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何を演じても「有村さんらしさ」が漂う女優・・
有村架純さんの学歴と出身校についてご案内します。
有村架純さんは、今を代表するような若手女優として活躍中。2023年の大河ドラマ『どうする家康』では築山殿を演じており、やはり流石の、爽やかな築山殿で、ユニークな構成となりました。
著名人ゆえか、自らの公表ではないものの、すでに出身の小学校から高校まで公にされています。
概して言えば、小学校から高校までほぼ伊丹市の学校で過ごし、高校の後半に、芸能コースのある日出高校に転学しました。地元での高校は県立伊丹西高校。
東京での日出高校の芸能コースは、生徒に所属する事務所があることが前提。高校時代の2009年に、有村さんがFLaMmeのオーディションに合格してからの移動となりました。
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芸能生活を志していたので、日出高校のあと、大学等には進学していません。
兵庫県立伊丹西高等学校 ⇒ 日出高校 ⇒ 進学せず
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大学進学について着目すると、その後に演じた『ビリギャル』が反響を呼びました。物語の中とはいえ、ビリだった(?)高校生が、劇的に慶應大学に合格を果たした「さやかちゃん」は多くの人の目に残りました。
有村架純さんはその後の活躍も幅広く、人気女優だけの結婚についてもたいへん気になる存在となっています。
有村架純(ありむらかすみ)
生まれ:1993年2月13日
出身:兵庫県伊丹市(その前は奈良県)
1999年:(推定)小学校入学、6歳
2000年?:(推定)伊丹市に転居、8歳ころ
2005年:(推定)伊丹市立西中学校入学、12歳(この頃ご両親の離婚)
2008年:(推定)伊丹西高校入学、15歳
2009年:年末にオーディション合格、16歳
2010年:4月から日出高校に転学、17歳。『ハガネの女』ドラマ初出演
2011年:(推定)日出高校卒業、18歳。『ギャルバサラ -戦国時代は圏外です-』映画初主演、『11人もいる!』
2013年:「伊丹市大使」に任命、連続テレビ小説 『あまちゃん』春子の若い頃、20歳
2014年:『思い出のマーニー』 マーニー
2015年:『映画 ビリギャル』主演(翌年日本アカデミー賞優秀主演女優賞など)、『永遠のぼくら sea side blue』、22歳
2016年:『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』主演、『夏美のホタル』主演、紅白歌合戦の紅組司会者、23歳
2017年:連続テレビ小説『ひよっこ』主演みね子 、『ナラタージュ』、紅白歌合戦の紅組司会者、24歳
2018年:『中学聖日記』末永聖
2019年:『フォルトゥナの瞳』桐生葵
2020年:『有村架純の撮休』本人、『姉ちゃんの恋人』安達桃子、27歳
2021年:『コントが始まる』中浜里穂子、『花束みたいな恋をした』 八谷絹、『前科者 -新米保護司・阿川佳代』主演、28歳
2022年:『石子と羽男-そんなコトで訴えます?』 石田硝子、『月の満ち欠け』正木瑠璃、29歳
2023年:大河ドラマ『どうする家康』築山殿、『ちひろさん』ちひろ、30歳
2024年:『海のはじまり』百瀬弥生、『ディア・ファミリー』山本結子、『さよならのつづき』坂口健太郎とW主演、31歳
その他出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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【有村架純】
— 有村架純画像集 (@kasumi_pic) June 29, 2022
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有村架純さんの進学した先は兵庫県立伊丹西高等学校
有村さんが入学し、芸能生活に入るために途中で転学した、もとの高校は兵庫県立伊丹西高等学校であることが知られています。
こちらは創立が1979年という比較的新しい高校です。総合選抜の入試が2009年に廃止されたということで、架純さんの入学が2008年なので、そんな変動の直前だったと考えられます。
兵庫県立伊丹西高等学校
所在地:兵庫県伊丹市奥畑3丁目5
そもそも伊丹市とはどこかと言うと、地図のように豊中市とも尼崎市とも接している兵庫県の都市で、空港に近い地域となります。
新納慎也さんらの出身校である「鈴蘭台高等学校」を思い出すような位置でした。
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【兵庫県立伊丹西高等学校の合格実績】を見ると、近年(2021年)で、国公立大学4名、関関同立15名、産近甲龍で79名ということでした(スタディ高校受験による)。
出身者にはシンガーソングライターのNAOさん、YouTuberで参議院議員となった東谷義和(ガーシー) さんらがいます。
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有村架純さんは高校時代はどんな女子高生だったのでしょう?
『ビリギャル』のインタビューでは以下のように答えているのですが・・
ちなみに架純さんの人となりを端的に著している言葉が、2015年4月の記事【有村架純インタビュー 主演映画『ビリギャル』への思い】(https://plus.tver.jp/news/32759/detail/)にて、散りばめられていました。
私もさやかと同様“リア充”でした(笑)。
地元の高校に通い、アルバイトもしたし、友達とカラオケやボーリングに行ったり、公園でのんびりしたりと青春を満喫していました。あとは、中学校時代の仲がよい友達と、高校生になったらみんなで旅行に行こうって計画を立てて、アルバイトを頑張りました。
(https://plus.tver.jp/news/32759/detail/3/ より)
遊んだり、アルバイトをしたりの場面を想像すると、ある意味、ふつうの高校生とも言えそうです。
しかし後述しますが、本当は女優を志して上京資金を貯めるためにもアルバイトをしたり、オーディションに落ちても諦めずに挑戦したり、たくましい高校生でもありました。
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また上京が決まった時は、友人たちにそれまで自分の夢を伝えていなかったので、驚かれ、寂しいと泣いてくれたそうです。「いつ会っても、私が女優になる前に一緒に過ごしてきた時間を忘れないでいてくれるので、とても気持ちが楽です」と、『ビルギャル』のころの取材にて答えています。
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有村架純さんの出身地伊丹市と、出身小学校、出身中学校
伊丹西高校から日出高校に転校した話の前に、有村さんにとっての出身地になる「伊丹市昆陽(こや)」あたりについて。
冒頭のようにすでに、伊丹市立稲野小学校と伊丹市立西中学校が出身校として知られています。両校の間はほんの数百メートルで、小・中学校の学区として当然ですが、この辺りの地元にて小学生、中学生だった有村さんが通学していた・・・そんな様子が想像されます。
実際、この昆陽池(こやいけ)公園の近くに住んでいたと、2013年に「伊丹市大使」に任命された頃のインタビューで答えています。
有村さんは同市生まれで、市立西中学校卒業、県立伊丹西高校に2年生まで通った。伊丹大使には、これまでプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手らが就任しており、17人目となる。
・・(中略)・・
また、思い出深い場所として昆陽池公園を挙げ、「白鳥にパンをあげたりして、友達とよく遊んだ」と懐かしんでいた。
(https://web.archive.org/web/20131219192257/http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201312/0006582845.shtml より)
両校を地図で見るとなるほど、昆陽池(こやいけ)公園が目印になるような地域です。じつは上記の伊丹西高等学校もこの近隣となります。
高校受験が総合選抜の形式だったことと関連しているかもしれませんが、いずれ架純さんは、小学校から高校の途中までこの地域で過ごしていました。
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◯出身小学校:伊丹市立稲野小学校
所在地:兵庫県伊丹市昆陽1丁目175
◯出身中学校: 伊丹市立西中学校
所在地:兵庫県伊丹市昆陽東4丁目2−5
上記の稲野小学校もこの地図で、すぐ近くに見えています。上野樹里さんはやはり兵庫県出身で、西寄りの加古川市が地元となります。
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じつはこちらの伊丹市は、有村架純さんの生まれたところではありません。
公式の発表にはないものの、幼稚園は奈良県香芝(かしば)市の五位堂幼稚園に通っていたという説や、入学した小学校は香芝(かしば)市の五位堂小学校ではないか、という情報も見られます。
つまり卒業したのは伊丹市立稲野小学校ながら、入学したのは香芝市の小学校と推測されます。確定できないため、確かなことが分かり次第追記します。
ほんまやー、五位堂幼稚園やー!!
— AL-MAG-TO-NA (@xxxyushoxxx) December 3, 2015
自分も同じところに行ってたなんて、、
自分にとっての誇りです。笑
有村架純先輩っす。笑笑 pic.twitter.com/0eV2USbyNQ
ちなみに、五位堂幼稚園のある香芝市とは、奈良県でもやや南下した所ーー。
五位堂幼稚園
所在地:奈良県香芝市五位堂2丁目345−1
そして余談ながら、大阪芸術大学のキャンパスが意外と近かったりします。
いずれにしても、ご本人が公開しているわけではありません。しかし、もろもろのツイートなどに見られるよう、「奈良県の香芝市から兵庫県の伊丹市に転居」したことは確実と見られます。
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少し古い記事ですが2014年5月の「女性自身」(有村架純 血まみれでも平然…天使の笑顔に秘めたド根性時代)によると、伊丹市で最初は、両親と3歳上の姉( 有村藍里さん)との家族4人で暮らしていたそうです。
「架純ちゃんは活発な女の子でね。お姉ちゃんも可愛いくて、美人姉妹と評判でした。
お母さんも北川景子似のべっぴんさんで、髪型は聖子ちゃんカット。品のいい感じの女性でした。夫婦共働きで、お母さんは朝になるとビシッとしたスーツ姿で出勤。
(https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1610533/ より)
同じ記事では、架純さんが中1のときにご両親が離婚したことが記されています。一軒家を手放して、母親と姉と3人暮らしのマンションへ。
そして架純さんは中3くらいから女優を志していたとのことーー。
芸能事務所に応募書類を送りながら、トレーニングやレッスンにも参加していた有村。
そのいっぽうで上京のための資金作りにも奔走。高校1年生から週6日でアルバイトを始めた。(同上)
架純さんがアルバイトしていた蕎麦屋の店主さんのコメントに寄ると「平日は学校が終わってから4時間、休日は朝から10時間。時給は1千円で週3日働いてくれました。すし店でも週3回掛け持ちしていたそうです」とのこと。
有村さんの魅力は素敵な洗練された女性像だけにあるのでなく、時には線の太い、肝の座った女性像に実るようです。それを考えると、中学、高校時代からのこんなひたむきな姿勢が、人としての根底にあるのかもしれません。
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また、『ひよっこ』が放映された2017年4月のインタビューでは以下のような記述もあります。
有村が小学2年生のとき、新築の一戸建てで暮らし始めた。
引っ越して来たときから、美人姉妹として評判でした。お父さんもカッコいいし、お母さんも美人。架純さんは活発な子で、よく家の前の道路で学校の友達と遊んでいました。・・(中略)・・人生の転機は小学4年生のときだ。両親が別居し、姉とともに母親に引き取られた。
(https://news.livedoor.com/article/detail/12975407/ より)
さらに、高校時代にアルバイトしていたお寿司屋さんは「真面目にやってくれて、お客さんからの評判はよかった。上京するときは家族で空港まで見送りに行きましたが、こんなに有名になってくれるなんてね」とコメントしていました。
掛け持ちしていたバイトの、寿司屋さんもお蕎麦屋さんもともに褒めている(!)という、そんな素敵な有村架純さんでした。
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さらにもう一つ。2021年8月に出演したフジテレビの『ボクらの時代』では、國村隼さんとの会話で、「よくグレへんかったな」という國村さんのこんな言葉がありました。
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有村:母親を支えていかなきゃいけないし、姉も守っていかなきゃみたいな。何か、自分が父親代わりにならなきゃみたいな意識がすごくあって。そこからは、自分の考え方だったりとか、小学校4年生くらいからいろいろあったんですけど…國村:え?小学校4年からそんなこと考えてたの?
有村:そうですね。そういう意識が芽生え始めてきて。家もいい雰囲気ではない時期が続いて、学校の友達関係もうまくいかず・・
國村:よくグレへんかったな
(https://www.fujitv-view.jp/article/post-346968/ より)
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有村架純さんの出身校は日出高校
オーディションに繰り返し挑戦した結果、伊丹西高校2年の12月に、FLaMmeのオーディションに合格した有村さんは、翌年の2010年には日出高校に転学し、高校生の立場でドラマ『ハガネの女』でハガネの教え子の西堀マナを演じました。
高校は無事に卒業しているので、2011年3月の卒業であると考えられます。
日出高校は繰り返しご案内しているように、次のような変遷を辿りました。
日出高等女学校(1921年)
↓
日出女子学園高等学校(1948年 )
↓
日出高校(2001年)
↓
共学(2005年)
↓
目黒日本大学中学校・高等学校(2019年)
現在はいわゆる「目黒日大」と呼ばれる高校となっていますが、在学した2010年前後はすでに共学校であり、多くの現在活躍中の方たちが在学した時期でもありました。
たとえば仲野太賀さんは生まれが1993年2月7日ですから、1993年2月13日生まれの有村架純さんとは同級生の年齢で、実際、日出高校の同期となります。
有村さんは一年しか在学しなかったわけで、日出高校にも諸々の状況の生徒さんが通う中、「同級」の意味あいがどんな様子だったか、当事者でないと想像がつきません。
しかし各々に芸能と学業を両立させるメンバーが集っていたことは確かでしょう。竹内涼真さんは1993年4月26日生まれなので、日出高校では有村さんの一級下だったと思われます。
さらに『花束みたいな恋をした』で共演した菅田将暉さんも同じ時期に日出高校に所属していたと考えられます。
目黒日本大学高等学校
所在地:東京都目黒区目黒1丁目6−15
高校を卒業した2年後の2013年には、有村さんは「伊丹市大使」に就任し、あの 『あまちゃん』にて小泉今日子さん演じる「春子」の若い頃の姿が、強烈なインパクトを残しました。
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なにかと話題を呼んだ『あまちゃん』でした。ヒロインののんさん(もと能年玲奈さん)の存在感もさることながら、出演回数が少ないながら、ほとんど回想シーンで田舎の駅から旅立つ姿が繰り返された有村さんが、視聴者には大きな印象となったのでした。
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日出高校(現在の目黒日本大学高校)のクラスは、上野樹里さんのページにありますように、進学クラス(2コース)と芸能スポーツクラス(2コース)に分かれています。芸能スポーツクラスのなかの「芸能クラス」に転校したと考えられます。
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(2024年の『さよならのつづき』のNetflixプリレセプションにて)
有村架純さんの出身大学はなし
上記のように、女優としての道を明確に決めていた有村さんは、大学には進学していません。
話題となった『ビルギャル』は2015年ですから、22歳の頃。
『ビリギャル』への思いを取材された架純さんは、「もちろんサクセスストーリーでもありますが、伝えたいことはそこではなくて、家族や友達、先生といった人と人との繋がりで広がっていくお話だと思いました」と答えています。
役柄上、「金髪ギャル」になったけれど、どうすればギャルらしくなれのるか、とても悩んだとのこと。
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坪田先生を演じたのは伊藤淳史さん、大好きなあーちゃんこと母親は吉田羊さん、父親は田中哲司さんでした。
『ビリギャル』のモデルとなったご本人、小林さやかさんはその後、『キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語 』(アマゾン)を著しています。
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一方で2022年放映の『石子と羽男-そんなコトで訴えます?』では、東大法学部を主席で卒業したけれど司法試験に4回落ち、5回目も落ちるのが怖くて試験を受けることを諦めてしまうという、またユニークな「石子」さんを演じました。
このドラマでは、「父親」役がさだまさしさん。 羽男は中村倫也さん。
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主演で2016年に放映された『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』はオリジナル脚本が坂元裕二さんによるもので、たいへん趣きの深い、個人的にも惹かれたドラマでした。北海道の映像にも懐かしさが溢れました。もうひとりの主演は高良健吾さん。
坂元氏のセリフの鋭さも、やはり発揮されたドラマ。
同じ坂元氏による映画が大ヒットした『花束のような恋をした』です。菅田将暉さんとの共演で、菅田さんのページにも書いたのですが、この映画では主演の二人が、より素のままの姿で演じられている印象でした。
2024年の『海のはじまり』も注目作でした。
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以上、眩しくてみずみずしい、しかも近くにいる・・そんな印象の有村架純さんの出身校について、でした。