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堤真一さんは舞台中心の活動のあと「月9」ドラマでブレイク
堤真一さんの学歴と出身校についてご案内します。
ベテラン俳優の堤真一さんは、兵庫県西宮の出身。
地元の公立の小・中学校を経て地元の公立校、西宮東高等学校に進学しました。
小学校の頃からずっと野球を続けており、運動神経も抜群でした。
しかし、高1で野球を辞めてからはしばし、やりたいものが見つからない状態だった模様。
一時は中退まで考えたそうですが、たまたまJACの存在を知ったこともあり、運動をするためにJACを目指して高校生活を維持したもよう。
西宮市立西宮東高等学校 ⇒ 進学せず(JAC養成所に入所)
やがて正式にJACのメンバーとなり、上京し、舞台に出るようになりました。
JACのころは真田広之さんの付き人でもありました。
JACを退団した後も劇団を中心に活動し、やがてテレビドラマ『ピュア』などで一気にブレイクし、人気ドラマに次々と出演し確かな位置を樹立してきました。
出演作は、舞台、映画、ドラマと多岐にわたり、挙げきれない俳優の一人となっています。還暦を越したこともあり演出等も期待されます。
堤真一(つつみ しんいち 本名)
生まれ:1964年7月7日
出身:兵庫県西宮市
1971年:(推定)東甲子園小学校入学、7歳
1977年:(推定)浜甲子園中学校入学、13歳
1980年:(推定)西宮東高校入学、16歳
1983年:高校卒業、JAC養成所入所、19歳
1984年:JAC 入団、『ゆかいな海賊大冒険』
1987年:JAC 退団、TPTで演劇中心に活動、『橋の上においでよ』主演、『独眼竜政宗』
1988年:『武田信玄』武田義信
1989年:『バカヤロー!2 幸せになりたい。』
1990年:『双頭の鷲』主演、26歳
1994年:NODA・MAP『キル』主演
1996年:『ピュア』、『弾丸ランナー』主演
2000年:『やまとなでしこ』、『MONDAY』 主演、36歳
2005年:『ALWAYS 三丁目の夕日』鈴木則文、41歳
2007年:『舞妓Haaaan!!!』主演
2008年:『ALWAYS 続・三丁目の夕日』、『クライマーズ・ハイ』主演、、『容疑者Xの献身』石神哲哉
2011年:『プリンセス トヨトミ』主演
2013年:『とんび』市川安男、一般女性と結婚、49歳
2014年:連続テレビ小説『マッサン』鴨居欣次郎
2017年:『スーパーサラリーマン左江内氏』主演、『本能寺ホテル』主演、53歳
2018年:『民衆の敵』主演
2020年:『望み』主演、56歳
2021年:大河ドラマ『青天を衝け』平岡円四郎、「ファミリーヒストリー」
2022年:『妻、小学生になる。』主演
2025年:連続テレビ小説『ばけばけ 』 雨清水傳 、『木の上の軍隊』主演、61歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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堤真一さんの出身高校は西宮市立西宮東高等学校
堤真一さんは地元兵庫県西宮市の市立高校、西宮東高校の出身であることが知られています。
出身高校:西宮市立西宮東高等学校
所在地:兵庫県西宮市古川町1−12
公立高校として近くには、兵庫県立の鳴尾高校も西宮今津高校もありますが、こちらの地域には市立高校も2校あり、それがこの西宮東高校ともう一つの西宮市立西宮高校になります。
設置学科は普通科のみ。
ただし普通科の中に1クラスずつ「数理・科学コース」と「人文・社会科学コース」があります。
【西宮市立西宮東高校の大学合格実績】は「みんなの高校情報」から一部のみ抜粋すると2024年の例で以下となります。
国公立大学
大阪大学 14名
京都大学 5名
東大 1名
兵庫県立大学 23名
神戸大学 21名
大阪公立大学 19名 など多数
私立大学
関西学院大学 218名
関西大学 138名
近畿大学 117名
同志社大学 112名
立命館大学 56名 など多数
明らかに進学校の様子です。
ちなみに2025年10月の『神戸新聞』の記事では、記事タイトルが
【産近甲龍の合格最多は県立西宮 2位は西宮東<大学合格者ランキング2025 兵庫県内私学など>】
というものがありました。
西宮市の高校はひと頃、総合選抜制をとっていたという話も見かけました。正確なことは分かりませんが、昔は自分の希望通りの高校に進めない時代もあったようです。

***
細かいことは保留として、著名校の多い兵庫県の高校ランキングでも市立の西宮東高校はかなりの実績を挙げていることが分かりました。
なぜそこが気になったかーー
堤真一さんの場合、高校卒業が1983年というかなり昔のこととはいえ、卒業した同校が進学校の様子で、かつ堤さんは進学せずに、ジャパンアクションクラブ(JAC)の第1期研修生となったからです。
おそらく進学しない少数の生徒だったことでしょう。つまり堤さんが高校卒業時に大学に進学しないという明確な意思をもっていたと考えられます。
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それを裏付ける発言がこちら・・
まず、高1で野球を辞めてからは高校にあまり行かなくなったそうです。
「学校で学ぶことにも疑問を持った。学歴が全ての時代だったけど、勉強したい分野もない。俺どうなるんだろう、俺はいったい何をするんだろうって。
・・中略・・
いい大学行っていい会社入ってっていう道からは完全にドロップアウトしてた。自分はどうやって生きていくんだろうという将来に対する不安が初めて生まれた。めちゃめちゃ悩んで、ノイローゼみたいな状態になってたと思います」
(https://news.yahoo.co.jp/feature/1140/ より)
つまり進学しない意思というよりは、最初はむしろ悩める高校生だった様子。
後年の明るいキャラクターを余裕で演じる堤真一さんを思い浮かべると、ギャップがあります。しかしそれらを超えて現在があるということも、分かりました。
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(後年、映画「俺はまだ本気出してないだけ」にて)
ところで高校はずっと行かなかったのではなく、JACという目標ができてからは親を安心させるためにも通学したとのこと。
「高校とか全然学校に行っていなくてやることなくて、たまたま学校をサボって見たワイドショーで広之さんの映画の裏方さんを見て体を動かすのはいいことじゃないかと思って入ったんですよ」
(『スポニチアネックス』 2025年 【堤真一 芸能界に入ったきっかけは「たまたま学校をサボって見たワイドショーで…】より)
やりたいことが見つからなかったという堤さんですが、芸能界に入りたかったというより、裏方になるために芸能界に入ったという内容でした。
***
また2021年に「ファミリーヒストリー」で堤さんが取り上げられたときも、一度は高校の中退を決意したエピソードが紹介されました。
野球を辞め、不登校になった後・・
さらに中退を自分で決めたという堤は、会社勤めをしている父親に「あんたみたいなサラリーマンにはなりたくねぇんだ」と暴言。すると静雄さんは「サラリーマンの苦しみが分からない人間は何をやっても一緒や」と返答。言い返せなくなった彼は卒業することを決意したという。
(https://www.rbbtoday.com/article/2021/10/26/193212.html より)
このように高校時代は、野球を辞め、一時は学校にも行かなかった堤真一さんがテレビで見たJACをきっかけにそこに入ることを目標に過ごした時期だったと言えます。
堤真一さんの出身地・西宮市と出身小学校(東甲子園小)、出身中学校(浜甲子園中)
子どものころにさかのぼります。
堤さんが西宮市の出身であることは明らかですが、出身の小学校、中学校について直接に言及してはいません。
しかし芸歴の長い堤さんに関わる周辺情報も多いことから、「思い出こみゅ」に載せられている以下の二校は正しいと考えられます。
小学校は「東甲子園小学校」とされますが、同校は1997年に統合により西宮市立甲子園浜小学校となりました。堤さんの小学校入学は1971年のことで旧名になります。
出身小学校:西宮市立甲子園浜(こうしえんはま)小学校(かつての東甲子園小学校)
所在地:兵庫県西宮市古川町1−65
名前の通り甲子園の近隣でじつは上記の西宮東高等学校とは、まるで校庭を共有するかのような位置関係。さらに下記の西宮市立浜甲子園中学校とも、道を挟んで向かい合っています。
つまり小学校から高校まで12年間ほとんど、同じ場所に通ったと言えるくらい3校は近所だったようです。
ただし、たいへん細かいことながら堤さんの時代の東甲子園小学校が現在と同じ場所だったかは不明。
出身中学校:西宮市立浜甲子園中学校
所在地:兵庫県西宮市古川町2−60
同校の設立は1963年で、現在はわりと生徒数は少ないようです。浜甲子園中は月亭方正(山崎邦正)さんの出身校とも言われます。
いずれも「甲子園」が学校名につくくらい甲子園そのものの地域です。
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兵庫県西宮市で少年時代を過ごした。子どものころは野球ばかりやっていた。運動では負け知らず。野球のポジションはショートかセンターで、年上とじゃないと面白くなかった。西宮市の小学校の連合体育大会では、学校別リレーで常にアンカー。何をやっても自然に目立った。
・・・中略・・
「僕らが小学生のときは『将来の夢はプロ野球選手』っていう時代で、そう言っていれば無難だった。(https://news.yahoo.co.jp/feature/1140/ より)
この記事の続きによると、
5年生のとき膝を悪くしてリレーの選手にも選ばれず、その辺りから目立たないでいようと思ったそうです。
しかし中学では野球をやることでとりあえず「今」を生きたとのこと。
個人の団地探訪記事で見かけたのですが、この近隣に「浜甲子園団地(通称: 浜甲団地)」という歴史ある団地があり、堤さんも一時は住んでいたとかで子ども人口の多かった時代のようです。

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ところで堤真一さんの「阪神ファン」はよく知られています。
2025年の『スポニチ』からの引用となります。
「大ファンって言うより、阪神そのもの」と語り、「近くで生まれ育って、高校野球の時は甲子園球場の外野でみんなで遊んでましたから」。甲子園の歓声が聞こえるような距離で生活していたのかと問われ「そうそう」とうなずいた。
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(2025年)
堤真一さんの出身大学はなし、最初は裏方になるためにJAC養成所に
JACに入団し真田広之さんの付き人も・・
堤さんはこのように大学等へは進学せずにJAC養成所に入所しました。
JAC(ジャパンアクションクラブ)は1970年に千葉真一氏(眞栄田郷敦さんの父親)が設立したもので、JACはやがて格闘やスタントシーンには欠かせない存在となっていました。
そのJACの養成所第1期研修生として堤さんは京都養成所に入所。
それが高校卒業時の1983年で、翌年には上京して正式にJACに入団し、かつ真田広之さんの付き人を務めました。
真田広之さんと堤真一さん・・・
真田さんは1960年生まれ。堤さんが1964年生まれですからそう年齢が異なるわけではありません。2020年代でみるとどちらも大御所という感じですが、ともかくJACのころは付き人でした。
真田さんが佐藤浩市さんと仲が良くて一緒にいるので、堤さんが佐藤浩市さんのお世話もする、といった状況もあったと伝わっています。
この方の行動力無くして今のテレビ・映画界に於けるアクションの「発展」「革命」はあり得なかったかも知れない⁉️スタントマンの前進であるJAC(ジャパンアクションクラブ)の設立や志穂美悦子さん、真田広之さん、堤真一さん等々錚々たる精鋭達を育成輩出したレジェンド俳優世界の千葉真一さん‼️🤔🤔🤔 pic.twitter.com/vU1h5m465d
— 岩沼の帝王 (@3slmKuX8M2F5SYl) January 21, 2025
なお、JACといえば伊原剛志さんはJACについて簡潔に
「千葉真一さんって知ってる?あの人やってた養成所。俺の先輩は真田広之さん、堤真一は後輩」
と語っています。
演劇からテレビにも・・
上京して最初のうちはそのうち西宮に帰って料理好きな母と店でも・・という考えもあったとかーー。
しかし、1985年の『天守物語』で5代目の坂東玉三郎さんに声をかけられ等々で、役者を志すようになりました。
結局JACでの初舞台などを経て、1987年にはJACを退団しその後はTPT(シアタープロジェクト東京)の演劇を中心に活動してきました。
ここで「演劇中心」ということが目を引きます。
今ではベテラン俳優の堤さんを視聴者はテレビでたくさん見ているわけですが、ご本人はともかく舞台で力をつけようと思っていたようです。
・・食えないにもかかわらず、「テレビドラマはやらない」と当時の所属事務所に宣言していた。
「僕はもともと芝居をやりたくてやっていた人間じゃないので、演技の経験もほとんどなかった。舞台でちゃんと学んで、実力をつけていきたいと思っていました。トレンディードラマの時代でしたけど、(テレビドラマは)自分のためにならないと思っていたから、そういうお話があってもやらなかったんです」
(https://news.yahoo.co.jp/feature/1140/)
テレビでは1987年『橋の上においでよ』で主演
NHKドラマ「橋の上においでよ」に出演してた若い頃の堤真一と南果歩をもう一度見てみたい⇩😙 #nhk_rerun #NHKドラマ #橋の上においでよ #堤真一 #南果歩 pic.twitter.com/tBgY6tKBAV
— カエル岩 (@kaeruiwa1963) September 10, 2025
連続テレビドラマ出演は1996年の『ピュア』になりました。
『ピュア』はいわゆる「月9」のラブストーリーでした。主演・和久井映見さんの相手役だった堤さんにファンレターが段ボール箱でいくつも届いたようです。
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2005年の『ALWAYS 三丁目の夕日』ではかなり多くの視聴者の目に焼き付いたはず。
***
テレビで著名になる前の、売れない時代の風呂なしアパート4畳半での極貧生活・・等は度々週刊誌取材で取り上げられてきました。
コメディー要素もしっかりこなすので、そんなイメージを個人的には抱いてしまうのですが、複数の取材記事を読むと、基本が真面目で冷静・・という姿を感じます。
私生活では2013年に32歳の一般女性の方と結婚し、その後女のお子さんが二人いるそうです。
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(映画『望み』にて)
ちなみに有働由美子さんは26歳の頃から堤真一さんに憧れていたとのこと。「有働由美子のおしゃべり小料理 ゆみこ」での話。
堤には「追っかけみたいだった」そうで、大河やドラマの収録で堤が局入りする日を調べ、何とかキッカケを作ろうとしたほど。
(https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/12/24/kiji/20241223s00041000296000c.html より)
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これまでの出演作はあまりに多く、舞台主演もずっと続いています。
連続テレビ小説に限れば『マッサン』で サントリー創業者鳥井信治郎さんをモデルとした鴨居欣次郎を演じ、『ばけばけ』で情の深いヒロイン実父を演じました。
大河ドラマは『独眼竜政宗』から始まって、2021年の『青天を衝け』は7作目となっています。
また堤さんといえば『容疑者Xの献身』での石神哲哉役を思い出すという人もいるように、同作では陰影ある哀しい演技も印象的でした。
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映画は2025年で言うと『木の上の軍隊』で主演。
60を越したら舞台で演出をしてみたいというコメントもありました。
真面目な顔でも笑っていても、登場するだけでその場に重量級の安心感が漂う人物です。ますます楽しみにしています。
***
以上、簡単ですが堤真一さんの出身校についてでした。