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ムロツヨシさんは生い立ちは複雑ながら淡々と役者道を邁進中
ムロツヨシさんの学歴と出身校についてご案内します。
ムロツヨシさんは横浜出身の俳優で、喜劇役者。喜劇役者というのは自らの呼び方です。1976年生まれですから2020年代は40代後半で活躍しています。結婚はまだしていません。
横浜の出身で、横浜の公立の小・中学校を経て県立の鶴見高校へ。さらに大学は、浪人後に入学した東京理科大学をすぐに退学したことも、わりと広く知られています。
神奈川県立鶴見高等学校 ⇒ 東京理科大学
東京理科大では理学部数学科でした。
せっかく入った大学をムロツヨシさんがすぐに辞めたのは、自分は学びたいことがあって進学先を決めたわけでないことに気付き、さらに、舞台を観に行って感銘を受けたため、とされます。
今では演技の幅も広く安心して役を任せられる役者さんとして定評があります。しかし育った経過では、生い立ちは、複雑な家庭事情などで苦労してきました。
ムロツヨシさんは姓と名を分ける芸名ではなく、また本名を非公開にしているのはご家族への配慮ではないかとされています。結婚していませんが、ドラマでの共演で戸田恵梨香さんと夫婦役を演じました。
ムロツヨシ(本名:非公開)
生まれ:1976年1月23日
出身:神奈川県
1982年:(推定)神大寺小学校入学、6歳
1988年:(推定)六角橋中学校入学、12歳
1991年:(推定)鶴見高校入学、15歳
1994年:鶴見高校卒業、18歳
1995年:(推定)東京理科大学入学、中退、19歳
2005年:『サマータイムマシン・ブルース』、『踊る大捜査線シリーズ』倉橋大助、29歳
2009年:『大洗にも星はふるなり』猫田
2012年:『闇金ウシジマくん』上原、36歳
2013年:『ぐいぐいゾンビ』主演、『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』(その後も)
2014年:『小野寺の弟・小野寺の姉』河田耕輔、38歳
2016年:『悪党たちは千里を走る』
2017年:『銀魂 実写映画シリーズ』平賀源外、『おんな城主 直虎』、41歳
2018年:『大恋愛〜僕を忘れる君と』間宮真司 、『50回目のファーストキス』
2021年:『ハコヅメ〜たたかう!交番女子〜』、『マイ・ダディ』主演、45歳
2022年:『雨に消えた向日葵』主演、『神は見返りを求める』 主演、新事務所「アッシュアンドエー」(ash&A) に所属、46歳
2023年:『うちの弁護士は手がかかる』主演、 大河ドラマ『どうする家康』豊臣秀吉
2024年:『身代わり忠臣蔵』主演、『だれかtoなかい』 MC、48歳
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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ムロツヨシさんの出身高校は神奈川県立鶴見高等学校
まず高校ですが、県立の鶴見高等学校を卒業しました。
鶴見高校は戦時中に旧制の「県立鶴見中学校」として始まり、現在名になったのは1948年のことでした。一時は学区として横浜東部学区に属していましたが、現在は高校受験の学区は廃止されています。
神奈川県立鶴見高等学校
所在地:神奈川県横浜市鶴見区下末吉6-2-1
三ツ池公園とも接しており同校の敷地のなかに縄文時代の「小仙塚貝塚」があるという、歴史的な意味のある場所です。
【神奈川県立鶴見高等学校の大学合格実績】としては、「みんなの高校情報」サイトによると2022年の例で以下となっています。
神奈川大学 47名
関東学院大学 46名
日本大学 46名
東海大学 38名
中央大学 10名
青山学院大学 8名 など多数
ムロツヨシさんの入った東京理科大学は2名となっており、年度により数名のようです。
鶴見高校の出身者には女優の小山明子さんや、7人制ラグビー代表の鈴木彩香さんらがいます。
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ムロツヨシさんは、卒業して一浪後に東京理科大学に進学しますが、高校時代、まさに数学には強く惹かれていたようです。マイナビ転職の記事でこのように答えています。
理系出身のムロさん。その愛する人生のバイブルは、高2の時の「基礎解析」の教科書。今でも迷いが生じたら開くそうだ。「数学的帰納法が僕の考え方の基本です。これは最初に命題を立て、それが全ての条件において正しいことを証明する手法。
(https://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/heroes_file/132 より)
喜劇役者と自ら名付けるムロさんですが、数学的帰納法でものごとを考えるという、冷静な手法が基盤にあるということでしょう。
一方で高校時代は「よく遊んだ」とのこと。また部活はハンドボール部でした。
高校3年間はもう遊びに遊びました。部活はハンドボール部でしたけど、僕が通っていた県立鶴見高校は強豪校ではなかったので、ハンドボールもやりつつ友達とサッカーばっかりやっていましたね。ちょうど高校2年のときが「Jリーグ元年(1993<平成5>年)」なんですよ。
(『はまれぽ 横浜が生んだ喜劇俳優ムロツヨシさんを徹底解剖!』2015年 より)
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なお同じインタビュー記事によると、高校時代は友だちとよく遊んでおり、ムロさんの祖母が友達を呼びなさいという感じだったので、遊んだあとはたまり場のように家に友達が集まっていたようすです。
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また、当時の友人のコメントによると、ムロさんは高2と高3で「ミスター鶴見」に選ばれていたそうです。高校時代は、周りから見て「かっこいい」存在だった模様。
放課後は「大雄」というラーメン屋さんでからし麺を食べたり・・
出身地横浜と出身小学校、出身中学校
著名人となったムロさんの出身小学校と出身中学校は、すでに明らかとなっています。また、自ら横浜の「菊名記念病院」で生まれたと語っています。
出身小学校:横浜市立神大寺小学校
所在地:横浜市神奈川区神大寺3丁目34−1
出身中学校:横浜市立六角橋中学校
所在地:横浜市神奈川区六角橋5丁目33−1
神大寺小学校と六角橋中学校は、互いに一キロもない距離にあります。ムロツヨシさんはご家庭の事情もあって、住んだところはやや点々とした状態だったとのこと。
三枚町から片倉に引っ越しても学校は変わらなかったので、神大寺小に1年生から6年生まで通ってたんですけど、その6年間は神大寺小でサツマイモを掘るのがやたらと流行っていたんですよ。
それで、横浜市歌のかわりというか、小学校オリジナルの芋の歌をよく歌ってました。
(同上)
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片倉には一番ながく住んでいて、子どもの頃に初めてコンビニ(ファミマ)が出来たときは、子どもたちの間で大騒ぎだったとかーー。
その同じ店か否か分かりませんが、現在も、神大寺小学校の脇の交差点のところに「ファミリーマート横浜片倉一丁目店」があります。
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小学校、中学校でのムロさんは、児童としてどうだったという前に、家族として変動の激しい時期だったと言えます。生い立ちが劇的ながら、ムロツヨシさんがポジティブに受け止めてきたようすも感じられます。
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両親が4歳のときに離婚しまして、父親と暮らしていたんですけど、ある日父親が出ていきまして。それからは祖父母と暮らしていたんですが、ある日そこに父親がとある女性と子どもを2人連れて帰ってきて隣に暮らし始めるんです。
それで突然2人の兄になったなと思ったら3年後に3人は父のもとを離れて行きました(笑)。(同上)
ツヨシさんの複雑な家庭事情はこれまで、もろもろの記事に取り上げられてきました。そんな経緯で一つ「サスガ!」と思ったのは、ツヨシさんが自分の境遇やご家族をまったく恨んだりすることなく、遊んだり勉強したり、また俳優への道を決めたりしていることです。

小学校のころについて、2021年のTV番組「インタビュー ここから」の放映に当たり、「人気者になりたいことがばれている子だった」とも語っていて、興味深いです。明るい、笑いをとるような少年だったのでしょう。
また中学時代は、まだ空き地だったみなとみらいにも遊びに行っていたとかーー。
ムロツヨシさんの出身大学は東京理科大学
先述のように一年の浪人生活(横浜駅前の河合塾)を経て、東京理科大学に合格しました。
専門は理学部の数学科。予備校時代は高校卒業後の3月は遊んでいたけれど、4月からはしっかり勉強したとのこと。
広く知られるように東京理科大学は理工系を目指す高校生にとって、東京都にある代表的な私立大学となります。
野田キャンパスも葛飾キャンパスもありますが、本部が都心の神楽坂にあり、都心にある便利な立地の大学としても知られます。
東京理科大学は1881年に「東京物理学校」として始まっており、私立の理工系としては最も長い歴史を持つそうです。現在の学部としてはおよそ以下となります。
理学部第一部
理学部第二部
工学部
薬学部
理工学部
先進工学部
経営学部
学部生の総数は16000人弱、大学院生も含める学生総数は19000人余と、公式サイトにはありました。マンモス大学の一つでもあります。
東京理科大学
所在地: 東京都新宿区神楽坂1丁目3
飯田橋駅を降りたら理科大がある、というのは主観的な言い方ですが長年そんな印象でした。
もう一つ、これも統計的データでなく「そう言われている」という類の話になりますがーー。
東京理科大学はハイレベルの大学であると同時に、受験生にとって、さらに違う大学を志望している場合には、浪人して他大学を目指すよりは理科大学で学部生活を送り、大学院で他大学に行くという流れも、一部では根強いようです。
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東京理科大学について述べたあとですが、ムロツヨシさんは、案外あっさりと3週間あまりで中退しました。
その理由も各所で述べられており、入学して知り合った学生たちの専門にかける意気込みを知り、自分はただ偏差値の高い大学を選んだだけだった・・と思い知ったとされます。
さらに・・舞台を見て感動。
そこから急に「自分がやりたいことは何か」について考え始めて、1ヶ月後、ある舞台を観に行ったんです。そうしたらその舞台で主演をされていた段田安則さんの芝居が素晴らしくて、幕が降りたときにはもう「あっち側に、舞台に立つ側に行く」って決めていたんですよね。
今考えてみても、何でそんなふうに決断できたのか分からないんですけど「これしかない」と思いました。
それで、それならもう自分は大学にいる意味はない、ということで辞めたのが19歳です。
(同上)
ずっと役者になりたかった等でなく、この瞬間に決めたことが劇的です。
今ではそれを決断した19歳の自分に感謝しているそうです。
大学中退後は劇団に入り、横浜市中央卸売市場などでアルバイトをしていました。やがてアルバイトも辞め覚悟を決めて劇団のあるところのすぐ近くで暮らすようになりました。
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長い下積み生活を経て『サマータイムマシン・ブルース』に出演したときには、本広克行監督に猛アピールしてのことでした。
また福田雄一監督と知り合い、「福田組」の常連として佐藤二朗さん等とともに用いられてきたこともムロツヨシさんの活躍の土台となってきました。
脚本・演出・出演をぜんぶ行う舞台『muro式』は2008年から続いています。「muro式.7」に出演してからの縁が若葉竜也さん。
「ムロで笑いたい」と思って来てくれたら最高ですし、笑えるかどうか観てやろうでも何でもいいんです」とムロさんは語っていました。
#この人にこの役やらせたら一級品
— 糸戠田🐺🏵 (@1579azuchi) January 13, 2024
ムロツヨシ×秀吉🐒だがや~~~~~~~~~‼️
どこまでも欲望欲望、是ヴィラン豊臣秀吉也といったところでしょうか。 pic.twitter.com/RegHpfL0XN
2022年に「ash&A(アッシュアンドエー)」に移籍しておりともにash&Aに移籍してきたのが本多力さんです。
ムロツヨシさんについては、楽しい人柄とともにエピソードが多いのですが、やはり土台に自ら喜劇役者と名乗ってきた覚悟があるような気がします。
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以上、簡単ですがムロツヨシさんの出身校についてでした。