Contents
早稲田で「五輪競泳選手」だった藤本隆宏さん
藤本隆宏さんの学歴と出身校についてご案内します。
藤本隆宏さんといえば、『坂の上の雲』の広瀬武夫役を思い浮かべる方が多いでしょう。昨今では渋い重鎮役も演じています。
しかし元はオリンピックの競泳選手だったことは意外と知られていないようです。
そこには水泳での実績をあえて隠して劇団員として取り組んだ藤本さんの意志が反映されているようです。
福岡県の宗像(むなかた)市に育ち、地元の小・中学校の間に『宗像水泳学校』というユニークな水泳学校でひたすら泳ぎが上達したそうです。
西日本短期大学附属高等学校 ⇒ 早稲田大学
福岡県でスポーツコースもあった西日本短期大学附属高校に進み、高校時代にソウルオリンピックに出場しました。
その翌年に早稲田大学の「スポーツ科学科」に進学し、さらに個人メドレーの記録を打ち立てて大学3年時にバルセロナオリンピックに出場し、決勝まで進出しました。
ただし本人はメダルが取れなかったことが悔しく、翌年オーストラリアで水泳留学もしましたが、結果的に次のオリンピック選手に選ばれずに引退しました。
その頃、「劇団四季」のオーディションにも合格しており、やがて舞台に出演するようになりました。精進を重ね冒頭のように2009年の『坂の上の雲』で一気に著名になりました。
その後、大河ドラマにも連続テレビ小説にも出演し、安定した活躍を続けています。
藤本隆宏(ふじもと たかひろ)
生まれ:1970年7月21日
出身:宗像市
1977年:(推定)日の里で小学校入学、7歳
1983年:(推定)日の里中学校入学、13歳
1986年:(推定)西日本短期大学附属高校入学、16歳
1988年:「ソウルオリンピック」出場、18歳
1989年:(推定)早稲田大学入学、19歳
1990年:アジア大会で200m・400m個人メドレーで優勝
1992年:「バルセロナオリンピック」決勝進出、22歳
1993年:早稲田大学卒業、オーストラリアへ水泳留学
1995年:劇団四季のオーディション合格、25歳
1996年:日本選手権を経て現役から引退、26歳
1997年:『ヴェニスの商人』で初舞台
1998年:『キャッツ』マキャヴィティ、 劇団四季退団、28歳
2000年:『エリザベート』シュテファン
2004年:『イントゥ・ザ・ウッズ』シンデレラの王子、34歳
2007年:『蜘蛛女のキス』刑務所長
2009年:『坂の上の雲』広瀬武夫、39歳
2011年:『JIN-仁- 完結編』西郷隆盛、41歳
2012年:大河ドラマ『平清盛』伊藤忠清
2014年:連続テレビ小説『花子とアン』
2016年:大河ドラマ『真田丸』堀田作兵衛、46歳
2017年:『京の螢火』坂本龍馬 、『アニー』ウォーバックス
2018年:大河ドラマ『西郷どん』山岡鉄舟 、48歳
2022年:『元彼の遺言状』 真梨邑礼二
2024年:『ゴールデンカムイ』二瓶鉄造
2025年:『クジャクのダンス、誰が見た?』赤沢正、『雪風 YUKIKAZE』有馬岩男 、55歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
この投稿をInstagramで見る
(2021年)
藤本隆宏さんの出身高校は西日本短期大学附属高等学校(健康スポーツコースあり)
藤本隆宏さんは西日本短期大学附属高校の出身で、同校の在学中にソウルオリンピックに個人メドレーの選手として出場しました。
同校は名前の通り西日本短期大学の附属高校で「西短」と呼ばれる大学本体が福岡市内にあるのに対して、附属高校は八女市にあります。
西日本短期大学附属高校は1962年に開校し、高校野球でも名の知られた私立高校になります。1992年には夏の甲子園で優勝。
学科は普通科でそのなかに2025年現在は5コースあります。
特進選抜コース
特進 看護・医療進学コース
特進 総合進学コース
保育進学コース
キャリアセレクトコース
スポーツという名前が一見ありませんが、キャリアセレクトコースは2022年度まであった健康スポーツコースを吸収したコースであり、長年スポーツ選手を輩出してきました。
水泳が特に目立っているかは不明ながら、1988年のソウルオリンピックに藤本さんが在校生として出場したことは、大きなニュースだったのではないでしょうか。
出身高校:西日本短期大学附属高等学校
所在地:福岡県八女市亀甲61
創立:1962年
広域で見るとわかりやすいように、八女市は福岡県でもかなり南のほうで久留米市よりも南下し、熊本県にも大分県にも接しています。
生徒はかなりスクールバスなどを利用するようです。
田中麗奈さんも同校の出身。
【西日本短期大学附属高校大学進学実績】は同校の公式サイトから一部を抜粋すると令和6年度で以下となっています。
進学79%
4先制大学 40%
短期大学 13%
専門学校 26%
就職21%
指定校推薦 194校
過去5年間の進学先
熊本大学、鹿児島大学、福岡教育大学など
早稲田大学、国士舘大学、日本大学など
***
子どもの頃から水泳に打ち込んできた藤本さんは、言うまでもなく同校時代に水泳に没頭したと考えられます。
2022年の取材によると、藤本さんが高2の終わり頃に、当時自由形の日本記録を持っていた緒方茂生さんの練習相手として選ばれ、ともに練習して刺激を受けたとのこと。
緒方さんを天才だと思っていたんですけど、人間らしい一面を知ったというか、練習で調子悪いときにあのスーパースターが涙を流したり。・・中略・・『あ、同じ人間なんだな』と思った。もしかしたらオリンピックに行けるかもしれないと意識したのは緒方さんのおかげと言っていいかもしれません。
(https://number.bunshun.jp/articles/-/854010 より)
こうして結局、高3の夏にオリンピック選手となりました。
この投稿をInstagramで見る
藤本隆宏さんの出身地・宗像(むなかた)市と出身小学校、出身中学校(日の里中)
子どもの頃に戻ります。
藤本隆宏さんは生まれたときは北九州市、育ったのは宗像市とされます。
宗像市は北九州と福岡市の間にあり、人口が10万弱くらいの都市となります。
出身の小学校、中学校について確定的な根拠はありませんが、宗像市のなかの「日の里」という地域のフリーペーパーによると、「日の里20世紀の歴史」という記事にこんな一行があります。
【昭和63年1988年6月21日 日の里出身の藤本隆宏ソウルオリンピック代表に決まる】
このように藤本隆宏さんが「日の里」出身は間違いないようです。
また宗像市立の中学は市内に6校ありますが、「日の里」という地域にあるのは日の里中学校のみですから出身中学はおそらく日の里中学校と考えられます。
出身中学校:宗像市立日の里中学校
所在地:福岡県宗像市日の里8丁目8
余談ながら、景勝地で知られる海の「大島」も宗像市。また国立の福岡教育大学も所在地は福岡でなく宗像市になります。
さらに小学校については、宗像市内には公立小学校が14校ありますが、「日の里」地域には日の里東小学校か、日の里西小学校の2校のため、出身小学校はおそらくこの2校のうちどちらかと推定されます。
仮に日の里西小学校だとしたら下記のように、道路を挟んで右に日の里中学校、左に日の里西小学校ということになります。
所在地:福岡県宗像市日の里8丁目20−20
***
藤本さんは6歳から水泳を始めたとされます。
以下は2011年、すでに俳優となった時点でのインタビュー。
6歳から水泳を始め、練習量の多い時は、日に2万5千メートル以上も泳ぐほどの水泳漬けの日々でした。18歳でソウル五輪(1988年)に出場し、次のバルセロナ五輪(92年)では400m個人メドレーで8位入賞、この種目で日本人初の決勝進出を果たしました。この成績は当時、日本史上最高位でしたが、私自身はメダルを取れなかったので、少しも嬉しくありませんでした。
(『学びの場』【藤本隆宏 挫折、転身、努力を語る。人生にとって、遠回りは無駄ではないのです。】より )
(バルセロナオリンピックと言えば、中学生の岩崎恭子さんがいきなりのように金メダルを獲得し、大きく湧いた時でもありました。)
ところで子どもの頃、藤本さんはどのように泳ぎを練習していたのでしょうか。
じつは設備の整ったスイミングスクールというより、手作りのビニールハウスのプールだったそうです。
「手作りのビニールハウスのプールです。我々子供達も増設の際に土掘りなどお手伝いしました。ビニールハウスが1つあって、土の上に板を敷いただけなのですが体操場、それにお手洗いと更衣室、4コースか5コースの25mプールがありました。」
(https://number.bunshun.jp/articles/-/854010 より)
しかもみんなで手伝ってさらに「50mプール」にしたとのこと。

image
そこは『宗像水泳学校』というところで、指導者は元代表選手という方でなく素朴な指導方法で毎日同じようなメニューでただひたすら泳ぎ込んでいたーーとのこと。
藤本隆宏さんは、この『宗像水泳学校』にお兄さんに習って通っていました。
泳ぎこむことで藤本さんも記録を伸ばしました。
「全国大会で優勝する選手も出たり、なぜか強かった。不思議な学校でした。」
***
また別のタウン誌にあたる『むなかたたうんプレス』では、2019年の10月号で、ビニールハウスプールの「よしたけプール」についての記事があります。
当時、コーチをしていたの は現在 91歳の矢野幸盛さん。のちにソウル・バルセロナ両五輪に出場した藤本隆宏さんなど、子どもたちの水泳を指導しました。平成4年に惜しまれつつ閉校。
地域に根ざした活動と、温かい視点が感じられます。
それにしても、そんな地域からオリンピック選手が出たのは喜ばしいことだったでしょう。

藤本隆宏さんの出身大学は早稲田大学
早稲田のスポーツ科学科にてオリンピックへ
高校生にしてオリンピック選手だった藤本隆宏さんは早稲田大学の、現在でいう人間科学部に進学しました。
人間科学部という名称は分かりにくいのですが、早稲田に人間科学部(の中の「スポーツ科学科」)ができたのが1987年で、藤本さんが入ったのが1989年。
さらに2003年度以降は早稲田大学スポーツ科学部として独立しました。
つまり藤本さんは早稲田のスポーツ科学部出身の先駆け的存在とも言えそうです。
出身大学:早稲田大学 人間科学部
所在地:埼玉県所沢市三ケ島2丁目579−15
若い世代では、ひっこりはんは人間科学部、岡部大さんはスポーツ科学部です。いずれも所沢キャンパス。
***
藤本さんにとっては、水泳選手として活動の場が西日本短期大学附属高等学校から、早稲田に移ったと言えます。
上記にもあるように、オリンピックとの関連では高校時代に「ソウルオリンピック」に出場し、早稲田の学生時代に1990年にも1991年には国内での個人メドレーで日本記録を樹立。
(ちなみにソウルオリンピックでは鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダルを獲得し、藤本さんもたいへん刺激を受けました。)
2度目のオリンピック、3度目の挑戦と「劇団四季」入団へ
こうして早稲田時代の1992年に「バルセロナオリンピック」に出場し、個人メドレーで決勝進出というそれ自体が快挙と言える結果でした。当時、個人メドレーで世界の壁は高かったようです。
ただし上記のコメントにもあるように、藤本さんにとっては「メダルを取れなかったので、少しも嬉しくありませんでした」ということ。
一般視聴者にはよく分からない世界ですが、藤本さんの体験によると外国人選手とすれ違うと『日本人がなんで水泳やっているんだ? お前ら、絶対俺たちに勝てないだろ』と言われたりしたそうです。
なんと・・
赤沢さん役の藤本隆宏さんは実は水泳の偉大な日本チャンピオンで日本選手権も制しオリンピックに2度も出ている真のアスリート、オリンピアだ。あのがっしりした体つきを見ればわかるだろう。
#クジャクのダンス pic.twitter.com/4KMlYiGXeV
— ゼク (@zekuzeku) March 28, 2025
略歴を振り返ると、1993年に大学を卒業したはずで実際、藤本さんはその年にオーストラリアへ水泳留学をしています。
その動機はあくまでも次のオリンピックを目指したから。ただしオーストラリアで記録が伸び悩み、アトランタ五輪の代表選考会で惨敗し結局1996年の4月に引退。
***
ところでこのころは、藤本さんにとって「水泳」と「俳優」という2つの世界が交錯した時期でもありました。
1993年のオーストラリアへ留学では練習は過酷だった様子・・
留学中は練習しかなかった、という感じです。朝起きて、午前4時半からウェイトトレーニングをやって、水に入って2時間半か3時間、10kmくらい泳ぎます。・・中略・・1日に泳ぐ距離は2万5000mくらいでした
(https://number.bunshun.jp/articles/-/854011 より)
泳げない者には想像を絶する世界ーー。
ほとんど練習だけなので英語もあまり身につかなかったとのこと。
しかし、そのオーストラリアで人生を左右する出会いがありました。

藤本さんは好きなので合間にコンサートや美術館に通ったようです。そしてミュージカル『レ・ミゼラブル』を観ました。
そのとき『この世界はスポーツに共通している』と感じました。ライブ感ですね。舞台を見ているお客様が泣いたり笑ったり拍手をしている。その絵が、オリンピックの会場と重なった。
(同上)
水泳は何のためかというと、自分のためでもあったけれど喜んでくれる人がいるから。そこでミュージカルは、同じ体験ができるのではないかと隆宏さんは思いました。
帰国後に日本でもミュージカルを観てその思いを強くしたあと、たまたま新聞で劇団四季のオーディションの告知を見て「受けよう」と思ったーー。
水泳選手ではありますが、踊りも音楽も経験はないわけで、オーディションまで1〜2ヶ月しかないなかで子どもしかいないバレエ教室にも通って猛練習。
さらに面接で、
「自分は天才です、努力することは絶対負けないです、努力する天才です」
と語り、浅利慶太さんから合格をもらいました。浅利氏はその時水泳を辞めないようにと言いました。
これが1995年のこと。
この投稿をInstagramで見る
(2025年 『雪風 YUKIKAZE』 にて)
一方で上記のように1996年春のアトランタ五輪代表選考会では代表を逃し、藤本さんはいよいよ演劇の世界に向かう事になりました。
初出演は1997年の『ヴェニスの商人』
その後順風満帆とはいえないながら、オリンピックで鍛えた4年に一回というスパンから、4年で考えて希望を抱きながら鍛錬してきました。
さらに木原光知子さんの「ミミスイミングクラブ」で指導を手伝うことで気持ちが楽になったり、自分が保持してきた「400m個人メドレーの日本記録」が10年ぶりに破られて解放された感慨を得たり・・
このあたりは、眩しいような世界を通ってきたからこその心境でしょうか。
舞台からテレビドラマへ
舞台で次第に認められてきた藤本さんは、「顔は濃ゆいし体が大きいし(同上)」ということでテレビのチャンスはないと思っていたそうです。
しかしオーディションを受けて『坂の上の雲』に広瀬武夫中佐役で出演。
再放送している坂の上の雲の「広瀬死す」の回を録画で見ました。
藤本君(広瀬武夫役)の出世作です。
この時の藤本君はかっこいいね。
子供の頃に一緒に通学していたのが嘘みたいです。 pic.twitter.com/MLl2UY8YMc— ISHIHARA (@IshiharaE) January 15, 2025
(子どもの頃一緒に通学していた・・という方の投稿)
『坂の上の雲』は、さすが壮大なドラマでした。
藤本さんは木雅弘さんによる秋山真之の海軍兵学校時代の先輩、広瀬武夫。
ロシアでアリアズナとの切ない恋も美しく、個人的にもここではっきりと意識に残った役者さんでした。
ロシヤにおける広瀬武夫
アリアズナとのロマンス坂の上の雲の中でも好きなエピソード pic.twitter.com/hDBhfkkcxq
— あじゃっち (@ajatch) December 6, 2024
司馬遼太郎さんの歴史観には賛否両論があるようです。歴史の常と言えるでしょうかーー。
しかしその部分は置いておくとして、渡辺謙さんの語りも格調高く『坂の上の雲』はやはりドラマ史上に残る名作だと思います。繰り返し観ました。
日本ドラマ「坂の上の雲」第1部+第2部+第3部完全版 全13話を収録13枚組
(アマゾンへのリンクとなっています)
その後は、略歴のように『JIN-仁- 完結編』で西郷隆盛を演じたり、大河ドラマにも連続テレビ小説にも出演した著名俳優の一人となっています。
結果として大きく実った役者人生ですが、選手を引退してしばらくはプールにも行かず、競泳の中継もオリンピックも見なかった時期もありました。
「元五輪選手」「水泳の藤本」では嫌だったのです。なぜなら、好きで選んだ役者の道とはいえ、言葉を替えればメダルが取れずに逃げるように入った世界です。今までのものをすべて消して、違う「藤本」になって勝負しなければ、決して成功できないと考えたのです。だから「水泳の元五輪選手」という経歴は封印しました。
(https://www.manabinoba.com/interview/16942.html より)
以前は、芸能界という所は、元プロスポーツ選手や誰かの二世といった人たちであれば、経験が浅くても容易くチャンスが与えられる世界だと思っていました。しかし、広瀬中佐役をいただいてから、やはり近道はない、遠回りでも努力の積み重ねが正解なのだと実感しました。(同上)
「元五輪選手」という立場に溺れることなく、地味に努力を積み重ねてきた軌跡が素晴らしいと思わせてくれる稀有の俳優です。
この投稿をInstagramで見る
(2023年 『刑事7人』)
2020年代は50代となり、時にはアクの強い役柄も見せてくれます。
この投稿をInstagramで見る
(2025年 『クジャクのダンス、誰が見た?』にて)
***
以上、簡単ですが藤本隆宏さんの出身校についてでした。お読みいただきありがとうございます。