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三谷幸喜さんに誘われて役者になった梶原善さん
梶原善さんの学歴と出身校についてご案内します。
梶原善さんは、岡山出身の俳優で、三谷幸喜さんの「東京サンシャインボーイズ」の劇団員として演じたことから始まって、その後は数多くのドラマや映画で活躍してきました。
子どものころは岡山の小・中学校を経て、高校は地元岡山の関西高校へ。
関西高校では甲本雅裕さんと同級生でした。
関西高等学校 ⇒ 東京デザイナー学院
高校時代はバンド活動にハマっており、いわば上京の理由付けのように、東京の学校に進むためにも選んだのは専門学校の、東京デザイナー学院でした。
東京デザイナー学院に通いながら、都内の「珉亭」でアルバイトをして、松重豊さんとも知り合い、さらに三谷幸喜さんに紹介されて、東京サンシャインボーイズの一員となったわけです。
その後は数多くの作品に出演し、大河ドラマも2022年の『鎌倉殿の13人』で3作目となっています。
梶原善(かじはらぜん)
生まれ: 1966年2月25日
出身:岡山県
1972年:(推定)小学校入学、6歳
1978年:(推定)中学校入学、12歳
1981年:(推定)関西高校入学、15歳
1984年:(推定)東京デザイン学校入学、18歳
1985年:「東京サンシャインボーイズ」初舞台『くたばれサンダース』
1986年:(推定)東京デザイン学校卒業、20歳
1989年:『やっぱり猫が好きSPやっぱり逸見と猫が好き』コンビニの客
1990年:『12人の優しい日本人』、『彦馬がゆく』
1994年:『お金がない!』徳川家安、28歳
1996年:大河ドラマ『秀吉』 稲田大炊助
1998年:『おばはん刑事!流石姫子シリーズ』丸山圭司
2004年:『髑髏城の七人〜アカドクロ』、『花とアリス』CM撮影スタッフ
2008年:『幸せ最高ありがとうマジで!』
2009年:『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』三田村篤哉、43歳
2012年:『平清盛』平宗清、『TOKYOエアポート〜東京空港管制保安部』
2013年:『清須会議』小一郎
2016年:『家売るオンナ』布施誠、50歳
2018年:『遺留捜査シリーズ』 岩田信之
2019年:『マスカレード・ホテル』本宮
2021年:『ナイト・ドクター』嘉島征規
2022年:大河ドラマ『鎌倉殿の13人』善児、『エルピス-希望、あるいは災い』-海老田天丼、56歳
2023年:『大名倒産』天野、一人三役、『ハヤブサ消防団』森野洋輔
2024年:『Re:リベンジ-欲望の果てに』鮎川賢二、『もしも徳川家康が総理大臣になったら』森本慶一、『サユリ』神木昭雄、58歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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梶原善(かじはらぜん)さんの出身高校は関西(かんぜい)高等学校
梶原善さんは岡山市の私立高校、関西高校の出身であることが分かっています。
ひところは岡山理科大学付属高校という情報も流れていましたが、甲本雅裕さんと高校が同じであることから、関西高校が正しいと考えられます。
関西(かんぜい)高等学校
所在地:岡山市北区西崎本町16番1号
甲本さんのページにもありますように、歴史の長い私立高校で、岡山県でも唯一の男子校となっています
また地域としては、北区ですから岡山市からJR桃太郎線にて、西北方面に進み、「備前三門駅」から歩いて3分。岡山駅からも歩くことはできます。
関西高校は、スポーツに強いことでも知られ、伝統もあります。
関西高校の姉妹校として作られた「岡山高校」は、現在は共学となっており、進学に力を入れている高校で、NHKアナウンサーの井上あさひさんは岡山高校の出身者です。
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、【関西高等学校の大学進学実績】は、「日本の学校」サイトに寄りますと2021年の場合でおよそ以下となっていました。(この部分、甲本さんのページと重なります)
大学進学 143名
専修各種学校 53名
就職その他 134名 など
合格者
岡山大学 1名
広島大学 1名
岡山理科大学 19名
岡山商科大学 10名
近畿大学 9名 など
関西高校は野球部が甲子園に連続出場などの記録があります。
出身者には、複数のプロ野球選手がいます。作家の石川達三氏も「関西中学」だった時代の出身者。
そして出身者としてはやはり、梶原善さんと甲本雅裕さんが有名です。
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高校時代の梶原さんは、コミックバンドに夢中になりました。
「コミックバンドでしたが、わりとウケて、人前に出る快感を覚えてしまった(笑)。このとき、知り合ったのが、のちに忌野清志郎さんのバンドメンバーになる、山川のりをくんでした。いま思えば運命の出会いでしたね」
(https://smart-flash.jp/entame/82851/1 より)
ここで述べているように「人前に出る快感」がのちに、三谷幸喜さんに気軽に(!?)舞台に誘われて、未経験でも出てしまったようなノリができたのかもしれせん。
梶原善さんの出身地岡山市と出身小学校、出身中学校
梶原善さんは岡山県の出身とされています。ただし、小学校・中学校時代についてはあまり情報がありません。
高校で一緒だった甲本雅裕さんと「中学も一緒だった」という情報も見ましたが、もしそうなら、甲本さんの情報でももっと触れられるはずで、中学は違うように見えます。
つまり詳細は不明です。
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また、未確認情報の一つとしてウワサの範囲ながら、「倉敷市立第四小学校」に少なくとも小学校の入学時には「梶原善」さんがいたのではないか・・という話もあります。(https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3544646&id=53839212 より)
これは、mixiコミュニティ・・つまりかなり古い情報ながら「四福小学校S52年度卒6年3組コミュ」というページで述べられていた話。
「四福小学校」というのは存在せず、倉敷市の第四福田小学校と見られます。
そこでS52年度卒業という学年は、卒業が翌年の昭和53年(1978年)で、さらに小学校入学が昭和47年(1972年)と計算されます。
ということは、たまたま、1972年に小学校入学とみられる梶原善さんと数字は合っていますーー。偶然かもしれませんので、正確なことは不明。
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上の話は、仮に梶原さん本人だとしたら、小学校の、少なくとも入学時は岡山市でなく、隣のほうの倉敷市だったかもしれません。小学校の途中で転校するのは珍しくないので、可能性はあるでしょう。
ということで、詳しいことが分かれば追記させていただきます。
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梶原善さんの出身学校は専門学校東京デザイナー学院
梶原善さんは、上京して「東京デザイナー学院」に進学しました。
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「両親に『役者になりたい』と言ったんですが、そんな雲を掴むような話、『いいよ』と言うわけがない。
次に興味があったのが、洋服だったんです。ブランド全盛期で、男のスタイリストも活躍しはじめた時代でした。学校には2年間、ちゃんと通いましたよ」)
(https://smart-flash.jp/entame/82851/1 より
現在の分類ではどの科に該当するか不明ながら、当時、梶原さんはスタイリスト科に進んだとされています。
東京デザイナー学院では現在の学科は下記の10学科となっており、それぞれにキャリアサポートをしているそうです。
グラフィックデザイン学科
映像デザイン学科
イラストレーション学科
コミックイラスト学科
マンガ学科
フィギュアデザイン学科
プロダクトデザイン学科
インテリアデザイン学科
建築デザイン学科
ファッションデザイン学科
ただ、上のコメントのように、梶原さんは「役者」になるという目的は親に言えずに、興味のある「洋服」の分野を選んでこちらに進学しました。
専門学校東京デザイナー学院
所在地:東京都千代田区神田駿河台2丁目11
同校からは、多数のアニメーション監督や漫画家、アニメーター。イラストレーターを輩出しています。タレントの高田純次さんも同校の出身。
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この時期の梶原さんは、松重豊さんと同時期に中華屋さんの珉亭でアルバイトしていました。松重さんや甲本ヒロトさんらと毎日のように一緒に過ごしたとのこと。
そのころは笹塚に住んでおり、駅まで20分の四畳半暮らし。一方で、洋服を作る課題もあり、四畳半では狭くて引越したという話もあります。
梶原さんはメンバーの中でも最も長く、3年半に渡って珉亭でバイトをしていたそうです。
2食のまかない食がついて、バイト代は日払いということで、演劇志望の人たちもたいへん助けられたという中華屋さん。
珉亭の長女の二瓶さんは、2022年の「女性自身」のインタビューでこう答えていました。梶原善さんのことを善君と呼んで以下のように・・。
「みんな(辞めるまで)1~2年だったかな。だから本当に短いけど濃密な感じ。でも善君がいちばん長かった。本人に確認したらそうだって言うから(笑)」
(https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Jisin_2100322/pid_3.html)
下北沢にある「珉亭」さんは、現在も営業されているそうです。(上の二瓶さんという方は都内ではない様子ですが・・)
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所在地:東京都世田谷区北沢2丁目8−8
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その時、三谷幸喜さんは「今度、舞台やるんだけどやってみる?」と軽やかに誘ったというのですから、凄い。しかし、三谷さんのことですから、梶原さんの人前に出るのが好きな体質を、とうに見抜いていたのでしょう。
その後も、梶原さんは三谷作品への登場頻度が高いことでも知られています。
そんな梶原さんは在学中でもあった19歳で、「東京サンシャインボーイズ」にて『くたばれサンダース』に出演。
#12人の優しい日本人
— コウのつぶやき(岡山情報局) (@japan_cow) January 14, 2023
懐かしいなぁ✨
📺️WOWOWシネマ
これ1991年。
中学だったかなぁ。授業で📺️見て感想文書かされた💦
今思えば、
元は、
【脚本】三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ。
梶原善さん🍑も皆も若い✨
この少し前に善さんに誘われて、入ったから…まだ
甲本雅裕さん、🍑いないのか。 pic.twitter.com/B4prRuxSC1
松重さんは、やがて劇団「蜷川スタジオ」に入団しますが、梶原さんはその後もずっと三谷作品の常連となっていきました。
詳しく見ると一旦は、1995年当時、劇団が解散というより充電期に入る時、「とうぶん舞台はいいや」と思って舞台から遠ざかっていた期間もありました。
・
舞台復帰の大きなきっかけになったのは、2004年に参加した劇団☆新感線の『髑髏城(どくろじょう)の七人』ですね。今では新感線に出演できることはすごくうれしいんですが、当初は抵抗があったんです。
(https://web.archive.org/web/20110818145642/http://interview.engekilife.com/33/ より)
ということで、「新感線」との関わりも大きかった様子。
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このインタビューはまだ2008年のことで、略歴に戻ると『髑髏城(どくろじょう)の七人』を経て、次は永作博美さん主演の『幸せ最高ありがとうマジで!』に出演する時のものでした。
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面白かったのは、2022年の三谷さんによる大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に、この人物だけは明確にフィクションという設定で梶原善さんが「善児」として登場したこと。
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次々と人を暗殺していく、恐ろしい善児。彼は北条義時の兄も殺害し、源頼朝の幼子も、弟も、上総広常も次々と、静かに、気味悪く殺害しました。
『鎌倉殿の13人』は実際ユニークで、三谷さんらしい笑いを込めた大河ドラマでした。そこで「善児」の存在が華を添えていたように思います。善児って、それは梶原さんだからね、とか思いながら・・。
これは、三谷さんと梶原さんの親密さを表すようなエピソード・・
「鎌倉殿」の作者・三谷幸喜作品の常連で、“盟友”からは「代表作になるといい」と激励された。そのエピソードをいくつかのインタビューで明かしたところ、三谷から「自分で代表作になりましたと言ってるけど、本人が言うべきじゃない」とテレビでからかわれた。
(https://www.yomiuri.co.jp/culture/tv/20221101-OYT1T50193/ より)
私生活では、2019年のインタビューで7歳の息子さんがいる様子でした。2023年現在でまだ小学生でしょうか。
梶原善さんの。その他の出演作品は挙げきれません。そんな意味でも、高校以来の同級生の甲本雅裕さんと通じるところがありそうです
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2022年にはBSフジの番組『ビルぶら!レトロ探訪」』で、懐かしいレトロな、昭和の趣のビルを歩いています。「かじわら」さんと呼ばれがちなので「KAJIHARA」Tシャツを着用とのこと。
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— ウメちゃん🐶【BSフジ公式】 (@Ume_bsfuji) January 31, 2023
『 #ビルぶら !レトロ探訪』
最新話を #BSフジオンデマンド で配信開始!
\#梶原善 が #森永プラザビル を探訪!🏢
ビルぶら!企業ビルに初潜入!ビルに息づく商売人たちの人情と絆にほっこりの1時間。
さらに懐かしいお菓子や商品が次々登場!🍩🍭
過去回も配信中!
同じく2022年の『エルピス-希望、あるいは災い』では、軽い情報番組のMCG役を、いかにも・・らしく演じていていさすがでした。
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以上、簡単ですが梶原善さんの出身校についてでした。