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津田健次郎さんは子どもの頃から映画にハマり、名画座やミニシアター通い
津田健次郎さんの学歴と出身校についてご案内します。
津田健次郎さんは人気の声優さんとして知られてきましたが、昨今では人気俳優でもあります。
子どものころジャカルタで過ごしていましたが、小学校の途中からは出身地の大阪府で育ち、小さい頃から映画にハマっていました。名画座だけでなくミニシアターにも通い詰めーー。
中学から一貫校の明星中学校・高等学校に進学し、大学受験では、監督を目指して明治大学の文学部に進んで演劇学を専攻。
明星中学校・高等学校 ⇒ 明治大学(文学部) ⇒ 「演劇集団円」
明治大学では「文学部文学科演劇学」でしたが、後年の取材で答えているように大学の勉学はやはり「理論」でした。
演劇に目覚める契機は、津田さんが、『演劇集団円』の専攻科を受けて通うようになったこと。
時系列としては学生時代に並行して『演劇集団円』に2年間通い、そこを卒業したときは事務所に所属し、一方で、明大の学生も続けていたということになります。
監督を目指していたけれど、『演劇集団円』で演じるほうをやってみたら思いの外面白く、演じる側に移っていったと言えそうです。
(しかし「監督」の仕事はその後も実を結んでいます)
人気声優としてブレイクし、人気俳優ともなり、昨今の活躍は目覚ましいことになっています。
津田健次郎(つだ けんじろう)
生まれ: 1971年6月11日
出身:大阪府
1972年:1歳からジャカルタで過ごす
1978年:(推定)ジャカルタで日本人学校に入学、7歳
1980年ころ:小3で日本に戻る
1984年:(推定)明星中学校入学、13歳
1897年:(推定)明星高校入学、16歳
1990年:(推定)明治大学入学、19歳
1992年:「円・演劇研究所」に合格、21歳
1995年:アニメ『H2』野田敦役で声優デビュー、映画『君を忘れない』出演、24歳
1997年:(推定)大学卒業、26歳
2000年:『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』海馬瀬人
2001年:『テニスの王子様』乾貞治、30歳
2004年:『革命の林檎』小笠原修 、33歳
2008年:『大好き!五つ子2008』中沢
2012年:津田健次郎 PROJECT『925』、41歳
2013年:『Free!』御子柴清十郎
2015年:『GANGSTA.』ニコラス・ブラウン、44歳
2019年:『ドキュメンターテイメント AD-LIVE』監督デビュー、48歳
2020年:『啄木鳥探偵處』野村胡堂、連続テレビ小説『エール』ナレーション
2021年:声優アワード主演男優賞受賞
2024年:『多数欠』御堂密、『西園寺さんは家事をしない』横井和人、53歳
2025年:大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺』 曲亭馬琴、連続テレビ小説『あんぱん』東海林明 、54歳
2026年:『ラムネモンキー』反町隆史、大森南朋とトリプル主演
*津田健次郎さんの場合、声優と俳優としての出演作が混じっています。あまりに多いため、ほんの一部を抜粋しています。
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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津田健次郎さんの出身高校は大阪の私立校、明星(めいせい)高等学校
進学した明星中学校・高等学校 は中高一貫校で、高校からの入学もある男子校。
津田さんはこちらに中学から入学しました。
その点でも俳優の小市慢太郎さんと同じ。小市さんのほう学年で3学年分年長ですが、どちらも中学からですので、一応6年間のなかには同じ学校にいた時期がありそうです。
明星(めいせい)中学校・高等学校は、同じ名前の私立校が東京の府中市にもあり、東京の明星を運営するのは「学校法人明星学苑」で共学校。
読みはどちらも「めいせい」になります。
東京の明星中学校・高等学校は東京都にある私立大学・明星大学への進学が保証されるという関連校ですが「大阪の明星中学校・高等学校 」は東京の同校とも明星大学とも関係がありません。
大阪の場合、運営法人は「学校法人大阪明星学園」になります。
大阪の明星中学校・高等学校には系列の大学はありません。
一方で姉妹校が都内にも大阪などにもあります。
暁星中学校・高等学校 (東京都)
晃華学園中学校・高等学校 (東京都)
海星中学校・高等学校 (長崎市)
札幌光星中学校・高等学校 (札幌市)
姉妹校の「暁星中学校・高等学校」出身者が、賀来賢人さんや香川照之さん。
「暁星中学校・高等学校」をみても、大阪の「明星中学校・高等学校」が歴史ある名門校であることが分かります。
出身高校:明星高等学校
所在地:大阪府大阪市天王寺区餌差町5−44
***
【明星高等学校の大学合格実績】は「みんなの高校情報」から一部を抜粋すると2025年の例で以下となっています。
国公立大学
東大 1名
京都大学 3名
大阪大学 11名
神戸大学 8名
和歌山大学 6名
大阪公立大学 21名 など多数
私立大学
近畿大学 207名
立命館大学 105名
関西学院大学 92名
同志社大学 72名
関西大学 70名
龍谷大学 32名
上智大学 12名
早稲田大学 10名 など多数
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高校時代の津田さんは生徒会長などを務めていたとのこと。
一方で、もともと一人で過ごす傾向の強かった健次郎さんはミニシアターに出かけては映画を観ていました。
映画との縁は子どもの頃から始まっており、映画の道に進みたいと思っていたことは、中学の頃からのこと。
特に、ヨーロッパやアメリカのアート系映画に傾倒し始めた。抽象的な表現が多いアート系の映画は、セリフがあまりなく淡々とした芸術表現をしている。邦画やハリウッド映画と比較すると、より感覚や本能へダイレクトに訴えかけてくる。
(https://www.asahi.com/and/m/article/15792881 より)
前衛映画に惹かれたのには、一種の孤独感も関係していたそうです。
また、津田さんが映画に惹かれた気持ちを以下のようにも表していました。
・・とくに思春期の頃なんか、世の中が「いい」と言うものが、周囲で流行っているものが、なぜ自分はいいと思えないんだろう、と感じることがあって。
でもそういう感覚も、映画館に行くと落ち着くといいますか。映画館では、自分よりはるかに吹っ切れた感性を堂々と世の中に投げている人たちがいる。
(https://news.livedoor.com/article/detail/15944338/ より)
こちらは2019年に『ドキュメンターテイメント AD-LIVE』にて監督としてデビューしたときの取材。
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(2024年)
津田健次郎さんの出身地・大阪(一時はジャカルタ)と出身小学校(不明)、出身中学校(明星中学校)
ここで、子どもの頃に戻ります。
今では広く知られてるようになりましたが、津田健次郎さんは父親の仕事の都合で1歳から小3くらいまでジャカルタで過ごしていました。
ーー日本に帰ってきたのはいつ頃ですか?
小学3年生くらいでした。家が大阪の難波の近くだったので、映画館が近かったことと、叔父のおかげで株主優待の映画チケットがよく手に入ったんです。子どもからすれば、やったー!って感じですよね(笑)。
(同上)
ジャカルタ
インドネシアではお兄さんはプールに、健次郎さんは映画館に行っていたそうです。
日本に帰って、名画座で
『チャップリン特集』
『オードリー・ヘプバーン特集』
『エデンの東』
などを観て、
さらに大阪にミニシアターができるようになって、ヨーロッパやアメリカの前衛的な映画に傾倒し・・
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』
などを観ました。
その前(?)にというか小学校の頃は、地元育ちの人が多いなかで大阪に帰ってきた身として違和感があったとのこと。
おそらくそれは、繊細で取材時にも細やかな気遣いを見せるという津田さんの、元来の性格のようなものと関連しているのかもしれません。
***
出身地というと大阪になり、小学校はこのように途中で帰国したのですが、それまではインドネシアの日本人学校でした (2025年1月の取材でも同様の回答)。
帰国した時に入った小学校の名前は不明。
しかし、中学は上記の一貫校である明星中学だったことが分かっています。
出身中学校:明星中学
所在地:大阪府大阪市天王寺区餌差町5番44号
小・中一貫校ですから所在地も同様になります。
ちなみに明星(めいせい)中学校・高等学校の敷地は、大河ドラマの『真田丸』のころ、同校の場所がかつて、真田幸村が築いた「大阪城の出丸」だったと話題になりました。
『真田丸』の放映された2016年にそれに関する顕彰碑が設置されたことにより、いまでは場所が「大阪城の出丸」だったことは周知の事実となっています。
なお中学時代はテニスをやっていたそうです。
また別の取材ではこうも答えています。
中学くらいからひとりで映画館、名画座みたいなところに通っていたので、その影響ですかね。大阪の心斎橋に戎橋というのがありますが、そのたもとに映画館があって、そこで古い映画を観て。
(【Style of the PRINCE】第23回ゲスト:津田 健次郎さん より)
津田健次郎さんの出身大学は明治大学、演劇学を学ぶ
映画専攻を探して明治大学へ
津田さんは明星高等学校から明治大学に進学しました。
大学は文学部の演劇専攻だったんですが、最初は映画を作りたくて入ったんです。映画専攻の科がある大学って当時はすごく少なくて、わりと安易に明治大学の演劇学専攻を選びましたね。
――安易といっても六大学ですけども(笑)。
いやいや、受験は頑張りましたよ(笑)。(【Style of the PRINCE】津田 健次郎さん より)
このように、受験勉強の時期には受験勉強をして津田さんは明大に進学しました。
知られるように明治大学の文学部には、演劇を学ぶ分野があり多くの出身者が活躍しています。
明治大学に演劇学科を目指して進学した人には以下の方々もいます。
明治大学文学部のキャンパスは学年によって以下。
学部1・2年:和泉キャンパス
学部3・4年:駿河台キャンパス
出身大学:明治大学 駿河台キャンパス
所在地:東京都千代田区神田駿河台1丁目1
明治大学の文学部には3つの科があります。
文学科
史学地理学科
心理社会学科
その中の文学科は6専攻
日本文学専攻
英米文学専攻
フランス文学専攻
ドイツ文学専攻
演劇学専攻
文芸メディア専攻
このように明治大学にはズバリ「演劇学」があることと、かつマンモス大学規模ながら比較的少人数でじっくり学べるといった評価があるようです。
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(2023年 『ラストマン-全盲の捜査官』では20代から70代まで演じました。)
「出る」ために「演劇集団円」を受験、その後は声優、俳優へ
一方で津田健次郎さんは大学3年生のときに、「演劇集団円」の専攻科を受験し、同研究所に所属することになります。
『演劇集団円』は1975年に芥川比呂志さんや橋爪功さん等が設立。
出身校:演劇集団円
所在地:東京都三鷹市下連雀4丁目14−32
現在津田健次郎さんは、【円・演劇研究所出身の人物】の一人として挙げられています。
ちなみにその出身人物のなかには、
芹澤名人さん
津田寛治さん
豊川悦司さん・・等々
など多数の人物の名前もあります。
演劇に関する津田さんの興味深いコメントが2012年の取材にあります。そこで大学や演劇集団円で学んだことについて、以下のように回答しました。
ー大学では演劇専攻ですから、舞台演劇にも精通してらっしゃる?
いや逆に僕、そっちは弱いんですよ。大学当時は小劇場ブーム。……なんか苦手だったんですね。わかりやすいコメディもウェルメイドも苦手。流行りものも苦手だから、そのノリの大学演劇サークルにもなじめなくて……新劇に行っちゃったんです。
(同上)
「演劇集団円」に通ったことについては・・
――でもなぜ、急に演じるほうをやってみようと? 映画製作者志望だったんですよね?
単純に気の迷いなんです。映画作ろうと思っていたのに、出たくなっちゃったんですね。結局、何を映画で表現したいか、具体的なビジョンが描けない。それでも表現したい欲求は強かったから、出るのも面白いのかなと。
(同上)
入るにはオーディションがあるわけですが、津田さんいわく、「なんか知らないけど、受かっちゃいました」とのこと。

これとは別に2019年の取材では大学と「演劇集団円」との関係を次のようにも述べています。
「映画なのに、台本が全く書けなくて。書けないから撮れない。そんな時、気の迷いですよね、撮れないなら出てみる?という感じで劇団の養成所を受けました。そしたら、受かってしまって。受かったからには舞台の稽古に参加しようと。その稽古がすごかった。とても面白かったんですね」
(https://www.asahi.com/and/m/article/15792881 より)
しかし芝居をやり始めると、ビックリするくらい面白かったそうです。
演劇の実践には、大学での理論は役立たなかったともーー。
その代わり自ら行動して学びました。
「芝居の稽古と台本読むことと、お芝居を観に行ったり映画を観に行ったり以外は、何も考えてないくらいガッチガチですね。」
このあたりの没入具合に、その後大きく実を結んでおられる姿の萌芽があるのかもしれません。
「演劇集団円」は通ったけれど2年で卒業し、津田さんの言葉を借りると・・
「本当は円に入りたかったんですけど、入れてくれなかったんで外へ」
ということで、事務所に所属するようになりました。
最初はアルバイトとの掛け持ち生活。
しかしプロへの転機となったのは、アニメとの出会いでした。
舞台系の事務所で、ある日突然、アニメのオーディションが来たよって言われて。・・中略・・キミもついでに受けてみる? みたいな感覚だったと思います。
(【Style of the PRINCE】より)
それが、1995年の『H2』。
もともとアニメを見て育ったわけでないので(映画ばかり)大変新鮮だったとのこと。
『H2』のオンエア途中でフリーになり、単発の仕事を続けました。
その後、映像志向で大学に入ったので映像の事務所を選び、映像作品にも少々出演。
さらに5年くらいしてロングスパンのアニメ作品『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』への出演となりました。
その『遊戯王』の途中で『テニスの王子様』が始まり、やがてイベントでも大きな盛り上がりを見せました。
(このあたり【Style of the PRINCE】の取材からまとめています)
漫画に疎いので確認すると、『H2』(エイチツー)は1992年〜1999年まで『週刊少年サンデー』に連載された人気作品とのこと。
『H2』で津田さんは捕手の野田敦役でした。
特に深い理由もなくなんとなくで今日は作業のお供にH2のアニメを流してたんだけど、この太っちょキャッチャーの声が津田健次郎でびっくりした
ED見るまで全然気付かんかったのだ
28年前の作品らしく声がめちゃ若い!って思ったらツダケンの声優デビュー作だとさ
当時24歳くらいか、そりゃ若いわなー pic.twitter.com/xTvp33AgpI— ぼちイさん (@bochiisannanoda) August 28, 2023
いずれにしても、津田健次郎さんはその後、ブレイクした声優として活躍の幅を広げ、舞台にもテレビにも出演し、現在に至っています。
***
この経緯を聞くと津田さんにとって、「演劇集団円」の存在は大きかったけれど、大学のほうはどうなったか?という印象ーー。
しかし、明治大学は7年かかって卒業したことが分かっています。

安住紳一郎アナウンサーが明治大学の校友名簿で確認すると同級生だった、しかし年齢差から何年在籍したか・・というやり取りから、結局、7年間の大学生活だったそうです。
***
このように声優界のスターであった津田さんですが、
声優の分野を知らない視聴者からすると、津田さんは2020年の連続テレビ小説『エール』でナレーションを担当したころから知られてきたとも言えます。
さらに2025年には大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺』にも、連続テレビ小説『あんぱん』にも出演し、いつの間にか?と言っては語弊がありますが、これまでの経歴を知らない人から見たとしても、名実ともに人気俳優の一人でもあります。
日曜劇場での税理士・妻夫木聡と記者・津田健次郎。
たまるか~!どう見てもキューリオ社長・八木信之介と月刊くじら編集長・東海林明でしかないにゃあ~! #ザ・ロイヤルファミリー #あんぱん pic.twitter.com/n0NlMJNDv1— レンブラントちゃん (@rembrantchan) October 16, 2025
前述のように津田さんの出演作は声優から始まってあまりに多く、とうてい挙げきれません。
私生活では舞台役者を始めた頃に一般の方と結婚しており、2020年現在で2児の父親ということです。
2026年の『ラムネモンキー』ではベテラン俳優の反町隆史さん、大森南朋さんと互角に主演している様子が、その実力を物語っているようです。
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(2026年 『ラムネモンキー』)
***
以上、簡単ですが津田健次郎さんの出身校についてでした。