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旅館の娘だった竹内まりやさんの経歴、一時は娘さんも注目
竹内まりやさんの学歴と出身校についてご案内します。
竹内まりやさんのベストアルバムがいつも人気です。2019年には日本レコード大賞特別賞も受賞しました。
YouTubeで竹内まりやさんの曲を探す人も、長年に渡って多いようすで、今もそれは続いている現象。
島根県の出雲の出身で、出雲大社の真ん前にある旅館の竹野屋さんの娘でした。まりやさんの名は本名で、地元の町長でもあった父親の、先見の明のある名付け方だったようす。
竹野屋旅館の3女として生まれた竹内まりやさんは、地元の大社(たいしゃ)町の大社小学校、大社中学校を経て、地元の大社高校に進学します。
ちなみに大社町は現在出雲市となっています。
島根県立大社高等学校 ⇒ 慶應義塾大学
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高校時代に、米国のハイスクールに留学(詳細は下記に)。その当時、高校で留学とは珍しいことでした。
その後、慶応の文学部の英文科へ進んだあと、在学中にデビューしたこともあり、慶應義塾大学は最終的に退学しています。
竹内まりや(本名:山下まりや)
生まれ:1955年3月20日
出身:島根県出雲市(当時は大社町)
1961年:(推定)小学校入学、6歳
1967年:(推定)中学校入学、12歳
1970年:(推定)県立大社高校入学、15歳
1971年:AFS交換留学生としてロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクールに留学
1973年:慶応大学文学部英文学科入学、18歳
1978年:デビュー・シングル「戻っておいで・私の時間」
1979年:日本レコード大賞等新人賞受賞、24歳
1982年:山下達郎氏と結婚、27歳
1987年:アルバム『REQUEST』
1992年:アルバム『QUIET LIFE』日本レコード大賞ベストアルバム賞受賞
2012年:『EXPRESSIONS』100万枚出荷、57歳
2014年:日本レコード大賞最優秀アルバム賞受賞
2019年:日本レコード大賞特別賞、64歳
2020年:「いのちの歌」オリコン週間シングルランキング1位、65歳
2022年:『スッキリ』声のみ出演、67歳
2023年:「君の居場所 (Have a Good Time Here)」、68歳
2024年:全国アリーナツアー【souvenir2025 mariya takeuchi live】を開催、69歳
その他の発表・提供等多数(音楽活動はあまりに多く、ここではかなり省略しています)
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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夫の山下達郎さんと竹内まりやさんには娘さんが一人います。
個人情報ですから流れていない娘さん情報について、否応なくというのでしょうか、探す方が多いようです。そんななかで別人の方である音楽関係の「山下さん」が二人の娘さん?と噂されたことがあります。
また、棋士であるという、こちらも別人の女性について噂が流れたこともありますが、いずれも間違い。キーワードのなせる技でしょう。
分かっているのは、お二人の娘さんは、デザイン関係の仕事をされているらしいということです。
山下達郎・竹内まりや夫妻+桑田佳祐・原由子夫妻#これを見た人はレアなツーショットを貼ろう pic.twitter.com/JjtlaN1EpK
— 「エジプトの生きる屍」シカバネ・イキル (@rht1014) June 14, 2021
竹内まりやさんの出身高校は島根県立大社(たいしゃ)高等学校
県立の大社(たいしゃ)高等学校は、創立が明治31年という旧制中学の一つでした。
現校名になったのは1949年。県内で唯一、体育科のある高校です。地図を見ると、まさに出雲大社のすぐ近くになります。
島根県立大社(たいしゃ)高等学校
所在地:島根県出雲市大社町北荒木1473
出身者には、官房長官を務めた青木幹雄さんやその息子で参議院議員の青木一彦さん、女優の江角マキコさんらがいます。
また高円宮憲仁親王の第二女子である典子さまと結婚された千家国麿さんも、大社高校の卒業生。
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【大社高等学校の大学合格実績】を同校の公式サイトで参照すると以下の通りでした。一部の抜粋になります。
国公立大学
島根大学 17名
山口大学 3名
愛媛大学 2名
鳥取大学 2名
島根県立大学 22名
山口県立大学 3名 など合計71名
私立大学
神奈川工科大学 4名
近畿大学 8名
岡山商科大学 5名
岡山理科大学 7名
広島工業大学 14名
広島修道大学 19名
安田女子大学 21名 など 合計230名
ということで、地元を中心に堅実に進学している様子です。慶應義塾への進学はここ数年を見る限りではなさそうでした。
年代が開きますけれど竹内まりやさんは、当時の同校でも確実にトッププラスの成績だった、のではないかと想像できます。
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出雲については、歴史上、尽きないテーマがあります。
以前に島根出身で大国さんという方と会ったことがあります。大国さんとか大社さんとか、出雲方面にはおられるのかなと勝手に想像しています。
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島根県の公立高校、大社高校が2024年の夏の甲子園に出場し、西東京代表の早稲田実業に勝つなど、大きな盛り上がりでした。
高校野球も甲子園出場は私立が圧倒的に多い中、竹内まりやさんの出身校は、スポーツの世界に颯爽とした風が吹いたような爽やかさを見せてくれました。
高2で米国のロックフォールズ高校へ留学
ところで、竹内まりやさんは大社高校時代に、1年間アメリカに留学しました。
高2の9月〜高3の8月までですが、受験としては現役で慶應義塾に合格しています。
AFS交換留学制度により、向かった先はイリノイ州の四年制公立高校、Rock Falls Township High Schoolでした。
そもそもイリノイ州は、アメリカの中では中西部にあり、ミシガン湖に接する大都市シカゴを控えています。
シカゴは大規模な工業地帯でもあり、イリノイ州としても全米6位の人口となります。
ロックフォールズ高等学校(Rock Falls Township High School)のあるロックフォールズは、その中でも、西のアイオワ州にやや近い内陸部にあると言えます。
Rock Falls Township High School
所在地:101 12th Ave, Rock Falls, IL 61071 USA
ロックフォールズ高等学校は、竹内さんが対談のなかで田舎の高校と語っていたように、公立の4年制の、アメリカに多数ある普通の高校の一つと考えられます。
同校の生徒は7割くらいが白人系で、ラテン系の人が2割強。アジア系の人は大変少ないようです。
「17歳でアメリカ・イリノイ州に留学」というタイトルで、竹内さんは2019年の安住紳一郎さんとの対談において、留学のことをこのように語りました。
どうしても海の外に行きたくて。元々はイギリスに行きたかったんですけど、そういう留学制度はなかったので。で、そのアメリカの田舎町に1年、いたんですけど。それもやっぱり自分にとってはすごく大きい体験でした。もうみんながいい人たちばっかりで。本当に。(https://miyearnzzlabo.com/archives/59585 より)
最初は英語が通じなくて、大変でした。「なに言ってるの、この人?」という感じだったそう。
それでも英語が聞き取れるようになる体験は、山崎育三郎さんが日本人のいない田舎に留学したという話の中でもあったので、なるほどです。
竹内まりやさんは、高3で地元の大社高校に戻り、ミニスカートのような文化圏から黒い制服に戻って受験勉強に打ち込んだとのこと。
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ちなみに、安住紳一郎さんはイリノイでの恋愛関係を質問しており、竹内さんは「大失恋しましたね」ということで、わずか1年でも恋愛は「当たり前ですよ。多感な時期ですから」と答えているのが、印象的でした。
その話の中で、現地で竹内さんはコーラス部に入っていたことも語られました。
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ところでAFS交換留学制度は2024年も説明会が行われています。ご興味のあるかたはAFS日本協会 留学説明会からどうぞ。
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竹内まりやさんの出身地出雲市と出身小学校、出身中学校
上記のように、竹内さんの出身小学校は大社(たいしゃ)小学校、出身中学校は大社(たいしゃ)中学校でした。
出雲市立大社小学校
島根県出雲市大社町杵築南900−1
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出雲市立大社中学校
所在地:島根県出雲市大社町杵築南1330
竹内さんの通学していた当時は、地元は出雲市でなく大社(たいしゃ)町でした。
竹野屋旅館さんは、「泊まってみたい旅館」として人気・・
【一度は泊まってみたい宿】 出雲大社正門前の老舗旅館「竹野屋旅館」。リニューアルの背後には「ストーリー」と「コンサルティング」があった。 島根県出雲市 https://t.co/sD8M236kpi pic.twitter.com/vUFb2VVQ7a
— 島根県を勝手にPR (@shimanepr) November 4, 2019
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著名人の竹内さんについては、ご家族や実家である旅館についても知られています。
父親は「竹野屋当主 竹内繁蔵」の4代目を襲名した竹内寿夫氏で、長いこと地元の大社町町長を務めました。
母親は、医者を目指していたけれど学生結婚にて、4代目竹内繁蔵さんと結婚し、竹野屋旅館の女将になりました。
この両親に2男4女が生まれ、第4子で三女なのが竹内まりやさんです。
まりやさんの兄である 竹内信夫さんが5代目竹内繁蔵を襲名。
竹野屋旅館は、沢田研二さんと田中裕子さんの披露宴にも使われたそうです。旅館の運営は5代目のときに諸々あり、一時は、まりやさんも経済面始め再建に没入せざるを得ない時期もあったと伝わっています。
しかし、いずれ、子どものころの竹内まりやさんは、旅館の娘としてのびのびと育っていました。上記のように、高校で留学できたのも、両親のおかげという気持ちからも、協力したとのこと。
このあたりは『週刊女性』の『竹内まりや「廃業はイヤ!」実家旅館の“お家騒動”乗り越え自らオーナーに』という2017年の記事が詳しく伝えています。
(ただし、周囲の人の声・・的なテキストと感じますので、あくまでもご参考まで)
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竹内まりやさんの出身大学は慶應義塾大学
高校3年でアメリカに留学という経験を積んだ竹内まりやさんは、その後、慶応の英文科というエリートコースを進みました。
一方で音楽サークル「リアル・マッコイズ」等で活躍。1978年には、「戻っておいで・私の時間」でデビューしました。
慶應義塾大学 文学部
所在地:東京都港区三田2丁目15−45
慶應大学の学生としては留年したりで、結局・・中退しました。
しかしご存知にようにシンガーソングライターとして大成の道を歩み始めたことになります。
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2019年の紅白歌合戦には、目玉となる、特別出演となり全国のファンから歓喜の声が上がりました。紅組でもない、白組でもない特別出演・・とはさすがの扱いとなる竹内さんです。
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活動の詳細は記しきれませんが、2024年は11年ぶりという全国アリーナツアー【souvenir2025 mariya takeuchi live】が注目されます。
いつもながらチケットの入手は大変そうーー。「お待たせいたしました。竹内まりや、全国8都市14公演で開催される11年ぶりの全国アリーナツアーが決定しました!」とのこと。
また2024年10月25日は「竹内まりやのオールナイトニッポンGOLD」!が放送されます。
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出雲市の『竹野屋』さんは、やはり出雲大社と併せて、一度は訪ねたい所です。
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以上、簡単ですが、竹内まりやさんの出身校についてでした。