エリート校をきわめた野村萬斎さん
野村萬斎さんの学歴と出身校についてご案内します。
野村萬斎さんは狂言の和泉流の能楽師で、俳優。
父親は二世野村万作氏で母方もドイツ文学や詩人として活躍した方々です。
狂言師の家に長男として東京で生まれた萬斎さんは、小さいときから舞台に立ってきました。都内で筑波大学の附属小学校から筑波大学附属中学校・高等学校を経て、東京藝大の音楽学部に入りました。
筑波大学附属中学校・高等学校 ⇒ 東京藝術大学
東京芸大では「音楽学部邦楽科能楽専攻」でした。
出身校を並べるとまさに公立のエリート校ばかりとなります。
筑波大学附属高校は東大への進学も多い進学校ですが、萬斎さんは芸術方面の最高峰である東京芸大に進み、さらに、自分の家系の専門である能楽を修めました。
東京オリンピックとの関連では、『東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニングチーム』の『チーフ・エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター』と予定されていました。
東京五輪については諸般の事情から複雑な経緯がありました。。
野村萬斎(のむらまんさい、本名、野村武司)
生まれ:1966年4月5日
出身地:東京都
1970年:『靱猿』の子ザル役、3歳
1973年:(推定)東京教育大学附属小学校入学、7歳
1979年:(推定)筑波大学附属中学校入学、13歳
1982年:(推定)筑波大学附属高校入学、16歳
1984年:『三番叟』で狂言の面白さに目覚める
1985年:(推定)東京藝術大学入学、19歳
1989年:東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻卒業、23歳。
1994年:「萬斎」を襲名、大河ドラマ『花の乱』
1997年:連続テレビ小説『あぐり』
2001年:映画『陰陽師』主演、35歳
2003年:『にほんごであそぼ』
2004年:ギリシャで『オイディプス王』主演
2008年:時代劇『鞍馬天狗』主演
2012年:『のぼうの城』成田長親、46歳
2019年:『七つの会議』 八角民夫
2021年:『死との約束』主演『ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第7シリーズ』
2023年:『どうする家康』今川義元、57歳
2024年:『アンチヒーロー』伊達原泰輔、『もしも徳川家康が総理大臣になったら』 徳川家康、58歳
その他出演等多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
#もうどうでもいいのでオリンピックの間に見るおすすめ映画
— Ytaro (@Ytaro11838823) July 20, 2021
野村萬斎さんの演出見たかった… pic.twitter.com/swkwJoqGhY
6月に公文協(公益社団法人 全国公立文化施設協会)の会長に就任された野村萬斎さんが、文化庁にお越しくださいました。▶︎続きは文化庁Facebookへhttps://t.co/d6aGcSSH4P
— ぶんかる【文化庁公式】 (@prmag_bunka) July 14, 2021

⏬野村萬斎さんの会長就任について(公文協HP)https://t.co/o5UysbfSjZ pic.twitter.com/Rf5OW095I1
こちらにありますように、2021年には公益社団法人 全国公立文化施設協会の会長ともなっています。
野村萬斎さんの出身高校は筑波大学附属高校
野村萬斎さんの出身高校は、名門校の代表的存在とされる筑波大学附属高等学校です。
ところで「2021年 東京都 偏差値」のリストによるとトップランキングの高校として偏差値『78』の高校が、4校並んでいます。
お茶の水女子大学附属高等学校(国立女子校)
開成高等学校(私立男子校)
筑波大学附属高等学校(国立共学)
筑波大学附属駒場高等学校(国立男子校)
これらに続く「慶應義塾女子高校」も「東京学芸大附属高校」ももちろんハイレベルですが、上記4校が東京都の高校でトップとなっています。
お茶の水女子大学附属と筑波大学附属は道を挟んで敷地自体は向かい合うような関係。
また、筑波大学附属(つくふ)と筑波大学附属駒場(つくふこまば)は、同じく筑波大学の付属高校で、駒場のほうは東京大学駒場キャンパスと向かい合っています。
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また合格実績としては、筑波大学附属高等学校は2021年の場合、東大36名、京大6名、一橋大学10名、早稲田125名、慶応72名などとなっています。
ちなみに筑波大学附属といっても筑波大学にそのまま入れるという仕組みではありません。(お茶の水女子大学付属高校とお茶の水女子大学の関係も同様)。
同校が現在の名前になったのは、檀ふみさんのページにもあるように1978年のことでした。それまでは東京教育大学付属高校。
筑波大学附属高校
所在地:東京都文京区大塚1丁目9−1
野村萬斎さんは、上記の年譜のように3歳ほどで初舞台を踏んでおり、一貫して「狂言師の家庭」で育ったわけですが、一方で窮屈さを感じて自由にスポーツやバンド活動などに打ち込んでいました。
しかし、高3で演じた『三番叟』において狂言の面白さを発見したとのこと。
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(2024年の『アンチヒーロー』)
その後、東京芸大を受験して合格しているのはさすがです。
野村萬斎さんの出身小学校、出身中学校
野村さんは筑波大学附属高校に入る前に、じつは小学校からずっと筑波大学附属に通ってきました。
筑波大学附属小学校は現在の筑波大学東京キャンパス、かつて東京教育大学のあった文京区大塚に、存在します。
筑波大学附属小学校
所在地:東京都文京区大塚3丁目29−1
直線距離では小石川植物園とも近く、植物園内の「東京大学総合研究博物館 小石川分館」などはすぐ側になります(植物園の入口は逆側の播磨坂方面)。
地下鉄茗荷谷の周囲は、タワーマンションも建つ一方で緑豊かな環境が整っています。筑波大学附属高校とは、春日通りを挟んで反対側となります。
つくふ、つくしょうなどと呼ばれます。筑波大学付属小学校は、人気のあまり、志願者は定員の30倍とされます。人数は男児64名、女児64名128名となっています。4クラス編成。
志願者が多いため、入試では途中、二度にわたる抽選が行われます。
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中学受験に詳しい方には今さらの話ですが、通学の範囲は23区と西東京市、埼玉の和光市に限られています。
現在の募集人数は毎年128人(男64・女64)で、いつも志願者数が募集人数の30倍ほどに上り、国内最多の志願者が集まる小学校となっています。
このように野村萬斎さんは小学校から始まって「筑波大学附属」に通いました。
ところで長い歴史で「東京教育大学附属小学校」だった同校が現在の、校名になったのは1978年のことでした。よって野村さんが入学した当時は「東京教育大学附属小学校」で、卒業時は「筑波大学附属小学校」になったということです。
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また野村萬斎さんの出身中学は、上記の筑波大学附属高校が正式名、「筑波大学附属中学・高等学校」ということで、基本情報としては、敷地も所在地も高校と同じになります。
筑波大学附属中学校
所在地:東京都文京区大塚1丁目9−1
同校は高校とともに、地下鉄「茗荷谷駅」からも行けますし、同校から坂を降りる形で「護国寺駅」側に向かうことも出来ます。ちょうど、お茶の水女子大学キャンパスの南門と向かい合う位置となります。
小学校から高校まで筑波大付属に進む生徒は、筑附高校の生徒の三分の一くらいとなるそうです。野村さんはその一人だったということ。
野村萬斎さんの出身大学は東京芸術大学
このように、東京芸大の音楽学部に進学しました。
東京藝術大学は大きく分けると音楽学部と美術学部があるのは周知の通り。実技能力が問われるのはどちらも同じですが、音楽学部は細分化されており募集定員は学科別に以下となっています。
作曲科 15名
声楽科 54名
器楽科 98名
指揮科 2名
邦楽科 25名
楽理科 23名
音楽環境創造科 20名
このなかでも野村さんの進んだのは『邦楽科25名』であり、邦楽科に何があるかというと、公式サイトによりますと、
三味線音楽(長唄、常磐津、清元)
邦楽囃子
日本舞踊
箏曲
尺八
能楽
能楽囃子
雅楽
これらの各専攻にて演奏家を養成するとのことです。
邦楽科の構成がどうなっているか個人的にも興味があり長い説明になっていますが、25名という枠でこのような専攻をどれか(単一ではないと想定)選択して、実技と演奏理論を学んでいることが分かります。
国立大学の多くの場合、たとえば文学部に入学して、後に日本文学を専攻するというような流れになります。
しかし東京藝大は細分化された受験なので、邦楽科を受験する時点で目指す分野が明らかであろうことが、定員と専攻の関係からも見て取れそうです。
石丸幹二さんの場合は声楽科、林田理沙さんは楽理科に入学しています。
また、結果的に断念したものの俳優の眞栄田郷敦さんは、器楽科を受験したと見られます。
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東京藝術大学
芸大音楽学部所在地:東京都台東区上野公園12−8
(話がズレますが「旧東京音楽学校邦楽堂」はタイミングによって見学できます。というかやっと見学してきました。コンサートもしっかり開催されていました)
というわけで、野村萬斎さんは、「東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻」を1989年に卒業しました。
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卒業後の5年後にあたる1994年に「萬斎」を襲名しています。
萬斎(武司)さんの父である二世野村万作さんは、その「万作」に愛着を持ったために、五世万造の隠居名である「萬斎」を、自分では名乗らず息子に譲ったという形でした。
その後、萬斎さんが大河ドラマや朝ドラなど俳優としても幅広い活躍をしてきたことはよく知られています。「陰陽師」や「のぼうの城」、「7つの会議」など映画でも主演し、確固たる存在感を放ってきました。
テレビドラマの『あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機』では昭和天皇役を演じました。
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オリンピックの『TOKYO2020』については、課題も経緯も過多で微妙で、ここで簡単にコメントできる問題ではありません。しかし2020年12月に、野村萬斎さんが率いる「総合演出チームが解散」することが発表されたときは、たいへん惜しむ声が溢れました。
2024年の『アンチヒーロー』ではコミカルなまでの悪役ぶりが、さすが様になっていました。
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以上簡単ですが、出身校を見るとあらためてエリートコースを突き進んできたことに感心させられる野村萬斎さんについてでした。