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子役の「満男」「純」からずっと俳優を続けてきた吉岡秀隆さん
吉岡秀隆さんの学歴と出身校についてご案内します。
吉岡秀隆さんは子役のころからずっと活躍してきた俳優さん。
『男はつらいよ』の満男、あるいは『北の国から』の純として記憶し、同世代としてともに成長するような感覚で過ごしてきたファンも多いことです。
優しい語り口はいまも健在。
埼玉県の蕨市で育ち、子役をしながら公立の小中学校に通い、高校は埼玉県にある私立の自由の森学園高校に進学しました。
自由の森学園高校 ⇒ 亜細亜大学
大学はできたばかりの「一芸一能入試」を用いて亜細亜大学に進学しました。
大学生になった時点で俳優を辞める考えもあったのですが、結果的には黒澤明監督の『八月の狂詩曲』に出たことで、ますます芸能活動に多忙となり、亜細亜大学は中退。
その後さらなる活躍を続けており、16年ぶりとなる『Dr.コトー診療所』主役など大きな反響となりました。
吉岡秀隆(よしおか ひでたか)
生まれ:1970年8月12日
出身:埼玉県蕨市
1975年:『大江戸捜査網』けいいちろう役
1977年:(推定)小学校入学、7歳。『八つ墓村』寺田辰弥(少年時代)
1980年:『遙かなる山の呼び声』武志
1981年:『男はつらいよ』シリーズ満男、『北の国から』純(〜2002年)
1983年:(推定)中学校入学、13歳
1986年:(推定)高校入学、16歳
1988年:『優駿 ORACIÓN』田野誠
1989年:(推定)亜細亜大学入学、19歳。『男はつらいよ ぼくの伯父さん』
1991年:『八月の狂詩曲』
1994年:『ラストソング』劇中歌を作詞作曲
1996年:『学校II』緒方高志
2002年:『北の国から2002遺言』、内田有紀さんと結婚、32歳(2005年に離婚)
2003年:『Dr.コトー診療所』主演(2004年、2006年も)
2005年:『ALWAYS 三丁目の夕日』主演 茶川竜之介(2007年、2012年も)
2009年:『最後の赤紙配達人〜悲劇の召集令状64年目の真実〜』主演 39歳
2010年:『大仏開眼』主演・吉備真備
2012年:『猫弁猫弁〜死体の身代金〜』主演
2016年:『富士ファミリー』日出男
2018年:『悪魔が来りて笛を吹く』主演・金田一耕助
2019年:『八つ墓村』主演 ・主演・金田一耕助
2020年:『Fukushima 50』前田拓実 、50歳
2021年:『護られなかった者たちへ』上崎岳大
2022年:『Dr.コトー診療所』主演 、52歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
吉岡秀隆さんの出身高校は自由の森学園高校
吉岡秀隆さんは自由の森学園高校の出身であることが広く知られています。
管理教育とは対極的ーーと言われる自由の森学園高校では、定期テストはなく、いわゆる「評価」というものは、「自己評価」と「教科担任からのコメント」からなる評価表によるそうです。
大学に行く人は行く・・・というスタンスで、立教大学や東京学芸大学に進学する生徒もいるという話もありますが、詳細データは分かりません。
同校の公式サイトでは指定校推薦について以下のように説明しています。
卒業生はどのような進路に進んでいるのですか?
大まかには大学、留学、専門学校に進学するのは、全体の約半分程度の生徒です。ほかには、いったん考える時間を持ってから改めて進学を目指す人、就職する人、職人の道を選ぶ人など、実に多様です。
(中略)現在100校をこえる指定校推薦枠がありますが、進学を選択する生徒も、大学の偏差値や名前で選ぶのではなく、自分が学びたいことをそこで実現できるか、見定めて探します。・
(https://www.jiyunomori.ac.jp/nyugaku/question_gakuen.php より)
ということで、まさに生徒さんはじつに「多様」なようです。
自由の森学園高等学校
所在地:埼玉県飯能市小岩井613番地
創立:1985年
開校が1985年ということで、吉岡さんの略歴と照らし合わせると、1986年に入学した2期生になるはずです。実際、出身者のなかの2期生として卒業しています。
吉岡さんは高校からですが、中学もあります。
よく知られるように、同校から12期生の星野源さんと、13期生の浜野謙太さんがのちにSAKEROCKを結成しました。
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自由の森学園高校では、150人収容可といわれる寮があり、遠くから入学する人もいます。給食なども、充実している模様。
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秀隆さんの場合、『男はつらいよ』や『北の国から』の撮影が続いていたはずなので、自由の森学園で寮に居たというのもピンと来ないのですが・・・詳細は未確認。撮影の合間を使いながら、うまく通学していたのでしょうか。
川口市や蕨市あたりの出身と見られる星野源さんにとっても、飯能市は遠かったと思われます。
しかし蕨市の中学を卒業した(詳細は下記に)吉岡さんが、どのような様子で高校生活を送ったかは、興味深いことです。時期としては、子役からの活躍が継続中でした。
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一方で、吉岡さんは高校時代には、バイクの免許も取っています。その理由は、夜学に通う友達と遊ぶには時間帯が夜になるから、夜にバイクで走るようになったーーとのこと。

役者をやっていても、一方で普通に一人の高校生であったはず。そんな多感な高校時代の吉岡さんを想像してみたりしました。
吉岡秀隆さんの出身地、埼玉県蕨市と出身小学校、出身中学校
吉岡秀隆さんの出身地は蕨市であることが広く知られています。
なお、小学校に上る前に、5歳くらいで『大江戸捜査網』に出演しています。
大江戸捜査網の吉岡秀隆さん ちっちゃい💛 ホワ〜可愛い過ぎ〜😍けど今と変わらん💓後ろ 山口いずみさん pic.twitter.com/MPYZddlJ6P
— なつみ (@mikenekotottoko) October 15, 2014
なんとも可愛らしいのですが、しっかり面影もありますネ。
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出身小学校は、埼玉県の蕨市立中央小学校でした。
以下は、ある方(吉岡さんの担任だった女性教師の息子さん)のブログからです。
その彼女がテレビを見ていて時々「あっ!吉岡君だ」と言う。映画『寅さん』や北海道の富良野を舞台にした連続テレビドラマなどに出て有名になった『吉岡秀隆』である。彼が蕨市立中央小学校1,2年の時、教員だった母は彼のクラス担任だったのである。母に言わせると彼はすでにその頃から忙しい役者であったらしい。
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(http://www.cocoa-s.com/backs/04/j.tt.sanm.html より)
このブログの後半で、吉岡秀隆さんから、その先生が87歳になった時点でも年賀状が届いている様子が分かりました。
出身小学校:蕨市立中央小学校
所在地:埼玉県蕨市中央6丁目8−25
創立は1954年で、住所のごとく蕨市立中央小学校は蕨市の中央にあります。
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小学校時代に秀隆さんは、たとえば『八つ墓村』で寺田辰弥(演・萩原健一さん)の少年時代を演じました。
「野村監督に『泣きながらこっちに走ってくるんだよ』と、何度も何度もやらされたことを覚えています(笑)。映画が公開された時、劇場の扉が閉まらないくらいたくさんの人で、父と母と通路に座って見た記憶もありますね。
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(https://www.oricon.co.jp/news/2116053/full/ より)
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この『八つ墓村』に出演したことがきっかけとなり、山田洋次監督の『遥かなる山の呼び声』で見いだされることになりました。
そしてさらに、『男はつらいよ・・』のシリーズに満男として出演し、渥美清さんと共演するようになりました。
さらにさらに『北の国から』の純となり・・・小学生としてはなんとも「有名人」でもあり、上記の担任の先生の回想にもあるように、多忙な少年時代だったことでしょう。
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ちなみに、後に2018年に『悪魔が来りて笛を吹く』で金田一耕助を演じました。
かつて渥美清さん(1928-96年)が金田一耕助を演じた『八つ墓村』(77年、野村芳太郎監督)で映画デビューした吉岡にとって「金田一耕助は、いつも胸のどこかに棘(とげ)のように刺さっていたキャラクター」だったそう。
(同上)
NHK BSプレ『悪魔が来りて笛を吹く』鑑賞。原作からの改変は前作『獄門島』同様、金田一耕助のキャラクター造形と事件(犯人)を対比させる為かなと。長谷川博己が頑丈なSUVだとすると吉岡秀隆は礼節あるセダンだった。詳細は書けないが、犯人の動きなど細かな部分まできっちり演出していた。 pic.twitter.com/CqGGr3fJqh
— JUNICHI@是空®LLC. (@piedpiperagogo) July 28, 2018
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また吉岡秀隆さんの出身の中学校はmixiの「蕨市立第二中コミュ」によりますと、蕨市立第二中学校だそうです。
出身中学校:蕨市立第二中学校
所在地:埼玉県蕨市錦町3丁目9−38
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吉岡さんのご家族は、東宝舞台の大道具担当の父親と、舞台衣装担当の母親・・・ということで、舞台にご縁のある環境でした。
しかしご両親にとって、是非とも子役に・・という動機ではなく、人見知りだった秀隆さんのために、劇団若草に入団させたのでした。
その後も吉岡さんは、ずっと役者を目指していた・・というよりは『寅さん』シリーズの満男をダサく感じたり、『北の国から』の黒板純にも抵抗を感じていたと伝わっています。
少年なりに、その時その時の生々しい感情もあったのでしょう。
なにかずっと、秀隆さんさんは自分の欲で役を得ていったというよりも、自然と役が付いて回ったように見えます。
実際、共演の渥美清さんから、「ずっと役者をやっていくの?」聞かれて吉岡さんは、「嫌だ」と答えたけれど、渥美清さんからは吉岡さんが「一生やっていくよ」と預言のように言われたそうです。
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吉岡秀隆さんの出身大学は亜細亜大学
吉岡秀隆さんは、自由の森学園高校から亜細亜大学に進学しました。
たまたまこの時が亜細亜大学にとって「ユニーク推薦入試」であるところの、「一芸一能入試」が実際に始まった年でもあります。つまり吉岡さんは「一芸一能入試」の一期生としても知られます。
亜細亜大学といえば芸能人が多く進学する、ことでも知られますが、もちろん芸能人が皆、「一芸一能入試」で入学しているわけではありません。

亜細亜大学の出身者一覧をたびたび見かけます。しかし一芸入試によって入学したか否かを詳しくは解説されていないようです(そこが重要ではありませんし・・)。
亜細亜大学の一芸入試は現在も継続しており、令和4年の例をみると、以下の数の学生が募集されていました。(令和4年分はすでに受付も合否発表も終わっています)
経営学部 経営学科 4名
経済学部 経済学科 3名
法学部 法律学科 3名
都市創造学部 都市創造学科 3名 (https://www.asia-u.ac.jp/admissions/ichigei/ より)
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多忙な芸能人の方の進学が多い、ということと、亜細亜大学では卒論が必須ではないということも、関連があるかもしれません。
亜細亜大学
所在地:東京都武蔵野市境5丁目8
亜細亜大学の学部は文系のみとなっています。
経営学部
経済学部
法学部
国際関係学部
都市創造学部
前身は「興亜専門学校」であり、亜細亜大学となったのは1955年のことでした。学生数は6700人くらい。
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ただし吉岡秀隆さんは、結果として大学入学後、そう遅くない時期に中退しています。入学してまもなく結果としてドラマや映画に多忙になったから。
しかし当時、大学進学を期に俳優は止めようかと思っていた、というのが、また吉岡さんらしい所かもしれません。
略歴を振り返ると、大学に入って俳優を止めるつもりで事務所を辞めたけれど、一方で黒澤明監督による『八月の狂詩曲』のオーディションの話が来て、オーディションを受けることになりました。
そして『優駿 ORACIÓN』で共演したカメラマンさんの後押しもあり、吉岡さんの配役がすんなり決まりました。
黒澤監督の映画に出たことは、やはり大きな出来事でした。さらに吉岡秀隆さんはその後も、多数の優れた出演作を残してきました。
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ところで2022年の映画『Dr.コトー診療所』は2006年のシーズン2以来の16年ぶりの続編となりました。
柴咲コウさん、時任三郎さん、大塚寧々さん、小林薫さん、泉谷しげるさん、筧利夫さんという面々が集結しました。
ファンから以下のような感想が見られたのも、サスガ、吉岡さんならではという気がしました
NR TT@two04
ALWAYS 三丁目の夕日も、男はつらいよも、Drコトー診療所も、 映画を「見に行く」じゃなくて「コトー先生に”会いに行く”」って表現したくなるの、すごいよなぁ。
2023年1月4日
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以上、簡単ですが吉岡秀隆さんの出身校についてでした。