女子フィギュアスケートの代表的存在、宮原知子さん
宮原知子さんの学歴と出身校について。
宮原知子さんは平昌オリンピックの女子フィギュアスケートでみごと個人4位に輝いた代表選手。
その後大学在学は不明でしたが2021年3月に卒業されました。
生まれは京都ながら、小さい頃から小2までアメリカのヒューストンで育ち、4歳からスケートを始め、京都に戻ってからも専門コーチの指導を受けて選手への道を進みました。
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小学校は立命館小学校。中学から関西大学の中等部。高校も関西大学高等部で、さらに関西大学に進学しました。
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関西大学高等部 ⇒ 関西大学
関西大学では文学部で、2017年の4月から休学し、2018年に復学し2021年卒業という、多忙ながら単位取得で無事に卒業。
2018年の平昌オリンピックでは自己ベストを更新し、メダルには届かなかったものの、左股関節の疲労骨折という大きな試練を乗り越えての、華麗な姿は日本中のファンを沸かせてくれました。
素人が想像しても世界中の人が注目するオリンピックの舞台で滑るその瞬間の緊張度は、想像を絶する気がします。しかし見事に克服し、2018年2月24日の新聞でも、「魔物いなかった」という記事が大きく報道されました。
宮原知子(みやはらさとこ)
生まれ:1998年3月26日
出身:京都府
2004年:(推定、アメリカにて)小学校入学、6歳
2006年:(推定)立命館小学校に転入
2010年:(推定)関西大学付属中学入学、12歳
2011年:全日本フィギュアジュニア選手権大会優勝
2012年:世界ジュニアフィギュアスケート選手権4位、ジュニアグランプリシリーズ初優勝
2013年:関西大学高等部入学、ソチオリンピック選出を逃す、15歳
2014年:四大陸フィギュアスケート選手権総合2位、第83回全日本フィギュアスケート選手権総合1位
2015年:世界フィギュアスケート選手権銀メダル、グランプリファイナル総合2位
2016年:関西大学入学、グランプリファイナル2度目の銀メダル、18歳
2017年:左股関節疲労骨折の診断、関西大学を休学し木下グループと嘱託契約、四大陸選手権3位
2018年:平昌五輪4位、20歳
2019年:活動拠点をカナダに移す
2021年:関西大学卒業、23歳
その他の戦績多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
2017年11月、つまりに平昌五輪の前の大会のNHK杯では、濱田美栄コーチも出場させるべきかたいへん迷ったそうです。しかし骨折による肉体面に留まらないダメージを乗り越えての勇姿でした。
頭脳明晰な宮原知子さんが、多方面から自らを強くして勝ち取った戦績ではないでしょうか。素晴らしいです。
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その後、上記のように関西大学の卒業も確認されました。
フィギュアスケート女子の宮原知子さん(23)が、関西大学文学部を卒業したことを23日、大学の公式インスタグラムが公表した。宮原さんは世界選手権出場のため、3月19日に行われた卒業式に出席できなかった #関大 #関西大学 #春から関大 #関大ガチ勢 pic.twitter.com/tkYWvc4CZP
— ブームスポーツ編集局 (@boomsports) April 23, 2021
宮原さんの出身地京都と、出身小学校
生まれも実家も京都ですが、子どものころにアメリカで過ごし、小学校2年で日本に帰ってきました。
ご両親が医者であることも知られています。
出身の小学校は立命館小学校です。
小学校6年の時に「ノービスB女子」で優勝した時に、「尊敬する人は?」と聞かれて、浅田真央選手と答えています。あらためて世代の違いを確認すると、宮原さんは浅田真央さんより8歳ほど年下になります。
5歳から、つまりアメリカ在住時にスケートを始め、帰国後は濱田美栄コーチの指導を受けて、滑っていました。
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立命館小学校
所在地:京都市北区小山西上総町22
立命館小学校は、もちろん立命館大学の系列校。給食は大津プリンスホテルが請け負っているというさすがの私立校です。
登下校のセキュリティーもスマホアプリの「ミマモルメ」を使っているそうです。
所在地は、立命館大学のキャンパスとは離れており、むしろ大谷大学の近く。
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宮原知子さんの出身高校は関西大学高等部(出身中学も)
宮原知子さんは、中学から高校、大学と一貫して、関西大学の系列校で過ごしています。
関西大学高等部は、「関西大学初等部・中等部・高等部」として小中高一貫教育を提供するなかの高等部になります。
設立が2010年と比較的近年ですが、宮原知子さんが中学に入学したのが2010年になりますから、中学部の設立時からの生徒ということでしょう。
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関西大学のキャンパスは大阪の5箇所にあります。
大阪府吹田市の千里山キャンパスと高槻市の高槻キャンパス、同じく高槻市の高槻ミューズキャンパス、堺市の堺キャンパス、大阪の梅田キャンパス。
小・中・高は「高槻ミューズキャンパス」の中に併設されています。
関西大学高等部
所在地:大阪府高槻市白梅町7番1号
宮原知子さんの中学・高校時代は、スケート練習の比重ももちろん大きかったでしょう。しかし勉学を疎かにすることなく真面目に励む中学生、高校生であった様子です。
関西大学高等部は関西大学への進学が可能とのこと。他の大学に行くケースもあるようです。
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高校を卒業する時の論文が「五輪の魔物」論ということで、なかなか普通の高校生が考えることのないテーマのように思います。しかし、すでにオリンピックと向かい合っていたということですね。
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「オリンピックはほかの試合とは違って、雰囲気が違ったり魔物がいるというのは有名な話なので、なぜそう言われるようになったのか、そういうものを感じないための対処法を知りたいと思いました」
織田信成、高橋大輔ら多数の五輪経験者に取材してまとめたのだと言う。そこから得た結論は? そう問いかけると……。
「自分の中にいる、『自分で作り出してしまうもの』なんじゃないかなと思いました。まわりに余計に影響されたり、自分で勝手に過大な期待をしてしまったり。そうすることで生まれる緊張や力みが、より大きな舞台なのでより大きくなって『魔物』になってしまうんじゃないかと。・・
(後略)・・・」
(オリンピックへの道、2017/12/25 http://number.bunshun.jp/articles/-/829563?page=3 より)
また、中・高時代に4年間担任だった松村湖生教諭のコメントとして、宮原さんは「蚊の鳴くような声で、ともかく喋らなかった」とも紹介されていました。
大きなものと向かい合いながら、どこか控えめな高校生の姿が想像されます。
また別の記事で松村教諭は次のように述べていました。
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「連日練習があるのに、その間をぬって1時間だけでも授業に顔を出すんです」
関西大中等部・高等部で4年間担任を務めた松村湖生教諭は宮原を「いい意味で不器用」と評する。決して自己主張が強いタイプではない。どちらかといえば内気で、教師との会話もほとんど続くことがなかった。
(中略)
だが、フィギュアと学業の両立を余儀なくされる中、厳しい環境やスケジュールに愚痴をこぼしたり、言い訳をしたりする姿を見たことがなかった。
(産経ニュース 宮原「五輪の魔物」封じた 高校時代に「緊張」のメカニズム研究 2018.2.24 より)
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松村氏によると、短い準備期間でもテストは高得点を連発していたそうです。
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【関西大学高等部の大学合格実績】は同校の公式サイトに寄りますと、2022年3月卒業生の例で以下となっていました。
卒業生 137名
関西大学 95名
(他大学 37名)
大阪大学 4名
神戸大学 4名
同志社大学7名
立命館大学 13名 など
当然ながら関西大学には多数の生徒が進学していました。
宮原知子さんの出身大学は関西大学
このように宮原さんは関西大学に内部進学しました。
関西大学の本拠地は吹田市の千里山キャンパスになります。
1886年に「関西法律学校」が開かれたのに始まります。創始者の一人に手塚治虫の祖父、手塚太郎氏がいます。
関西大学
所在地:大阪府吹田市山手町三丁目3番35
同じ敷地内に、関西大学幼稚園や関西大学第一高校なども見えています。
宮原さんは系列校から進学していますが、関西大学はもともとスポーツに秀でており、出身者は各界で活躍中。
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参議院議員の北川イッセイさんや北川知克さんが現職。森友学園の籠池泰典さんも関西大学の商学部出身になります。画家の鳥海青児さんや、作家の西加奈子さんは出身者、俳優の鶴田浩二さんは中退。
中島みゆきさんのプロデユースで知られる瀬尾一三さんも社会学部の出身です。野球選手もサッカー選手も多く、何と言ってもフェギュアの高橋大輔さんや、織田信成さん、町田樹さんらの出身校です。
織田信成さんは平昌オリンピックでもテレビのリポーターやコメント等で活躍していました。
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一時、宮原さんの在学状況が分からなかったのですが、卒業され、関西大学の公式サイトでも大きく取り上げられました。3月の卒業式には参加できなかったので4月23日に理事長と前田裕学長らを表敬訪問したとのこと。
イーオンの三宅義和社長と知子ちゃんの対談
「どんな選手よりも努力家」名コーチにそう言わせる宮原知子の原動力 決めたことは絶対にやり通す https://t.co/9FaHpIIFuI #POL pic.twitter.com/sknYCceZzF
— *超ほっぺ* (@hoppeppe11) March 19, 2021
2021年3月プレジデントオンラインの記事によると、2019年から拠点をカナダに移し、カナダで練習を重ねている模様。そして、宮原さんの新たな境地もあるようです。イーオン社長、三宅氏との対談です。
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【三宅】そのほかに、カナダに行かれて大きく変わったことはありますか?
【宮原】日本にいたときは、オンとオフの切り替えが苦手で、「24時間いつもオン」という感じだったのですが、最近は切り替えの感覚がちょっとずつわかってきたと感じます。
以前は、練習中は当然集中するのですが、練習が終わっても「さて休憩しよう!」という気分にあまりなれなかったんです。
常に頭がスケートモードというか、次の日の調子のことをどうしても考えてしまって、結果的に十分休みがとれない状況がずっと続いていたと思います。
(https://president.jp/articles/-/43969?page= より)
つねに前進中という熱気も宮原知子さんから静かに伝わってきます。
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宮原知子さんは2022年3月に現役引退を発表されました。以降はプロスケーターの立場となっています。長いご活躍を期待しています。
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以上、宮原知子さんの出身校についてでした。