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舞台女優から始め芸歴も長くなった内田慈(ちか)さん
内田慈さんの学歴と出身校についてご案内します。
舞台女優としてキャリアの長い内田慈さんは、昨今、ドラマや映画でも広く知られるようになりました。
横浜市の出身で、高3の夏に松尾スズキさんのドキュメンタリーを見て衝撃を受け、舞台女優を志すことになりました。
一浪後に日大の芸術学部に入り、一年のうちに中退したことは知られています。しかし内田慈さんの高校以前のことはあまり判明していません。
高校 ⇒ 日大、芸術学部
大学を辞めた後も特に劇団に属することなく小劇場界で人気を得てきたというやや珍しい経歴の持ち主です。
当初の10年くらいは舞台が中心でしたが、次第にテレビや映画でも知られるようになりました。
舞台の人とか舞台から移った・・ということでなく軸足を決めずに演じたい・・というご本人の意向があるそうです。
これまで舞台の他に映画でも主演を務め、毎期のドラマにもさりげなく出演して味を添えるベテランさんとも言えます。
内田慈(うちだちか)
生まれ:1983年3月12日
出身:横浜市
1989年:(推定)横浜で?小学校入学、6歳
1995年:(推定)横浜で?中学校入学、12歳
1998年:(推定)首都圏で?高校入学、15歳
2000年:(推定)「トップランナー」を見て松尾スズキに感銘を受ける
2001年:(推定)高校卒業、18歳
2002年:(推定)日大芸術学部入学、中退、『ラフカット2002「13000/2」』19歳
2003年:『毛皮族のオールナイトレビュー アンマ・エイガ・ミンナ!!』
2004年:『大人計画ウーマンリブvol.8「轟天VS港カヲル〜ドラゴンロック!女たちよ、俺を愛してキレイになあれ〜』
2008年:『岡崎藝術座 「リズム三兄妹」/「はやねはやおき朝御飯」』、『ぐるりのこと。』(映画初出演)、25歳
・・2010年ころまで舞台中心・・・
2011年:『恋の罪』土居エリ 、28歳
2012年:『雪之丞一座〜参上公演 ロック☆オペラ「サイケデリック・ペイン』
2013年:『パンとスープとネコ日和 最終話』、30歳
2015年:連続テレビ小説『まれ』京極ミズハ、『きみはいい子』岡野薫
2017年:『3月のライオン 前編』王将のホステス、『ハロー張りネズミ』北村アキコ 、結婚、34歳
2018年:『ピンカートンに会いにいく』主演
2019年:『財団、江本純子 ドレス』、『最上の命医2019』中園柚の母
2020年:『レディ・トゥ・レディ』主演、『半沢直樹 』 仁藤圭子、『ホテルローヤル』本間恵 、37歳
2022年:『一橋桐子の犯罪日記』 木嶋浩子
2023年:『あの子の夢を水に流して』主演
2024年:『お母さんが一緒』 愛美 、『9ボーダー』盛岡久美子
2025年:『金髪』西原 、『放課後カルテ 2025秋』神谷瑠美、42歳
2026年:連続テレビ小説『風、薫る』柳川文
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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内田慈さんの出身高校は不明、横浜の自宅から通学?
内田慈さんが、高3の夏にテレビ画面を通して松尾スズキさんに影響を受けたことは、わりと知られてきました。
具体的には2000年10月に放映されたNHKの『トップランナー』で松尾スズキさんを追ったドキュメンタリーでした。
松尾スズキさんは「大人計画」の主宰者で、「大人計画は」阿部サダヲさんや池津祥子さん、猫背椿さん、平岩紙さんなどたくさんの味のある俳優を生み出してきました。
「大人計画」はその劇団員になっていてもいなくても、その影響があるということを、内田さんの体験から知ることもできました。
高校生の内田さんは高3になって、ふつうに受験しようと思いながら一方で、『なんだかワクワクしないな~』という思いがあったそうです。
そんな時に・・
そんなとき『大人計画』の松尾スズキさんがテレビに出ていらして、『こんなに面白い、ヘンな人がいるんだ!』とクギ付けになっていると、最後に『好きな言葉は?』と聞かれて、松尾さんは、『平等って言葉ですね、だってありえないじゃないですか』とおっしゃった。
・・中略・・いわゆる『きれいごと』が引っかかる時期でした。そんな時期に“ありえない返答”をするアイロニーのセンスが、当時の私にピタッときたんですね。『いずれ、この人がいる世界に行きたい』と」
(『女性自身』2020年 【名監督らに支持受ける女優・内田慈が明かす“超極貧時代”】より)
「ありえない返答」をするアイロニーのセンス・・ここが内田慈さんが捉えた絶妙な感覚だったのでしょう。
そこから後述の日大芸術学科への進学に続きます。
***
このように高3でふつうに受験を控えていたことは確かながら、内田慈さんの出身高校名は不明です。

上記の記事で、日大のことを「横浜市の自宅から“通い”でした」と語っていますから、ふつうに考えて高校も横浜の自宅から通っていたことでしょう。
ただし進学した高校を「横浜から通える」という条件では、可能性が広すぎて、なんとも推測しようがありません。
ちなみに自宅が自営の学習塾・・ということで、かつ父親は教育熱心だったそうですから、他の塾には通わなかったでしょうか。
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(2019年)
内田慈さんの出身地・横浜と出身小学校、出身中学校は詳細不明
内田慈さんの出身地は横浜とされています。
上記の2020年になっての取材で、内田さんはご家族についてこのように語りました。
「けっこう教育熱心で、厳格な両親のもとで育ったんです。父(78歳)が自営の学習塾をしていて、母(74歳)は専業主婦、子どもは三姉妹で、私はそのいちばん下でした。小学生のころまでは、まだ第二次ベビーブームで塾の生徒さんも多かったのですが、中学、高校になるころには少子化の影響が出て……母も働きに出始めていました。
(同上)
つまりご家族は3人姉妹のいる5人家族で、内田慈さんは末っ子。
2023年の取材ではさらに具体的に、2人の姉は「6歳上と3歳上」とのこと。
そこで微妙な気持ちの機微を語っていました。
父と母の感じを見ていると多分子どもらしい子どもがひとりいたほうが家庭って良いんだろうなって思っていたりして私には子どもという役割がきっとあるだろうから、子どもという役割を演じようというところがあったような気がします。
(https://post.tv-asahi.co.jp/post-219610/ より)
そんな気持ちは想像がつく気もしますが、当時小3くらいの少女が考えていたというのは、ーーやはり「演じる人」への萌芽だったかもしれません。
***
また、2024年になってのインタビューではさらに詳しい逸話もあります。
本名から解放されたくて芸名を「内田地下」にしようと考えたこともあったとか・・
「私は三姉妹の末っ子で。三姉妹みんな漢字一文字で、音(読み)は二文字なんですよ。末っ子ゆえ、特にあれこれ試行錯誤の上でつけてくれたようなんですが、文字通り『慈悲深い』とか『慈しむ』といった意味合いが込められていて。
ことあるごとに父から『名前負けしないようにね』って言われていたので、私の中ではプレッシャーでしかなくて……。自分のことが嫌いだったので、演劇を始める時に名前を変えたいと思っていたんです」
(https://woman.mynavi.jp/article/240821-2_1190537/ より)
「慈しむ」に名前負けしない・・のは、常人にはキツイことです。
「父は塾講師をしていたこともあって、教育に関してはとにかく厳格だったんです。だから私は何をやるにしても『どうせダメって言われるんだろうな』って、端から諦めがちでした」
ということで、演劇との出会いは「ありのままの自分」を認めてもらえた気持ちになったと・・いうのは、納得がいく気がします。

後に内田さんが阿佐ヶ谷の安いアパート住まいをしたことは、度々話題となりますが、社会人になってあえて「“極貧”そのもの」を記事にかかれる生活をしていたのは・・
大切に厳格に育てられた子ども時代の反動だったのかもしれません。
このような子ども時代だった内田さんですが、高校と同様に小・中学校の詳細は分かっていません。
情報があれば追加させていただきます。
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(2023年のミュージカルドラマにて)
内田慈さんの出身大学は日大、芸術学部、文芸学科
内田慈さんは高校時代の心境変化を経て、卒業後の一年を開けて2002年に日本大学の芸術学部に進学しました。
上記の松尾さんの姿に衝撃を受け・・
「言葉のセンスと、本当のことを言ってくれる大人だと思って。目の前には暗い道しかなかったのに、パッと開けたような気がしました」
舞台女優を志し、1浪して日大芸術学部に入ったが、すぐやめた。教室よりも、小劇場のステージの上の方が多くのことを学べた。
(https://hochi.news/articles/20180118-OHT1T50179.html より)
ということですぐに中退したものの進学先は「日藝」と呼ばれる日大の芸術学部、さらに文芸学科でした。
出身大学:日本大学 芸術学部
所在地:東京都練馬区旭丘2丁目42−1
日大芸術学部には2025年現在以下の8学科があります。
写真学科
美術学科
音楽学科
文芸学科
演劇学科
放送学科
デザイン学科
映画学科
昨今では若手で大変活躍の目立っている河合優実さんや見上愛さんなど、「日藝出身」は際立っています。
しかし、たとえば河合さんも三上さんも2000年生まれで日大進学が2019年であることを考えると、2002年に入学した内田さんには、大学の状況も社会背景もかなり変わってきたことでしょう。
ただし、演劇や芸術を志向する少なからずの高校生が、日大芸術学部を目指すことは変わっていません。
内田さんは文芸学科だったけれど、早く実践に行きたいと演劇学科の授業にも潜り込んだとのこと。
***
大学時代を内田慈さんは以下のように語りました。
横浜市の自宅から“通い”でした。私は文芸学科で、1年生から10人くらいのグループでゼミ誌をつくります。小説家希望、記者希望といろいろあるなかで、私は『漫画』を選んでいたんですね。筆ペンを使って書くような、柔らかなタッチの絵を描いていました。
(https://jisin.jp/entertainment/interview/1923244/ より)
これが2002年のことで、初めて舞台に立ったときは19歳の学生だったとの言葉から、内田さんは学生であるうちに『ラフカット2002「13000/2」』の舞台に立ち、
結果として大学は、半年くらいで大学を中退しました。
「初舞台は『ラフカット2002』という“若手の登竜門”という位置づけのお芝居で、19歳でした。未経験OKでしたので、そのオーディションで受かって。風俗嬢の役を演じました」
とのこと。
見逃してた夜な夜な
やっと見れた💕
内田慈さんの演劇をするキッカケが
松尾スズキさんの言葉だったって!
うわ!うわ!凄い嬉しい!
慈さん
ウーマンリブ轟天VS港カヲルに
出てるけど
松尾さんのお芝居には出てないから
ぜひ出てほしいな〜 pic.twitter.com/QfTwTivB5E— たままゆ△▽△🍈🍞🚛👾👽️ (@abesadawo1970) February 21, 2018
大学を半年で辞め、劇団にも事務所にも属すことなく舞台女優を目指した内田慈さん。
当時、阿佐ヶ谷で四畳半の風呂なし・2万5千円のアパートで暮らしたことは明らかとなっています。
複数の取材テキストからその頃をまとめるとこんな様子・・
・最終電車で阿佐ヶ谷に帰り、深夜に100円引きになる銭湯に通った。
・銭湯に行けない日は、回転しないタイプの蛇口で冬でも水でシャンプーした。
・アルバイトは店頭の売り子、パン工場、模擬結婚式のモデルなどなど。
・その頃は小劇場に惹かれていたのでテレビ等は考えずひたすら舞台のことを考えていた。
・「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と思っていた。

当時でも、風呂なしアパートで暮らす人は少なかったそうです。
***
このように当初はひたすら「舞台」でした。
初舞台が2002年というのは、じつは大学に入学した年でもあり経緯を見ると順調というか、抜擢されたということでしょう。
2002年の『ラフカット』とは・・・プラチナ・ペーパーズ 公式サイトによると
エネルギーをもて余している役者に、力試しの場を提供していこうというプロジェクトです。荒削りであっても可能性を秘めた役者との出会いを求めて、プロデュース公演やワークショップなどを行っています。
とのこと。
1995年から始まっていましたが、2002年には第一話から第四話あるなかのケラリーノ・サンドロヴィッチ作の第三話『13000/2』に内田さんは出演しました。
ちなみに、この時第二話の『洞海湾』の作者は松尾スズキさん。
『テレ朝ポスト』2023年の記事によると、この時、内田さんは二話と四話どちらも最終審査に残り、どちらかにしか出演できずに四話の出演となりました。
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(2024年 『夜明けのすべて』)
その後、「大人計画」の劇団員募集にも応募して、書類で落とされたことがあるそうです。ただし松尾さんは書類選考に関わっていないので、知らなかったとかーー。
一方でオーディションを受けて受かる確率はわりと高かったことで、舞台女優を目指し続けられたとも言えそうです。
略歴には挙げきれませんが、たくさんの舞台に出演してきました。
***
舞台中心から映像へも関わるようになったのは、始めは『ぐるりのこと。』などに出演した2008年。
概して2010年くらいまで舞台中心だったものが、活動はドラマや映画にも広がってきました。
略歴のように転機となった主演作映画はーー
2018年 『ピンカートンに会いにいく』
2020年 『レディ・トゥ・レディ』
2023年 『あの子の夢を水に流して』
しだいにドラマでも度々お見かけする女優さんの一人となっています。
なお、特に公表していないようですが2017年に結婚されています。
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(2024年 「お母さんが一緒」にて)
このように舞台でも映像でも、どちらかと決めずに続けています。
なおコロナ後に所属なしの時期もありましたが、舞台「ガラスの仮面」で共演した貫地谷しほりさんとの縁で現在の事務所、 ABP inc.に所属しています。
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2025年の『連続ドラマW #怪物』では安田顕さんの母という年齢をしっかり演じました。
2026年の朝ドラ出演も決まっています。
***
以上、簡単ですが内田慈さんの出身校についてでした。お読みいただきありがとうございました。