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本多力(ほんだちから)さんは剃髪して仏門に入った「寺の息子」だった
本多力さんの学歴と出身校についてご案内します。
本多力(ほんだちから)さんは、京都出身の俳優。実家が東本願寺近くのお寺(養蓮寺)であることもよく知られています。
40代なかばの世代で代表的なバイプレーヤーと言って良さそうです。お名前を知らない視聴者でも、写真を見ると「ああ、あの役者さん!」と思うのではないでしょうか。
本多力さんは京都の立命館大学の出身で、大学の会報でも役者として取材されています。ただしその前の学校については不詳。
高校(不明) ⇒ 立命館大学
立命館では産業社会学部でした。
出身高校などは不明ながら、実家では3人兄弟の末っ子だったそうです。
演劇をやりたかった母親の影響や、お寺の法要から縁があった大学演劇サークルなどの影響で、結局、演劇に打ち込むことになった・・とのこと。
お兄さんたちと同様に本多力さんも仏門に入ったけれど、その後は演劇を続けています。
ドラマ『家売るオンナ』や『闇金ウシジマくん 』の出演者として顔を覚えた視聴者も多い模様。
2024年には大河ドラマ『光る君へ』にて、源道家の従者、百舌彦(もずひこ)を演じました。
本多力(ほんだ ちから)
生まれ: 1979年6月12日
出身:京都市下京区
1986年:(推定)小学校入学、7歳
1992年:(推定)中学校入学、13歳
1995年:(推定)高校入学、16歳
1998年:(推定)立命館大学、「演劇集団Q」に加入、19歳
1999年:「ヨーロッパ企画」に参加、20歳
2002年:(推定)大学卒業、23歳
2005年:『サマータイムマシン・ブルース』田村明、26歳
2007年:「永野・本多の劇的ラジオ」
2008年:『藤子・F・不二雄のパラレル・スペースかわい子くん』主演、29歳
2016年:『家売るオンナ』宅間剛太、『闇金ウシジマくん Season3』コセちん、役37歳
2019年:田島ゆみかさんと結婚、『俺の話は長い』薗田拓斗、40歳
2020年:『極主夫道』三宅亮、41歳
2021年:『FMシアター オトンの焼きそば』主演、『彼女はキレイだった』宮城文太
2022年:ash&A(アッシュアンドエー)に移籍、43歳
2023年:『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて』、『うちの弁護士は手がかかる』コーヒーショップ店長
2024年:大河ドラマ『光る君へ』百舌彦、『大奥』猿吉、45歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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本多力さんの出身高校は不明
上記のように、本多力さんの出身高校は分かっていません。
高校時代の思い出として、力さんは以下のように語っていました。
高校生のとき、寺の法要で「蓮如上人物語」を新屋英子さんが一人芝居でやってくださいました。
そのとき兄の知り合いで同志社大学の演劇サークルの方がお手伝いに来てくれて、そこで初めて学生演劇というものを知り、観に行くようになりました。
(https://shinshu-kaikan.jp/samgha/muchakuchayutaka より)
これは、「真宗大谷派東本願寺真宗会館」によるコラムで、2023年11月に行われたインタビュー。
お寺の法要で知った「学生演劇」を観て、「100人ぐらいの小さな小屋で、舞台と客席の距離が近く、エネルギーがダイレクトに伝わってくる」ことが衝撃的だったそうです。
この件が、のちの大学時代に「演劇集団Q」に入ることにつながったのでした。
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高校時代には、サッカー部に所属しており、センターフォワードを務めていた時期もあるそうです(ENCOUNTでの取材・後述、より)。
本多力さんの出身地京都市下京区と出身小学校、出身中学校
高校に続いて、その前の小学校・中学校についても学校名は不明です。
出身校の前に実家の「養蓮寺」さんはどこかというとーーこちら。
養蓮寺
所在地:京都市下京区間之町通五条下る大津町15
お寺は京都全体からするとJRの京都駅からも1キロ程度の、比較的中心部に見えます。お寺の案内によると市営地下鉄烏丸線の五条駅から徒歩2分とのこと。
いずれにしても、お子さんのころの本多力さんは、下京区のこの近辺で育ったことでしょう。
地理的にも京都の中心部ですから、公立の地元の小・中学校だったかもしれませんし、一方で多少遠くても私立の小学校、中学校に通った可能性もあるでしょう。
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地元の京都については、2024年に『光る君へ』で道長の従者・百舌彦を演じる時のインタビューで、次にように語りました。
京都に生まれて36歳くらいまで住んでいました。
ですから勿論、青春時代も京都で過ごしました。有名な話ですが、鴨川はカップルが等間隔に座っている恋人達の憩いの場です。自分も初めて恋人が出来たときは一目散に等間隔に加わりに行きました。
(https://realsound.jp/movie/2023/07/post-1384409.html より)
鴨川のカップルは有名なのでしょうね。
そういえば京都の中でも養蓮寺は、鴨川にわりと近い所にあります。
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なお、『光る君へ』の出演にあたり、「現場では柄本さんのことを兎に角凝視してようと思います」とも語っていました。
柄本佑さんの従者は百舌彦で本多力さん。一方で、まひろ(紫式部・吉高由里子さん)の従者が乙丸で矢部太郎さんーー。
このお二人からは、それぞれの空気をまといながら、似通った赴きが感じられます。
実際がどうかは分かりませんが、百舌彦も乙丸も、ともに小柄に見えます。余計なことを言わずにしっかり「従者」をやっている姿が印象的です。
二人の演技が見事に共鳴しているようにも感じました。
乙丸と百舌彦が出てこなかったので。
明日は出てきますように。
#光る君へ pic.twitter.com/7srqv595Vq— ぎーは。 (@0405bd3ec392455) May 11, 2024
矢部太郎さんはカラテカのボケ担当のお笑い芸人さんで、東京学芸大学の出身。
本多力さんの出身大学は立命館大学
本多力さんは立命館大学に1998年に入学しました。
年齢からすると現役で入学しています。学部は産業社会学部なので地元の衣笠キャンパスになります。
立命館大学
(キャンパス内の平井嘉一郎記念図書館)
所在地:京都市北区等持院北町56−1
衣笠キャンパス周辺には、龍安寺、仁和寺、金閣寺などがあり、まさに観光の名所のようなところ。
京都府立堂本印象美術館も目の前、という位置になります。
立命館大学は言うまでもなく関関同立の「立」。大学の創立者は西園寺公望氏でした。
1900年設立の「京都法政学校」が立命館大学の前身となっています。
メインとなる衣笠キャンパスは、西園寺氏の人脈から来るところの愛新覚羅溥儀による寄付で築かれました。
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立命館大学は現在、下記のような多様な学部を擁しています。
衣笠キャンパス
法学部
産業社会学部
国際関係学部
文学部
びわこ・くさつキャンパス
経済学部
理工学部
生命科学部
薬学部
スポーツ健康科学部
食マネジメント学部
大阪いばらきキャンパス
経営学部
政策科学部
情報理工学部
映像学部
総合心理学部
グローバル教養学部
II部(二部・夜間部) 2007年に終了
立命館大学の学生数はおおよそ35,000人くらい。
かなり多いと思うのですが、日大が80,000人弱、東大が27,000人、早稲田が55,000人余とすると(すべて概数)、やはりかなりの人数です。
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ところで本多さんは立命館に入学してすぐに同志社大学内の演劇サークル「演劇集団Q」に入ることになりました。
その経緯については、2022年にアニメ映画『四畳半タイムマシンブルース』で声優を担った時のインタビューで語りました。
まずお母さんについては、お母さんも実家はお寺。
「一人っ子として育てられた母は学生時代に、役者に憧れた時期があったのですが、(唐十郎の)状況劇場や、寺山修司さんの天井桟敷などアングラ演劇が流行していた時代。祖父は『絶対にダメだ』と許さなかったそうです」
ということでお子さんが少し大きくなってからは『東京乾電池』などの作品を観に、力さんを連れて行ってくれたとのこと。
8歳頃、学芸会で『じごくのそうべえ』をやったときには、主役のそうべえをやったことがありました。『良かったよ』ってむちゃくちゃ褒められて。演劇への思いがふくらんでいきました」
(https://encount.press/archives/360071/ より)
その後、『演劇をしたいけど、どうしたら良いか分からない』と思っていたときにお寺の法要にて新屋英子さんが一人芝居『蓮如上人』を演じてくださいました。
その準備で大学の演劇サークルの人が手伝いに来てくれて、『大学には演劇ができる場所がある』と知ったそうです。
それが立命館大学に進んだきっかけ。(ただし何故立命館かということは不明)
image
大学に入学した後、同志社大学の演劇サークルに入ったところ、そのとなりに上田誠さんの主宰する劇団『ヨーロッパ企画』があり、上田氏と親しくなって、ヨーロッパ企画の第2回公演の『翼よごらんあれが恋の灯だ』にたまたま出演することになったーー。
ということで御縁というのでしょうか、役者人生が始まりました。
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(9歳の得度の時)
一般にお寺を継ぐ息子さんは、仏教系の大学に進むケースも多いようです。個人的には、進みたい大学に進学し卒業してから仏教系の大学に進んだ知人(寺の息子)もいました。
もちろん大学の選択は人それぞれですが、3男の本多さんにとっては、少なくとも大学進学時にその意味での制約はなかったのでしょうか。
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ご本人によると、演じて声をかけられるようになったのは2016年の『闇金ウシジマくん』にコセち役で出たころから・・とのこと。
なお2016年には『真田丸』にも出演していました。
『真田丸』に、聚楽第に書かれた落書きを見つける門番役で出演しました。ただ見つけただけなのに、秀吉に処刑されるという不条理に巻き込まれる役なんですが、そこでナレ死を経験させていただきました。
これは『光る君へ』への出演が決まった時のコメント。
子どもの誕生に関する落書きを「見つけただけなのに、秀吉に処刑される」というのは歴史なので、笑うところではないのですが、『真田丸』の放映を思い出しても、可笑しくて悲しい場面でした。
真田丸での秀吉役はベテランの小日向文世さん。
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本多力さんはたくさんの出演を重ねて、2022年には「ヨーロッパ企画」から退団し、ムロツヨシさん所属の「ash&A(アッシュアンドエー)」に移籍しています。
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京都から東京に出て来ることも、妻に背中を押されたことがきっかけでした。
あんまり自分から何かしようとしていなかったのですが、映画『サマータイムマシン・ブルース』で出会ってからずっと親しくしているムロさんの姿を見ていて、もっといろいろな仕事をしてみたいと思うようになりました。
(https://encount.press/archives/360071/)
都内に移ったのは2017年くらいとのこと。
奥さまは女優の田島ゆみかさん。
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(奥さまのInstagramから)
なお『サマータイムマシン・ブルース』との縁は20年も続いており、それがアニメ映画『四畳半タイムマシンブルース』でした。
『サマータイムマシン・ブルース』は、上田誠さんによる戯曲で、関連作品『四畳半タイムマシンブルース』の作者は京都大学の森見登美彦さん。
森見登美彦さんへの憧れもあり小説家になったのが京都大学卒の宮島未奈さんという「京都つながり」がありました。
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このように本多力さんは、ご本人はとても控えめな感じで「まさか自分が結婚できると思っていなかった」などと語っておられます。
しかし、幸せオーラの静かに漂う役者さんで、故にむしろ強い方だと感じています。
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以上、簡単ですが本多力さんの出身校についてでした。