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朝の顔を務める高瀬耕造アナウンサー
高瀬耕造さんは、2017年の4月からNHKニュースおはよう日本のメインキャスターとして活躍しています。朝のNHKの顔の一人となりました。
若く見えますが40代の実力アナウンサーとなりました。兵庫県加古川市出身で、地元の公立高校から早稲田に進学
兵庫県立加古川東高等学校 ⇒ 早稲田大学商学部
*人気のあまり高瀬アナの担当が移動にならないか、心配するファンも多いそうですが2021年4月現在、NHKニュースおはよう日本 メインキャスターは変わっていません。
高瀬耕造(たかせこうぞう)
生まれ:1975年12月26日
出身:兵庫県加古川市
1991年:(推定)加古川東高校入学
1995年:(推定)早稲田大学入学
1999年:NHK入局、新潟局へ
2003年:新潟時代に川野美咲アナ(テレビ新潟)と結婚
2008〜2010年:NHKニュースおはよう日本 キャスター
2012〜2016年:正午ニュースキャスター
2016〜2017年:NHKニュース7土日祝メインキャスター
2017年〜:『NHKニュースおはよう日本』メインキャスター
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。
(2021年2月現在、高瀬アナウンサーは『NHKニュースおはよう日本』メインキャスターは2021年度も続行が決まっています)。
2014年の昼のニュースで御嶽山の噴火について高瀬アナウンサーが「みたけ・・おたけ・・」と、一瞬言い淀んだことが話題になるくらい、逆に言えば、アナウンサーには世間の期待度が高いということでしょう。
早稲田大学時代にグリークラブに所属しており、だから男声合唱が得意とされますが、そのクラブの先輩からの助言でNHKを受けたという逸話。
また、2014年上半期の『テレビ番組の出演本数ランキング』で高瀬アナウンサーがタレント部門1位になりました。
連続ドラマ『あまちゃん』が放映されたのは2013年ですが、昼の再放送直後のニュースを高瀬アナウンサーが担当しており、いわゆる「昼あま」直後の高瀬アナウンサーが、笑いをこらえてるように見えたと、話題になったことがあります。
高瀬耕造アナ「避難所にいる方、病院にいる方、周りの人に『怖かったね』…(中略)…などと声をかけてあげてください」
高瀬耕造アナの言葉は、いつも心優しい。#おはよう日本 pic.twitter.com/2VpNKHVz8Q
— チィ (@goromongo) 2018年9月6日
アナウンサーが直前の番組を見ているか、真偽は不明ですが、そんな気がするという表情の画像も出回っています。一部では「まゆゆ」という愛称も行き渡っているとか。
また2016年12月31日の大晦日、紅白歌合戦の途中のニュースで、高瀬アナウンサーは、ピコ太郎の新曲「ポンポコリンポンペン」からいきなりカメラが切り替わって・・・
笑いをこらえた表情でニュースを始めたと、話題になりました。 どこか、安心させてくれるアナウンサーです。
ピコ太郎の新曲「ポンポコリンポンペン」から いきなりカメラを振られ、笑みをこらえて 瞬時に真顔を作る高瀬アナ。よく頑張りました。#NHK紅白 #紅白 pic.twitter.com/QJLfFMNcHD
— すっぴんさん (@musicapiccolino) 2016年12月31日
高瀬耕造さんの出身高校は兵庫県立加古川東高校
高瀬アナウンサーの進学した兵庫県立加古川東高校は、かつての「旧制加古川中学校」だった伝統校です。
兵庫県第3学区内では公立でトップ校とのこと。
加古川東高校時代には、レイザーラモンHGと同級生でした。また同校の卒業生には漫画家のあずまきよひこ氏がいます。「よつばと」の作者。
兵庫県立加古川東高校
所在地:兵庫県加古川市加古川町232−2
高校時代の高瀬アナは、バスケットボールに励んでいました。
地元の有力進学校ですから、普通に過ごしても受験勉強はしっかりこなしていたと思われます。
高瀬アナの出身地兵庫県と、出身の小学校、中学校
(追記項目となります)
2021年現在、すっかり著名人となった高瀬耕造アナウンサーについては、出身小学校、出身中学校が明らかになっています。
兵庫県の、生まれた時は西脇市ながら、おもに加古川市で少年時代を過ごした模様。小・中学校、そして高校もすべて加古川市内だったということになります。
加古川市立氷丘(ひおか)南小学校
所在地:兵庫県加古川市加古川町溝之口246
加古川市立氷丘(ひおか)中学校
所在地:兵庫県加古川市加古川町大野845
氷丘中学の主な出身者として、将棋棋士の久保利明さんらと共に掲載されています。
これらの公立の小中学校を経て、上記のように、地元のトップの進学校、加古川東高校に進学したということ。
両校はJR加古川駅を挟んで、およそ加古川東高校とは反対方向にあります。
いずれにしても、加古川市のおよそ中心地にあたるこの一帯で、高瀬アナウンサーが、少年時代を過ごしたと言えそうです。
高瀬アナは「早稲田出身のアナウンサー」、他大学に進学後に再受験
高瀬耕造アナウンサーは早稲田大学商学部に進学しました。
その時期は高校入学から4年後、いわゆる浪人生と同じ時期となります。
理由は、高瀬アナは一度は関西の大学に進学していたから。
NHKのアナウンスルームのサイトでこう語っていました。
アナウンサーになるまでは関西弁でしか話せませんでした。元々僕は兵庫の出身でしたので、神戸や大阪も好きでしたが、いつしか関西から飛び出してみたいと思うようになっていました。・・(中略)・・・
それで、一度は関西の大学に進んだのですが、途中からその気持ちがどんどん強くなって、もう一度受験をすることになりました。
(アナウンサー仕事の流儀2015年高瀬耕造 より)
一浪後の形で早稲田大学を受験して合格したのですが、その1995年とはまさに阪神淡路大震災の年でもありました。震災の衝撃の中ではあったけれど、無事に早大受験を突破。
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早稲田大学では男声合唱団のグリークラブに所属しました。そのグリークラブが、将来を決定することになったわけです・・
というのは、同クラブの大先輩アナウンサーがNHKを「受けてみたら」と誘ってくだっさったそうです。
私にとってNHKは、正直“記念受験”でした。アナウンススクールに通っておらず、他に受けたアナウンサー試験もありません。
準備や知識はほぼ皆無、エントリーシートに書く「伝えたいこと」がどうにも思い浮かばず、本当に受けるかどうか迷っていました。
(http://www6.nhk.or.jp/a-room/special/180316/004.html より)
NHKを記念受験とは・・・
それでも立派に採用されたのですから素晴らしいデス。
上記のエントリーシートになんと書くかは、クラブの演奏旅行でチェコのプラハを訪れて印象的な光景に出会ったことから、高瀬アナウンサーの「思い」が生まれたようです。
折しも日本では長野オリンピックが開かれていて、ちょうど滞在中にアイスホッケーでチェコが大国ロシアに歴史的勝利を挙げて優勝したのです。
プラハの街は興奮と歓喜に包まれ、その熱気たるや、私が日本人というだけで「ありがとうナガノ!」「ありがとうニッポン!」と感謝されるほど。
(同上)
ということで、「民衆の熱気」がキーワードとなった様子。
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早稲田大学出身のアナウンサーは多いわけで、近江友里恵元アナも早稲田。ベテランの杉浦圭子アナも同様。ジャーナリストの辛坊治郎氏や早坂茂三氏も早稲田の出身です。
所在地:東京都新宿区戸塚町1丁目104
早稲田大学については、今さらの「早大」。マンモス校であると同時に、卒業生の母校愛が強いことでも知られます。
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2021年2月24日のあさイチのプレミアムトークに林遣都さんが出演しました。あらためて(?)高瀬耕造さんと林遣都さんが似ていると話題になりました。
林遣都くんを観ると #NHK 高瀬耕造アナウンサーを思いだす #べっぴんさん pic.twitter.com/2Dp2S03SsS
— Saitoh Masaya (@MS3110) January 10, 2019
以上、簡単ですがNHKの看板アナウンサーの一人、高瀬耕造氏の出身校について、でした。