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大竹しのぶさんの出身大学と出身高校、「ファミリーヒストリー」のある女優

魔性の女ともいわれる大女優

大竹しのぶさんの学歴、出身校について。

大竹しのぶさんは1957年生まれのベテラン女優。数多あるドラマや映画で活躍してきたばかりでなく、魔性の女などと異名を取ることもあり独特の存在感を放っています。

NHKの「ファミリーヒストリー」でも取り上げられたように(後述)、ドラマティックな経緯でしのぶさんが生まれてきたこともあらためて注目されます。

明石家さんまさんはもと夫、IMALUさんは娘となります。ガンで亡くなった最初の夫の服部晴治さんがさんまさんに生前、大竹しのぶさんのことを「宜しく」という内容の手紙を書いていたエピソードもあります。

一時は家族で埼玉県の毛呂山(もろやま)町などに引っ越しましたが、中2で東京に戻り都立高校の小岩高等学校を経て、大学は桐朋学園大学短期大学部に入学しました。

東京都立小岩高等学校 ⇒ 桐朋学園大学短期大学部

桐朋学園大学短期大学部では演劇専攻科でしたが後に中退しています。

2021年に行われたオリンピック東京2020の閉会式では、聖火の納火にて大竹さんは大役を務めました。杉並児童合唱団の児童たちとともに宮沢賢治の「星めぐりの歌」を歌唱ーー。

天才といわれる背景には、瞬時に涙が出てくる憑依的な女優という評価もあります。

大竹しのぶ 
生まれ: 1957年7月17日
出身地:東京都江戸川区

1964年:(推定)小学校入学、7歳。埼玉県越生町に引越し
1970年:(推定)毛呂山町中学入学、13歳
1971年:(推定)葛西第二中学に編入
1973年:(推定)小岩高校入学、16歳。『ボクは女学生』でデビュー
1975年:朝ドラ『水色の時』主演、『青春の門』牧織江役
1976年:(推定)桐朋学園大学短期大学部入学、19歳
1982年:服部晴治氏と結婚、25歳
1987年:服部氏が死去、『かまっておんど』の大ヒット
1988年:明石家さんま氏と再婚、31歳。舞台『ガラスの仮面』
1989年:長女IMALUが生まれる
1992年:さんま氏と離婚、35歳

2000年:『オードリー 』吉岡滝乃役
2002年:『実録 福田和子』福田和子
2010年:『オカンの嫁入り』森井陽子
2011年:『江〜姫たちの戦国〜』高台院、『それでも、生きてゆく』野本(深見)響子、53歳
2015年:『悼む人』坂築巡
2016年:第67回NHK紅白歌合戦にて「愛の讃歌」を歌う。『後妻業の女』
2019年:『いだてん〜東京オリムピック噺〜』池部幾江
2020年:『監察医 朝顔 第2シーズン』奥寺美幸、63歳
2021年:2020年東京オリンピックの閉会式にて「星めぐりの歌」を歌唱
2022年:『PICU 小児集中治療室』志子田南
2023年:『犬神家の一族』 犬神松子、66歳

*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
 


大竹しのぶさんの出身高校は小岩高校 

大竹しのぶさんの出身高校は都立の小岩高等学校でした。

話は前後して、その前にしのぶさんは一度埼玉県の毛呂山町で過ごした時期がありますが(次項で)、高校は都内の江戸川区の本一色(ほんいっしき)にある小岩高等学校ーー。

東京都立小岩高等学校

所在地:江戸川区本一色三丁目10番1号

細かいことをいうと、最寄りのJR駅である「新小岩駅」は葛飾区に属するのですが、道を挟んで江戸川区に変わってすぐのところに小岩高校はあります。
大雑把にはJRの総武線と、環七通りの交差するあたりが小岩高校ーー。

小岩高校の設立は1962年と比較的遅く、江戸川区周辺の人口が増えたことや団塊世代の進学者数が増えたことなどが相まって、同校の開校となりました。

かつてはこの地域において両国高校や隅田川高校などに次ぐ進学校となっていました。ただし近年では国立大学などへの進学実績は低くなっている模様です。大竹さんが進学した時期は1973年と考えられるので、当時は同校において進学実績も高く保っていたのではないでしょうか。

小岩高校から亜細亜大学に進学した風間俊介さんも、小岩高校の出身者です。

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年代を振り返るとしのぶさんは小岩高校に入学した年に、『ボクは女学生』のオーディションに合格しています。さらに高校時代にNHKの連続テレビ小説『水色の時』で主演を果たしました。

その時代のこととはいえ、都立高校に通う高校生が朝ドラのヒロインだったとは、どんな生活をしていたのか、想像がつかない部分があります。

下記にも述べますが、小岩高校の前にしのぶさんは江戸川区で、地元の公立中学に2年の時に転入しました。

大竹しのぶさんと埼玉県の毛呂山(もろやま)町と出身小学校、出身中学校

上記のように、大竹さんの一家は小学校に入学したころに父親の章雄氏が結核となったことで東京電力の仕事を辞め、まずは空気の良い埼玉県の越生町に移動しました。

大竹章雄さんは現在の東北大学の出身で、埼玉に移ってやや体調が回復してからは教師を務めていたそうです。しのぶさんの年齢から逆算すると、1964年ころ、ちょうど東京オリンピックが行われたような、あの時代でした。
ちなみにしのぶさんは、大河ドラマの『いだてん〜東京オリムピック噺〜』にも出演しています。

しのぶさんは、毛呂山町においては、小学校は毛呂山小学校に、中学校は毛呂山中学に通っていたことが分かっています。

2010年9月のNHKの『課外授業 ようこそ先輩』では、しのぶさんが、母校として『毛呂山町立毛呂山小学校』を訪ねました。

テーマは「見つめよう 自分の心」。授業の詳細はいま分からないのですが、冒頭にしのぶさんの演じる映像などが児童たちに見せられたようすです。

出身小学校:毛呂山町立毛呂山小学校

所在地:埼玉県入間郡毛呂山町岩井西4丁目2−1

出身中学校:毛呂山町立毛呂山中学校

所在地:埼玉県入間郡毛呂山町岩井西4丁目12−1

毛呂山小学校と毛呂山中学校は住所からも分かるように隣接するような位置関係にあり、JRの「毛呂駅」から数百メートルの範囲ーー。ちなみに毛呂山町には現在、埼玉医科大学とその附属病院があります。

小・中学校の所在地という前に、そもそも「毛呂山町」の位置は、埼玉県のなかでも飯能市や日高市からさらに北上したところにあり、山を超えて秩父市などにも近くなります。

なお、毛呂山中学の出身者として大竹しのぶさんは十分に知られており、水泳の瀬戸大地選手も同校の出身者です。

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よい空気を求めての引越しだったので当然ながら、大竹さん一家にとって田舎にこもったような時期でした。

image

なお細かい経緯としては下記のように「ファミリーヒストリー」によると、一家はまず埼玉県入間郡の越生町に引越し、章雄氏の体調が教師をできるくらい回復したころに武蔵越生高等学校の教師となって数学と倫理を教えていたそうです。

しかし数年後、やはり章雄氏の病状が重くなり結核病棟に入ったため、家族はさらに毛呂山町に引っ越ししたとのことーー。

つまり毛呂山小学校はしのぶさんの出身小学校ではあるけれど、その前に、越生町の小学校に通っていた時期もあるのではないか、と考えられます。

毛呂山町での生活は大竹家にとって楽なものではありませんでした。詳しくは後述しますが、しのぶさんの母親「絵すてる」さんは、一家の大黒柱が入院中というなか、一人で家族の生活を担っていました。
パン屋で働いたり、家政婦をしたり、一人でいくつもの仕事を掛け持ちして5人の子どもたちを育てていたそうです。

中学の途中で江戸川区に

章雄さんはやがて退院したものの、仕事がなくやむを得ず溶接工場で働きました。しかし父親としての給料は安く、一家の生活が大変なことには、変わりありませんでした。

そこで、母親の「絵すてる」さんが決断して、都内に行ったほうが仕事も給料も得ることができると、夫の章雄さんを説得して一家で東京に移りました。
お気づきの方もいると思いますが、「えすてる」さんも、苦難を忍ぶという「しのぶ」さんも聖書に根付いた名前となっています。

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一家が移った先の東京都江戸川区で、三女のしのぶさんが入った中学が、『葛西第二中学』でした。

出身中学校:江戸川区立葛西第二中学校




所在地:東京都江戸川区宇喜田町1085

先ほどの小岩高校に比べると、葛西第二中学校は江戸川区でも南のほうとなり、現在の都営新宿線の「船堀駅」にやや近い辺りとなります。

逆にいうと、中2から江戸川区で育ったしのぶさんが、地元の公立(都立)高校である小岩高校に進学したのは、地域的にも自然な経緯だったように見えます。

大竹しのぶさんの出身大学は桐朋学園大学短期大学部 

高畑淳子さんのページにもありますように、桐朋学園大学短期大学部は2004年以降、「桐朋学園芸術短期大学」と名前が変わっています。

同校は、名前や学部の変遷などありましたが、「桐朋学園大学短期大学部」が出来たのは1964年のことでした。専攻科演劇専攻が設置されたのは1968年。

いずれ大竹しのぶさんが入学したと考えられるのは1976年のことで専攻は、演劇専攻科でした。

桐朋学園大学短期大学部



所在地:東京都調布市若葉町1-41-1

同大(短期大学部)の出身者には、俳優の山本亘さんや、女優の真野響子さん、高畑淳子さん、南果歩さんら、歴代のベテラン俳優さんたちががいます。

大竹しのぶさんより真野さんは5歳くらい年長、高畑さんは3歳くらい年長なので、同じ大学とはいえ短大ということもあり、大学内での接点はなかったと思われます。

なお、大学のキャンパス内には桐朋小学校もあります。

一方で系列校の桐朋中学校、桐朋高校は国立市の別のところにあり、西島秀俊さんは桐朋中学校・高等学校の出身者です。

このように、現役の高校時代に朝ドラヒロインとして多忙だった大竹しのぶさんが、演劇分野の短期大学に進学したのですが、詳しい時期は不明ながらその後、中退しています。

短大に進んだ後の時期にもドラマでは『たぬき先生騒動記』などに出演し、1977年の大河ドラマ『花神』にもお里役で出演。他にも複数の映画にも出演していますから、当時のしのぶさんがふつうに学生を務めるには多忙だったことは確かでしょう。

その後、略歴を振り返るとしのぶさんは1982年に年上の服部晴治氏と結婚しました。次項でファミリーヒストリーから見えてきた、大竹家のルーツを見ていきます。

大竹しのぶさんの「ファミリーヒストリー」

2017年の1月に放送された『ファミリーヒストリー』では、『八重さん』というしのぶさんの祖母にあたる女性が、カギを握る人物となっていました。その八重さんの娘の「絵すてる」さんと結婚したのが、しのぶさんの父、大竹章雄さんでした。

ちなみにしのぶさんは、自分のルーツに興味を持ち、いつかファミリーヒストリーに出たいと願っていたそうです。

祖母の八重さんのヒストリー

『八重さん』の実家は都内の麹町の地主であり、家具屋を営んでおり、外国の公使館に土地を貸すほどの資産家だったと見られます。

『八重さん』は山内権次郎という人物と知り合い、女子英学塾(後の津田塾大学)にも進み、山内権次郎との間の子どもを身ごもった状態で、幸徳秋水と八重さんと権次郎さんの3人が、渡米しました。

それは明治38年(1905年)という、一般にはアメリカなど遠く感じられる時代のことでした。しかし一方で、当時サンフランシスコには新天地を求めた日本人が集まっていたことも確かです。

この『八重さん』については、作家の小山内薫も並々ならぬ関心を持ち、自叙伝の中で「絹子」という女性として描かれているそうです。

またこの『八重さん』は内村鑑三の、数少ない女性の弟子でもありました。

当時のサンフランシスコでは、日本人が増えたことで排斥活動も起きており、権次郎さんが平民社に務めたことで社会主義活動家としてマークされるようになりました。また、日本の外務省の派遣したスパイ的な担当者からも監視されていたもようーー。

そのサンフランシスコで『八重さん』は子どもの「敏子さん」を産み、しかし夫の権次郎さんはチフスで亡くなり、22歳で日本に帰国しました。

その後、夫の実家に身を寄せたものの子どもを置いて出ていくことになり、さらに『八重さん』は二度目の結婚をしました。しかし、あらたに男児を産んだあと、その夫と男児とは別れました。

***

30歳になった『八重さん』は清貧と非戦を訴える宗教家であった吉川一水さんと結婚。二人のあいだに長男が、続いて長女の『絵すてる』さんが生まれます。つまりこちらの一水さんと八重さんが、大竹しのぶさんの祖父母となります。

二人は仙台でさらに東京で布教活動を行い、クリスチャンへの監視が強まる中、また収入がほとんど無いような中でも『八重さん』は賢明に夫を支えていたそうです。

こちらで一水さんの聖書講演会にたびたび通っていたのが、しのぶさんの父となる『大竹章雄さん』でした。

父の大竹章雄さんのヒストリー

大竹章雄さんの先祖は、新潟県の山林町にて「大竹与茂七」という碑の残る江戸時代からの名手だったと考えられます。

また、石碑の近くには「大竹邸記念館」があり、こちらは明治時代の政治家である大竹貫一氏の生家で、平安時代からの先祖の記録が残っているそうです。

しのぶさんは、与茂七さんとも大竹貫一氏とも親族であることが確認されました。

また「ファミリーヒストリー」の放映にあたり、新潟大学の原直史教授らの研究で大竹氏の一族は、川の氾濫と戦いつつこちらの地域が米どころになることに尽力してきたということも判明しました。

しのぶさんの曽祖父にあたる大竹国司氏は宮城県の塩竈市に移り、医者となりました。

国司さんの孫にあたるのが大竹章雄さんで、明治44年に生まれました。章雄さんは25歳で結婚して子どもも生まれ日中戦争に出征しましたが、帰還後にキリスト教に目覚めることで妻と溝ができたそうです。そこで塩釜を離れ、川崎で暮らすようになりました。

そこで一水さんの聖書講演会を通して章雄さんは「絵すてる」さんと出会い、後にしのぶさんの両親となります。章雄さんは再び第二次大戦で中国に出征し、満州から帰還したあとに、二人は結ばれました。

二人の間に長女すなほさん、長男の進さんが生まれ、三女のしのぶさんが生まれたのは祖母の『八重さん』の逝去されたあとでした。5人の子どもに恵まれた一家が、しかし章雄さんが結核を患ったことで埼玉県の越生町に移ったのは、上の項目に記したとおりです。

***

長くなりましたが、このように大竹しのぶさんに至るまでの歴史には数多くのドラマが秘められていました。

ことに八重さんの情熱的な行動や母の絵すてるさんの愛情深い生涯を振り返ると、しのぶさんの天才とか魔性の女と呼ばれる底知れない才能について、さらに合点がいくような気がします。

***

このように活躍してきた、そして今も輝いている大竹しのぶさんです。その大竹さんの出身校についてでした。

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