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伊原剛志さん、高校時代から資金を貯めて東京に・・
伊原剛志さんの学歴と出身校についてご案内します。
伊原剛志さんは60代となり、今では個人事務所も設立しベテラン俳優の一人となっています。
子どものころ、大阪の生野区で育ち、生まれは在日韓国人三世ですが日本国籍を取得しています。
地元の公立の小学校・中学校を経て、地元の進学校の一つ、大阪府立今宮高等学校に進学しました。ご本人の回想によると、頑張って勉強して進学したけれど、そこの空気が合わなかったようです。
高校時代の途中から、東京に行くための資金を貯めていました。
大阪府立今宮高等学校 ⇒ 進学せず
ほとんどの生徒が進学する高校を出て、進学せずに東京に向かい、ジャパンアクションクラブに入り、やがてオーディションに合格して俳優デビューしました。
お好み焼き屋を経営したり、落語家デビューしたり、Youtubeで自らの意思を発信したり・・・と大変強い意志をもって行動してきた人物です。
伊原剛志(いはらつよし、本名:伊原 剛)
生まれ: 1963年11月6日
出身:大阪市生野区
1970年:(推定)小学校入学、7歳
1976年:(推定)中学校入学、13歳
1979年:(推定)大阪府立今宮高校入学、16歳
1982年:ジャパンアクションクラブに入団、19歳
1983年:『真夜中のパーティ』でデビュー、20歳
1984年:『コータローまかりとおる!』
1988年:『火曜サスペンス劇場 女の中の風』
1990年:相築あきこさんと結婚(2000年に離婚)
1992年:お好み焼き屋開業、29歳
1996年:『ふたりっ子』 黒岩政夫、33歳
2001年:一般の女性と再婚
2004年:『新選組!』佐々木只三郎 、41歳、「韓すき」店開業
2006年:『硫黄島からの手紙』西竹一
2012年:『はつ恋』三島匡、49歳
2014年:『トクボウ 警察庁特殊防犯課』主演、『花子とアン』安東吉平 、51歳
2015年:大河ドラマ『花燃ゆ』坂本龍馬
2016年:落語家デビュー
2020年:「IHARAオフィス」設立
2022年:『真相は耳の中』主演、59歳
2024年:舞台『リア王の悲劇』グロスター伯爵、61歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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伊原剛志さんの出身高校は進学校、大阪府立今宮高等学校
伊原さんの進学した今宮高等学校は、旧制中学(今宮中学)の時代もあった歴史ある伝統校です。
著名人もたくさん輩出してきました。
政治家では徳田虎雄さんがいて、アジア初のノーベル化学賞を受賞した福井謙一氏も同校の卒業生。芥川賞作家の、津村記久子さんも町田康さんもいます。
出身高校:大阪府立今宮高等学校
所在地:大阪市浪速区戎本町2丁目7−39
創立:1906年
同校からは通天閣にも数百メートルの距離に見え、天王寺公園が続きます。
伊原さんは子どものころは勉強熱心ではなかった様子。しかし、次にもあるように「頑張って勉強して無理して入った」というのですから、「無理して入れる」ところが、やはり並外れた才能なのでしょう。
【今宮高校の大学合格実績】は、「みんなの高校情報」に寄りますと、2023年の例で以下となっています。
国立大学
和歌山大学 7名
徳島大学 2名
大阪大学 1名 など多数
私立大学
近畿大学 74名
龍谷大学 50名
関西大学 36名
関西学院大学 14名
京都産業大学 10名 など多数
剛志さんの時代は40年以上前になりますが、旧制中学のあった高校として概略はあまり変わっていないと見られます。
そういう中で、伊原さんは進学しないという道を選び、高校卒業の年にジャパンアクションクラブ(JAC)に入るため、東京に向かいました。
JACは、千葉真一さんが主宰しており、雪中の訓練などなかなか厳しいクラブだったようです。
2005年に【ドリームゲート事務局によるインタビュー】で、次にように答えました。
そもそも、高校2年の頃に決めた「役者になる」 という志の背景には、在日韓国人として大阪・生野で育った自分の経験が影響しているのだという。
(https://www.dreamgate.gr.jp/contents/case/interview/35271 より)
その前に、伊原さんはこちらの進学校に進んだものの、「がり勉みたいなヤツ」が多くて合わなかったと言っています。
高校は、校区で三番目に賢い公立の今宮高校へ。
あまり治安の良くない地区のすぐそばで、頭はそこそこだけど、ディープな環境。ベロベロのおっさんが砂場で寝てたり(笑)。
中学の時は学校が大好きだったのに、高校はイヤでイヤで。頑張って勉強して無理して入った学校なんで、がり勉みたいなヤツが多くて 合わなかったんだと思います。
(同上)
そして勉強でなくサッカーに打ち込み、身長は入学時に164㎝から3年間で18㎝伸びて182㎝になったとのこと。
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ところで伊原さんの負けず嫌いの性格を表すエピソードが凄いものでした。
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(↑19歳の伊原さんがいます)
高1のころ、簡単な問題を解けずに数学の先生にバカにされ、
復讐のために数学だけ必死に勉強して100点をとって「伊原……100点って、その先生の手から当然って感じで答案用紙をふんだくった時の感覚は今でも忘れてない」というのですから、
やはり只者ではないオーラが漂っていたことでしょう。
伊原さんは後述するように、進学せずに東京に行くということを早々に決めており、高校2年の終わり頃からバイトで資金を貯めました。
伊原剛志さんの出身地大阪市生野区と出身小学校、出身中学校
伊原剛志さんの出身中学は大阪市立巽(たつみ)中学校であることが知られています。また、同校に進むことになる小学校2校のうちの一つ、大阪市立北巽(きたたつみ)小学校が、伊原さんの出身小学校とされています。
PANASONICA JPNさんのサイトによると、伊原さんの小学校は一度転校しているため、詳しく見ると・・
大阪市立田島南小学校→大阪市立北巽小学校→ 大阪市立巽中学校
ということでした。
出身小学校:大阪市立北巽小学校
所在地:大阪市生野区巽北1丁目30−29
地図をみていると「大阪コリアタウン」という表示が見えました。土地勘がないのですが、東京でいうと大久保近辺のような感じでしょうか。
出身中学校:大阪市立巽中学校
所在地:大阪市生野区巽中3丁目17−20
北巽小学校とは巽公園を挟んで1キロくらいの位置となります。
大阪市立巽中学校の卒業生には、伊原さんの他に、漫才師のトミーズさんの二人、お笑いタレントの長原成樹さんらがいます。
地図を見ていると、お好み焼き屋さんが度々表示されるのは、さすが大阪でしょうか。
***
子どもの頃の伊原さんについては、家庭の環境などなど今では諸々が知られています。
一つには「在日韓国人三世」であったこと。
福岡県の北九州市で生まれ、4歳の時に大阪の生野区に移住しましたが、「生野区」は在日韓国人の人がたいへん多い地域だそうです。
先述の【ドリームゲート事務局】によるインタビューによると、伊原さんは、「足りない小遣いを、アイデアと努力で稼ぐ小学生」だったとのこと。
大阪・生野という日本で一番在日韓国人の多い街で育ちました。
僕自身、在日韓国人三世で、小学校はクラスの生徒の半分が在日韓国人。そんな感じ。小学生の頃は勉強をしたっていう記憶はほとんどないですね。
・・・(中略)・・・
とにかく負けるのが大きらい。だから、一所懸命工夫して、練習して勝つ。そして、お互いに賭けたビー玉を相手からぶん取って、たまったら金持ちのボンボンに売る。
ということで、何とも頼もしい小学生でした。
また、中学時代は勉強はそこそこで、部活はできたばかりのラグビー部へ入部、とのこと。
僕が副キャプテンだった頃に、部のメンバー6人が警察に補導された。僕は、「お前ら、なにやってんねん!」って、補導されたメンバーを並ばせて殴りつけた。
なかなか、劇的な中学校時代だった模様です。
そして、受験期には上記のように頑張って勉強し、高校受験を突破しました。
伊原剛志さんの出身大学はなし、ジャパンアクションクラブへ
このように伊原剛志さんは大学等には進学していません。
ここで高校時代のエピソードの続きになります。
将来を考えた時に、体育教師になりたかったけれど在日韓国人の先輩が教員免許をとったのに採用されなかったという例を見て、その道は止めたとのこと。
そうして役者になろうと考えると、「大阪=お笑いの 吉本、東京=役者」という図式に見えたので、自分は東京へ行くという、そんな理由で東京行きを決めました。
東京行きの資金稼ぎのために、本気でバイトをするようになった。それが大阪・京橋にあった「木曽路」という 居酒屋。毎月10万円を稼ぎながら、半分は遊びに使って、半分を貯金してた。
その居酒屋で通称「おかあちゃん」と呼ばれている皆吉康子さんに、たいへんお世話になりました。
芸名も「おかあちゃん」が伊原さんの本名「伊原剛」に「志」を加えて「志を付けたらどうかなあ? 伊原剛志」と提案してくれました。資金を稼がせてもらい、名前ももらったことになります。
なお、東京に行くにあたりジャパンアクションクラブ(JAC)のオーディションで8000人の中から50人に選ばれており、「おかあちゃん」はJACに推薦の手紙を送ってくれていたことを、ずっと後に知ったそうです。
一方でJACでの訓練はたいへん厳しいもので、それを克服したけれど、「くだらない先輩たちとの上下関係でそれがじゃまされる(原文ママ)」ことから、
いつ辞めてもいい覚悟でオーディションを受け、『真夜中のパーティ』という舞台のオーディションに合格し、新しい事務所に移りました。
新事務所に移ってからも、監督やスタッフと揉めることは多々ありました。
もう死のうという思いでニューヨークへ行った時に、新たな仕事として「行き詰った新人作家の役」を受けて、当時の壁を乗り越えたそうです。
(このあたり、上記ドリームゲート事務局によるインタビューを参照しています)
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またPANASONICA JPNさんのサイトによると「演じる事の意味に悩んで自律神経失調症(うつ状態)になり、他人との会話が出来なくなって約1年半自宅にひきこもった」という話もありました。
このインタビューは、繰り返すと2005年、41歳当時のものでした。当時のインタビューのテーマとしては29歳でお好み焼き屋を開いた「起業」についてです。
その後も「韓国風すきやき」の店も2004年に開業。もともと、伊原さんのお母親が大阪で営業してきた形態でした。
起業については次にように語ります。
これから起業を目指している人は、まずは足元の仕事に100%全力で取り組むこと。そして、周囲を認めさせる。ある日突然、成功することなんてありえませんから。
そこで役者魂について語っていたことが、また印象深いものでした。
最初は誰でも努力するけれど、売れてくるといい車、きれいな女房、豪華な家と生活レベルが格段にアップする。でもピークが過ぎると昔のような努力を怠って、仕事 が減ってきて、やりたくない仕事も生活レベルを維持するためにやるようになる・・・
そうなってくると「役者として輝くためではなく生活のための仕事。もしもそんな状況になったら僕はすぐに役者を辞める」という決心を、40代の初めにしていることに、この人物の迫力を感じました。
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また近年、2021年になってからのインタビューでは、「30歳まで選挙権がなかったー 俳優・伊原剛志が政治的発言を続けるワケ」という記事で次のように述べています。
日本人女性と結婚し、初めての子どもが生まれたのは30歳の時だったのですが、既に俳優として食えていましたし、平均的な会社員よりも多くの税金を収めている自負もありました。
日本で生まれ、日本の教育も受けた自分がなぜ選挙権を持てないのか。そして僕の子どもに体育教師の夢を諦めさせてしまうような挫折を味わってほしくないと思い、子どもを妻の戸籍に入れ、そして僕自身も帰化しました。
(https://finders.me/kqFQpDMxMDE より)
YouTubeでも意見を表明していますが、「どの党・候補者に入れろと具体的に言わないようにしている」とのこと。
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略歴をもう一度振り返ると、伊原さんはその後も芸能活動を重ね、出演作も数を増してきました。さらに2018年には飲食経営から撤退し、2020年に個人事務所「IHARAオフィス」を設立しています。
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2019年の『後妻業』で、木村佳乃さんと共演しているのが、ちょっとおもしろい感じでした。2012年の『はつ恋』は「私の命を救えるのはただ一人 世界で一番憎い初恋の人。」というキャッチコピー。
木村佳乃さん演じるヒロインの「憎い初恋の人」を演じたのが、伊原剛志さんでした。
放映当時も「『はつ恋』伊原剛志がステキすぎる。今年49才?信じられないわー」など、感動のコメントが多数。
ペットボトルを開けられない佳乃さんが可愛いすぎ。#木村佳乃#はつ恋 pic.twitter.com/Ul456S5Gmq
— 潮| Wendy Wu (@usiodesu) January 26, 2023
(このドラマではヒロインと結婚した爽やかな青年は青木崇高さんでした)
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(珍しくご夫婦の写真)
私生活ではPANASONICA JPNさんのサイトによると、お子さんたちが3人の男の子で、それぞれにアメリカ留学などをしていたようです。
また運転免許は2007年頃にアメリカで取得し、英語もマスター。
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以上、簡単ですが伊原剛志さんの出身校についてでした。