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パワフルな高須クリニックの院長!
高須克弥さんの学歴と出身校についてご案内します。
高須克弥さんは言うまでもなく高須クリニックの院長であり、医学博士であり、僧侶でもあります。ツイッター等で日々コメントを発信していることでも、また、漫画家の西原理恵子さんとの事実婚状態についてもよく知られています。
愛知県の一色町(いっしきちょう)の出身で、代々医師の家系に生まれた高須克弥さん。両親も医師で、父親亡き後さらに多忙だった母親に代わりに育ててくれた祖母も医師だったということで、恵まれた環境に育った様子です。
地元愛知県の私立高校、仏教系の東海高等学校から当時はまだ医科大学であった昭和医科大学に進学。
東海高等学校 ⇒ 昭和医科大学医学部
昭和医科大学は、高須氏の入学した翌年に昭和大学と名前を変えたので卒業は「昭和大学を卒業」となっています。6年間で順調に卒業した計算になるので、大学の入学も高校の入学も含めてそれ以降は計算上の推定ですが、間違っていないと思われます。
高須克弥氏についてはエピソードも多く、テレビ出演で知られてきた経緯もあり、さらにテレビで高須クリニックのコマーシャルが流れ、芸能人のような知名度で認知されてきました。実際のところタレントとしても事務所に所属しています。
奥様の高須シズさんは2010年に亡くなられ、その後に、漫画家の西原理恵子さんとは事実婚状態で、二人の共著となる『ダーリンは70歳』も西原さんとの共著で、2019年に発行された『ダーリンは73歳』などと、好評のうちに続いています。
高須克弥(たかすかつや)
生まれ:1945年1月22日
出身:愛知県一色町(現:西尾市)
1960年:(推定)東海高校入学
1963年:(推定)昭和医科大学入学
1969年:昭和大学卒業
1973年:昭和大学医学部整形外科大学院卒業
1974年:愛知県の一色町に医療法人福祉会高須病院開設
1976年: 名古屋市に高須クリニック開設
1981年:港区赤坂に高須クリニック開設
1982年: 脂肪吸引・ケミカルピーリング技術研修
1987年:日本脂肪吸引学会会長、「歌謡びんびんハウス」レギュラー
1997年:渋谷区に高須クリニック開設
2000年:『脂肪吸引・脂肪注入のこつ 切らずに形を変える』
2011年:ゴルフでギネス世界記録達成
2011年:浄土真宗得度式
2016年:『ダーリンは70歳/高須帝国の逆襲』西原理恵子共著
2017年:アメリカ美容外科学会
2019年:『全身美容外科医 道なき先にカネはある』
その他、講演活動多数、著書多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。
世界的大富豪のクラスメートと再会。
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) May 7, 2021
かぶっている帽子はトランプから直接もらったんだってさ。なう。 pic.twitter.com/QmVhXgMQSa
今日のコーヒーはうまい。
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) May 27, 2021
生きているだけで感謝。
自分を楽しむかっちゃん。なう。 pic.twitter.com/vKIGWd8hKV
高須克弥さんの出身高校は、東海高等学校
東海高校は、正式な学校名は東海中学校・高等学校。男子校です。
歴史は古く、1888年に浄土宗教校の「浄土宗学愛知支校」として創設されました。
所在地:名古屋市東区筒井1丁目2−35
ちなみに高須克弥氏は、現在の西尾市(旧一色町)の出身で、西尾市から名古屋まで比較的距離があるように見えますが、現在も東海高校には、かなり遠方から通学する生徒もいるとのことで、珍しいケースではないのでしょう。
東海高校は、東海地区の代表的な進学校で、国公立大学の医学部への進学も多いことで知られます。
東大、京大への進学者も近年で各々26名、43名という数字も公表されており、高須克弥さんの時代はまだ東京オリンピック前の時代とはいえ、進学校の伝統は変わりなかったと考えられます。
歴史ある高校で、出身者には著名人も多く、内閣総理大臣を務めた海部俊樹氏や、衆議院議員の丹羽秀樹さん、小説家の大沢在昌さん、哲学者の梅原猛さん、評論家の呉智英さん、小説家で工学博士の森博嗣さん、東進ハイスクールでタレントの林修さんら、錚々たる著名人を輩出しています。
あらためて優れた高校です。
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高須克弥さんは同校において、2年生から「私立医学部進学コース」に進みました。このころ、ほんとうは漫画家になりたいという夢を抱いていおり、しかし医師の資格だけは取っておこうと医学部受験に臨んだとのことーー。
手塚治虫さんを思い出しますが、才能ある人は「二物を与え」られているのでしょうか。
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高須克弥さんの出身地旧一色町と高須病院
高須克弥さんの子どものころのエピソードについて。かなりは、『高須克弥記念財団』による公式ページで知られています。
逸話の多い人物ですから情報も多々サイトにありますが、そもそ家系の基盤があり、その経緯はまさに高須記念財団のtakasu-foundation.or.jp/index.html の各ページで知ることができます。
おもなエピソードを拾い出すと小・中学校までで、こんな点が印象的でした。
・防空壕の中で、戦闘機の飛び交う中で生まれた。
・高須家に100年ぶりに生まれた男児だった。
・医者の家のゆえ周囲の子にいじめられ、白豚と呼ばれた。
・家庭教師もいて学校の勉強は分かりすぎて退屈だった。(周囲から浮いた)
・祖母の教えもありいじめられても自分は特別だと思い、精神的に優位に立った。
戦後の荒んだ時代ということもあったでしょう。医者の家の息子として周囲から妬まれたようです。上記、防空壕の中とありますが、生まれはまさに1945年のことでした。
しかし高須氏は、大人になってから故郷の一色町、現在の西尾市には度々帰郷し、納税の貢献もしているようです。
帰郷というより、そもそも医療法人高須病院は西尾市にあり、病院として地域の要となっています。
愛知県西尾市一色町赤羽上郷中113番地1
高須先生は関東で美容外科を開業というイメージが先行しがちかもしれませんが、こちらが家系を継いでいる高須病院です。
高須克弥氏の出身小学校、中学校
ところで高須克弥氏は毎日、ものすごい数のツイートを発し、アメブロも時々更新してきました。ご存知の方も多いでしょう。
その過去ログをたどると、出身の小学校、中学校について、コメントしている箇所があります。
・僕は一色西部小学校卒業生です。大戸の漁師の皆さんに鍛えていただきました。(2017年3月26日)
https://twitter.com/katsuyatakasu より
・僕は一色町立一色中学の卒業生です。高校に進学した人は1割もいません。(2018年6月18日)
コメントには前後の質問等ありますが、学校名の部分だけ引用するとこのようになっています。また小学校も中学校も、現在は「西尾市立」となっています。
西尾市立一色西部小学校
所在地:愛知県西尾市 一色町治明通縄68
あえて西尾市の位置がわかるように拡大するとこういうことで、隣の豊橋市の出身で時習館高校の卒業生が平田満さんです。
西尾市立一色中学校
所在地:愛知県西尾市一色町坂田新田沖向95
高須克弥さんにはファンも多い一方で、出る杭は・・ではありませんが批判的なコメントも見かけます。しかしどちらが正しいか云々を抜きにして、あらためて、子どものころから、強い精神力で乗り越えてきた人物ということは確かだと思いました。
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高須克弥さんの出身大学は昭和大学
高須克弥さんにとって大学入学時は、大学名は昭和医科大学で、その翌年に昭和大学となりました。昭和医科大学の前身校は1928年に創立された昭和医学専門学校でした。
1928年といえば昭和3年ですから、まさに昭和に生まれた大学として名付けられたと言えそう。
現在、名前に「医科」はついていないものの、学部は医学部、歯学部、薬学部、保健医療学部という医療に特化した大学です。
昭和大学では大学名が変わった翌年の1965年から山梨県の富士吉田市の富士吉田キャンパスにて 医学部の一年生は全寮制ということです。
厳密なことは分かりませんが、高須氏の時代は、この富士吉田キャンパスでの全寮制はなかったと思われます。
医療系の大学なので当然ながら、昭和大学病院、昭和大学病院附属東病院などの附属病院を多数持っています。
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卒業後に整形外科を選んだ高須氏ですが、医者の多い親族で、整形外科の関係者が居ないから整形外科を選んだとのこと。
その後の活躍については周知の通りです。
学生時代には経験者が少ないスポーツという理由で、アイスホッケーを選んだり、医者になってからは、日本で導入例の少ないドイツ仕込みの形成外科の技術を用いたり、先見的な意識で成功を収めてきたということでしょう。フリーメイソンの一員という立場も特記されます。

上記のように高須克弥さんといえば、率直な発言で多くの反響を呼んできたとも言えそうです。2020年には「おやめ下さい大村秀章愛知県知事愛知百万人リコールの会」を作って活動が注目されました。一方で高須院長の体調不良も、心配されました。
高須先生はガンに罹患されていることも公表されています。殊にお体も大切にして過ごしていただきたい貴重な人物です。
ただいま。
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) June 17, 2021
生きています。
おはようございます。 pic.twitter.com/LCPGASl5CK
2021年6月のツイートがこちら。
ご健康を心からお祈りします。
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以上、簡単ですが、高須克弥氏の出身校についてでした。