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多彩な活動、オードリーの若林さん
若林正恭(わかばやしまさやす)さんの学歴と出身校について。
若林正恭さんは、春日俊彰さんとオードリーでコンビを組むお笑い芸人さん。俳優業なども多くなっています。東京都の出身で、日大の系列校である日大二高から、日大ではなく東洋大学に進学しました。
日本大学第二中学校・高等学校 ⇒ 東洋大学
日本大学に内部進学しなかったのは、高校時代に勉強をしなかったので、成績が芳しくなく「内部進学の枠」に入れなかったと、 ご自身は語っています。
ちなみに中学校も、高校が繋がっている学校( 日本大学第二中学校)でした。
その前に小学校は、中央区の 明石小学校へ通っています。小学校時代の大半は、中央区のいわゆる「築地」界隈で過ごしたとのこと。
小学校の終わり頃に杉並区に引っ越したことと、日本大学第二中学校・高等学校へ進学したことは、当然ながら地理的に関係あると思われます。
若林正恭さんは、春日俊彰さんと、中学時代に知り合いました。中学・高校と一緒に過ごした二人ですが、大学は春日さんが日大、若林さんが東洋大学へ。
若林正恭(わかばやし まさやす)
生まれ:1978年9月20日
出身:東京都
1985年:(推定)小学校入学、7歳
1991年:日本大学第二中学入学、13歳
1994年:日本大学第二高校入学、16歳
1997年:東洋大学入学、19歳
2000年:春日俊彰と「ナイスミドル」結成
2001年:東洋大学卒業、23歳
2005年:コンビ名を「オードリー」に改名
2008年:『M-1グランプリ』準優勝、30歳
2013年:『終電ごはん』主演・マサヤス、35歳
2014年〜『しくじり先生 俺みたいになるな!!』担任
2014年:『ひまわりと子犬の7日間』日本アカデミー賞話題賞
2018年:『若林&指原のいま部屋探してます』
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』で斎藤茂太賞受賞、40歳
2019年:一般女性の方と結婚、41歳
2022年:『上田若林の撮れ高』冠特番
2023年:『だが、情熱はある』にて髙橋海人さんが若林さんを主演、45歳
その他、出演等多数。
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。。
『0じゃない可能性に自分で0を掛けている』人間は、 生きるのにふさわしくない。
— 前向きな言葉 (@maemukikotoba1) December 11, 2020
若林正恭(オードリー) pic.twitter.com/CFB8R6vfOH
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若林正恭さんの出身高校は日本大学第二(出身中学も)

出身中学も出身高校も、日本大学第二中学校・高等学校
若林正恭さんの出身高校は日本大学の系列校で、正式名が「日本大学第二中学校・高等学校」。
若林さんは中学から、すなわち日本大学第二中学校からこちらに通っています。日大二高が共学となったのは、1997年なので、在校当時は男子校でした。
あえてJRの駅で見るなら阿佐ヶ谷駅が一番近いことになります。
日本大学第二中学校・高等学校
所在地:東京都杉並区天沼1丁目45−33
余談ながら阿佐ヶ谷姉妹の渡辺江里子さんはやはり阿佐ヶ谷在住。
こちら「第二」の中学、高校は系列校のなかでも進学校で、生徒の3割が内部進学で日本大学に進学とのこと。
ちなみに日本大学高等学校というシンプルな名前の高校は、横浜にあり、斎藤司さんは日大高校(俗に日吉日大とも呼ばれる)の出身者です。
日本大学の系列校、「特別付属」の中高
ところで日本大学というのは巨大組織なので、その系列校も多々あります。そして系列の仕方も少々複雑で、「学校法人日本大学」に対して、「正付属」「特別付属」「準付属」というふうに、付属の仕方が異なります。
それによって、いわゆる付属高校の名前もたとえば、世田谷区にある日本大学櫻丘高等学校(正付属)、文京区にある日本大学豊山高等学校(正付属)、というように「正付属」の分類では日本大学の次に高校名が付きます。
日本大学第二高等学校は「特別付属」で漢数字のつく関係。
墨田区の日本大学第一高等学校や、町田市の日本大学第三高等学校などとともに、特別付属高校となります。
もう一つの、「準付属」は長野県の長野日本大学高等学校、茨城県の土浦日本大学高等学校、北海道の札幌日本大学高等学校などのように、地名が頭に付いています。
多々の系列高校があります。ここまで若林さんのことでなく日大関係校について付記でした。
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ちなみに多くの芸能人を輩出してきた 日出高校も、現在は、目黒日本大学中学校・高等学校となっています。ともかくさすが巨大組織の日大では、関係する高校も多く関係の仕方も多様だという話でした。
一般的には甲子園出場校などで、分類はともかくとして、日大三高とか土浦日大等々の名前を耳にした、というそんな印象ではないでしょうか。
高校時代のアメフトと勉強と・・
いずれにしても若林正恭さんの出身高校、 日本大学第二高等学校は、成績の上位者は日大に進学するとのことで、若林正恭さんの場合、それが叶わなかったそうです。
若林さんは中学時代はラグビーで、高校時代はアメリカンフットボールで活躍。ラグビーではポジションはスクラムハーフで、関東大会に出場するほどの実力があったそう。
アメリカンフットボールではポジションはランニングバック。チームはベスト4にも入る実力がありました。
ちなみに相方の春日俊彰さんとは、中学からの同級で、高校のアメフトでは同じ部活。二人は度々、スーパーボウルのPR大使に任命されてきました。
アメフトの実力は、春日さんより若林さんのほうが上だった様子。
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若林さんは高校時代に、お笑いの世界に憧れており、あまり勉強はしなかったとのこと。
上記のように内部進学はできずに、東洋大学を受験することになりました。こう記すと東洋大学のほうが日大より安易なようですが、あくまでも個別にこちらのケースでは内部進学は不可だった、という話です。一般論ではありません。
【日大二高の大学合格実績】を、2022年のデータで確認しました。「スタディ高校受験」よると以下となっていました。
国立大学
お茶の水女子大学 1名
京都大学 1名
東京医科歯科大学 1名 など15名
私立大学
青山学院 15名
学習院大学 14名
中央大学 38名
早稲田 11名
慶応 2名
上智大学 9名
日本大学 324名 など(一部抜粋)
日本大学第二高等学校の出身者には、元近畿大学総長の世耕政隆さん、小説家のねじめ正一さん、脚本家の中園ミホさん等がいます。
また、女優の松坂慶子さん、木内みどりさん、伊藤蘭さん、安藤玉恵さん、おのののかさんも当校の出身者です。
若林さんの出身地と出身小学校
若林正恭さんは上記のように、築地界隈で育ったことが知られています。出身の小学校は明石小学校となります。
中央区立明石小学校
所在地:東京都中央区明石町1−15
じつはこちらの小学校の歴史は古く、なんと大正15年に建てられた「築83年」というたいへん貴重な「鉄筋コンクリート製校舎」。
木造だった創立は明治時代のこと。近隣に聖路加病院も見えており、にぎやかな一帯でありながら、静かな佇まいとして注目されました。
関東大震災後の復興という時代の流れもあったようです。
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若林さんは、こちらから上記のように、杉並区に移ったことが知られています。最後の一年は、いわゆる越境通学でこちらの小学校を卒業しました。
出身大学は東洋大学、文学部第2部国文学科
このような経緯で若林正恭さんは、東洋大学の「文学部第2部国文学科」に入学し、卒業しました。第2部という表現は、各大学においてもほとんど残っていないようで、現在はイブニングコース等と呼ばれます。
東洋大学は都心に白山キャンパスがあります。
東洋大学
所在地:東京都文京区白山5丁目28−20
ちなみに、第99代内閣総理大臣の、菅義偉氏は、法政大学二部(夜間部)に進学したことが知られています。← 菅義偉氏について、夜間部ではなかったという説が有力となりました。
時代を遡るほど、要するに昔は、経済的な事情で二部に進学する方は多かったようです。しかし現在では学生の事情も個々により多様になり、経済的事情はむしろ一部のケースと言えます。
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昔は、大学にも学部にもよりますが、比較的「二部」のほうが入りやすい傾向はあった様子です。しかし、しかし・・と思ったからの以下の話題なのですがーー
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それでと言うか、以下は、いや、「そんなことあっていいの?」と言うべきかーー。
若林さんが2015年放送(2015年10月10日)の『オールナイトニッポン』で自ら語ったエピソード・・・
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テレビ局員と一緒に飲んでいた時、いわゆる「テレビ局員」には名門大学卒業の人が多いそうで、その時も、慶応大学が1人、早稲田大学が3人、同志社大学1人とかいう面々。
出身大学の話になり、若林さんにも「どこですか?」という質問が飛んできて「東洋大学の夜間学部です」と伝えると、 聞いた飲み会一同は大爆笑したーー
というのを、若林さんは「笑ってもらっていいんだけど」と話した始めたそうです。(元ネタは「ライブドアニュース」detail/10697476/ より)
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いやいや、話の前後もその場の人間関係も分かりませんがーー。
人に出身大学を聞いて、爆笑するなんていう失礼な人がいるのでしょうか。テレビ局で働く方々のキャラクターに、むしろ奇妙な疑問をいだいてしまった逸話でした。
ともかく若林さんは、高校時代からお笑いを目指していたのですから、それはそれ。
上の項の年譜にありますように、学生時代にコンビを組んで、お笑い芸人を目指しています。最初は売れなかったのは、世の常でしょう。
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2008年の『M-1グランプリ』準優勝を期に、知名度も爆発的に上がってきました。今や、この顔を知らない人はない状態です。
2019年の「いい夫婦の日」に、15歳下の26歳の方と結婚しました。交際3ヶ月のスピード婚とのこと。
その後、若林は結婚にいたるまでの経緯を説明。3月末くらいに出会ったようで「8月に付き合うことになったね。カッコいいなと言われちゃうかも知れないけど『ダラダラ付き合うつもりはないんだけど、オレと付き合ってください』って言ったね」と交際にいたったと明かした。交際から3ヶ月でのスピード婚となった。(https://www.oricon.co.jp/news/2149423/full/ より)
相手の方は看護婦さんだそうです。
さらに2023年にはご本人たちのエッセイを元にしたドラマ『だが、情熱はある』にて高橋海人さんが若林さんを演じ、話題となりました。
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このように、今や多方面で活躍するオードリー若林正恭さんの出身高校、出身大学などの経緯でした。お読みいただきありがとうございました。