「2時間ドラマ裏女王」山村紅葉さん
山村紅葉さんの学歴と出身校についてご案内します。
女優の山村紅葉(もみじ)さんは、小説家の山村美紗さんの娘としても有名。
出身校はすべて明らかとなっており、京都教育大学付属の関連校で幼稚園から高校まで進み、大学は早稲田の政経に進学しました。
京都教育大学附属高等学校 ⇒ 早稲田大学(政治経済学部)
早稲田に在学中に母親の山村美紗さん原作のドラマに出演し、人気を得て継続し、大学の卒業には6年ほどかかっています。
一方で、在学中に国税庁国税専門官の試験に合格し、一旦は国家公務員として仕事に就いています。しかし卒業の2年後には、退職し、結婚しました。
その後、結果的には女優としての活動が長くなっています。濃いキャラクターが反映され、芸能界で明らかな存在感を保ってきました。
特に2時間ドラマを中心に活躍してきた実績から「2時間ドラマ裏女王」という名称もあります。
山村紅葉(やまむら もみじ)
生まれ:1960年10月27日
出身:京都市
1967年:(推定)京都教育大学附属桃山小学校入学、7歳
1973年:(推定)京都教育大学附属桃山中学校入学、13歳
1976年:(推定)京都教育大学附属高校入学、16歳
1979年:(推定)早稲田大学入学
1983年:土曜ワイド劇場 西村京太郎トラベルミステリー
1984年:国税庁国税専門官試験合格、『序の舞』 商家の女子衆
1985年:早稲田大学卒業、25歳
1987年:結婚、退職、27歳
1989年:『小京都ミステリー 小京都連続殺人事件」若女将
1990年:『山村美紗京都サスペンス 水仙の花言葉は死「洛中洛外花ごよみ」』石野洋子
1992年:『寒椿』
1995年:『月曜ドラマスペシャル「十津川警部シリーズ」』安原美知子 、35歳
1996年:母の山村美紗さんが亡くなる
2001年:『女と愛とミステリー山村美紗サスペンス 殺意の果てに』
2004年:『トキオ 父への伝言』坂田清美
2008年:『特命係長 只野仁 最後の劇場版』特別出演
2010年:『夏の恋は虹色に輝く』山村紅葉本人、50歳
2016年:『科捜研の女』秋山可奈子、連続テレビ小説「べっぴんさん」坂東節子
2019年:『大奥 最終章』紅葉
2022年:『警視庁考察一課』 山村楓 、62歳
2023年:『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』京都の女将
2024年:『大奥』御右筆の昭島、64歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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山村紅葉さんの出身高校は京都教育大学附属高等学校
山村紅葉さんは京都教育大学附属高校を卒業しました。
こちらは下記の京都教育大学附属桃山小学校、京都教育大学附属桃山中学校の系列で、紅葉さんは内部進学で附属高校に進学しました。
1965年に創立された当初は「京都学芸大学附属高等学校」でした。
同校では「京都教育大学附属京都小中学校」からの進学者と、「京都教育大学附属桃山中学校」からの進学者が計120名ほどいる他に、外部募集の入学者が40名となっています。
つまり一学年がおよそ160名。
さらに2024年に京都教育大学附属桃山中学校との併設型中高一貫教育校となります。
京都教育大学附属高等学校
所在地:京都市伏見区深草関屋敷町111
同校からは「京都銘柄」と呼ばれる著名人を輩出しており、日本航空会長の植木義晴氏や、裏千家家元、シンガーソングライターのBONNIE PINKさん、政治家の前原誠司さんらがいます。
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ところで、制度上分かりにくい部分かもしれませんが、国立大学の附属高校の生徒は、基本的にその国立大学に進学できるわけではありません。
国立である「京都教育大学附属高校」も、都内の「筑波大学附属高校」も、「お茶の水女子大学附属高校」も、生徒の進学先の詳細はそれぞれの高校によって特徴が異なるものの、特殊な制度(高大連携システムなど)の数名を除いて、原則としては自動的な内部進学はありません。
たとえば「京都教育大学附属高校」の場合、2023年の例で「京都教育大学」への進学は4名となっています。
ちなみに著名校の「筑波大学附属高校」の公式サイトに寄ると、2023年度の大学合格者数は、東大が29名いるのに対して筑波大学は6名となっています。
つまり国立大学の付属校として、どの場合も、進学校であることは確かながら、その詳細はかなり異なっています。
【京都教育大学附属高等学校の大学合格実績】は「みんなの高校情報」に寄りますと、2023年の場合、以下となっています。定員がおよそ160名なので、全体に、そう多くはありません。
私立大学
立命館大学 57名
龍谷大学 29名
同志社大学 23名
関西大学 21名
近畿大学 20名
早稲田大学 3名 など多数
国立大学
京都工芸繊維大学 5名
京都大学 4名
鳥取大学 4名
京都教育大学 4名 など多数
京都のこちらの高校から、早稲田への入学は多くはなさそうですが、山村紅葉さんは早稲田に進学しました。
山村紅葉さんの出身地京都と出身小学校、出身中学校
山村紅葉さんは上記のように、幼稚園から中学までも京都教育大学の付属校であったことが分かっています。
それぞれの位置は以下となっており、京都市内の比較的近い範囲ではありますが、同じキャンパスであったり隣接しているということはありません。「桃山」という地名が付くように、伏見区の桃山地区になります。
京都教育大学附属幼稚園
所在地:京都市伏見区桃山井伊掃部東町16
当初は、1885年設立の「京都府女学校師範学科附属幼稚園」でした。
こちらの幼稚園から、「京都教育大学附属京都小中学校」または、「京都教育大学附属桃山小学校」に内部進学します。
出身小学校:京都教育大学附属桃山小学校
所在地:京都市伏見区桃山筒井伊賀東町46
こちらは、1908年に「京都府女子師範学校附属代用附属小学校」として設置されました。
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(2024年の「大奥」にて)
出身中学校:京都教育大学附属桃山中学校
所在地:京都市伏見区桃山井伊掃部東町16−16
こちらは、1947年に「京都師範学校女子部附属中学校」として始まりました。
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このように、見事に一貫して「京都教育大学附属」に通い続けた山村さんでした。
母親は、売れっ子ミステリー作家の山村美紗さんで、紅葉さんが小さい頃は、時には母親は多忙で、紅葉さんにワイヤレスマイクを付けて遊ばせていたそうです。
・・(中略)・・
一緒に遊べない時は、山村さんにワイヤレスマイク(!)を付けて遊ばせ、家で原稿を書きながらその声を聞いていたとか! そして…「ブランコから落ちた時、すぐに駆けつけてきた母を見て、スーパーマンみたいと思っていた。
(https://web.archive.org/web/20160417054256/http://www.bs-asahi.co.jp/gokujou/prg_087.html より)
ユニークな母親のもとで、しかし自由に育った様子が感じられます。
ちなみに母親の山村美紗さんは、高額納税者でした。
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美紗さんはクレー射撃やスポーツカーが趣味で、赤やピンクのドレスを身につけて人前に現れることでも有名だったそうです。1931年生まれで、96年に逝去。諸々の伝説があり、一方で山村美紗さんについては周囲が記事などにするにはタブーな話題があって、西村京太郎氏との関係は謎でもあったもようです。
(その辺りを記したとされるのが、花房観音著『「京都に女王と呼ばれた作家がいた 山村美紗とふたりの男」』です)
美紗さんのことは、紅葉さんと直接は関係ないのですが、著名人の母のもとで育ったことだけは確かです。
山村紅葉さんの出身大学は早稲田大学
山村紅葉さんは早稲田大学の政治経済学部に進学し、1985年に卒業しました。
早稲田大学
所在地:東京都新宿区戸塚町1丁目104
紅葉さんが女優としてデビューしたのは、冒頭の略歴のように学生時代でした。デビュー作は『燃えた花嫁〜殺しのドレスは京都行き〜』。
さらに卒業するまでの記念に、といった動機で20作品ほどに出演しています。
出演のきっかけはこんな様子でした。
山村紅葉さんが女優としてデビューしたのは、早稲田大学に在学中の2年生のとき。京都の実家に帰省したことがきっかけでした。
「たまたま、母のところに打ち合わせに来ていたテレビ局のプロデューサーに、『お綺麗ですね。一度ドラマに出てみませんか』といわれて。
お世辞のつもりだったのでしょうが、母が『出てみたら』というものだからとんとん拍子で話が進んでしまいました」
(https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/kataru/045_momiji_yamamura.html )
この記事の続きでは、その前の紅葉さんの仕事であった「マルサ」の仕事について、天職だと思っていたとも述べています。
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早稲田大学出身の俳優、女優さんは全般に多いのですが、「早稲田の政経出身者」には、政治家の世耕弘成氏や小渕優子さんがいます。
また、内野聖陽さん、アパホテル社長の元谷芙美子さん、タレントの乙武洋匡さん、元サッカー日本代表監督の岡田武史さん、NHKアナウンサーの寺門亜衣子さんら政経学部の出身です。
山村紅葉さんは卒業後は、在学中に得た国税庁国税専門官の資格を活かして、勤務しますが、結婚と同時に退職。
ちなみにご主人の望みは、「朝、味噌汁の香りで目覚め、夜は『今日の晩ごはんは何かな』と思いながら帰宅できるような温かい家庭が夢だった」とのことです。
紅葉さんには、専業主婦の役割が望まれていたという面もあったようです。
しかし、結局はやはり舞台への出演依頼があり、女優の仕事を続けることになりました。
その後、20年前に夫が米ニューヨークに転勤。本来ならば同行する必要があるが、初舞台が辞令の出る1年前に決まっていた。
米国か日本か、「すごい両方で悩んだ」ものの・・(中略)・・・
幸い、山村が「説明はすごくした」ところ、夫は「じゃあ、行けば」と、「不承不承」、「ご機嫌斜め」ながらも舞台出演を承諾。
(https://www.daily.co.jp/gossip/2018/09/15/0011642575.shtml より)
さらに、夫は、それまでは出演しているドラマもあまり見なかったのが、一時帰国して観劇してくれ、さらに「そんなに好きなことがあるんだったら応援しよう」という姿勢になってくれたそうです。
「あと1本、あと1本という感じで、そのままズルズルと出演することに。女優復帰というより、頼まれたら断れなくてお受けする、という感じでした」とも述べています。
ということで、出演作は、上記のようにみごとに多数に上っています。
山村紅葉 「放送開始30周年記念 山村美紗サスペンス39 赤い霊柩車 FINAL~弔の京人形~」 | 東宝芸能 https://t.co/pOrfUxfaW3
— 後藤慎太郎 (@lomo_oppai) March 17, 2023
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以上、簡単ですが山村紅葉さんの出身校についてでした。