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政治家でなく俳優になった小泉孝太郎さん
小泉孝太郎さんの学歴と出身校についてご案内します。
小泉孝太郎さんは、小泉純一郎さんの長男で、政治家の小泉進次郎さんの兄ということはあまりに有名。
父親が総理大臣まで務めた政治家ながら、政治家になれとは一度も言われずに育った孝太郎さんでした。しかし高校時代など、特に進路には悩んだことが知られています。
横須賀市の出身で、孝太郎さんは小学校から高校までずっと、すぐ近くの横浜市の関東学院の学校で過ごしました。
関東学院六浦高等学校 ⇒ 日本大学(?)
関東学院六浦小学校、同じく関東学院六浦中学校を経て関東学院六浦高校に進み、高校を卒業後、2年の浪人期間を経て大学に進学しました。
進学先は日本大学という説が有力なもよう。しかし確かな根拠は確認できていません。
また大学はわりと短期で辞めたと見られ、YOSHIKIさんの助言などもあり、入学の翌々年には、芸能界入りを決めました。
その後の目覚ましい活躍は周知のとおりです。
小泉孝太郎(こいずみこうたろう)
生まれ:1978年7月10日
出身:神奈川県横須賀市
1982年:ご両親が離婚
1985年:(推定)小学校入学、7歳
1991年:(推定)中学校入学、13歳
1994年:(推定)関東学院六浦高校入学、16歳
1997年:(推定)高校卒業、19歳
1999年:(推定)大学入学、21歳(その後中退)
2000年:「21世紀の石原裕次郎を捜せ」オーディション応募
2001年:芸能界入り(小泉純一郎氏が総理大臣就任)
2002年:『初体験』、『狂った果実2002』主演
2003年:『踊る大捜査線シリーズ レインボーブリッジを封鎖せよ!』小池茂(その後もシリーズ)
2005年:大河ドラマ『義経』平資盛、27歳
2008年:『ごくせん 第3シリーズ』夏目誠一
2009年:大河ドラマ『天地人』大国実頼
2011年1:連続テレビ小説『カーネーション』中村春太郎
2013年:大河ドラマ『八重の桜』 徳川慶喜、杉村三郎シリーズ『名もなき毒』主演
2014年:『ペテロの葬列』杉村三郎、36歳
2016年:『警視庁ゼロ係〜生活安全課なんでも相談室〜シリーズ』(その後もシリーズ継続)主演
2017年:『アキラとあきら』安堂章二
2019年:『七つの会議』奈倉翔平
2020年:『恋する母たち』 斉木巧、42歳
2022年:大河ドラマ『鎌倉殿の13人』平宗盛、『精神分析医 氷室想介の事件簿〜超高層ビル密室殺人の謎』主演
2023年:『おしょりん』増永五左衛門、『下剋上球児』 丹羽慎吾、45歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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小泉孝太郎さんの出身地「横須賀市」と出身小学校、出身中学校
孝太郎さんは、小泉進次郎さんと同様に、小学校から高校まで関東学院に通っていました。(進次郎さんは大学も)。
関東学院は大学のキャンパスも、小・中・高も住所上はすべて横浜市の金沢区となりますが、ほんの数百メートルですぐ横須賀市という位置。ーーまさに地元の学校に進んだということになります。
小泉家の地元が「横須賀」であることは、進次郎さんのページにもあるように、小泉家の高祖父、小泉由兵衛さんの時代から始まっています。
小泉由兵衛さんはかつて現在は横浜市金沢区となった「六浦荘村」でとび職をはじめ、さらに横須賀で海軍に労働者を送り込む仕事をしていました。
その息子の小泉又次郎氏が土木請負業である「小泉組」を作り、横須賀市会議員から始まって政界入りしていきます。
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その又次郎さんの娘の芳江さんの女婿となったのが鹿児島出身の小泉純也氏でした。
小泉純也氏も政界入りし、防衛庁長官などを務めましたが65歳で急死。その小泉純也氏の跡を継いだのが、1942年生まれの小泉純一郎氏でした。
こうして現在も小泉さん一家の「地元」は横須賀となっています。
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(父と兄弟のお二人、写真の日付から孝太郎さんが小1のころと考えられます)
ということで、孝太郎さんも以下の学校の出身者となります。
出身小学校:関東学院六浦小学校
所在地:横浜市金沢区六浦東1丁目50−1
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出身中学校:関東学院六浦中学校
所在地:横浜市金沢区六浦東1丁目50−1
このページでは便宜上、中学と高校を分けていますが、関東学院では中高の6年間を3段階に分ける独自のシステムということで、正式名も「関東学院六浦中学校・高等学校」となります。
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子どもの頃について孝太郎さんはこう語っていました。
小学校から関東学院六浦に通っていました。
周囲に海も山もある自然の豊かな学校で、のびのびとおおらかな雰囲気でした。敷地内に幼稚園(現在は認定こども園)から大学まであるので、異世代と触れ合う機会が多かったことも、すごくよかったと思います。
(https://www.asahi.com/edua/article/12566320 より)
この続きで、中学でも高校でも野球に打ち込んでいたとのこと。 ポジションはサード。
野球つながりもあり、上地雄輔さんとの交流も広く知られています。上地さんは野球推薦で横浜高校に進んだという華麗な経緯ののちに、芸能界に入っています。
ちなみに上地雄輔さんの出身中学は横須賀市立桜台中学校ですから、小泉兄弟とは異なります。
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小泉孝太郎さんの出身高校は関東学院六浦高等学校
このように小泉孝太郎さんは、小・中に引き続き、関東学院六浦高等学校に進学しました。
関東学院六浦高等学校
所在地:横浜市金沢区六浦東1丁目50−1
同校の創立は1890年代まで遡ります。
さらに1949年に校舎を再建し「関東学院中学校・高等学校」として横浜市の南区三春台に移転したのですが、この時に一部は「六浦教室」として残りました。
さらにその後、六浦教室は「関東学院六浦中学校・高等学校」として分離独立したという経緯です。
つまり姉妹校の「関東学院中学校・高等学校」は横浜市南区にあります。
【関東学院高等学校の大学進学実績】は同校の公式サイトによると、2021年の場合、国・公立では東大1名、東京工業大学1名、東京外国語大学1名など、合計10名となっています。
国公立の合格者は毎年おなじくらいの実績が表示されます。また
早慶上理 ICUの合計22名
GMARCH + 関関同立の合計32名
といった数字が示されています。
必ずしも多数の生徒が「関東学院大学」に進学するのではない様子。
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高校の卒業式のときには小泉純一郎氏がやってきた様子が、ある時、孝太郎さんから語られました。
そういえば高校の卒業式に父が来てくれたんです。そのとき初めて僕のことで父が泣いている姿を見ました。総裁選の準備ですごく忙しかった時期で、式の後はすぐに「じゃあ」と車で東京に戻っていった。
(同上)
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周知のように、総理になる経過では田中真紀子さんが変人と呼んだように、ユニーク路線を貫いた小泉元首相ですが、こんな場面を思わされると、父親としての愛情がジワッと感じられます。
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なお、記事タイトルが「政治家・小泉純一郎の息子から逃れたかった」という朝日新聞の取材文が端的に語っているように、高校時代の孝太郎さんは将来について、かなり悩んだもようです。
高2のときに椎間板ヘルニアを患って、野球を続けられなくなったんです。気持ちを切り替えて応援団で頑張ろうとしたんですけど、このときの挫折感は実はいまもけっこう残っています。
(同上)
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そして、政治家については、「政治家になれ」と言われたことは僕も弟の進次郎(衆議院議員)も一度も」ないということで、
地元にいればずっと「小泉純一郎の息子」として生きていかなければならないことはわかっていました。でも僕は「そこから逃れたい、自分の人生を歩みたい」と思ったんです。
(同上)
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ところで勉強はどうだったかというと、これも有名な逸話となっており、勉強は最低限でいいと思ってたそうです。
ただ、僕はなにか一つのことにすごく熱中するタイプなんです。例えば学校全体でやる「英単語テスト」は学年トップで断トツでした。担任に「お前はどうしてその集中力と努力を、普段のテストで出さないんだ?」とよく言われました(笑)(同上)
こんな集中力が、小泉さんは基本的な能力の高さを物語っているようです。
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小泉孝太郎さんの出身大学は不明(日本大学?)
結論からすると、小泉孝太郎さんの出身大学は不明。ただし日本大学中退(日本大学経済学部夜間部)という説が有力とは言えます。
大学に入ったこと。中退したこと。この点は明らかですが、ご本人のコメントから言えることはこの点だけ。中にはご本人のコメントに「2浪して」という部分もつけて引用している情報もあります。真相は分かりません。
大学には行きましたが、中退し、思い切って芸能界に入る挑戦をしました。いま考えても、あの父じゃなかったら許されなかったでしょうね。総理大臣の息子が芸能界に入るなんて、普通はあり得ないですよね。
(同上)
このとき、小泉首相は「孝太郎の人生だからやってみなさい、と言ってくれたそうです。ちなみに小泉純一郎氏は慶応大学の出身なので、孝太郎さんも慶応かという誤情報もありました。
しかし、日大夜間部に進学したというのは、いまのところ確かな情報ソースは確認できていません。厳密には、不明というところかもしれません。詳しい情報があれば追記します。
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ちなみに『オロナミンC「1億人の心をつかむ男」新人発掘オーディション〜21世紀の石原裕次郎を探せ!〜』でグランプリを獲得したのは、徳重聡さんでした。
徳重聡さんは奇しくも孝太郎さんと同じ1978年7月生まれで、まさに同世代となります。
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孝太郎さんが芸能界を決意したときと、まもなく父の小泉純一郎さんが総理大臣になったときが重なったことで、結果としては、その話題性が芸能人人生を応援してくれたことは否定できません。
しかし、KINENOTEのページでの飾らない(?)紹介文によると・・
「当初は演技も拙く、自らも話題先行の“親の七光り”と認めざるを得なかったが、次第に実直な好青年や頼りないダメ男の役などに適性を発揮し、独自の立ち位置を獲得していく」
というように、自分の実力が話題先行に追いついていった、と言えるでしょう。
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経緯は異なりますが、宮澤エマさんが宮沢元総理の孫として、それを強調するわけでもなく否定するでもなく、淡々と女優としての実力を発揮している姿も想起させてくれます。
2002年のデビュー以降、『下町ロケット』や『警視庁ゼロ係』シリーズなどたくさんの実績を重ねてきました。
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タレントを選ぶ視点で、爽やかな人物・・・を探したら小泉孝太郎さんはやはり今も筆頭であるような気がします。
北乃きい&森崎ウィン&小泉孝太郎出演、人生を懸けてメガネ作りに挑んだ人々描く『おしょりん』予告https://t.co/bqrQe9TUE0#北乃きい #森崎ウィン #小泉孝太郎#おしょりん pic.twitter.com/4V2UDuDAi0
— シネマカフェ/cinemacafe.net (@cinema_cafe) May 31, 2023
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以上、簡単ですが小泉孝太郎さんの出身校についてでした。