田畑政治さんは故人ですが、日本水泳連盟会長だった人物で2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で主人公の一人として描かれることが決まっています。
静岡県の浜松市出身で、浜松一中(現在の浜松北高校)から旧制の一高から東京帝国大学へ進学しました。「一高、東大」とひと昔前の優れた人物に定番のように聞かれるエリートコースを歩んだと言えそうです。
浜松一中(浜松北高等学校) ⇒ 一高 ⇒ 東京帝国大学
浜松一中は旧制中学の一つで、現在は静岡県立の公立高校、浜松北高等学校となっています。
水泳の選手から指導者へと進み、その後、東京オリンピックの開催に貢献しますが、一方で朝日新聞に入社して朝日新聞の記者でもありました。朝日新聞では取締役に就任しました。
田畑政治(たばたまさじ)
生まれ:1898年12月1日
出身:静岡県浜松市
1924年:東京朝日新聞に入社
1932年:ロサンゼルスオリンピックの日本代表の監督
1939年:日本水泳連盟の理事長に就任
1948年:日本水泳連盟の会長に就任
1952年:ヘルシンキオリンピック、日本選手団の団長
1956年:メルボルンオリンピック、日本選手団の団長
1959年:東京オリンピック開催が決定し、組織委員会の事務総長に就任
1962年:第4回アジア競技大会に関わるトラブルから辞任
1973年:日本オリンピック委員会(JOC)会長に就任1977年まで
1984年:ロサンゼルスオリンピック終了後に死去
*略歴は当サイト独自のまとめです。
先ほど「水泳ニッポンの父 #田畑政治 展」のオープニングセレモニーが開催されました❗️#ToBiO #いだてん #東京オリンピック pic.twitter.com/iKouLsl8j2
— てんこちょ浜松(浜松市) (@Hamamatsu_PR) 2018年8月4日
出身大学は東京帝国大学、出身高校は静岡県立浜松北高等学校
田畑政治さんは静岡の出身で、父親の田畑庄吉さんは浜松で酒造業を営んでおり、裕福な家庭であったとのこと。旧制中学の浜松一中に進学しました。
静岡県立浜松第一中学校ですが、細かく言うと静岡県尋常中学校浜松分校から始まり、1949年に静岡県立浜松北高等学校と改称されました。
地元で代表的な進学校となっています。
出身者には井上靖さん(途中まで)や映画監督の豊島圭介さんらがいます。
旧制中学から一高、東大・・というのは、よく聞きますが、一高と東大の関係は、おおざっぱに言うなら、一高が帝国大学の予科と位置付けられてきたこと。一高を出ると、多くの人が東京帝国大学へ進学したということ、になります。
現在の駒場キャンパス(東京大学の教養学部)には一高の名残が散見されます。一高の寮歌、『嗚呼玉杯に花うけて』は有名でした。かなり昔、旺文社で、ラジオの大学受験講座があった頃には、講師があいまに『嗚呼玉杯に花うけて』を歌ってくれたとかーー
旧制の第一高校は戦後の1950年に終わりました。
東京帝国大学は、もちろん現在の東京大学になっていますが、「帝国大学」そのものが今の東大の前身だった時期もあります。
旧帝大云々の話は少々複雑なので置いておいて・・田畑政治さんは東京帝国大学を卒業して1924年に朝日新聞社、当時の東京朝日新聞に入っています。
しかし新聞記者として熱心だったというより、かなりの頻度で浜松に帰って、浜名湖での水泳を指導しており、大日本水泳連盟の理事になったりしています。
東京帝国大学時代の田畑政治さんのことは、詳しく分かりません。しかし学生時代にも水泳の全国大会を開くなど、水泳競技の発展に貢献しています。
そもそもは、まだ浜松一中時代に体を壊して、みずからの水泳選手という道は、断念せざるを得ませんでした。遠州学友会水泳部で少年時代に活躍していた田畑政治さんですが、自分が泳げなくなってからも、浜名湾流詠協会という団体を作っています。
田畑さんは、無念なことに1964年の東京オリンピックの前に、川島正次郎氏らの勢力によって追放された形になっています。
2019年に放映される「いだてん~東京オリムピック噺~」では阿部サダヲさんが演じることになっています。どんな田畑政治さんが描かれるか、楽しみです。
余談、『ああ玉杯に花うけて』の著者、佐藤紅緑氏は、あの佐藤愛子さんの父。
詳細は佐藤愛子著『血脈』にあります。
追記:「いだてん~東京オリムピック噺~」も金栗四三さんの話と重なって、しだいに田畑政治さんが登場しています。