都心育ちの高橋一生さん
高橋一生さんの学歴と出身校についてご案内します。
高橋一生さんは連続ドラマなどで常連的に活躍する代表的な存在となっている高橋一生さん。1980年生まれなので2020年代は40代となりました。
都内の「赤坂」出身とされ、都会の真ん中、港区の南青山または北青山にある小学校、中学校が出身校となります。(詳細は下記に・・)
小学校のころから子役としての活動が始まり、高校は芸能コースのある堀越高校を卒業しました。堀越高校にて岡田准一さんと同期だったことは有名でしょう。
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高校時代から引き続き芸能活動を続けており、大学へは進学していません。
堀越高校 ⇒ 進学せず
なお、ひと頃、高橋一生さんについての情報が錯綜し、青山学院の卒業であるとか、東大の卒業?等々の噂が流れましたが、諸々の理由あっての誤情報でした。
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2013年の『Woman』は印象深いドラマでした。やはり坂元裕二さんによる脚本でしたが、高橋さんはそこで満島ひかりさんの演じる主役の担当医として、ちょっと温かい印象を残しました(個人の感想)。
その後、『民王』(遠藤憲一さん、菅田将暉さんのW主演)での貝原茂平役がとても爽やかで、主役でなく秘書である貝原さん(高橋一生さん)が大人気を博した・・・これは、記憶に新しいところです。
その後、連続ドラマへの出演が絶えない、昨今の状態が続いています。
弟さんが4人いて、長男が一生さんですが、never young beachの安部勇磨さんは3男にあたります。
2024年5月に飯豊まりえさんとの結婚が発表されました。
高橋一生(たかはしいっせい)
生まれ:1980年12月9日
出身:東京都赤坂
1987年:(推定)赤坂小学校入学、7歳
1988年:(推定)祖母のすすめで児童劇団に入団、8歳
1990年:『ほしをつぐもの』映画初出演
1991年:『レ・ミゼラブル』ガブローシュ
1993年:(推定)青南小学校卒業、青山中学入学、13歳
1994年:『よい子と遊ぼう/J・MOVIE・WARS II 平山秀幸篇』
1995年:『耳をすませば』天沢聖司の声、(推定)他の中学に転校?
1996年:(推定)中学卒業、堀越高校入学、16歳
1998年:『少年たち』、18歳
1999年:堀越高等学校を卒業、19歳、『元禄繚乱』柳沢吉里
2000年:『池袋ウエストゲートパーク』引きこもり役。20歳
2004年:『新選組!』松平定敬
2006年:『MEATBALL MACHINE -ミートボールマシン』主演
2009年:『ガス人間第一号』主演
2012年:『Wの悲劇』間崎鐘平、32歳
2013年:『Woman』担当医役
2014年:『軍師官兵衛』井上九郎右衛門、34歳
2015年:『民王』貝原茂平役、35歳
2016年:『民王番外編 秘書貝原と6人の怪しい客』
2017年:『カルテット』、『おんな城主 直虎』小野但馬守政次、『わろてんか』伊能栞、37歳
2018年:『僕らは奇跡でできている』、『億男』佐藤健とW主演
2019年:『九月の恋と出会うまで』川口春奈とW主演、『凪のお暇』我聞慎二
2020年:『ロマンスドール』主演、40歳、『岸辺露伴は動かない』主演、40歳
2021年:『天国と地獄〜サイコな2人〜』日高陽斗
2022年:『インビジブル』主演、『恋せぬふたり』岸井ゆきのとダブル主演、42歳
2023年:『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』岸辺露伴、『6秒間の軌跡〜花火師・望月星太郎の憂鬱』主演
2024年:『ブラック・ジャック』主演、飯豊まりえさんと結婚、44歳
その他、出演など多数
*略歴は当サイト独自のまとめであり、公式発表ではありません。略歴中の学校関係などに添えた年齢は、およそ誕生日を迎えた時点での「◯歳」を示しています。
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高橋一生さんの出身高校は堀越高校
高橋さんが堀越高校に入学したのは1996年のことでした。
堀越出身者は多く、岡田准一さん、新山千春さん、山崎裕太さんらが同期となります。
同じ堀越高校出身の山下智久さん、蒼井優さんが1985年生まれで5歳下ですから、意外と(?)一生さんは年長・・
あらためて若く見えていたことを確認しました。
ついでながら堀越高校出身者には、もっともっと先輩に野口五郎さん、稲垣吾郎さん、草薙剛さんらがいたのでした。
堀越高等学校
所在地:東京都中野区中央2丁目56−2
創立:1923年
堀越高校には特性を伸ばすというコンセプトでトレイトコースがあるのは周知のとおりです。一年から三年まで、トレイトコースの生徒は朝礼などは一緒に行うそうです。
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高橋さんにとっての高校時代は、映画作品では1996年の『友子の場合』、1998年の『友情 Friendship』、1999年の『虹の岬』などに出演していました。
ドラマでは1996年の『KIRARA』や『チキチキバンバン』、1997年の『Dの遺伝子』、1998年の『少年たち』などーー
特に目立った作品ではなかったかもしれませんが、継続して出演を重ねていたことが分かります。
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2019年の『凪のお暇』が放映された頃のインタビューでは、高校時代に、高橋一生さんが、岡田准一さんと、毎日一緒に過ごしていたと答えていました。
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2人は堀越高校の同級生で、毎日一緒に過ごし、高橋の家に岡田が泊まることもしょっちゅうの半同棲生活を送っていたという。
先に売れっ子になった岡田がファンに囲まれると、高橋は「先に帰ってるから」と言って家で待っていたというから、まるで本当の恋人さながらだ。
(https://www.news-postseven.com/archives/20190720_1413537.html?DETAIL&from=imagepage_f-button より)
「恋人さながら」というのは、ちょっと盛ってる感がありますけれど、二人が堀越高校でことさら仲が良かったことはよく知られます。
岡田准一さんが宮崎あおいさんと結婚したのが2017年ですから、このインタビュー時、岡田さんは既婚でした。
岡田さんとは登山仲間でもあり、高橋さんが岡田さんに教えたとされます。
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高橋一生さんの出身地・青山と出身小学校、出身中学校(小学校も中学も転校か?)
出身地は都内の赤坂とされます。
「青山」とか「赤坂」とか厳密な区別は別として、どちらもまさにお洒落な都会のど真ん中。
出身小学校とされる「青南小学校」を、地図で見ると、そういえば、以前に、根津美術館に行くときに表参道駅で降りて美術館に向かって歩いた途中に見えていた“都会”の小学校でした。
近隣に国立新美術館があり、ミッドタウンも近く・・
薬師丸ひろ子さんも、「北青山」の出身とされ、出身中学も高橋さんと同じ青山中学であることが分かっています。
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話の順が逆になりましたが、著名人となった高橋さんについてはpasonica.comでも出身小学校、出身中学校が以下のところとされています。
さらに、各々の学校の著名出身者として名前を連ねています。
◯出身小学校:港区立青南小学校
所在地:東京都港区南青山4丁目21−15
設立:1906年(明治39年)
2021年の児童総数:590人
出身者には他に、精神科医の斎藤茂太さん(昭和医大など)、その弟の北杜夫さん(東北大学など)や、作家の安岡章太郎さん、仲代達矢さんらがいます。
そういえば斎藤茂太さんの軽妙洒脱なセンスは、こんな都会の空気で育まれたのでしょうか。
余談ついでに、茂太さんと北杜夫さんの実家は『青山脳病院』なのでした。
二人にとって、精神科の病院が実家だったことは分かります。しかしそういえば『青山』だったのだと今思いました。
岡本太郎さんも当初はこちらの小学校に通っていました。
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「ミラクル太郎の自転車安全教室」 子役時代の高橋一生さん pic.twitter.com/vxW2m8cB0q
— Anime V.H.S. bot (@AnimeV_H_S) July 20, 2020
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ところで出身小学校は、港区立青南小学校だとしても入学したのは「赤坂小学校」だったそうです。これは 2017年2月に高橋さんが「ぴったんこカン・カン」に出演したときの話です。
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安住アナと高橋一生が歩くのは赤坂、小学校の頃に高橋が暮らしていた地域だという。
現在は合併してしまった赤坂小学校にかよっており、卒業当時のクラスメイトはわずか3人。当時遊び場にしていたのが赤坂御用地、顔を覚えてもらい顔パスで中に入っていたと明かした。
(https://kakaku.com/tv/channel=6/programID=996/episodeID=1037592/ より)
他の方のブログでも赤坂小学校は当時、大変、人数が少ない学校だったという記事がありました。
上の記事で言っているのは、旧赤坂小学校だったという意味でしょう。
現在も港区立赤坂小学校は、港区立檜町小学校と港区立氷川小学校と統合した形で、存続しており、港区赤坂八丁目13-29 、まさに都会の真ん中にあります。
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2021年1月に放映された「A-Studio+」では 【高橋一生】幼なじみ語る素顔&弱点!?結婚と音楽と俳優人生』ということで、
麻布十番で「ComeStai?」を経営している同級生の篠原正樹さんからのコメントが、以下のように紹介されました。
高橋は幼少期から超都会生活で、東宮御所で遊んでいたという。
CIプラザと神宮外苑いちょう並木の間で、毎日スケボーに乗っていたと話した。・・(中略)・・
幼馴染の篠原さんは、高橋は完璧主義な性格だと明かした。高橋は同情されるのが嫌いだと語った。
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なお上記の2017年2月の「ぴったんこカン・カン」でも篠原正樹さんは登場しており、篠原さんの赤ちゃんを抱っこ。
赤ちゃんの扱いに慣れている高橋一生さん。
「高橋は高校生の頃に一番下の弟が生まれたため、赤ちゃんの扱いには慣れていた」とのことです。
ちなみに、篠原さんの赤ちゃん誕生については、高橋さんがオススメした祠に篠原さん夫婦がお参りしたら1ヶ月後に授かったのだ・・・とか。
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◯出身中学校:港区立青山中学校
所在地:所在地: 東京都港区北青山1丁目1−9
設立:1947年(昭和22年)
2021年の生徒総数:132人
こちらは、薬師丸さんの出身小学校である港区立青山小学校とも向かい合う位置となっています。
高橋一生さんの出身校は、両校とも、意外なほど児童数、生徒数が少ない状態です。青山中学など、各学年とも50名もいないということーー。
青山中学の出身者には、文芸評論家で衝撃的な最期だった江藤淳氏がいます。日本美術史の辻惟雄氏も。
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まだ行ってないのですが、見学できる「迎賓館赤坂離宮」の受付もこの両校の近く。 明治神宮外苑ももちろん近く。
近隣にある国学院高校に通っていたのが、さだまさしさん、都立青山高等学校に行っていたのが石田ゆり子さんです。
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ところで、 たいへん細かい話・・ですが
一生さんと「中学で同級生だったという方の個人ブログ」によると、青山中学校から高橋さんは、中3の1学期に転校していった、という話でした。
だとしたら、入学した中学は青山中学校でも卒業は他の学校だったでしょうか?。
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私と高橋一生は青山中学校の同級生でした。
高橋一生は三年生の一学期に転校していきました。
私はイジメられグループと仲がよく、高橋一生はイジメっ子グループともイジメられグループとも仲よく上手に付き合っていました。イジメっ子グループの中心人物の隣によくいるのが高橋一生でした。その頃の高橋一生は芸能養成所に通うため、よく中学校を早退していました。
(https://www.itumoarigatougozaimasu.com/entry/2018/09/04/ より)
細かい経緯はともかくとして、ご家庭の事情や芸能の仕事など事情で学校を変わった可能性は充分考えられます。
上記のブログ主さんの言葉によると、高橋さんのことでなく一般的にその地域では、学校の統廃合の対策や進みたい学校の関係で、転校という例も珍しくなかったようにも見えます。
さらに、地域柄か、この方の言葉を借りるとですが・・
「青山小学校→青山中学校→青山学院大学付属高校→青山学院大学へと進むのが成功への道だ」と小学校教師たちは揃って生徒に言いました。
(同上)
あくまでも個人の方の記事ですが、こういう地域性があったのかな・・と思ったという話でした。 実際に転校などの例は多いのでしょうか。
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しかし、この記事でもっと注目した点は、抜き出すと長いので要点をいうと、高橋さんはいじめられっ子ともいじめっ子とも仲良くできる子供だったこと。そして、さりげなくいじめられっ子のことも助けていたことです。
いじめっ子の「彼」(←ブログ主の友人)に対して、
「高橋一生はよく彼のところにきて、なにかあったら俺に言いな。助けるから。と言っていました」
とのこと。
さりげなく凄いです。ちなみにこの地域では、都心ゆえに?貧富の差が激しいと等々の情報も見かけました。よく分かりません。だそうです、くらいのニュアンスの話でした。
そして、このブログ主さんも、クラスメートが、赤坂御所の中にある警察官家族住宅に住んでいたため、主な遊び場は赤坂御所だった・・とのこと。
想像するだけながら、都心(一等地)にも、ゆったりとした空間で子どもたちが姿があり、その中の一人が高橋一生さんだったのだろうと、あらためて思いました。
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ということで、細かい変動はあったかもしれませんが、高橋さんはまさに「青山」のこの地域で小学校、中学校時代を過ごしたことでしょう。
あえて細かく記すと高橋一生さんの小学校、中学校は
赤坂小学校 ⇒ 青南小学校 ⇒ 青山中学校 ⇒ ◯◯中学校?
であったと考えられます。
そして、いわゆる子役だったのか・・という素朴な疑問ですが、2016年の『週刊女性』の記事ではこう記されています。
’90年に子役としてデビュー。1度、芸能界から離れたものの、14歳のときジブリアニメ『耳をすませば』の声優オーディションに合格したことで、本格的に俳優業をスタートさせる。
(https://www.jprime.jp/articles/-/8382 より)
略歴を見ると、というより出演した演劇や映画などを辿ると、1度、「離れた」ようにも見えません。
しかしいずれ、『耳をすませば』の天沢聖司の役をやったことが大きな転機だったと言えそう。
そして、上記の堀越高校に進むことになります。
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高橋一生さんの出身大学はなし
このように芸能活動続きで、高橋一生さんは大学には進学していません。
高校を卒業した翌年の2000年の映画、『池袋ウエストゲートパーク』での引きこもり役の印象が強く、似たような役が回って来ることが続いたとのこと。
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しかし、個人としての感想も書きましたが、高橋一生さんのイメージを変えたのが2013年の『Woman』でした。ヒロインの担当医役を坂元裕二さんが、新たなキャラクターとして書いてくれた、ということになります。
広く認知されるように、『いつ恋』も『カルテット』も坂元裕二さんの脚本。最も敬愛する脚本家さんです。
『カルテット』が人気を博したのが2017年でした。冒頭の略歴を振り返るとその2017年が、人気ドラマだけでなくNHKの連続テレビ小説にも、大河ドラマにも出演している年なのでした。
2017年:
『カルテット』家森諭高、
『おんな城主 直虎』小野但馬守政次
『わろてんか』伊能栞
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時間はさかのぼり、高橋一生さんのご家族について。
自身は独身です。
少なくとも2016年の取材には、 「結婚もまったく考えていないし、山登りが好きなので、ログハウスでも建てたいな」と答えていました。
2022年8月現在は、飯豊まりえさんとの交際報道がありました。飯豊まりえさんとは2020年の『岸辺露伴は動かない』で共演していました。
⇒ 高橋一生さんと飯豊まりえさんは2024年5月に結婚を発表しました。おめでとうございます。
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小さい頃の高橋一生さんについては、「母親の3度の結婚」のことが知られています。自身が長男で、弟が4人いることもーー。
お母さんは2015年に癌で逝去されました。
2017年の「A-Studio」に出演した時の記事となります↓
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ガンであることを安部(弟)から伝え聞くも「いま会ってしまうと、また口げんかになる可能性があるから、変な話ですけど弱ってから会わしてくれと。
そうすればお互い怒りも出てこないだろうって
(https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/21/kiji/20170121s00041000344000c.html より)
自身は、母親が18歳のときの子ども、ということで、一番下の弟との年齢差は18歳。
お母さんはなかなか気丈な方だったのでしょうか。今や大スターの高橋一生さんですが、息子のことを母親は・・・
「よく言われました。隣のあんちゃん目指しなさい、あんたなんかって」・・という調子だったそうです。
とは言っても、本心ではどれほど期待していたことでしょうか。
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注目した「2017年」以降をあらためて見ると、それ以降毎年、記しきれないほどの出演歴を重ねています。
『凪のお暇』での高橋さん(我聞慎二さん)も感情の生々しい青年でした。共演したのは、黒木華さん、中村倫也さん。
2020年の『ロマンスドール』では、大切なその相手役は蒼井優さんでした。
『天国と地獄〜サイコな2人〜』の役でも、綾瀬はるかさんとともに、抜群の演技力を見せてくれました。入れ替わったそれぞれのなかに、二人がそれぞれが生きている感じが、恐ろしいほどでした。
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ちなみに2019年2月に放映された「櫻井・有吉THE夜会」 でのタイトルは、【高橋一生の港区育ちのモテない人生!子役時代の秘蔵映像】でした。
(番組タイトルというのは、いつの日も釣りタイトルなのかもしれません。余談。)
その番組によると、一生さんが中学時代に『耳をすませば』で天沢聖司の声をやったことは、先生たちには特に知られていなかったようです。
当時、音楽発表会で先生たちが「カントリーロード」を演奏してくれたそうです。それが何故なのか、一生さんは知りたくて、番組の収録で小林一彦先生に尋ねると、当時、警備の人の中にカントリーロードが大好きな人がいたからーー。
ちなみに高橋一生さんは中学校の帰りに道に、「明治神宮外苑」で遊んでいたとのこと。やっぱり!ですね。
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以上、簡単ですが人気俳優、高橋一生さんの出身校についてでした。