無名塾出身のベテラン、若村麻由美さん
若村麻由美さんの学歴と出身校について。
若村麻由美さんは、高校時代に無名塾の舞台を観て感動し、卒業後に無名塾に入ったことから爆発的に活躍してきた女優さん。今では熟年の円熟味も増して、いよいよ存在感のある役者さんととなっています。
東京都の出身で、地元といってよい地域にある私立高校、淑徳高等学校に進学し、在学中に「舞台」に目覚めて大学には進学せず、演劇の道を進むことになりました。
淑徳高等学校 ⇒ 進学せず
進学しなかったというより、進学先は無名塾と言っても良いでしょう。
若村麻由美(わかむらまゆみ)
生まれ:1967年1月3日
出身:東京都練馬区
1973年:(推定)小学校入学、6歳
1979年:(推定)中学校入学、12歳
1982年:(推定)淑徳高等学校入学、15歳
1985年:(推定)高校卒業、18歳。無名塾入学
1987年:NHK連続テレビ小説『はっさい先生』ヒロイン
1988年:『飢餓海峡』
2003年:小野兼弘氏と結婚(2007年に死別)、36歳
2008年〜『科捜研の女』風丘早月
2009年:舞台『マクベス』
2012年:『純と愛』待田多恵子
2016年:『警視庁・捜査一課長』 秋本恵利香
2018年:『半分、青い。』佐野弓子、『チルドレン』 ローズ 役
2020年:『おちょやん』山村千鳥、53歳
2021年:『科捜研の女 -劇場版』風丘早月、『老後の資金がありません!』桜井志津子
2022年:連続ドラマW『正体』 笹原浩子
その他、出演多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
淑徳高等学校時代にたまたま無名塾の劇を鑑賞し、「劇団の東大」とされる無名塾に入ったという経緯から、若村麻由美さんの強烈なパワーと、思い切りの良さ等々が垣間見見える気がします。
若くして無名塾に入った、すなわち物凄い倍率を勝ち抜いて無名塾に合格した若村さんは、まさに「舞台」に自分の未来を託していた様子。
しかし年譜を振り返ると、あまりに順調な経緯です。二十歳にして朝ドラのヒロインを堂々と演じています。
ところが、朝ドラヒロインの抜擢は、決して自ら望んだことではありませんでした。舞台に憧れて学んできた若村さんは、自ら応募したわけでなく、無名塾全員の書類が提出された結果『はっさい先生』のヒロインに抜擢されたのでした。
女優を目指している人ならば、ここで「感激、夢みたい!」というような驚きの「決定通知」かもしれません。しかし若村麻由美さんは、朝ドラヒロインになって撮影の現場に通うなら「舞台」に専念できなくなる・・・と悩んだ様子。
そこが素晴らしいのではないでしょうか。
里やの住人・セクシーさん と 愛くんの母親・待田多恵子という #純と愛 コンビです。#映美くらら #若村麻由美 #おちょやん pic.twitter.com/RdC0JhnFUI
— ひぞっこ (@musicapiccolino) January 5, 2021
若村麻由美さんの出身高校は淑徳高等学校
淑徳中学校・高等学校は設置者は、「大乗淑徳学園」で、設立は1892年という歴史を持ちます。当時の名称は「淑徳女学校」。
淑徳中学校・高等学校
所在地:東京都板橋区前野町5-14-1
現在は共学で、現在の所在地に移る以前は、小石川の伝通院境内に校舎があったとのこと。そして、当時の小石川の地には現在、別系列の「学校法人 淑徳学園」が運営する淑徳SC中等部・高等部があるということです。
ーーというと少々複雑ですが、いずれ学校法人の「大乗淑徳学園」が運営する学校には、淑徳大学や淑徳巣鴨中学校・高等学校、淑徳与野中学校・高等学校などがあります。
このように系列の大学として「淑徳大学」がありますが、淑徳高等学校は、他の大学に進む生徒の多い進学校でもあります。
現在の名称になったのは1948年のこと。高校が共学化されたのは1992年のことなので、若村さんの在学中は女子校だったことになります。
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麻由美さんは高校時代に、『ハロルドとモード 』を鑑賞しました。『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』が映画化されたのは1971年。
また日本での舞台は、1977年に国立劇場などで公演されたということ。正確なことは分かりませんが、その後、無名塾による何らかの形での『ハロルドとモード 』公演が、若村さんの高校時代である1982年〜1984年ころにあったということでしょう。
淑徳高等学校は偏差値も高い進学校ということで、若村さんも、舞台との出会いがなかったら、ふつうに大学受験に向かっていたかもしれません。
高校時代に特記事項としては、高1という年齢で日本舞踊坂東流名取となっています。大学進学とは別問題として、舞踊家となる方向性は考えていた模様。
↑朝ドラヒロインのころ
淑徳高校の出身者には若村さんの他に、宝塚歌劇団に進んだ近江輝子さんや 五嶋りささんらがいます。また女子柔道の有力選手になった方が複数います。
若村さんの小学校、中学校時代と山村留学
若村さんが高校に入る前に通学していた小学校、中学校は以下であることが分かっています。
練馬区立豊玉小学校
所在地:東京都練馬区豊玉中4丁目2−20
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練馬区立豊玉中学校
所在地:東京都練馬区豊玉南2丁目1−20
中学は地図を見るまでもなく豊玉小学校から318号線を超えて数百メートルの近所となります。
このように言わば「ふつうに」地元の公立学校に通学していたことが分かります。ただ、「ふうつ」なら体験しないだろうという事項が「山村留学」。
なんと小学校5、6年生の時に、あえて長野県の小学校に転校し、自然の中を思い切り走り回るような生活で過ごしました。その地域では、通学路は3キロは優にーー。
小学校まで、3キロ、4キロなどの道のりがあるというのは、地方では決して珍しくない(なかった?)話と思われます。しかし現在では、小学校の統合などがあると、安全に配慮してスクールバスで送迎があったりしますから、3、4キロの距離を歩いて通学する児童は少なくなっているでしょう。
その山村留学(ホームステイ)で若村さんは、ホームステイ先のお手伝いをして農作業を行ったり、キャンプをしたり、当初はホームシックに陥りながらも、大自然に触れて過ごす期間を楽しんだそうです。
麻由美さんが通学した学校は、長野県大野町の八坂小学校でした。
八坂小学校
所在地: 長野県大町市八坂1090
現在の地図を見ても、広い広い景観がダイナミックに広がっています。
東京の練馬区でとんかつ屋さんを営んでいたというご両親が、長期的視野でお子さんを育てていたということでしょう。
そして小学校、中学校時代の若村さんの特筆事項がもうひとつ。
日本舞踊を習っていたこと。それも、週三くらいの頻度で。
↑13歳のころだそうです。
礼儀作法、畏まった場での身のこなし方等々、日舞から学んだものは大きかったことでしょう。それが先述のように、高1で日舞の名取となるという快挙に繋がります。当時、最年少での名取だったと言われます。
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若村麻由美さんの出身大学はなし(無名塾へ)
このように大学進学を止めて劇団の無名塾に入った若村さんです。
入ったと言っても、希望したら入れるような塾ではありませんでした。入塾審査を突破するには、非常に高い倍率をクリアして、残らなければなりません。
無名塾は、よく知られるように俳優の仲代達矢さんの自宅が稽古場となっています。
無名塾
所在地:東京都世田谷区岡本1丁目6−2
閑静な住宅街の、お洒落な佇まいです。東名高速を挟んで、世田谷美術館などのある砧公園も近くに。
無名塾の公式サイトには「無名という言葉には、どんな役者でも無名に戻ったつもりで修業に帰ってこられる場所という意味も込められています」との記述があります。
自発的に始まった「塾」ですが、公募を始めたのは1977年。2期生(1978年入塾)だったのが役所広司さん、4期生(1980年入塾)で益岡徹さん、という錚々たるメンバー。
さらに1985年になって、9期生で入ったメンバーの一人が若村麻由美さんでした。
無名塾ではコースは3年間で、最初の1年でプロとしての適性が見極められるということ。そしてプロの可能性のあるメンバーが、さらに2年養成されるーーということで、若村さんは、この一員であった時に、朝ドラ『はっさい先生』のヒロインに選ばれた、ということになります。
選ばれてもご本人は喜ぶどころか、どのように断ったらいいか仲代氏に相談したというのですから、かなり斜め上の展開にも見えます。
こうして、朝ドラヒロインとなり、その後も、映画にドラマに、幅広い演技を見せてきました。
若村さんが2003年に宗教家の小野兼弘氏と結婚したことは、当時、かなり話題となりました。その後数年間、仕事量を減らしたような形になりましたが、小野氏が2007年に急死された後、次第に出演等が増えています。
「科捜研の女」シリーズでは、ずっと変わらずマリコ(沢口靖子さん)を支えて、いい仕事ぶりを見せてくれます。科捜研のドラマも長いのですが、このドラマに来れば、若村麻由美さんもいる、というような安心感もあります。
2021年には再度、朝ドラ『おちょやん』でたくましい姉さんぶりを見せてくれました。
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以上簡単ですが、実力派の若村麻由美さんの出身校についてでした。