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三谷幸喜氏の目に止まった迫田孝也さん
迫田孝也さんの学歴と出身校について。
迫田孝也さんは、大河ドラマをはじめ、連続ドラマ『マイファミリー』や『俺の可愛いはもうすぐ消費期限!?』にも登場しており、すっかりいつも活躍中の俳優さん、というイメージです。
そう、いつの間にかと言ってはたいへん失礼かもしれませんが、すっかり安心して見られるベテラン俳優さんとなっています。
三谷幸喜氏に見い出された一人ともいえそうです。鹿児島育ちで、地元のトップ進学校とされる公立の鶴丸高等学校から国立の広島大学に進学しました。
鹿児島県立鶴丸高等学校 ⇒ 広島大学
広島大学では教育学部を卒業しました。保健体育の教師の資格を持っています。
俳優を目指したのは、志のきっかけが在学中だったとはいえ、大学卒業後のことでした。
劇団の「STRAYDOG」にて演技を磨き、『ザ・マジックアワー』のオーディションで三谷幸喜氏の目に止まったことがよく知られています。
大河ドラマ『真田丸』にての活躍から知名度が上がったと言えるでしょうか。
迫田孝也(さこだ たかや)
生まれ:1977年4月6日
出身:鹿児島県
1984年:(推定)小学校入学、7歳
1990年:(推定)指宿市柳田小学校卒業、
1993年:(推定)県立鶴丸高校入学、16歳
1996年:(推定)広島大学入学、19歳
2000年:(推定)広島大学卒業、23歳
その後、上京して劇団の「STRAYDOG」に所属
2002年:『半神』舞台
2008年:『ザ・マジックアワー』AD役
2010年:『土曜プレミアム 刑事・鳴沢了〜史上最悪の24時間』
2011年:モデルの浅井久美子さんと結婚、34歳
2013年:『清須会議』蜂屋頼隆
2016年:『真田丸』矢沢三十郎頼幸
2017年:『嘘の戦争』千葉豊、『本能寺ホテル』町田、40歳
2018年:『西郷どん』江藤新平
2021年:『真犯人フラグ』日野渉
2020年:『共演NG』是枝育夫、鹿児島県の「薩摩大使」に任命される
2022年:『鎌倉殿の13人』源範頼、『ノイズ』野毛二郎、『マイファミリー』日下部七彦、45歳
2023年:『VIVANT』 山本巧
2024年:『正直不動産2』寺島大助 、47歳
その他出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係に添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
3.
— みか (@wdds_magir) January 9, 2018
迫:いいですか、まず、1月1日見てくれました?
「風雲児たち」(ハガキを手に取る)
NHKの作品だったんですけど、ここに迫田孝也が居ます。
客席:エリート!
迫:エリートエロ蘭方医
(自分でエロって言っちゃったよ)#西郷どん #パブリックビューイングinあいら #迫田孝也 #田上晃吉 pic.twitter.com/nCPiHGAT0s
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迫田孝也さんの出身高校は超進学校の鶴丸高等学校
迫田さんの出身校、鹿児島県立鶴丸高等学校は鹿児島県の高校でもトップクラスとなります。トップクラスというより、トップの高校ですが、鹿児島には全国的に知名度の高い鹿児島ラ・サール高校があり、その故?というわけではないですが、「鹿児島といえばラ・サール」にような空気の影に隠れているのかもしれません。
ご参考までに鹿児島県の高校ランキングで偏差値を見ると、以下となっています。
1 ラ・サール高等学校 78 私立
2 鶴丸高等学校 74 公立
3 樟南高等学校(文理コース) 74 私立
4 鹿児島実業高等学校(文理科) 72 私立
私立ではコースによって偏差値が異なる傾向がありますが、鶴丸高校は名実ともに高水準を保っているようです。
【鹿児島県立鶴丸高校の大学合格実績】は、
東大10名、京都大学12名、旧帝大関係で79名、それ以外の国立大学154名という(2021年度)かなり、かなりハイレベルの進学校であることが分かります。
そしてその年の広島大学の合格者も12名となっています。
そういう高校にて迫田さんは、もちろん優秀ですが、その高校の出身者にとってはたいへん妥当というか、自然な範囲にある広島大学への進学だったように見えます。
ちなみにラ・サール石井さんは鹿児島ラ・サールの出身であることを芸名にもしている芸人さんです。
鹿児島県立鶴丸高等学校
所在地:鹿児島市薬師2丁目1−1
最寄り駅は鹿児島中央駅になります。
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鹿児島県立鶴丸高等学校はかつての「旧制中学」であり、校名は「鹿児島県立第一鹿児島中学校」であったり、「鹿児島県第一中学校」であったりしたわけですが、
それだけ歴代の著名出身者を輩出しています。
「一中」時代の出身者には貴族院議員だった池田清氏らがいますし、電通社長の田丸秀治氏も「一中」出身となります。
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経済学者の大田弘子さんは鶴丸高校から一橋大学に進みました。小渕優子さんの夫でTBSテレビの瀬戸口克陽氏は鶴丸高校から東大に進学しました。
ところで『鶴丸』とは、島津氏の居城であった鹿児島城が鶴丸と呼ばれたことに由来しています。鹿児島といえば島津氏ですが、「島津宗家第32代当主」である島津忠裕氏も鶴丸高校の出身者という、なんとも郷土カラーを感じさせてくれる高校。
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こちらの鶴丸高校にて、迫田さんはどんな生徒だったのでしょうか。
知られているのはバレー部の主将だったということ。鶴丸高校のバレー部は、かつて広島国体にも出場したという歴史があるそうです。バレーをやっていたことと、迫田さんが教育学部の保健体育を専攻したこととは、無関係ではないでしょう。
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迫田孝也さんの出身地、鹿児島県と出身小学校
迫田孝也さんは鹿児島県の出身であることは確かですが、父親が高校の教員ということで生まれた時は川内。川内市(せんだいし)は現在、薩摩川内市となっています。
余談ながら川内を「せんだい」と呼ぶのは、仙台の東北大学の教養部や文化系のキャンパスを川内(かわうち)と呼ぶのと関連して、不思議な、面白い事例だと思われます。(伊坂幸太郎さんの出身大学と出身高校)
迫田さんは川内から田代や指宿市を経て鹿児島市に移ったとされています。
親の転勤の多い小・中学生にとって、出身の小学校、中学校を厳密に網羅するのは、よほどご本人による解説がなければ難しいと思われます。
明らかになっているのは、出身の小学校が指宿市の柳田小学校であるということ。
指宿市立柳田小学校
所在地: 鹿児島県指宿市十町2454
柳田小学校がどこか、という前に指宿(いぶすき)市と鹿児島市の位置関係を見てみましょう。地図で見る限り、割と離れています。
その点が気になるのは、もしも指宿市が自宅なら鹿児島市内の高校への通学がどんな手段になるかと思ったのです。しかし、転勤が多かったという迫田さんにとって、指宿市時代は子どもの頃の一時期の通学校だったかもしれません。
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柳田小学校のことが判明したのは、2020年に迫田さんが鹿児島県「薩摩大使」に任命され、当時の県知事だった三反園訓氏も、柳田小学校の出身だったことから、そんな話となったそうです。
つまり柳田小学校に入学したのかは不明ですし、同校の卒業後、どの中学校に進んだかも今のところ情報がありません。指宿市のなかで近くの中学を探したとても、無関係かもしれません。
いずれ鹿児島市に移ったなら、鶴丸高校の通学はもちろん問題ありませんし、中学も、鹿児島には国立の鹿児島大学の附属中学もありますから、もろもろの可能性があり、むやみに推測しても(笑)、想像がつかない状態です。
(細かいことを並べてしまいました)
ところで三反園訓氏は指宿市の出身で指宿高校から早稲田大学に進学しました。迫田さんより20年くらい年長になります。
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また、鹿児島県の出身で活躍中の人物といえば、上白石萌音さんと上白石萌歌さんがいます。お二人の、中学までの地元は皇徳寺台でした。
子どもの頃の迫田さんはどんな少年だったのでしょう。たいへん興味深いことですが、不明なことが多いため詳しいことが分かれば追記します。
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迫田孝也さんの出身大学は広島大学
先述のように、迫田孝也さんは広島大学の教育学部に進学しました。
広島大学
所在地:広島県東広島市鏡山1丁目3-2
いきなりですが、東広島市は広島市のちょっと東・・という位置ではありません。(ちょっとだけ当事者視線で)
たとえば広島市の中心部から厳島神社に行くほうがはるかに近いですし、呉市もおよそ東広島市よりは広島市の近くにあります。
一方、かつておよそ「西条」と言われていた「東広島」には新幹線も停まり、広島とはまた異なる広々とした文化圏を築いているようです。
かつては広島市内にあった広島空港も便利だったのですがーー。いずれ広島大学は現在ではおもな拠点が、広島市内から東広島に移ったということになります。
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迫田さんの進んだ「教育学部」では、教育学部と学校教育学部を統合して新たに学部が編成されたのが2000年のこと。
現在は教育学部は、第一類(学校教育系)から第五類(人間形成基礎系)まであり、健康スポーツ系コースは第4類となっています。
しかし迫田さんの入学が1996年ころと見られますから、迫田さんにとっては教育学部と学校教育学部が分かれていた当時のことと推定されます。
そういう細かいことはともかくとして、迫田氏は保健体育の教員免許を持っています。
もし学生時代に、奄美大島でロケ中の山田洋次監督たちのスタッフと触れる機会がなかったらーーー。迫田さんはそのまま、快活な体育の先生になっていた可能性もあるでしょうか。
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上記のように広島大学はかつては広島市内のキャンパスが大半でした。しかし現在は本部も東広島市に構えています。教育学部もやはり東広島キャンパスを使っています。
東広島キャンパスは広大で、国内でも筑波大学に次ぐ広さを誇るそうです。
広島大学からはたくさんの研究者を出してきました。
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学校法人加計学園の加計勉氏も広島大学出身。また、『家政婦のミタ』や連続テレビ小説『 純と愛』で有名な遊川和彦氏も広島大学の出身です。
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矢沢三十郎、 江藤新平から、源範頼への迫田孝也さん
冒頭のように近頃たいへん活躍の目立つ迫田孝也さんです。
2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』では主人公の真田信繁(堺雅人さん)の腹心、矢沢三十郎頼幸を演じ、役にすっかり入り込んで自ら「迫田三十郎です」と挨拶していた迫田さん。
堺雅人さんはお隣の宮崎県の出身で、年齢は迫田さんより4つほど年長となります。
また、役者を志したきっかけが、三谷氏の戯曲原作の映画『12人の優しい日本人』を観たこと、という迫田さんでした。
「三谷さんに恩返しもしたいと思いますし、三谷さんをびっくりさせたいという気持ちもあります。三谷さんが思い描いているイメージを超えていきたいという、気概もあります」と迫田。
(https://www.oricon.co.jp/news/2077112/full/ より)
なるほどという役者魂を感じます。
2018年の『西郷どん』ではあいら(姶良)市で開かれた『パブリックビューイングinあいら』のトークショーでも大活躍でした。田上晃吉さんと二人で漫才のようなトークだったとの評判。
みか@wdds_magir
MC:お2人は鹿児島出身ですけど、子どもの頃の思い出は?
迫:うちはね、父が先生をやってるんですよ。本物の迫田先生
田:ほんとの先生
迫:ほんで、転勤族やったから、川内で生まれて、田代行って、指宿行って、市内
西郷どん #パブリックビューイングinあいら #迫田孝也 #田上晃吉 2018年1月9日
転勤が多かったというのは、ここでのトークでした。
77.
— みか (@wdds_magir) January 10, 2018
迫:あんまり調子に乗らずに。調子に乗るとすぐ落とされるんでね。着実に着実に。天狗の鼻をポンポン折りながら。ほんとに「よろしくお願いします」って感じで役者はやっていきたいと思います。#西郷どん #パブリックビューイングinあいら #迫田孝也 #田上晃吉 pic.twitter.com/CUfqmONDPe
2022年の『鎌倉殿の13人』では、頼朝、義経に比べると目立たなかったけれど、じつは大きな働きをしたまさに「兄弟」の源範頼を演じました。
『鎌倉殿の13人』では大泉洋さんが、嫌われるに充分と噂される頼朝を演じました。視聴者の一人として正直、最初、頼朝像が混沌としましたが、だんだん「頼朝、こうだったかも・・」が強まっってきたように感じています。
そして範頼という、人物のこともよく知ることができました。
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2022年『マイファミリー』の日下部役では、最終回までこの人が怪しい(?)と思わせるのに充分の刑事でした。ちなみに『マイファミリー』で切ないほどの演技を見せてくれたのが濱田岳さん。多部未華子さんの演技も光っていました。
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私生活で公表されていない部分も多いようですが、まだ爆発的には売れていなかった時代に、モデルで1歳年下の浅井久美子さんと結婚したとされています。
まだまだこれから多くの姿を演じてくれそうな迫田孝也さんです。簡単ですがその出身校についてでした。