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学生時代に粗品さんとコンビを組んだせいやさん(霜降り明星)
せいやさん(霜降り明星)の学歴と出身校についてご案内します。
霜降り明星のせいやさん(本名:石川晟也 いしかわせいや)さんの出身校は、小学校から大学まですべて明らかとなっています。
東大阪市の出身で、子どもの頃から漫才に挑戦し、ときにはいじめを受けながらも、お笑いの力で跳ね返してきたような半生が、今では著名となっています。
公立の小・中学校を経て、地元の布施高校に進み、大学は近畿大学を卒業しました。
大阪府立布施高等学校 ⇒ 近畿大学
大学時代にも、はじめはプロになるつもりはなく漫才をしていましたが、霜降り明星の相方である粗品さんから誘われ、コンビを組むことになりました。
当時、粗品(佐々木直人)さんのほうがすでに評価されていたこともあり、コンビの格差を感じることもあった様子。
しかしその後、霜降り明星は2018年の『M-1グランプリ』で優勝するなどの活躍を続け、せいやさん自身も芸能界において確かな評価を得ています。
昨今ではドラマや企画番組などでも活躍が目立ってきました。
せいや(本名:石川 晟也いしかわ せいや)
生まれ:1992年9月13日
出身:東大阪市
1999年:(推定)鴻池東小学校入学、7歳
2004年:アマチュア漫才大会で優勝
2005年:(推定)盾津中学校入学、13歳
2008年:(推定)布施高校入学、16歳
2010年:ハイスクールマンザイ2010に「ドンパルトン」として出場
2011年:(推定)近畿大学入学、19歳
2013年:1月「霜降り明星」を結成、
2015年:近畿大学卒業、23歳
2017年:『ABCお笑いグランプリ』で優勝、25歳
2018年:『M-1グランプリ』2018で優勝、26歳
2019年:『ものまねグランプリ』優勝、『HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル』
2020年:『せいやのエプロン』、『テセウスの船』 田中正志
2022年:『ラブ!!Jリーグ』MC、『爆問×伯山の刺さルール!』、30歳
2023年:『免許失効せいやが行く!一泊二日サイドカーの旅』、元CAの女性と結婚、31歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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せいやさん(霜降り明星)の出身高校は大阪府立布施高等学校
せいやさんは、地元の府立高校である布施高等学校に進学しました。
高校時代は、せいやさんにとっては、いじめを受ける体験もあり、一方でそれを跳ね返してお笑いで拍手を浴びたような、いわば成功体験をも得た貴重な時期と言えそうです。
大阪府立布施高等学校
所在地:東大阪市下小阪3丁目14−21
同校は旧制中学だった時代のある歴史ある高校です。
1942年の開校当時は「大阪府立第十七中学校」でした。
同校のすぐそばに、司馬遼太郎記念館が見えています。
ちなみに、東大阪市に隣接するのが八尾市で、八尾市の出身で八尾高校出身であるのが、青木崇高さんです。
【大阪府立布施高等学校の大学合格実績】は「みんなの高校情報」に寄りますと、2022年の例で以下となっています。
近畿大学 64 人
摂南大学 44 人
関西大学 41 人
龍谷大学 38 人
大阪経済大学 17 人
大阪工業大学 15 人
武庫川女子大学 14 人
大阪教育大学 2人
和歌山大学 2人(その他多数)
この例でも合格者数でトップに来ている「近畿大学」に、せいやさんは進学しました。
地理的に言うと、布施高校は同じ東大阪市の近畿大学と、大変近い関係であることが分かります。
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せいやさんは、高校時代に自分も出場した『ハイスクール漫才』について、後に「第38回ABCお笑いグランプリ」で優勝した2017年のインタビューで、以下のように答えました。
そのころせいやさんは、すでに「スペード」というコンビで決勝に進んだ粗品(佐々木直人)さんのことを、同じ高校生として意識していました。
僕は全然興味なかったんですけど、スペードっていう2009年に大阪で決勝行ったこいつのコンビが、有名なったんですよ、高校生の間で。
僕も小学校から漫才をしてて、お笑いクラブみたいなのに入ってたんで。だからちょっと、倒したいなって思って、始めたんですよ。
(https://www.highschool-manzai.com/blog/2017/07/ より)
そして粗品さんもまた、せいやさんを意識し始めたようで、ある時「イオン賞」を取ったせいやさんに、やじを飛ばしていました。
↓ここでは、「こいつ」というのが粗品さんです。
・・(略)・・そしたら、スペードがめちゃくちゃうけてたんですよ。これスペードやな、って。僕ら40組40番目。ほな結構ウケて、僕らイオン賞取ったんですよ。
そしたら群衆から「おもんないぞー、バタバタバタ」って聞こえて、しょうもなって思ったら、こいつやったんですよ。
(同上)
なお、二人は「ハイスクール漫才に応募しようか迷ってるような高校生がいたら・・」という質問には、どちらも、迷っているくらいなら出たほうが良いと答えています。
ところで、高校時代にいじめを撥ねつけたことは有名になっていますが、その体験から当時のせいやさんは、自分は学校の先生になろうという考えもありました。
こちらは近畿大学関連の記事。
・・・結果として、僕が渾身のコントを披露して、大ウケして。それがきっかけでイジメを跳ね返せました。そんな経験を活かせたりしたらいい先生になれるんちゃうかなっていうのがあったんです。
(「史上最年少 M-1王者・霜降り明星せいやのルーツに迫る!」より)
自分の辛い体験も「いい先生」になって活かそうという真面目な高校生の姿が浮かんできます。
せいやさん(霜降り明星)の出身地東大阪市と出身小学校、出身中学校
ここで子どもの頃に、時間を遡ります。
東大阪で生まれ、育ったせいやさんは、小学校も中学校も、そして高校も大学も自宅から通える範囲であったことが分かっています。
だから僕、小・中・高・大と全部、自転車で通いました。電車通学一切なし(笑)。高校も布施高校なんで、高校時代はずっと近大を見ながら「ええな~」と思ってました。
(https://kindaipicks.com/article/001659 より)
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(ご本人に寄る小さいときの写真)
出身小学校:東大阪市立鴻池東小学校
所在地:東大阪市東鴻池町5丁目7−20
こちらの小学校からほとんどの児童が盾津(たてつ)中学校に進学するそうです。
小学校時代のせいやさんは、「お笑いクラブ」に入っており、「中島ミート」としてテレビ番組に出たり、小学校6年生でアマチュアの漫才大会で優勝したり、お笑いにのめり込むような体験をしています。
出身中学校:東大阪市立盾津中学校
所在地:東大阪市新庄南1−33
こちらは中学ながら、せいやさんの他に審良静男氏や、月亭可朝 さん、吉本泰輔さんらの出身校です。
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せいやさんは、中学時代には生徒会長をしていたとのこと。
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(中学校卒業時?)
小・中学校時代のせいやさんは、漫才をしてそれが受け入れられ、まだ高校時代のようないじめもなく、おそらくのびのびと、自信をつけていたように見えます。
想像になってしまいますが、そのような土台があったからこそ、高校時代にも周囲に潰されなかったのかもしれません。
せいやさん(霜降り明星)の出身大学は近畿大学
このようにせいやさんは近畿大学に進学しました。
近畿大学の記事によりますと、「近大を選んだのは公募推薦があったのも大きかった」とのことで、公募推薦で、合格を勝ち取ったそうです。
僕の場合、夏まで「ハイスクールマンザイ」をやっていたので、まともに受験勉強をしていないわけですよ。
これはやばいなと思っていたので、受験科目を英語と国語の2教科だけに絞りました。
・・(中略)・・
公募推薦に命かけてたので、落ちてたら僕、この世にいなかったですよ(笑)
(https://kindaipicks.com/article/001659 より)
近畿大学は、ご存知のマンモス大学の一つ。
1925年に開校した当時は「日本大学専門学校」でしたが、1940年に日大から離れた形で、1944年には世耕弘一氏が事実上の創設者とみなされる形に収まりました。
近畿大学
所在地:大阪府東大阪市小若江三丁目4番1号
地図上で、布施高校との直線距離は1キロ程度に見えます。せいやさんが小学校から大学までずっと自転車で通学したというのも、なるほど頷けます。
近畿大学の現在の学部は以下の通り、多岐にわたる総合大学となっています。
情報学部
法学部
経済学部
経営学部
文芸学部
総合社会学部
理工学部
建築学部
薬学部
農学部
医学部
生物理工学部
工学部
産業理工学部
国際学部
せいやさんは、大学では文芸学部の文化学科でした。
升毅さんのページにもあるように、近畿大学は学生数が多いことも卒業生が多いことも、特徴となっています。「近大マグロ」も有名。
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結果として、せいやさんは大学時代(2013年1月)に粗品さんとコンビを組むことになります。粗品さんのほうから誘った形で、最初のうちは、周囲の芸人さんから「粗品が連れてきた得体の知れない奴」と思われ、辛い時期もあったもよう。
漫才の仕事が始まったことで、大学の卒業も決して簡単ではありませんでした。しかし、きちんと卒業しました。
そのころ、相方の粗品さんは同志社大学を中退しており、それ故の迷いや、諸々をかかえていたようです。
ーーせいやさんがお笑い一本でやっていく決意をされたのは、さっき言っていた3年生の頃?
せいや:3年生になる少し前ですかね。そこで決断したけど、たしか、教職課程をやりながらだったと思いますね。
たぶん、まだ迷ってたんちゃうかな。教職を捨てるのがもったいないと思って。親は「教員免許を取って、それで芸人なったらええんちゃうの」って言われていましたし。
(https://kindaipicks.com/article/001659 より)
しかし、せいやさんは漫才の仕事も務め、大学も卒業し、しだいに「霜降り明星」として著名になっていきました。
その後、『M-1グランプリ』2018で優勝した時は「最年少記録」を打ち立てました。
Mー1グランプリ2018面白すぎる!! pic.twitter.com/Iqbgt8X83c
— ハヤタキ (@hayataki_221) November 17, 2022
その後、2020年の「霜降りバラエティ」にては、実家を購入という企画(?)がありました。
「これからは大学の奨学金400万円と4000万円のローン背負ってお笑いやるので震えながらボケます」とのこと。
あらためて、大学も奨学金を受けながら学んでいたことが分かります。
家族思いの温かい姿も感じられます。
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(「テセウスの船」では重要な役どころでした。竹内涼真さん、鈴木亮平さんとともに・・)
2023年には、結婚も、お子さんの誕生も明らかとなりました。
今後はいつの日か、いじめを撥ねつけてお笑いの道を進んできた足跡が、著作となることでしょう。
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以上、簡単ですがせいやさん(霜降り明星)の出身校についてでした。お読みいただきありがとうございました。