Contents
ヴォーカルから始まった女優生活、濱田マリさん
濱田マリさんの学歴と出身校についてご案内します。
濱田マリさんは神戸出身の女優で、始まりは歌手としての活動でした。
関西のバンド「砂場」のヴォーカル歌手として、『三宅裕司のいかすバンド天国』などに出演しましたが、「砂場」は好評を得ずに解散。
その後、「モダンチョキチョキズ」のヴォーカルとしてデビューし、関西風の色合いで活躍していました。
関東の者からすると、濱田さんはあらゆる役をこなすベテランのバイプレイヤーという印象。しかし、その土台は、関西での音楽活動にあったと言えそうです。
地元の公立中学を経て、武庫川女子大学附属高校に進学し、その後は大学等に進学せず、音楽と女優の活動に専念。
武庫川女子大学附属高校 ⇒ 進学せず
ドラマも映画も、味わいのある脇役を見事に演じており、ことに濱田マリさんを気に入ったビートたけしさんとは、映画の『血と骨』で夫婦役を演じました。すでに20年近く前のことです。
朝ドラにはこれまで3回(4回)も出演しており、『カムカムエヴリバディ』では、雉真るいさんが住み込むことになった「竹村クリーニング店」の竹村和子さん(4回目は「おむすび」の管理栄養士)でした。
そんな、さり気なく味のある役がぴったりという印象で、まさに女性バイプレイヤーの代表的な一人とも言えそうです。
濱田マリ
生まれ:1968年12月27日
出身:神戸市
1975年:(推定)小学校入学、7歳
1981年:(推定)中学校入学、13歳
1984年:(推定)武庫川女子大学附属高校入学、16歳
1987年:(推定)高校卒業、19歳
1989年:「砂場」のヴォーカルで『三宅裕司のいかすバンド天国』などに出演
1991年:「モダンチョキチョキズ」のヴォーカル、23歳(〜1997年)
1992年:『おかずな夜』司会
1993年:『お願いデーモン!』モダンチョキチョキズとして出演、25歳
1998年:『あしたまにあ〜な』ナレーター(〜2005年)、30歳
2000年:『バカヤロー!2000 太るのは罪ですか?』
2002年:『愛の劇場 一攫千金夢家族 第1シリーズ』立花沙智子
2003年:『よい子の味方 〜新米保育士物語〜』横山さゆり
2004年:『血と骨』鳥谷定子、ビートたけしと共演、36歳
2005年:『危険なアネキ』野口小春、37歳
2006年:『アンフェア』蓮見杏奈
2009年:『ヴォイス〜命なき者の声』羽井鳳子
2011年:連続テレビ小説『カーネーション』安岡玉枝 、『カーネーション』安岡玉枝 、43歳
2014年:連続テレビ小説『マッサン』キャサリン(種子)
2015年:『名探偵キャサリン』山野華子
2016年:『重版出来!』河舞子、48歳
2017年:『過保護のカホコ』根本教子
2018年:『平成細雪』井谷律子、50歳
2020年:「近代鋏団 featuring 濱田マリ(from モダンチョキチョキズ)」
2021年:連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』竹村和子、『明け方の若者たち』
2023年:『リバーサルオーケストラ』桃井みどり、55歳
2024年:『西園寺さんは家事をしない』佐藤千沙子、『【推しの子】-The Final Act』川村恵理子
2025年:連続テレビ小説『おむすび』塚本文香 、57歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
この投稿をInstagramで見る
濱田マリさんの出身高校は武庫川女子大学附属高等学校
濱田マリさんは地元の武庫川女子大学の附属高校に進学しました。
「武庫川女子大学附属中学校・高等学校」は名前の通り、武庫川女子大学の附属学校で、設立は1939年のこと。
多くの生徒がいまも「武庫川女子大学」または「武庫川大学短期大学部」に、8割以上進学しているそうです。大学のほうが当時の「武庫川高等女学校」よりあとに設立されたことになります。
高校の出身者には宝塚の壱城あずささん、 漫才師でビートたけしさんの元妻の北野幹子さんらがいます。
武庫川女子大学附属高等学校
所在地:兵庫県西宮市枝川町4−16
ちなみに武庫川女子大学の学生数は、日本の女子大の中で最も多いとのこと。
たしか甲子園の野球中継で「武庫川女子大学」の文字の看板?を、たびたび見るような気がします。地図を見て今さら気づいたことは、甲子園球場と武庫川大学はすぐ近隣なのでした。
京阪本線では甲子園と、武庫川女子大学は駅も隣。
武庫川女子大学(高校でなく)の出身者に作家の湊かなえさんがいます。
1989年5月29日
— ken (@ken29716939) February 18, 2023
江坂ブーミンホール
砂場
若き日の濱田マリが在籍していたバンド pic.twitter.com/qpxxidkgiu
・
その武庫川女子大学(西宮市池開町)と武庫川女子大学附属高校はすぐ近く。
同校は一般にお嬢様学校と言われるそうで、クラスメイトはお嬢さんが多くて、マリさんはあまり馴染めなかったという話も伝わっています。
***
『女性自身』の2021年の記事によりますと、濱田マリさんは、中学時代に入った器械体操部を高1の時に辞めたそうです。
器械体操について、こんなことを語っていました。
・
技ができたときはうれしいけど、最初に挑戦するときは怖いし、練習もキツい。しかも強豪校でかなり真剣にやっていたから、後輩に追い越されたりすると、プライドがボロボロになる。・・中略・・「私に何が残っているんだろう」と悩み、誇れる何かを探した。
(https://jisin.jp/entertainment/interview/1958488/ より)
「そんなとき、部活を続けていたら出合わなかった、ちょっと不良の友人に、『難波ベアーズ』や『十三ファンダンゴ』といったライブハウスに連れていってもらったんです。常連のお兄さんやお姉さんにいろんな音楽を教わったり、ステージに上がらせてもらったりもしました」
・
「部活を続けていたら出合わなかった、ちょっと不良の友人」というのが面白いですが、ともかくマリさんにとって高校時代は、器械体操を辞めて、ライブハウス等に出会った時期でした。
『三宅裕司のいかすバンド天国』が始まったのが1989年なので、濱田マリさんは、おそらく高校を卒業して(1987年)、しばしの間は、模索の時期だったことでしょう。
今やすっかり女優してる濱田マリがいたバンド「砂場」をイカ天のビデオから久しぶりに観た!
— スパンキーモンキーシン (@shin_spunky) October 4, 2019
このバンドが解散したあと、濱田マリはモダンチョキチョキズに加入!! pic.twitter.com/Zz0yy7mZZy
『三宅裕司のいかすバンド天国』通称、「イカ天」に出場した時のバンドは「砂場」で、濱田さんはヴォーカルでした。
・
濱田マリさんの出身地神戸と出身小学校、出身中学校
濱田マリさんは神戸市の出身であることが広く知られています。また「思い出こみゅ」などのSNSで濱田さんが神戸市の飛松(とびまつ)中学校の出身者であるとされています。
落語家の桂文喬さんらとともに、飛松中学校のおもな出身者となっています。
創立は1947年。
出身中学校:神戸市立飛松中学校
所在地:神戸市須磨区大手町8丁目4-25
上記の武庫川女子大学附属高校が西宮市にあるわけですが、神戸の須磨区と西宮市は10キロ程度の距離なので、ご実家がずっと須磨区だったとして、通学には問題ない位置と考えられます。
***
また濱田マリさんの出身の小学校については、特に情報はありません。
ただし、神戸市のサイトによると「飛松中学校」に進むことになる児童の小学校としては、「板宿小学校」または「西須磨小学校」などの名前が挙がっています。

ただし、濱田さんが小学生だったのは1970年代の後半くらいですから、40〜50年前のこと。実際どうであったか分かりません。
***
濱田さんがどんな小・中学校生活を送ったかは、上記のインタビューによると、器械体操部で一生懸命に練習していたから、テレビを見る時間はたいへん限られていたそうです。
そして、だからこそ『オレたちひょうきん族』が楽しみでたまらなかったとーー。
小学校のころからお笑い番組が大好きで・・こんな感じだそうです。
80年、濱田さんが小6のときに漫才ブームがやってきた。その中心にいたお笑い芸人が集結して、’81年にスタートしたのが『オレたちひょうきん族』だ。・・・中略・・・
「ふざけているようで、しっかり作り込まれているから、番組全体のクオリティがめちゃめちゃ高い。面白いことを、ド真面目にやることのスゴさ、大切さは『ひょうきん族』から教わりました」
(https://jisin.jp/entertainment/interview/1958488/ より)
また、PANASONICA JPNさんのサイト(https://www.pasonica.com/2015/04/24/濱田マリ/)などによりますと、濱田さんの実家はクリーニング店で、お父さんがクリーニング屋さんを、お母さんが隣で美容院を営むという、まさに自営業の家庭で育ちました。
器械体操については、神戸市大会で個人総合2位になったこともあるとか・・

大人になってからも、大事な衣類は家に送ってクリーニングしてもらうという話もありました。
この投稿をInstagramで見る
(#濱田マリこれハマります より 2024年)
濱田マリさんの出身大学はなし
上記のように、濱田さんは武庫川女子大学附属高校のあと、大学等に進学せずに歌の世界に進みました。
お嬢様的な感覚が合わなかったという点も関係しているかもしれません。
さて冒頭にもありますように、濱田さんがデビューすることになった「モダンチョキチョキズ」は活動期間が1989年から1997年という、大阪のバンドでした。
この投稿をInstagramで見る
そして、別名「モダチョキ」こと「モダンチョキチョキズ」の活動期間と連動するように、濱田さんは1998年には『あしたまにあ〜な』でのナレーターなど、少しずつ、着実に活動の場を広げてきたと言えそうです。
その頃は、ちょうどビートたけしさんの『北野ファンクラブ』が放映されていた時期(1991〜1996年)でもあり、たけしさんがモダンチョキチョキズの濱田マリさんを可愛い、と何度も言っていたそうです。
映画「血と骨」2004年公開の日本映画。監督、崔洋一。主演は暴力作品になると俄然力を発揮するビートたけし。彼をボコボコに殴る濱田マリが最高に面白い!「血も骨も父から受け継ぐ」って感じがしました。素晴らしい! pic.twitter.com/RQNPs7pTLe
— 加賀谷圭の「つぶやきバカ一代」 (@kagayakei) May 9, 2020
***
音楽の活動を知らなかった者から見ると、バイプレーヤーとしてだけでも、マリさんは目覚ましい活躍です。
これまでの出演作は挙げきれません。
たとえば朝の連続テレビ小説の『カーネーション』でも、最初は「明るい近所のおばちゃん」であったけれど、戦争がすっかり人を変えてしまった「玉枝さん」を演じました。
当時は主演の尾野真千子さんが引っ張ってくれた実感があったそうです。
ちなみにモダンチョキチョキズの人気の故でしょうか。2021年の秋には「モダンチョキチョキズの一夜限りの再結成ライブ」が行われました。
この投稿をInstagramで見る
その後の活躍もまったく絶え間なく続いています。
2025年の春には、4度目の朝ドラ(『おむすび』)で出演しているさなかに、再放送中の『カーネーション』と『カムカムエヴリバディ』にも出演しており、同時に3人もの濱田さん?がいると、話題になりました。
この投稿をInstagramで見る
ところで2006年の『アンフェア』をリアルタイムでは観ていなかったのですが最近観ると、もう20年くらいの歳月が経っているのに、濱田マリさんがまるで変わってない(若い!)ことに驚嘆しました。
さすがです。
***
以上、簡単ですが濱田マリさんの出身校についてでした。