ、というより、もはや垂涎の的だったことでしょう。
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あらためて、東京芸大は美大系受験を目指した方には周知の通り(いや、目指していなくても周知の通り)超難関大学です。
最近の傾向は変わったと聞いていますが、藝大に入るためには3浪、4浪どころかもっと多浪の学生も多かったのが、いわゆる「藝大受験」。
「藝大に入るための予備校」もランキングを競っている熾烈な状況がありました。もちろん、どんなに偏差値の高い高校生でも、日本一難しい実技試験をクリアしなければ、何年かかっても合格しません。
そんな東京芸大の「デザイン」に現役で合格した伊勢谷友介さん。その一事をとっても、並大抵の才能ではなさそうです。
上記のように伊勢谷友介さんのお母さんは、母子家庭という環境ながらお子さんの教育はたいへん熱心でした。
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東京芸大はご存知、上野にキャンパスがあります。しかし美術学部の一年時の校舎は、茨城県の取手市にあり、取手駅前からスクールバスが随時出ています。
東京芸大
所在地:茨城県取手市小文間5000
美術学部の「先端芸術表現科」の場合は全学年、こちらのキャンパスになります。取手校地が設置されたのは1991年なので、伊勢谷友介さんは入学してから1年は、こちらに通学したと考えられます。
また大学院映像研究科は、横浜キャンパスにあります。東京芸大の大学院進学率は高いので、修士に進んだこと自体は、驚くことではありません。しかし、大学入学の翌年にはモデル活動を開始していますから、やはり、並外れたパワーを感じます。
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藝大出身の美術家、音楽家は当然ながらたくさんいますし、現役の教授等も有名人ばかり。美術科では日比野克彦准教授は、タレントのように知名度が高いのではないでしょうか。
教授は歴史を遡ると、浅井忠や梅原龍三郎、岡倉天心など教科書的な人物が並びます。卒業生には、やはり教科書級と言える、浜口陽三、藤田嗣治、佐伯祐三など、挙げると切りがない顔ぶれ。
さすがに俳優になっている人は、多くはありません。音楽科の出身では俳優の石丸幹二さんがいます。
女性関係においてもある意味ウワサが色々と流れたらしい伊勢谷友介さんーー。その色気ある魅力は、2017年の「監獄のお姫さま」のなかでも、クドカンさんに見事に活かされているようです。
吉田松陰や白洲次郎など歴史上の人物を見事に演じきるのはやはり、かなりの器の人物でしょう。
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以上、伊勢屋友介さんの出身校についてでした。
追記:2020年には、伊勢谷友介さんは残念ながら薬物で逮捕される事件がありました。