Contents
原田マハさん、名前の通りの美術愛好家
原田マハさんの学歴と出身校について。
原田マハさんはキュレーターとしても活躍してきた小説家です。『モネのあしあと』『ゴッホのあしあと』等の美術関連の小説が注目されています。
生まれは東京ですが、岡山で育って地元の山陽女子高等学校から関西学院大学に進学しました。卒業後、仕事に就いたあとに、早稲田大学の第二文学部に学士入学(編入)しています。
山陽女子高等学校 ⇒ 関西学院大学 ⇒早稲田大学
関西学院大学では文学部日本文学科、早稲田大学の二文では、美術史学の専攻でした。
関西学院大学の卒業後にマリムラ美術館に勤務した時期があり、さらに結婚後に早稲田で美術史を学んでいます。
ちなみに学士入学は編入の一つで、3年から入ったことになりますが、在学中に森美術館の設立準備に携わっています。
マリムラ美術館との接点も、自らの飛び込みアピールだったそうです。さらにその後、伊藤忠商事でも勤務し、早稲田の学生だった最中に森社長との縁で森美術館の立ち上げの仕事に就いていますから、バイタリティーのある経歴を辿った人物ということでしょう。
原田マハさんといえば、一昔前、作家の原田宗典さんに妹がいて、妹のマハさんも小説を書いている・・という印象でした。しかし今や原田マハさんは作品が映画化、ドラマ化もされている大御所と言えそうです。
原田マハ
生まれ:1962年7月14日
出身:東京都小平市
1969年:(推定)小学校入学、7歳
1975年:(推定)中学入学(岡山にて)、13歳
1978年:(推定)山陽女子高等学校入学、16歳
1981年:関西学院大学入学、19歳
1985年:(推定)関西学院大学卒業
1988年:マリムラ美術館に就職、26歳
1990年:結婚
1994年:早稲田大学第二文学部美術史科入学、32歳
1995年:株式会社森ビル入社
1996年:早稲田大学卒業、34歳
2002年:独立してキュレーターに、40歳
2005年:「カフーを待ちわびて」
2012年 :『楽園のカンヴァス』で第山本周五郎賞
2016年:『モネのあしあと 私の印象派鑑賞術』
2017年 :『リーチ先生』で新田次郎文学賞、55歳
2019年:『風神雷神』
2021年:『総理の夫』の映画化
その他作品等多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
ちなみに原田マハさんはペンネームで、想像通り「着衣のマハ」等のあのマハから取っています。
この投稿をInstagramで見る
原田マハさんの出身高校は山陽女子高校
山陽女子高等学校は、岡山市にある私立の女子校。創立は明治19年という、歴史ある学校で、当初は「山陽英和女学校」でした。
系列校として山陽学園大学があり、現在は共学の大学となっています。
しかし同校は2020年に山陽学園中学校・高等学校と改称され、男女共学校となりました。
山陽女子高等学校(現在名:山陽学園中学校・高等学校)
所在地:岡山市中区門田屋敷二丁目2番16号
同校は、「岡電東山線」の終点付近でもあります。あらためて、岡山市内には路面電車が走っているのですね。西日本では珍しくないのでしょうか。
***
同校は「渡辺麻友がキミの学校のポスターになってくれる権」を受賞したそうです。制服が可愛いということですね。ちょうど、写真に「来年から男児共学」という横断幕が見えています。おそらく2019年当時でしょう。
この投稿をInstagramで見る
高校時代は、漫画を書いたりフォークソングを歌ったりという自由な女子高生だったとか。もちろんマハさんの当時は女子校でした。
出身者には、原田マハさんの他に、水泳の木原光知子さん、宝塚の都姫ここさんらがいます。
原田マハさんの育った岡山と、出身小学校、出身中学校
高校の前に、出身の小・中学校はいずれも岡山市内です。ただし岡山に転居したのは小学校5年とのことで、それまでは小平にいました。
◯出身小学校:岡山市立三門小学校
所在地:岡山市北区下伊福西町5−37
・
◯出身中学校:岡山市立石井中学校
所在地:岡山市北区下伊福上町10−9
中学も小学校も隣接するような関係に見えています。
マハさんがこの区域で子供の頃、小学校の終わりことから中学にかけて、過ごしたということでしょう。
岡山市内では上記の山陽学園高校とは旭川を挟んで反対側で、JR吉備山門駅の近辺となります。
・
原田マハさんの出身大学は関西学院大学
上記のように原田マハさんは当初、関西学院大学に進学します。ドイツ文学科に入ったけれど、日本文学科に転科したそうです。
しかし後には森ビルの森社長の通訳を務めたくらいですから、マハさんに限らず自分が何が向いているかというのは、分からないものです。
関西学院大学
所在地:兵庫県西宮市上ケ原一番町1−155
出身者には、絵画家の吉原治良さんや、笑い飯の哲夫さん、大江千里さん、双子の三倉茉奈さん三浦佳奈さん、松尾諭さんらがいます。
関西学院大学が創立されたのは、明治22年になります。「関関同立」と言われるように、関西圏の著名私立大学の一つ。創立者はウォルター・R・ランバスさん。
***
原田マハさんの関西学院大学卒業直後の詳細は不明。しかし卒業の数年後にマリムラ美術館で勤務することになります。先述のように飛び込みで志願した様子です。
日本文学科卒で、ふつうに考えると美術館学芸員資格の取得は難しいと推定されるので、その辺は何らかの道があったのでしょう。いずれにしてもパワフルな方です。
・
しかしその後、1994年に早稲田大学に学士入学します。関西学院を卒業してから10年くらい経過しています。
この投稿をInstagramで見る
・
原田マハさんの二度目の出身大学は早稲田大学
上記のように原田マハさんは学士入学で、いわゆる3年時の編入学で早稲田大学の第二文学部に入ります。早稲田の第二文学部は現在はありません。
・
早稲田大学
所在地:東京都新宿区戸塚町1丁目104
早稲田の第二文学部の出身者には、市原悦子さん、永六輔さん、風間杜夫さん、田原総一朗さん、タモリさん、辺見庸さん、吉永小百合さんらがいます。
学芸員ともなって早稲田を卒業した原田マハさんは、在学中から携わっていた森ビルで、森社長の通訳をするなどして活躍ーー。
・
・
その後、40歳で独立しました。
沖縄での体験が転機となったそうですが、2005年には「カフーを待ちわびて」を執筆し、その後の怒涛のような執筆活動が始まります。
短編小説でも美術館でのちょっとした場面が心地よく描かれており、好きな作家さんです。原田マハさんの作品 (アマゾンへ飛びます)
・
熊本地震本震から5周年の5月16日、くまもと復興映画祭オープニングに参加。
ディレクターの行定勲監督「いっちょん好かん」松居大悟監督「くれなずめ」の2作品を上映。どちらも笑って泣けて、前向いて歩き出せる映画。出演した高良健吾さんも地元熊本を映画でエンパワー。映画の底力に触れた1日。 pic.twitter.com/JAi4jPrgLo— 原田マハ (@haradamaha) April 17, 2021
***
以上、簡単ですが、原田マハさんの出身校についてでした。