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副島淳さんはハーフでイジメも受けたけれど、後に人生が劇的に展開
副島淳さんの学歴と出身校についてご案内します。
『あさイチ』などで広く知られる副島淳さんは、外見から英語がネイティブのように見られがちですが、もともと日本の生まれで、浦安市で育ちました。
ハーフであることから子どもの頃は様々なイジメや差別があったそうです。
小学校の途中から千葉県の浦安市で育っており、地元の公立中学でバスケットボールを始めました。
195センチ(成人時)の副島さんには『スラムダンク』でしか知らなかったバスケも簡単そうに見えたようです。
中学で県の選抜に選ばれたことで高校でバスケットをやろうと決め、スポーツ学科のある千葉県の柏市立柏高校に進学
柏市立柏高等学校 ⇒ 東京成徳大学
バスケット強豪校の高校時代を経て、東京成徳大学でもバスケットボールを続けました。
卒業後には、バスケットを続けたい気持ちもあったようですが、タレント事務所に所属して諸々の芸能活動をしてきました。
なお、後にテレビ番組の企画を通して父親がウイリー・ドーシーさん、異母兄が高橋マイケルさんということが分かったという、まさにドラマがありました。
副島淳(そえじま じゅん)
生まれ:1984年7月18日
出身:生まれは東京、育ちは浦安
1991年:(推定)都内で小学校入学、7歳
1992年:家出をきっかけに一時的に誘拐される
1995年:浦安市に転校
1997年:(推定)美浜中学校入学、13歳
2000年:(推定)柏市立柏高校入学、16歳
2003年:(推定)東京成徳大学入学、19歳
2007年:(推定)大学卒業
2008年:『Give and go』ケニー、24歳
2010年:『森田一義アワー 笑っていいとも!「ウチのショップの王子様 ショップリ』
2012年:『高校講座 チョー基礎から始めよう!ベーシック英語』
2013年:『5時に夢中!』黒船特派員
2015年:『HERO』来賓客、31歳
2017年:『あさイチ』スタッフ、『浅田次郎 プリズンホテル』ロドリゲス
2019年:『DRUM’N’ROLL』加藤 、『チャント!』リポーター、三遠ネオフェニックスの応援アンバサダー
2020年:父親がウイリー・ドーシー、異母兄が高橋マイケルであると判明、36歳
2022年:『ひるおび』コメンテーター、著書『いま君のいる場所だけが、世界のすべてじゃない』
2023年:『首』弥助、 一般女性と結婚、39歳
2025年:『父と僕の終わらない歌』、41歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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副島淳さんの出身高校はスポーツ科のある柏市立柏高等学校
副島淳さんの出身高校は、千葉県柏市にある市立の柏高等学校であることが広く知られています。
同校は、地元では「いちかし」と呼ばれます。同じ柏市には県立の柏高等学校もあり、そちらは「けんかし」と呼ばれ、両校が区別されます。
出身高校:柏市立柏高等学校
所在地:千葉県柏市船戸山高野325−1
創立:1978年
柏市の中心部のJR柏駅などからは、かなり離れており利根川を挟んで、直線距離は茨城県の守谷市などに近くなります。
同校では普通科の他に、スポーツ科学科が設置されています。
普通科
スポーツ科学科
スポーツ科学科があるため、プロのスポーツ選手をたくさん輩出しており、卒業生には野球の清田育宏選手、坂本大空也選手や、バスケットボールの太田敦也選手、亀崎光博選手、柔道の小松崎弘子さんらがいます。
高校時代の副島さんはバスケットボールで活躍しており、後にプロバスケットボールで活躍する太田敦也(おおた あつや)選手も、同じ学年でした。
その学年は特に強かったことでしょう。
副島さんは太田選手とともに「全国高等学校総合体育大会」や「全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会(ウインターカップ)」に出場。
なお高校に進んだことについて、後述のように『スポルティーバ』の記事で「県選抜に選ばれたことで高校に行く選択肢が生まれた」と語っています。
まさに副島さんにとって柏高校は、バスケのゆえに選んだ高校と言えます。
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(柏高校時代の同級生と)
副島淳さんの出身地東京・浦安と出身小学校、出身中学校
副島さんは小学校の途中で東京都の葛飾区から千葉県の浦安に転居しました。
しかし、その時がきっかけでイジメを受け、子ども心に副島淳さんの人生が変わっていくことになりました。もちろん、後にそんなことも乗り越えるのですが・・
2022年の『婦人公論』の【転校先で受けた壮絶ないじめ。エスカレートしないようすべてを諦めたら、人とどう話すかわからなくなった】という記事にて、まずはプロフィールとして・・
「日本人の母親とアフリカ系アメリカ人の父のもとに日本で生まれ育った」
と紹介されています。
その記事で、小学4年で転校時のことが語られました。
当時は、Jリーグが流行っておりヴェルディのキャップを被って転校先に初登校したかったけれど、ヴェルディのキャップはすべての店で売り切れており、サンフレッチェ広島のキャップを買ってもらって、ヴェルディの缶バッジを付けて、学校に行ったそうです。
それら諸々がきっかけで、児童たちからしだいに距離を開けられていきました。
転校先の学校はちょっと閉鎖的なところがあったので、ただでさえルックスで目立ってしまう僕みたいな異分子は、標的にされやすかったのだと思います。
それこそ、キャップなんてただのきっかけでしかなくて、その後はやっぱりルックスのことを言われるようになりましたから。肌の色であったり、髪質であったり、唇の厚さだったり。もう本当に延々と言われました。
(https://fujinkoron.jp/articles/-/6066 より)
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(『あさイチ』で活躍するようになった副島さん、仲里依紗さんと)
この経緯は、なかなかキツイいじめです。しかも当時の貧しさもいじめの材料にされたり、だんだん副島さんは、何も感じないように暮らすようになりました。
1クラスに30人いたんですけど、29人で学級を運営してもらうんです。僕はいないものと思ってもらう。いじめについては、言われるがまま、されるがままでしたね。
さっきも触れたように、その頃には身長もかなり高かったんですけど、とにかくなるべく目立たないようにしようと思って、余計に下を向いて過ごすようになりました。
(同上)
ちなみにこの辺の経緯も含めて、『いま君のいる場所だけが、世界のすべてじゃない』という著書を著しています。(リンク先はAmazon)
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副島さんの子供のころが知られているため、出身中学については浦安市にある美浜中学校であることが判明しています。
出身中学校:浦安市立美浜中学校
所在地:千葉県浦安市美浜5丁目12−2
同校は、浦安市内でも東京ディズニーランドとは5〜6キロくらい離れた東京湾沿いにあり、JRでいうと「新浦安駅」と次の「市川塩浜駅」との間に位置します。
比較的近くに「東京学館浦安高等学校」があり、こちらの出身者が泉澤祐希さん。
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東京都の葛飾区にいた時の小学校は分かりません。しかし上記のインタビューによると、葛飾区の児童数の多い小学校では副島さんはいじめなどもなく普通に過ごしていたようです。
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浦安で卒業した小学校名は明らかになっていません。しかし美浜中学校と向かい合うように建っているのが、浦安市立美浜北小学校。こちらは住所も美浜中学校とほとんど同じ。
また近隣には浦安市立富岡小学校や、浦安市立美浜南小学校などもあります。
上記のインタビューによると、副島さんが転校した小学校は「一学年に2クラスだけ」でした。
学校のすぐ隣に大きな団地ときちっと区画整理された住宅地があって、学年の7割くらいの児童が団地の子供、残りの3割程度が住宅地から通ってくる子供だったんです。
(同上)
地図を航空写真で見る限り、美浜北小学校も美浜南小学校もどちらも、大きな団地と住宅地に接しているという点では該当するようです。
おそらくこの2校のどちらかではないでしょうか。
(浦安市立美浜中学校)
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子どものころの副島淳さんについては、テレビ番組に出演したり著書を出したりで、諸々のエピソードが伝わってきました。
淳さんは、長いこと自分の父親が誰か知らずにおり(後述)、日本人の母親のもとで育ちました。母親は小2のころに再婚し、それが嫌で淳さんは家出をしたことがあります。
家出をきっかけに副島さんは金銭を目的に誘拐され、しかし要求しようにも電話が止められていたため誘拐犯は諦めたという逸話があります。
金銭的に苦労したことは、葛飾区の小学校に居たころは周りの子に特に知られてはいなかったけれど、浦安の小学校では、それもいじめの標的になった様子。
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ところで副島さんがバスケットボールを始めたのは「美浜中学」でのことでした。
2024年2月の『スポルティーバ』の記事、【『熱血バスケ』MC副島淳が語るバスケ愛 高校時代は全国大会で活躍 後の日本代表選手とも対戦】ではこう語りました。
「始めたのは中学1年生です。それまでは『スラムダンク』でしかバスケを知らなくて、中学校で何かしらの部活に入らなきゃいけないことになったので、一番ラクそうなバスケ部に入りました」
身長195センチの副島さんには、バスケットは楽だったのでしょうか。
また続けるきっかけは中2で赴任してきた先生が熱心だったからーー
当時はぶっちゃけ、中学卒業後は進学せず就職しようと思っていたんですけど、バスケの実力がついて県選抜に選ばれたことで高校に行く選択肢が生まれましたし、大学まで10年間バスケットボールを続けられたのはその先生のおかげ以外にないと思います。(同上)
このことが上記の柏市立柏高校への進学に繋がりました。
副島淳さんの出身大学は東京成徳大学
このように、副島淳さんは東京成徳大学に進学してバスケットボールを続けました。
東京成徳大学は、まず1965年に東京成徳短期大学が設立され、大学として東京成徳大学が設立されたのは1993年のことでした。
副島さんが入学したのは2003年ですから、大学設立から10年ほど経ったときでした。
学科は日本伝統文化学科でした。しかし2023年に人文学部日本伝統文化学科は廃止されています。
東京成徳大学での学科構成が変わっており、現在、置かれている学部は以下の4学部となります。
応用心理学部
子ども学部
経営学部
国際学部
副島さんは東京成徳大学でもバスケットボールで活躍しており、進学にあたってはバスケットボールが要因だったと考えられます。
出身大学:東京成徳大学
所在地: 東京都北区十条台1-7-13
東京成徳大学のキャンパスは現在、本部のある十条台キャンパスとなっており、かつてあった八千代キャンパスはグラウンドなどとなっています。
(聖徳大学も千葉県松戸市にありますが、関連はありません。)
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(各地の講演会で講演する副島さん)
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副島さんが東京成徳大学を4年で卒業したとすると、2007年のことでした。
活動を振り返ると、早いところでは2008年に『Give and go』にケニー役で出演していますから、卒業後はすぐに芸能活動をしてきたと考えられます。
ただし、可能ならバスケを続けたいという気持ちもあったようです。
上記の『スポルティーバ』の記事によると・・
リアルな話しをすると、当時のトップリーグだったNBLやbjリーグのチームからはどこからも誘いはなかったんです。実業団チームから『働きながらバスケをしないか?』という誘いはいくつかあったんですけど……うーん、結論から言うと度胸がなかったと言いますか、あきらめてしまった。
今でも
「『あさイチ』で僕のことを知ってくれているファンの方に『バスケ、やってたんですね』って言われることもまだまだ多くて、そこは悔しいです(笑)。『やってましたよ!』・・ 」
とのことで情熱を注いたバスケットボールへの思いは今も強いようです。
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先述のように、副島さんは母親のもとで育ち、自分の父親のことを知らずにいました。
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しかし2020年に『日曜THEリアル!・もう一度家族になりたい!』に出演し、結果的に父親と異母兄のことが判明しました。
雪の降りしきる飛騨高山で、社長の娘さんから副島が聞いたのは、二つの衝撃的な事実だった。ひとつは、ウィリーはすでに他界していること。そして二つ目は、ウィリーは日本人女性と幾度か結婚しており、子どもの一人は元日本代表のプロバスケットボール選手・高橋マイケルさんだということ。
(https://www.fujitv-view.jp/article/post-127305 より)
副島さんは、その後のDNA鑑定を経て、事実を知って絶句したそうです。
高橋マイケルさんは、バスケットボール界のレジェンドで、淳さん自身がもっとも憧れていた選手でした。
2020年といえば、副島さんが2017年から『あさイチ』で活躍して来たこともあり、かなりの知名度ーー
こんなリアルなドラマもあるのですね。
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出演作を見ると、『森田一義アワー 笑っていいとも!』にも出演し、『5時に夢中!』や『あさイチ』で知名度が確実に上がっています。
所属事務所の「リミックス」は、外国人タレントやハーフ・クォーターのタレントが800名以上在籍している事務所。
私生活では、2023年に一般女性との結婚を発表しました。
2024年🌅
新年あけましておめでとうございます🎍新年一発目のご報告です!
私、副島淳!
一般女性の方と結婚しましたことをこの場を借りてご報告させていただきます。何卒温かく見守っていただきたいと思います。
今年は辰年🐲
副島らしくデカめの龍の如し登っていきたいと思います!!! pic.twitter.com/KGTpjbN0OH— 副島淳 (@JUNSOEJIMA) December 31, 2023
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以上、簡単ですが副島淳さんの出身校についてでした。