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ノーベル賞以上の知名度!の世界的作家「村上春樹」
村上春樹さんは、言うまでもなく日本を代表する作家で、毎年ノーベル賞文学賞の受賞について話題になります。
しかし、ノーベル賞云々は、もはやどっちでもいいほど、世界的に評価は熟成されていると言えそう。
村上氏は生まれは京都ですが、神戸で育ち、西宮市立浜脇小学校、西宮市立香櫨園小学校、芦屋市立精道中学校を経て兵庫県の名門校、神戸高等学校に進学します。
兵庫県立神戸高等学校 ⇒ 早稲田大学
早稲田大学では第一文学部の演劇映像専修でした。一浪後1968年に入学し、さらに7年後の1975年に早稲田を卒業しています。
毎年のように「ノーベル文学賞 20** 村上春樹」という検索用語が上昇します。
村上春樹(むらかみはるき)
生まれ:1949年1月12日
出身:京都府
1955年:(推定)浜脇小学校入学、6歳
1961年:芦屋市立精道中学校入学、12歳
1964年:兵庫県立神戸高等学校に入学、15歳
1968年:早稲田大学、第一文学部に入学、19歳
1971年 :高橋陽子さんと結婚、22歳
1974年:ジャズ喫茶「ピーターキャット」を国分寺に開店
1975年:早稲田大学卒業
1979年:『風の歌を聴け』、第22回群像新人文学賞受賞、30歳
1981年 :「ピーターキャット」を譲って小説家業に専念
1986〜1990年 :ヨーロッパ滞在
1987年:『ノルウェイの森』
1992〜1995年:アメリカ滞在
1994〜1995年:『ねじまき鳥クロニクル』
2002年:『海辺のカフカ』
2006年 :フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、世界幻想文学大賞受賞
2009年:『1Q84』BOOK 1、BOOK 2(BOOK 3は2010年)
2017年:『騎士団長殺し』
その他、作品多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
両親ともに国語の教師・・という家庭がどういう空気か、想像するしかありませんが、当然ながら影響を受けて本好きに成長したそうです。
反発もあって、欧米翻訳文学に傾倒ーー。
一浪後の早稲田入学までには、他大学も受験したのでしょうか。当時は「第一文学部」でした。
学生時代には大学に行くよりも、演劇博物館で映画の脚本を読み、目指していたのは映画脚本家だったことが知られています。
1978年に小説を描くことを思い立って、『風の歌を聴け』を執筆し、鮮やかにデビューしました。
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ー村上春樹がDBDをやったらー
僕はおぞましい貯蔵室の地下がわからない。
入り組んだ船内で迷った時、
さっきまで肩にいたケイトがもういないという残酷な事実に気づき、僕は涙を流すことしか出来なかった。遠くでドワイトが板越え煽りしてる音が耳の中でこだましている昼下がりのことだった。 pic.twitter.com/UdM8uIFxNl
— ピルロ (@fd_zw8) September 24, 2019
村上春樹さんの出身高校は神戸高等学校
神戸高等学校は名前の通り、兵庫県を代表する神戸にある公立高校で、偏差値もトップクラスです。
兵庫県には全国トップクラスの灘高校もあり、激戦区ということ。
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兵庫県立神戸高等学校は旧制中学時代もあり、歴史を辿ると明治20年代まで遡り、たいへん長い伝統を持ちます。
旧制中学の名前は兵庫県神戸中学校など、幾度か変遷しました。
1919年(大正8年)には、現在の夏の甲子園大会にあたる大会で全国優勝したという輝かしい歴史もありました。公立高校が甲子園に出場するだけでも大変な昨今、ちょっと隔世の感がありますネ。
神戸高等学校は国公立大学に進学する生徒が多く、京大に30名ほどの合格者を出しています。
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出身者にはSF作家の小松左京氏がいます。竹久夢二さんや、田宮虎彦さんも出身者。
さらに白洲次郎氏や、扇千景さん、井深大さん、俳優の高島忠夫さんらもいます。ハイレベルというだけでなく、歴史の重みを感じさせられるような県立高校。
兵庫県立神戸高等学校
所在地:神戸市灘区城の下通一丁目5番1号
伝統もあるけれど、外観もモダン。
敷地に続いて(?)神戸高校同窓会館も見えていますが、公立高校で同窓会の会館が建つというのは、さすがの歴史の重みでしょうか。
やや古い話では小松左京氏などは、この学校を、鉄拳制裁もあるスパルタ教育、と振り返っているようです。
それにしても長い歴史の中で、1924年にタゴールが来訪したり、1940年にヒトラーユーゲント来校など、前後の関係を想像しにくいような事項も織り込まれてきました。
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村上春樹さんにとって神戸高校時代とは・・高校時代に限らず、家にあった多数の文学全集などを読み漁ってきたことはよく知られます。
高校では新聞部でした。
入学時の1964年は東京オリンピック開催の年。
まだまだ一般家庭にはテレビがあったりなかったりの時代という話も聞きます。
村上春樹さんの育った西宮市、芦屋市と出身小中学校
著名人の村上さんについては、出身小学校も中学校もすべて明らかとなっています。
◯村上春樹さんの出身小学校
村上さんは小学校時代は西宮市の2つの小学校を経由しました。
西宮市立浜脇小学校、西宮市立香櫨園小学校、
◯村上春樹さんの出身中学校
また中学は、芦屋市に移り、芦屋市立精道中学校に進んでいます。
芦屋市立精道中学校
所在地:兵庫県芦屋市南宮町9−7
中学校時代がどうだったか、という前に1961年当時の日本は小児麻痺が流行したそうです。
アメリカではケネディ大統領が就任。坂本九さんの「上を向いて歩こう♪」が流行っていたとのこと・・ 世間ではそんな時代だった村上春樹さんの小・中学校時代でした。
村上春樹さんの出身大学は早稲田大学(第一文学部)
冒頭項目のように、村上春樹さんは、一浪後に早稲田大学に進学します。
早稲田の第一文学部は、第二文学部が存続していた関係で2006年まで募集されていました。現在は文学部と文化構想学部に改編。
細かいことを言うと、村上春樹氏が入学した当時の早稲田第一文学部は、「哲学科」と「文学科」と「史学科」に別れており、そのような分類は東北大学文学部にもありました。
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その文学科のなかに、「演劇映像専修」があり、1999年以前は「演劇専修」でしたから、村上春樹氏の在学当時は、「第一文学部の文学科、演劇専修」という表現になったはずです。
村上氏の卒業論文は「アメリカ映画における旅の系譜」でした。未確認ですが、これは何らかの形で読めるでしょうか。
早稲田大学
所在地:東京都新宿区西早稲田1丁目6
秋にはまた早稲田祭で賑わいそうです。
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早稲田の第一文学部出身者は、あまりに多数おられます
評論家の海野弘さん、小説家の小川洋子さん(芥川賞受賞)、脚本家の北川悦吏子さん、 俳優の堺雅人さん、小説家の高橋三千綱さん(芥川賞受賞)、
同じく多和田葉子さん(芥川賞受賞)、野末陳平さん、小説家の原田宗典さん、俳優の平田満さん、歌舞伎役者の松本幸四郎さん、 小説家の三浦しをんさん(直木賞受賞)、小説家の李恢成さん(芥川賞受賞)などなど。
ちなみに多和田葉子さんもノーベル文学賞受賞候補に挙げられる作家の一人。
冒頭のように学生時代に結婚し、ジャズ喫茶を開き、卒業後まもなく作家デビューしています。
今となっては信じられない気がしますが、当初は作品が売れなかったことを、エッセイで語っておられました。
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村上春樹さんの作品について、何か言うのはおこがましいのですが。
一つ、登場する人物が、アイロンのピッチリかかったシワひとつないシャツを着ていたりします。もちろん人により。しかし、そんなことが人物の背景を際立たせているようで、上品さだったり孤高だったり、自尊心だったりで、読者との距離感が作られる気がします。素人の断片的印象の話ーー。
著書の『職業としての小説家』は、文章を書くということをこんなに詳しく平易に話してくれるのかと、感心しました。もっとも、だからといって素人が何か書けるものではありませんが、小説家を志望する方には、あまりに親切な解説であると、ある意味大きな驚きでした。
そんな村上春樹氏も2019年には70歳を越しました。まだまだ衝撃作をたくさん生み出していただけることでしょう。
見出しでは省かれているが、本文では「間違ったことを言っても、社会がある程度許してくれること」とある。
この「ある程度」の乖離が拡大し、もはや歩み寄りができないレベルになっているように自分には思えるのだが… https://t.co/w2v3rLB0N8— brzm505 is Nobody (@brzm505) June 6, 2021
こちらは、仏紙によるインタビューの日本語全文を独占公開、村上春樹「表現の自由とは、遠慮なく何かを言えること。間違ったことを言っても、社会が許してくれること」との記事(2021.3月)から・・
コロナが村上作品にどう影響するかという質問でした。
コロナ禍での経験を直接のマテリアルとして使うか、あるいはメタフォリカル、シンボリカルに使うかという選択をすることになるわけですよね。
それは自然に決まっていくことで、決まるまでにたぶん時間はかかります。僕の感じたことを、いったん自分の意識の底の方まで沈めて、もう一回浮き上がったものを見てみないとわからないです。(後略)(https://courrier.jp/news/archives/231953/ より)
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簡単ですが、村上春樹さんの出身校について、でした。